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2007年06月投稿分

2007年06月30日

深夜のすごいメルマガ

 安倍内閣の暴走が止まりません。国会の最終盤にきても「数の暴力」で社会保険庁解体・民営化法案、国家公務員法改悪案などを成立させました。参院は徹夜議会といったらいいのか、深夜議会といったらいいのか、明け方近くまで審議が続きました。こうしたなかで、わが党の井上さとし議員が深夜の少しばかりの休憩時間を利用してメールマガジンを送信してくれました。時間は午前2時11分。たまたま起きていた私は、国会の生の動きがびんびんと伝わってくるすごい報告に感動しました。
 井上さとしです。
 現在、夜中の2時過ぎ。昨日の14時から始まった本会議は、休憩を挟んで断続的に行われ、零時前の延会手続きを経て、今は4回目の休憩の最中です。2時半に再開され、どうやら終了は明け方の4時前になりそうです。
 与党は、一昨日に強行採決した社会保険庁解体法案の採決・成立とともに、天下り自由化法案についても委員会採決を省略して「中間報告」に付することにより本会議での採決・成立をごり押ししてきました。
 これに対し、参院では厚労大臣の問責決議案、総理大臣問責決議案、厚労委員長解任決議案が、衆院では内閣不信任案が次々と提出され、その採決が優先さ れるために悪法の採決は深夜までずれ込みました。
 一連の問責決議は与党が数を頼んで否決し、さらに先ほど、社会保険庁解体法案は与党の賛成多数で可決・成立しました。残念です。残る議題は、天下り自由化法案だけで、再開されれば、内閣委員長の報告があり、討論・採決が行われます。
 零時をすぎるとさすがに眠たくなってきて、眠気を覚ます意味でも時々大声で次をとばすことが必用です。しかし、こんな時間に200人もの人間が大声を出している空間が日本中どこにあるでしょうか……。
 与党は議席の多数で内閣問責決議も否決しました。しかし、国会の外では数の横暴は通用しません。国民多数の声は「安倍内閣ノー」です。改めて今度の参議院選挙で、国民による内閣不信任を突きつけなくてはなりません。そのためには確かな野党、日本共産党の躍進が必要です。
 明朝は、仮眠したあと新潟に向かい、昼過ぎに志位委員長とともに街頭演説会、午後から長岡市で演説会、夜は金沢で市田書記局長とともに演説会です。今日
 の怒りを伝え、力の限り訴えぬきます。
 それにしても、休憩してると眠くなります。そろそろ本会議再開のベルがなりそうです。
 この井上さとし議員は今回の参院選の比例候補です。このメルマガを見て、改めて「絶対落としてはならない人だ」と思いました。国民の命と暮らしを守って活動する井上議員の姿勢、がんばりに、しっかり学びたい。


2007年06月29日

農業生産の先進地を視察

 市議会食料・農業・農村議員連盟生産部会の視察でした。糸魚川市高倉地区(旧能生町)の「越の丸茄子」、名立区の「名立梅」と肉牛肥育の生産現場を訪ねてきました。最初に行った高倉地区は標高300前後の豪雪地帯です。雪は3メートルも降るそうですが、ここでハウス栽培をやっているのには驚きました。やる気になればできるのですね。説明してくださったのは橋立春雄さん、昭和50年代からの栽培技術の発展と統一、出荷の苦労話を聞いて、農業のプロのすごさを感じました。一本の茄子から稼ぎ出すお金は4500円にもなるといいますが、残念だったのは、いまやブランド品となった「越の丸茄子」を食べることができなかったことです。
 名立区が梅の産地であることも、まだ和牛を飼っている人がいることも知りませんでした。「梅雨」は梅の雨と書きますと説明されて、そうか、梅雨の頃が収穫の最盛期だったのかと思いました。わが家の梅もぎはいつも晴れていた記憶が残っていて、梅雨とは関係ないものと思い込んでいました。名立梅の歴史は浅いものの、6トンから10トンほど市民生協や造り酒屋さんに出荷しているとか。吉川区の杜氏の郷が造る梅酒もここの梅が利用されています。牛は懐かしかった。牛舎の中で1頭ごとの名札には、私も使っていた種牛「紋次郎」や「寿高」の名前もありました。飼育者の渡辺孝治さんが付き合っている家畜商も私と一緒でした。


2007年06月28日

日刊スポーツに市田書記局長登場

 私がスポーツ紙を買い求めるのは年に数回です。それも新聞休刊日で、「しんぶん赤旗」も休みの時だけ。新聞がないとさみしくなるものですから買うのです。でも、きょうは休刊日でもないのに買いました。「参院選公示前、各党党首・幹部を著名人が直撃」で日本共産党の市田忠義書記局長と映画「鉄道員」の監督として有名な降旗監督の対談が載っていたからです。
 手にして一目ぼれしてしまいました。まず、14面と15面の下の方、3分の1を使っての宣伝文句に引き込まれました。増税・改憲勢力に「ゴールは割らせない」、「俺たちはモノじゃない」「怒りの一打だ」、「消えた年金」解決、ストップ貧困、スクラム組んで前へ前へ」。これは日本共産党のポスターにしてほしいですね。
 対談の中身も気に入りました。映画「鉄道員(ぽっぽや)」は、「世の中にあっけなく見放されるということに対する怒りを」(降旗)「声高に叫ぶのではなく、さりげなく伝えているところが、あの作品の素晴らしいところ」との発言を「そう、そう」とうなずきながら読みました。映画「ホタル」についても、「声高に反戦を叫ぶ映画ではない。それがかえってグッときます」(市田)とありましたが、共感をおぼえました。
 野球をやっていた市田さんらしいお話は、巨人の沢村栄治投手についてでした。1度目の召集のときに手のひらを銃弾で打ち抜かれ、コントロールが悪くなった。それでもノーヒットノーランを3回もやった。3度目の召集のときに、台湾沖で戦死した。27歳だった。もし戦後もプレーをしていたら金田正一さんの400勝を上回る記録を残したんではないか。ちゃんと、この新聞の読者のことを頭に入れて平和を守ることの大切さ語る、いいお話でした。


