« 2007年01月 | メイン | 2007年03月 »

2007年02月投稿分

2007年02月28日

3月議会はじまる

 ばたばたしていたら、きょうが今月最後の日であることをすっかり忘れてしまっていました。2月はいつもの月よりも2、3日間短いだけで、とても忙しく、損をした気分になります。きょうから来月29日まで3月議会です。朝は労災