2007年06月27日

87歳の参加者

 きょうから4日間連続で議会報告会(「橋爪法一を囲む会)です。この会のために買ったというのに、HDを家に忘れてきてしまうというハプニングがありました。しかし、早めに会場に行っていたおかげで取りに戻っても滑り込みセーフでした。動画とスライドをどちらも使っての議会報告は今回が初めてです。一般質問やいまの市政の重要課題を中心に約30分で報告を終え、残りを懇談にあてるつもりでしたが、報告は予定より10分以上もオーバーしてしましました。明日からはもう少し工夫しないと。
 きょうの参加者の中に上野喜八郎さんという高校の教頭だった方の姿がありました。87歳。びっくりしたのは、スライドで赤沢の雲門寺にある市の指定文化財、上杉景虎の書状をスライドで映し出した時でした。書状をすらすらと読んでくださったのです。月に2回のペースで古文書を読む会に参加しておられるということでしたが、それにしてもすごいと思いました。これをきっかけに、毛綱など文化財の話で盛り上がりました。
 もうひとつ、書いておきたいことがあります。きょうは、学校給食を考える会と市教委の懇談会でした。実情を率直に教えてもらいながら、いい意見交換ができたと思います。大事だなと思ったのは、民間委託方式では、学校側からの指示を直営方式でやっていた時と同じ感覚でやってはいけないということ。法的には偽装請負になる可能性もあるので、この点、きちんと把握することが求められているなと感じました。民間委託試行にあたっての検証項目、まだ最終的なものが発表になっていませんが、これも出すよう求めました。考える会の活動も新たな段階を迎えそうです。


2007年06月26日

HD買う

 何から書いたらいいのでしょう。きょうは、やるべきことがたくさんありました。生活相談、買物、囲む会の準備、妙高市議選の応援と続きました。このうち、買物はハードデスク(HD)です。議会報告会ではパソコンを使いますが、そのデータを運ぶための専用HDです。一番小さな40GBのものを買ってきました。ノートパソコンのバッテリーが長持する省エネ型で、耐衝撃試験75センチクリアとありました。これで重い動画データを使っての報告も可能となります。
 妙高市議選はわが党から4人立候補しますが、そのなかのひとり、望月幸雄さんのところへ行ってきました。人柄が抜群で、とにかく面倒見がいい。ビラを配布していても、「望月さんによろしく言って」という言葉を何人もの人から寄せられました。生活相談は何でも飛び込みます。私がいる時に、「カラオケの利用にあたって、差別された」と訴える電話もありました。


2007年06月25日

「ザ・選挙」の「忙中閑話」にエッセイ掲載

 私も3人の子どもを持った親です。同じ家で育てながら、みんな違った人間に育ち、つまづいたり、しゃんとしたりして生きています。その3人の中で一番末っ子は会社員で、めったに会うことがありません。きょう、妻と一緒に、どうしているんだろうね、と話していました。その末っ子に、きょう、ばったり会いました。会った場所は、何と市役所の階段でした。「よおっ、元気か」「元気だよ」「何しているんだ」「仕事だよ」「そうか、頑張れよ」「うん」。たった数秒間の会話でしたが、この末っ子に会ったおかげで、きょうは一日、いい気持ちで仕事ができました。
 きょうは午前中に「しんぶん赤旗」の集金とパンフレット配布、午後から厚生常任委員会でした。午前11過ぎから雨が激しくなり、半袖シャツも濡れてしまいました。昨日と同じく、途中でお茶をご馳走になり、政治談議をしました。農協の合理化で支所が統合されて不便になった話からはじまり、参院選のことまでたっぷり話ができました。もともと保守系の人ですが、いまの政治には完全に不信感を持っていて、参院選は絶対自民党は負ける、おまんた頑張れと励ましてもらいました。この人は年配の方ですが、今度、インターネットで議会中継を見てみたいとのこと、「今度、見られるようにしてあげましょう」と約束してきました。
 ところで、そのインターネットですが、早稲田大学マニフェスト研究所のKさんから、「ザ・選挙」というサイトにエッセイを掲載してもらえないかと要請されました。これまでの掲載分を見てみたら、私の知っている自治体の首長、議員などが何人も書いておられます。私の雑文では申し訳ないと思いながらも、Kさんの要請に応えることにしました。掲載していただいたのは、シリーズ『春よ来い』の中の「父の『旅行』」です。「ザ・選挙」の「忙中閑話」に掲載されていますので、ご覧ください。


2007年06月24日

今年の「囲む会」スタートへ

 昨晩の演説会に出て決心したことがあります。参院選が始まる前に、「橋爪法一を囲む会」を再開することです。議会報告がメインになりますが、昨年にやり残した町内会を優先し、取り組むことにしました。早速、4人の町内会長さんと連絡をとり、会場を確保。その後、案内ビラを印刷し、3町内会70世帯に配布しました。このうち、1軒でお茶をご馳走になってきました。いま、キュウリがたくさんとれます。この家では、毎日、バケツに2つもとれるとか。おいしいキュウリの漬物をいただきながら、政治談議をしました。
 きょうは、午前は消防団吉川方面隊の訓練でした。注目した小型ポンプ操法では、河沢町内会の団員4人が見事な動きを見せてくれました。4人とも20代の後半で、中には陸上部の選手だった団員もいて、とにかく早かった。来賓としてきていた消防署の方も、「よし」と一声出して力強い拍手を送っていました。来週の全市の訓練でどんな活躍をしてくれるか楽しみになってきました。
 上の尾神岳の写真は昨日撮ったものです。イネは1週間でこれほど伸びるんですね。空は青く、夏の風景を思わせる天気でした。


2007年06月23日

絶好のチャンスを生かせるかどうかは…

 夕方の党演説会に参加できるように、「しんぶん赤旗」日曜版の配達を今回も手伝ってもらいました。じつは父の体全体に赤いぶつぶつが広がり、急遽、皮膚科へ連れて行くことになったのです。長女と二人がかりで医院へ行ってきました。助かったのは、要介護状態の患者にたいしては優先的に診てくれることでした。着いた時には20人からの外来患者がいたのですが、受付が終わるとすぐに治療室に案内してもらいました。そのおかげで、午後1時頃には家に戻ることができて、夕方まで配達や生活相談で動くことができました。
 演説会は参院選新潟選挙区候補の武田勝利さんと衆院選北信越ブロック比例候補の山口典久さんが弁士でした。武田さんは新潟6区の衆院候補として上越地域の国政選挙で過去最高得票を記録した人です。彼が大学に入学したことで生活保護を打ち切られた話は、いまの格差社会のことと重なって聞こえてきます。演説にも磨きがかかり、2回目の国政選挙候補として大いに活躍してくれると確信しました。山口さんは今回もやさしい語り口で聴衆をぐんぐん引き付けます。二人とも、参院選で比例候補として頑張っている井上さとしさんの言葉や国会質問を演説に組み入れて、支援を訴えている姿にはさすがだと思いました。
 きょうの演説会場では、今朝、衛星放送された志位委員長の参院選勝利をめざす演説ビデオが流されました。まさに日本共産党にとっては躍進の最大のチャンスがやってきていると思いました。それを現実にできるかどうかは、自分の選挙としてたたかう姿勢になるかどうかにかかっていると思います。会場ではみんな真剣に聴いていましたね。そうそう、クーラーがききすぎ、みんな困っていることをいち早く察知し、会場の係に伝えた人がいました。新婦人のYさんです。ありがとう、おかげで風邪をひかずにすみました。


2007年06月22日

市政レポート1300号到達

 きょうは朝早くから市政レポート吉川版作成でした。先週から、次はいよいよ1300号だなと意識し、記念の記事をいろいろ考えていたのですが、本来の議会報告を中心にして、いつものスタイルで書くことにしました。私の10回目の一般質問をメインにする。いつも楽しみにしていてくださる『春よ来い』も書く。これだけの作業をやるのに6時間ほど要しました。レポートの第1号は1985年(昭和60年)の6月2日の発行でした。あれから毎週発行を続け、22年かかって1300号に到達したことになります。これまでレポート作成に協力してくださった皆さん、読んで叱咤激励してくださった読者の皆さんに心から感謝します。次は1400号をめざします。順調にいけば、2年後には到達するでしょう。
 市政レポートを印刷してから、父の薬をもらいにいくために高田の大和の薬局まで出かけてきました。その後は、党議員団事務局長、上野公悦さんが経営している南部堂主催の「1枚の絵」展の会場へ。いつも党活動で張り切っている上野さんですが、商売やっている時の姿もハツラツとしていてとてもいい。会場では絵をゆっくり見させてもらいました。そこでばったり出会ったのは山崎文治郎さん、旧吉川町の文化財審議会会長さんです。6月1日に広告されたことで、吉川の文化財の指定の区切りがついたと、とても喜んでくださいました。今度、生涯学習課の専門の人を呼んで、指定された吉川区の文化財について学習したうえで、これまで審議会委員だった人たちと「ご苦労さん会」をやりたいとも言われました。
 夜は三和区の「米本陣」で、料理と岩の原ぶどう園のワインを楽しむ会に参加してきました。秋に予定されている「郷土料理を楽しむ会」(吉川区と三和区の料理が出る)のこともあって、交流させてもらいました。乾杯後、岩の原ぶどう園の荻原健一社長がワインについて15分ほど楽しい話をしてくださいました。きょうはこの社長さんの話を聞いただけでも収穫でした。紳士でいながら、お笑い芸人なみに笑いをとる話し方はすごかった。会場では旧三和村の農業委員会会長や合併協議会のメンバーなど懐かしい人たちとも会いました。また、市役所職員で私のHPを見ていてくださるSさんとも初めて一緒になりました。ちょっと飲みすぎたかな。
 市政レポート1300号、いつもより早く掲載しました。ご笑覧ください。裏面もあります。


2007年06月21日

6月議会最終日

 5日から始まった6月議会がきょう終わりました。会派・毘風による並行在来線の一部廃止提案が波紋を呼ぶ中で、上越市議会や市がそのような提案をしたと誤解される事態も発生し、これまでにない6月議会になったように思います。並行在来線存続の決議をするまでに毘風は提案を撤回、会派幹部総入れ替え、議運委員長辞任、会派分裂をしました。きょうの本会議の最後は毘風からぬけた2人が新会派「光友クラブ」を結成したことに伴う議席の決定(移動)でした。毘風にとっては微風は吹いても台風がやってくるとは思わなかったのではないでしょうか。
 本会議が終わってから昼食を食べ、糸魚川市へと向かいました。自治研総会で限界集落についての上越市議会での発言や市の取り組みを紹介する報告をしてほしいとの要請があり、出かけてきました。参加者の何人かは知っている人たちでしたので、力まず話ができました。能生谷などに限界集落があることから、関心は高いのかと思ったのですが、まだこれからという感じがしましたね。質疑も2つほど出ただけで、きょうの会議では姫川病院問題で発言が相次ぎました。こちらの問題の方が当面の重大問題となっているのでしょう。
 糸魚川からの帰り道、猛烈な睡魔に襲われました。これでは危ないと思い、うみてらす名立の駐車場に入って仮眠をとりました。わずか30分ほど眠ったところで携帯電話がなって目が覚めました。でもこの短い睡眠のおかげで何とか家まで車を走らせることができました。やはり、議会が終わると疲れがドッときます。


2007年06月20日

市議会全員協議会など会議が次々

 朝から大忙しでした。「しんぶん赤旗」日刊紙を配達し、いつもより早めに出て直江津へ。ここで大野晃長野大学教授、北日本放送のスタッフと合流し、宮野尾へ行きました。限界集落問題をとりあげるテレビの取材です。ここで吉川区や柿崎区などの集落を現地調査した感想を聞きました。中山間地の直接支払い制度でなんとか持っているところがあるとか、東横山の耕作放棄田をもう一度じっくりみてみたいなどといったことが語られました。
 午前10時からは市議会全員協議会です。第5次総合計画の改訂版(案)について説明を受け、いくつかのやりとりが議員と策定メンバーの間で行われました。私は前日、序論を読み始めたところです。上越市の特性や歴史の書き方に新鮮さを感じました。市役所職員の若手グループが執筆したそうです。とても面白く読めそうなのはいいことですが、基本構想や地区別構想でいくつか気になるところがありました。特に合併前上越市の地区別計画が策定されようとしていない点は地域自治区・地域協議会を全市に広げる方針とギャップがあるなと思いました。
 午後からは市議会食料・農業・農村議員連盟の中山間地部会、13区議員との交流会と続きました。直江津駅前での懇親会が終わって電車に乗ったものの、黒井犀潟間で人身事故があり、電車は動かず、とうとう最後は小関議員の娘さんに乗せてもらい家に帰りました。夜9時前には楽々帰れると思っていたのですが、何があるか分からないですね。


2007年06月19日

柿崎海岸で夕陽見る

 朝から生活相談が2つ続きました。このところ、隣接区に住む人からの相談が増えてきています。内容は多重債務、農地問題がほとんどです。おそらく、「近くの共産党議員」ということで声をかけてくださるのだと思いますが、うれしいことです。相談の合間に、市役所の幹部の一人が、6月議会で私が指摘したことの対応について説明に来てくださいました。定例議会が終わらないうちから動き出していることを知り、これもうれしいことでした。
 きょうは休会日でしたが、議員政治倫理条例についての検討委員会が午後からありました。「親族会社等の 請負契約等の辞退 」 と資産公開がテーマでした。いずれも前回の会議でまとまらず、各会派に持ち帰って検討してくることとなっていました。最初の問題で、モデル条例よりも後退した内容でいいとする発言が続いたので、「上越市は今年、自治元年と位置づけて取り組んでいる。(地域自治区と地域協議会などが)全国から注目されている中で議会、議員についての条例は全国の最先端を行くものでなければ、上越市議会はこの程度かと笑われるだろう。市民の目線に立ったいい条例でなければ、つくる意味がない」と発言しました。
 夕方、義父を見舞いに行った妻が、「電車の中から夕陽が見えた。きょうは夕陽が沈むところがよく見えるわよ」と言うので、二人して柿崎海岸へ行ってきました。この海岸で夕陽を見るのは初めてです。浜茶屋はすでに建てられていました。砂浜には釣り人がたったのひとり。夕陽は沈む直前に少し雲がかかってしまいました。でもたったひとりの釣り人が、この絶妙なタイミングで移動してくれたので、写真としてはいい構図のものが撮れました。やらせではありません。満足、満足。


2007年06月18日

並行在来線存続決議

 きょうは一般質問最終日でしたが、マスコミなどが一般質問後に行われた決議に注目しました。先月24日に会派「毘風」が北陸新幹線開業後の並行在来線一部区間の廃線を提起した問題で、県内のみならず全国に波紋を広げているなかで、並行在来線の存続に取り組むとする決議です。会派「毘風」を除くすべての会派代表が名を連ねたものですが、採決では「毘風」を含め全会一致で可決しました。
 今回の提起については各方面から激しい批判の声が上がりました。とくに並行在来線存続のために粘り強く運動を進めている団体はかんかんでした。提起した会派が市議会の「最大会派」(48人の議員のなかで11人)だということもあって、存続を求めてきた上越市議会や上越市がそういう提起をしたと誤解され、この影響は深刻でした。にもかかわらず、提起した会派の誰一人として賛成理由やお詫びの言葉を議場で語ろうとしなかった。これはわかりずらい、というより無責任です。
 以下はきょうの決議全文です。
 上越市議会は、北陸新幹線の開業に伴う並行在来線については、市民の公共交通機関及び物流の交通機関として、その存続を基本に「新幹線・交通対策特別委員会」において、これまで調査・研究活動を行ってきた。また、関係各県・市町村で組織する各種同盟会に、上越市行政とともに参画し、新幹線の建設促進と併せて並行在来線の存続のために運動を進めてきたところである。
 特に、新潟県と沿線自治体で組織する「並行在来線のあり方懇談会」の報告書を踏まえ、並行在来線の存続問題が重要な局面にあることから、上越市議会としては、平成9年と12年に新潟県と沿線自治体とで交わした「確認書」、(①並行在来線については、沿線市町村の協力を得ながら、県は責任を持って存続をはかる。②経営分離に当たっては、市町村の財政負担は、財政力の許す範囲内にとどめる。)に基づき、新潟県が責任を持って対処するよう強く要請している現況にある。
 一方、過日開催された北陸新幹線建設促進同盟会は、JRから経営分離される並行在来線の経営が成り立つように、初期投資に対する支援制度の創設、JRから資産譲渡に対する格別の配慮、既存補助制度の拡充強化、税制上の優遇措置、地方財政措置の充実及び各線路使用料における対象経費の見直し等の措置を講じることを決議し、政府に強く要請してきたところである。
 上越市議会は、このような情勢を踏まえ、市民の公共交通機関としての並行在来線の存続に向けて、これまでの方針に基づき、沿線自治体とともに引き続き強力に取り組むことを改めて決議する。
 平成19年6年18日
                         上 越 市 議 会


2007年06月17日

限界集落対策で大野先生などと懇談

 1軒1軒声をかけてパンフレットを配る。きょうは「日本共産党はこんな政党です」というパンフを100部ほど配布しました。久しぶりに訪ねた集落だったので、どこでも話が長くなって、4時間半くらいかかりました。話題となったことのトップはやはり年金問題です。「いまのままだと安倍政権は確実に終わる」「自民党の政治を長く続けるとこういうことになる。共産党さんはもっとがんばらなくちゃ」などの声をいくつも寄せてもらいました。私の議会質問ですが、ケーブルテレビで見たよという人はわずかひとりでしたが、市政レポート吉川版をよく読んでいてくださる方が何人もいました。
 夕方、長野大学の大野晃先生やマスコミ関係の方たちと限界集落対策について懇談しました。大野先生はきょうから20日まで上越市内で調査活動をされます。私の方からは、吉川区内の集落の状況について説明し、限界集落対策のあり方について私見を述べさせてもらいました。年配者が集落から離れて暮らすとストレスが溜まって寿命を縮める、準限界集落を存続集落に戻すために努力することが大切であるなど、先生とは考えの一致するところが多いなと感じました。マスコミ関係の人たちは、四季を通じた限界集落の生活を紹介する企画を考えているようです。
 マスコミ関係のひとりはまだ20代後半の若い女性でした。濱谷浩の写真集『裏日本』の話から新潟大学人文学部の故・古厩忠夫先生の話になり、よく聞いてみたら、この女性はなんと古厩先生が担当した最後の学生さんでした。亡くなる少し前、酸素ボンベを背負い、自分のゼミの学生たちに教えていた古厩先生の姿をはっきり憶えていたことも確認し、胸がジーンときました。彼女はあとで、「あんなに必死になって教えてくださった古厩先生の気持ちに応えられたかどうか」とメールをくれました。
 久しぶりに「春よ来い」を書きました。第79回は「心いっぱい」です。ご笑覧ください。また市政レポート1299号(裏面には「春よ来い」79回を縦書きで載せてあります)もアップしました。こちらもごらんください。


2007年06月16日

花と実と

 6月も半ばだというのに、わが上越市は未だに梅雨入りせず、きょうは真夏を思わせるような天気でした。カラッと晴れて、白い雲がポコッ、ポコッと浮かんでいました。そういうなかで、きょうは地質や地理の専門家の方たちと廃棄物最終処分場候補地になっている宮野尾の現地調査をしました。谷の中の現地まで歩いて降りたのは初めてです。行きは道に迷い、2時間以上も歩きました。歩きはじめてから約30分後、田んぼが見え、車があるのでどこかと思いきや、なんと出発した地点に戻ってしまったのです。山道の怖さを感じました。
 でも草をかき分け、山を上り下りする道中、楽しませてもらいました。何よりも野に咲く花がきれいでした。ヤマアジサイが紫や少しピンクがかった色の花をつけています。コシジシモツケソウも開花していました。こちらはいまが花盛りです。ふわっと広がったピンクの花の色っぽさは文字では書けません。ホタルブクロもいまが一番いい時です。そしてトリアシショウマにヤマブキショウマ、キオン、ツルアリドオシなど夏の花をこんなにもたくさん見ることとができるとは。もうひとつは野にある食べ物です。キイチゴと桑の実はちょうど食べ頃でした。キイチゴはいいものが何ヶ所もあり、いったん食べ始めるとなかなか動けませんでした。昔、田植えが終わって一段落した頃、キイチゴや桑の実をアルミの弁当箱にたくさん採ったものですが、ちょうど今頃だったんですね。
 さて、現地(といっても予定地の一角)は元田んぼ、ヨシが生い茂っていました。秋に花をつけるツリフネソウ、ミゾソバの姿もありました。城ケ峰の方から流れてくる川の水量は、このところの少雨の影響か、多くはなかったですね。小川という感じでした。海抜125メートルほどの現地では地質図を広げ、地下にどういう地層が広がっているのか説明を受けました。地すべりを起こしやすい能生谷層がどんな広がり方をしているのかは大きな問題です。地元説明会で市側は、こういう図を使った説明をしていないのではと思いました。2万5000分の1の地図を見て、尾根、地すべりでできた土地、川をふさいで土砂がたまった土地などにグループ分けをして色を塗る。きょう参加した研究者のひとりは、その色塗りした図を初めて公開してくださいました。この図を作成するだけでも5日間もかかったそうです。分かりやすい図として出来上がっていて、労作でした。
 昨日の私の一般質問は上越市議会の「過去の議会中継(6月15日)」を開いて、4番目に登場した私のところの動画のマークをクリックするとご覧いただけます。1回目の質問は約13分、その後、市長の答弁が一通り終わってから、一問一答が続いています。


2007年06月15日

思わぬ展開

 当たり前の話ですが、一般質問が一問一答方式でやられれば、登壇方式で2、3回質問をやる時以上に論戦になります。事前に想定した答弁に基づいて再質問のシナリオを考えていてもほとんど役に立たないこともある。きょうの私の一般質問が正にそうでした。通園バス制度の統一案についてのアンケート、市側は市案を通すことを最優先にしたものにすることにこだわりました。アンケートはとるけれども、それは通園バスを利用するかどうかをメインにします、制度統一案については意見欄を設けておくので、何か注文がある人はそこで書き込んでください。大事な方針について正面から問おうとしないこの市の姿勢に、がまんがなりませんでした。しかも市長が答えようとしない。情けない話です。
 きょうの私の一般質問は、市道の維持管理、通園バス制度の統一、文化財保護と活用、福祉施設で働く人たちの労働実態の4つ。通園バス制度で想定していた質問時間は4分でしたが、はるかにオーバーしてしまいました。そのおかげで文化財や福祉労働の質問が少なくなってしまいました。残念だったのは最後の介護・福祉労働の改善に向けて掘り下げた再質問がまったくできなかったことです。これは別の機会にしっかりやりたいと思います。くやしい思いを引きずりながら、議場から出たのですが、うれしかったのは、保守系の会派議員を含め、他会派議員が何人も私の肩や腰をはたいて、「よかった」「勉強になった」とほめてくれたことです。
 疲れたので、家に戻ってから、長峰温泉ゆったりの郷に妻とともに出かけました。久しぶりでした。この温泉に行くと必ず知っている人に出会います。きょうは大島区角間から柿崎区に転出したNさんと湯の中でばったり会いました。昨年の伯母の葬儀以来の再会です。Nさんは話好きで、情報もたくさん持っています。昨日、社会保険事務所に電話して自分の年金がどうなっているか確かめたとか、大島区に住む私の従兄が骨にひびが入るケガをしたらしいなど、たくさんおしゃべりしました。温泉につかったおかげで、家に帰っても体はぽかぽかでした。


2007年06月14日

明日午後1時半過ぎに登壇

 本日はお知らせのみ。私の一般質問ですが、明日の4番手になりました。早くて午後1時半過ぎ、遅ければ午後2時過ぎになる見込みです。上越市議会のインターネット中継でごらんいただけます。私はこれから市政レポートを作成し、その後、質問の最終的な準備作業に入ります。今晩は寝ている時間があるかどうか。


2007年06月13日

線路は途中で切るわけにはいかない

 会派・毘風の並行在来線についての提案はどんどん波紋を広げています。先日、高田で開催された城下町シンポジュームでは、自民党のある国会議員がこの提案を一会派の提言ではなく、上越市の提言と誤解して発言したとか。もし、事実ならばたいへんなことです。市長は19日、上京して関係機関に説明してくるとの未確認情報も入ってきました。こうしたなか、今議会の一般質問で唯一、並行在来線問題をとりあげたのは小林克美議員です。「並行在来線を活用して、広域的視野に立ったまちづくりを考えるべきだ。北陸本線、(信越線)は経済の動脈だ。」と主張しました。これに対して市長は、「まったく同感だ。線路は途中で切るわけにはいかない。国家政策としてやってほしい」と答えていました。私も同感です。
 一般質問は順調に進み、きょうは12番目まできました。明日はトップが樋口議員(朝10時から)、3番目は杉本議員となります。杉本議員は早ければ11時半頃から、遅くとも午後1時過ぎには登壇します。私は22番目。いまのペースですと、明後日の3番手です。午前11時半頃からか、午後1時過ぎからになるでしょう。


2007年06月12日

文化人

 今朝の新潟日報のコラムを読んで、アッと思ったことがあります。佐渡は相川に住んでいた磯部欽三さんの人柄というか、人との接し方について再発見があったからです。コラムには、作家の瀬戸内寂聴さんが世阿弥の晩年のことをテーマにした小説『秘花』を書くために佐渡を訪れた時、磯部さんは瀬戸内さんの案内をし、資料を提供したとありました。じつは、35年前、私が卒業論文を書くために相川を訪れた時、資料を提供してくださったり、歴史研究者で当時、佐渡高校の先生だった田中圭一さんにあわせてくださったのが、この磯部さんだったのです。まだ学生だった私に対しても、かなりの時間を割いて協力してくださったことは、いまでも忘れられない思い出ですが、学生であろうが、有名人であろうが、差別することなく平らに接する人だったことを改めて知り、感動しました。
 磯部さんは元新聞記者でした。退職後は郷土史研究に力を注がれました。とくに世阿弥の研究については有名で、分厚い本としてまとめておられたと記憶しています。磯部さんのような、地域でよく知られている文化人にもっと光をあてないといけないなと思っていたところ、きょうの一般質問で、田村武男議員が佐渡出身(1927年生まれ)で高田農業高校などで教鞭をとっていた数学者で詩人の高野喜久雄をとりあげました。上越市にゆかりのある文化人をもっと紹介し、文化振興を図れというのが趣旨でした。生徒にはきびしく、敬語はきらい。詩は難解だが、「水のいのち」のように「日本の第九」と呼ばれるような作品もあって、来年は追悼コンサートがある。自分の恩師ということもあって、高校時代に見聞きしたことをふんだんに盛り込み、ネットなどで調べたことも加えて、高野喜久雄をじつに豊に語りました。いつも土やベトのことばかり言ってきた人間なので、文化について語るのはどうかと遠慮して登壇したといいますが、文化はカルチャー、耕作、栽培という意味もあります、農業をやっている人こそ文化を語るにふさわしいと思いました。


2007年06月11日

西を向いてアッハッハと笑え

 4つの常任委員会審議はきょうの総務常任委員会が最後でした。他の委員会と違って、激しい議論になることは一度もなく、午後2時前にはすべての審議を終えました。これなら、当初予定していなかった吉川区の地域協議会の傍聴に行くことができる、そう思って、急いだのですが、会場に着いた時にはすでに終わっていました。議会の常任委員会に示された「みなもとの郷」や「ゆったりの郷」の決算報告もされていたようなので、報告や質問を聴いてみたかったのですが、残念でした。
 夕方、柏崎の義父を見舞いました。数日前に奇跡的な退院をしたばかりです。私は、自宅療養中の義父を訪ねるのは初めてでした。ベットがある部屋に入ると、義父はさっと手を出し、握手を求めてきました。「ありがとう、世話になったな」。私は何回か見舞いに行っただけだったのですが、妻が3日に1回の割合で付き添いをしたことへのお礼の言葉なのでしょう。手に力が入っていました。入院する前日、私はこの部屋で義父とともにコタツに入って昼寝をしたのですが、その日のことはまったく憶えていないといいます。振り返ってみると、その時からおかしかったのだと思います。
 義父母や妻と一緒に、見舞いとしてもらったというスイカをご馳走になってきました。まだ6月ですから、早すぎて美味しくないだろうと思ったら、意外にもとても美味しいスイカでした。一切れ食べたところで、義母が言いました。初ものを食べた時には西の方を向いてアッハッハと笑うもんだと。どういう意味かと聞いたら、柏崎地域の言い伝えらしい。スイカであろうがマクワであろうが、初ものを食べた時に西の方を向いてアッハッハと笑うと長生きするのだそうです。アッハッハといった調子まではいきませんでしたが、みんなで笑いました。これで義父も元気になるでしょう。
 そうそう、柏崎へ行く途中、エゾアジサイやホタルブクロの花に出会いました。もう、ホタルが飛び交う季節になったんですね。


2007年06月10日

関東在住の同級生たちと再会

 きょうは吉川高校同窓会東京支部の50周年記念総会ということで、来賓として参加してきました。会場となったホールに入った途端、「オオッ」という声がいくつも上がったので、そちらをみると、なんと源中学時代の同級生たちでした。誰か知っている人に会えるだろうと期待はしていたのですが、同級生がまとまって6人もいるとは感激でした。6人の中には40年近くあっていなかったNさんもいました。私と同じ集落出身で、9年間一緒に学んだ同級生です。「尾神のしだれ桜」などふるさとの話がはずみました。彼の昔の家に下宿したことのある学校の先生が私の『幸せめっけた』『春よ来い』をNさんのお母さんに送っていてくださり、お母さんがたびたび、私の話をしているとも聞いてうれしくなりました。同級生たちとは懇親会で舟木一夫の「高校3年生」を歌い、その勢いで、二次会にも行きました。
 総会は50周年記念ということもあって、参加者は140人も集まりました。吉川高校は来年3月には閉校します。会長の竹内昌昭さんなどから、新卒の会員が入ることはなくなるが、同じ学び舎で学んだ縁を大切にして、手を取り合って生きていこう、いまの会を大切に続けていこう、そういった趣旨の挨拶が続きました。吉川区総合事務所の佐々木所長は、ここ数年の吉川区の動きを参加者に紹介し、注目されました。懇親会には最後の「若泉」(吉川高校生たちが造った酒)が出されました。ラベルには「崇高の物語最終章 吉川乃若泉 最終限定醸造」とあります。参加者にとっては全国で唯一の「高校生が酒を造る学校」が誇りなんですね。みんながこの酒について語り、母校のことを語り合いました。このお酒は、11月10日(土)に行われる吉川高校閉校式典でも出されるそうです。
 「私の好きな風景」に「深山嫁菜の群落」を掲載しました。ご覧ください。


2007年06月09日

新潟日報投書欄を見てびっくり

 明日は朝早くから東京です。そうなると、「しんぶん赤旗」日曜版の配達から来週の議会の準備まで、きょうの内にやっておく必要があります。4時半には起きて、新聞配達を始めました。その途中、わが家に配達された地元紙、新潟日報を見てびっくりしました。いつもかならず目を通している「窓」欄に吉川区の元消防団長さんが「現職議員 気になる実際の活動」というタイトルで投稿されていたからです。なんでもズバズバ言う人なので、タイトルを読んだ時は、てっきり私に対する批判かと思いました。ところが内容は、現職国会議員の活動について「議員として何をやっているか有権者にもっと見えるようにすべきだ」と注文をつけるものでした。その際、私の「市政レポート」活動を例に出してくださったのです。ここで、またびっくり。この投稿に対する反響は大きく、電話だけでも4本もありました。新聞配達では、「読んだかね。頑張ってくんない」とたくさんの人から声をかけていただきました。消防団長さんにほめていただいた毎週発行の市政レポートは、6月24日に1300号になります。
 その市政レポートNO1298をアップしました。ごらんください。クリックしても開けない場合は、市政レポートNO1298号ファイルへのリンクにマウスのポインタを合わせ、マウスの右ボタンをクリックする。
表示されるメニューから「対象をファイルに保存」を選びます。保存先は、デスクトップあるいは自分のフォルダにします。
保存してから、ダブルクリックでPDFファイルを開きます。 この手順でやってみてください。


2007年06月08日

今年のやったれ祭りは8月4日に

 昨年、すばらしい盛り上がりを見せた越後よしかわやったれ祭り、今年は8月4日(土)になったとの報告がありました。この祭りは、地元商工会青年部の皆さんやボランティアの皆さんなどのふるさとへの愛情とそれにもとづく頑張りが原動力になって盛り上がりをつくってきました。ペットボトルを使った稲穂竿灯はこの祭りから町内会の祭りなどへも広がりつつあります。今年はこの流れを加速させるとともに、区外の人たちからも来ていただく祭りへと発展させたいものです。準備状況などは商工会青年部のブログで書くそうですので、読んでみてください。
 さて、とんでもないニュースが入ってきました。吉川区吉井地内でクマが出たというのです。木田事務所へ来ていた佐々木吉川区総合事務所長から、昼休みが終わろうかという時間帯に教えていただきました。旧東頸城でクマの目撃情報がたびたび出ていましたから、川谷地区や水源地区は、そう遅くない時期にやってくると思っていました。しかし、そこを飛び越えて、平場と山間地の境目まで降りてくるとはびっくりでした。山菜採りや笹の葉採りなどで山に入る人も多いので気をつけてほしいですね。
 きょうは私の所属する文教経済常任委員会でした。提出されている議案や委員会資料を読んだ時には、「これは質問がないな」と思っていたのですが、委員席に座ると質問したくなるから不思議です。一般財源化された学校図書費問題では早津委員が充実を求めていい質問をしてくれたので、これまでの私の質問を踏まえて駄目押しの質問をしました。名立区の風力発電機のブレード落下事故は今年の2月のもので3回目。市民の命と安全を守る立場から、第三者機関による事故調査を求める発言をしたところ、委員全体が「そうだ、そうだ」という雰囲気になりました。担当している人たちは真面目な人たちばかりですので、いい方向にいってくれるものと期待しています。


2007年06月07日

建設企業常任委員会

 きょうの建設企業常任委員会は3月に市道で発生した事故をめぐって厳しい議論が続きました。道路の側溝工事が設計図書どおりに行われず、検査でもひっかからなかった。その後、近くの市民がこの側溝にかぶせてあったグレーチングにのったところ、それがはずれて大怪我をした。その事故の原因究明と今後の対策についての質疑です。5月にも同委員会に報告があったそうですが、きょうの議論を聞いていて、道路行政のずさんさにびっくりしてしまいました。
 会議は午前中に終わりましたので、生活相談に2つほど対応して吉川区に戻りました。帰り道、先日から気になっていたある市道の状況を見てきました。この周辺にはササユリがあり、どうなっているかとさがしてみたところ、丁度、花時を終えようとしている段階でした。でも、いつ見ても美しい。この花は自分の家にもって帰って植えてもまともに育ちません。そのことが理解されてきたのか、最近、少しずつ増えてきているように感じました。家に戻ってからは市政レポートづくりに専念しました。


2007年06月06日

委員会は初日から大荒れ

 きょうから常任委員会審議が始まりました。まず厚生常任委員会。上越地域福祉総合拠点整備の見直しについては3月議会で10億円の予算を頭において議論し、可決していましたが、それからたいした日数が経過しないうちに大幅な見直しをせざるを得ないことが判明しました。にもかかわらず、すぐに担当である厚生常任委員会に相談することもなく、きょうまでひっぱりました。樋口議員などがこれを厳しく批判したのは当然のことです。山岸議長も発言を求め、重大な議会軽視であることを指摘しました。
 さて、きょうはうれしいことがありました。朝、直江津の漁師さんから連絡があり、獲れたばかりの魚や貝などをくださるというのです。喜んでもらいにいってきました。夕飯ではヒラメを塩焼きにしていただきましたが、肉を口に入れた時の感触はこれまでに味わったことのないものでした。張りがあって、うまい。魚も農産物同様、鮮度がものをいうことを知りました。この漁師さんには、春に「山の幸」をお裾分けしました。きょうはそのお返しということでした。「海の幸」もいいものですね。
 うれしいことはもう1つ。柏崎の義父がきょう退院しました。玄関前の坂道がとてもきつく、途中で何度か息を整えて登ったそうです。義父は自分の家に戻れたことがとてもうれしかったのでしょう、毎日のように手入れをしていた庭をしみじみと見ていたということです。庭にはボタンやウツギ(?)など、入院したひと月前とは違った花が咲いていました。ここの家は花がたくさんあります。これからも次々と咲く花が義父を励ましてくれることと思います。


2007年06月05日

並行在来線存続派が市長に要請

 きょうから6月議会です。きょうは市長の提案理由の説明のみ。総括質疑はなく、30分くらいで終わりました。その後が忙しかったですね。並行在来線をめぐっては、保守系会派の「毘風」の提案が出て以降、「上越市は存続ではないのか」などといった誤解が出ています。そういうなかで市議会の存続派である9会派37人が市長に要請を行いました。「上越市・上越市議会はこれまで並行在来線の存続を前提に活用方法も含めてまちづくりの中にどう生かすか議論をすすめてきた。存続は地域住民の切実な願い」「市長としても並行在来線存続の意思を明確にし、存続に向けてあらゆる手立てをとられるよう」要請したものです。党派を超えてのこの要請にはマスコミ各社がどっと押し寄せました。
 昼食後は2つの課から課長、副課長などが議員控え室にやってきて一般質問の「質問どり」でした。いろいろやりとりしているうちに、論点や質問の中心点が浮き彫りになってきたりします。質問の大項目は4つ。明日は残りの質問の担当課からの「質問どり」があります。これが終わると、質問当日まで、頭の中で、質問をどういうふうに組み立てていくか、どういう答弁を引き出すか、ぐつぐつと思考が続きます。
 市役所からの帰り道、父を迎えに行きました。ショートスティの帰りの日と重なったのです。ここ3日間はまったく歩けなかったとか。何となく弱々しくなっているのが気になりました。父のベッドまで車イスで移動させました。母にバトンタッチしてから、「日本共産党はこんな政党です」というパンフの配布を始めました。2集落、20軒くらいを訪問したのですが、「まあ、めずらしい人だ。だいぶ太ったねかね。仕事が足らんがねか」「お茶でてるよ、さあさあ、上がって」などと声をかけられました。2軒でお茶をご馳走になりましたが、そのうち1軒では、作りたての「ちまき」をいただきました。うまくて、3個もご馳走になりましたから、これじゃ、やせられませんね。


2007年06月04日

質問通告提出

 先月の1日、緊急入院した柏崎の義父が明後日に退院することになりました。間質性肺炎に加えて心臓病も出て、一時は人工呼吸器をつけていたのですが、家に戻れるというのは夢のようです。きょう、久しぶりに病院をたずねたところ、新聞を読むまでに回復していました。家に帰っても、以前のように外仕事などはできません。ほとんどベッド生活となります。無理をせず、暑い夏場を乗り切ってほしいなと願っています。
 明日から6月議会です。きょうは一般質問の通告文を市役所で書き、提出してきました。3月から6月まで、自分の目で見て、自分の耳で聞いてきたことを中心にすえ、質問の組み立てを考えました。通園バス制度統一についての保護者説明会は6会場で傍聴してきました。道路維持については吉川区内でパトロールの民間委託後、どういう変化が出ているのかなどの調査をしてあります。福祉現場で働く人たちの痛切な訴えもいくつも聞いています。あとは、自分の言葉で市民の願いを語り、実現を迫るのみ。少しずつ気持ちがしまってきました。
 夜は参院選や中間選挙をどうたたかうかを話し合う場がありました。昨日、党中央の田熊さんを迎えての選挙学校はたいへん評判がよく、用意した資料もなくなるほどだったといいます。4中総決定を受けて、選挙にどう取り組むか、各地の実例をあげての話はおもしろく、とてもためになったとか。私は地区別懇談会出席で参加できなかったので、早くテープを聴いてみたくなりました。追加のポスターや日本共産党紹介のパンフレットも全戸分きています。6月定例会と同時進行で取り組むことになりますが、同時進行を意識しながら頑張っていきたいと思います。


2007年06月03日

地区別懇談会

 昨日、きょうと2日間、吉川区総合事務所では地区別懇談会を開催しています。2日間で7会場を回ろうというのですから強行軍ですが、各グループごとに3~4分の事業説明した後、懇談をやり、市政への質問や要望を聞いています。私は、昨日は結婚式のためお休みさせてもらい、きょうの4会場での懇談会を傍聴させてもらいました。
 きょうは転作大豆の種まきと重なるなどの条件の中、各会場の参加者は10数人から20数人とまずまずでした。感心したのはグループ長などの説明です。それぞれの地域に合わせて内容を変えていくので、とても勉強になります。例えば、どこどこの公民館はただいま耐震診断中ですとか、どこそこの文化財も市の指定になりましたといったふうに。また、情報は市政の第一線で働く人たちから伝えられるので新鮮です。きょうの午前中に行われた「家庭ごみの特別収集」では146件(個かな?)出されたそうです。
 懇談会でだされる内容もじつに様々でした。民間の医院では患者の送迎をやっているが吉川診療所でやってもらえないかとか、ごみ有料化はどういう内容になるのか、市道の草刈りを増やしてほしい、どこどこの市道の補修をしてほしい、スクールバス制度の見直し作業はどこまで進んだかなど、身近な問題が次々と出されました。市の自治基本条例とか、地域自治区、在来線存続問題など市政の現段階での大きな問題や増税など国政の大問題はまったく出ませんでした。そこらへんは参加者は割り切っているのかもしれませんね。
 最後の懇談会で佐々木博一総合事務所長は言いました。この懇談会は吉川区独自でやっているものです。吉川町時代は毎年やっていたものですが、合併して2年目となった昨年、再開しました。制度の改変などみなさんにお伝えしなければならないことあったり、ご意見をお聞きしたいことがあるので、全グループ長が参加して開催させてもらっていますと。吉川町時代から築いてきたまちづくりの伝統を守り、住民の声を聞く。この姿勢は大いに評価したい。
 きょう付けの市政レポートNO1297号をアップしました。今回は裏面もあります。ご笑覧ください。クリックしても読めない方がありましたら、市政レポートNO1297号ファイルへのリンクにマウスのポインタを合わせ、マウスの右ボタンをクリックする。
表示されるメニューから「対象をファイルに保存」を選びます。保存先は、デスクトップあるいは自分のフォルダにします。
保存してから、ダブルクリックでPDFファイルを開きます。 この手順でやってみてください。


2007年06月02日

自分の思いを文字にしてプレゼント

 いい結婚式、披露宴でした。新郎は従姉の子どもで、私の長女と同級生です。小さな時からの様子を見てきて、落着いたいい子だとは思っていたのですが、豊かな個性を持った、これほどりっぱな青年になっているとは。披露宴では、小さな頃からずっと彼の面倒を見てくれたおばあちゃん、彼のお母さん、新婦のお母さんに手づくりのプレゼントが渡されました。そのプレゼントとは、彼の思いを筆で書いたものを額に入れたものです。おばあちゃんには「心からありがとう」という言葉が贈られました。おばあちゃんの目からは涙が溢れ、多くの人たちが感動の涙を流しました。それぞれのお母さんに、どんな言葉が贈られたかはちょっと聞き逃してしまいました。残念と思っていたところ、披露宴のフィナーレで、またまた感動することに。新婦にも事前通告無しに新郎から新婦へ「絆」という言葉が贈られたのです。カメラを持っていかなかったので写真では紹介できませんが、力強さとやさしさのある「絆」でした。
 きょうは懐かしい人との再会やあたらしい付き合いの始まりを予感した出会いがありました。そのひとりにSさんがいます。50代の銀行マン。私のところへ来て、最初に語りかけたのは、選挙のことでした。「この間、惜しかったね。おれはいくと思ったんだけど」と言われた時、さて何かと思ったら、県議選のことでした。銀行マンの幹部クラスの人も上野公悦さんを応援してくれていた事実を知り、とてもうれしくなりました。またSさんは、6年前、私の書いた『幸せめっけた』(恒文社)を買ってくださり、関東方面に在住している親戚の人たちに贈ったことも明らかにしてくださいました。うれしい出会いでした。


2007年06月01日

白いネクタイが行方不明

 Tさんの葬式に出てきました。人の死に格差をつける気はありませんが、若い人の死はつらいものがあります。まだ54歳、働き盛りのバスの運転手さんでした。喪主を務めるお連れ合いの代りに、20代のご長男がお礼の挨拶をしました。父を亡くしてどうしていいかわからない。でも自分が頑張って家族を支えていかなければいけない。そういう思いが伝わってくるいい挨拶でした。先日のOさんの時もそうでしたが、若い人が自分の言葉でしっかり挨拶している姿を見ると「がんばって!」と応援したくなります。
 きょうは、朝早くに起きて市政レポート吉川版の作成、「しんぶん赤旗」日刊紙、日曜版の配達をしました。明日は親戚の結婚式です。ここ数年は黒いネクタイばかり使っていて、白のネクタイは用がありませんでした。ネクタイの色がおかしくなっていないかと、白のネクタイをさがしたのですが見つかりません。どこへしまいこんだのか分からないほど使わなかったということです。きょうから議会はノーネクタイとなりますが、結婚式はそうはいかないでしょう。仕方がないので安いものを購入してきました。


2007年06月投稿分

2007年06月に投稿された全てです。

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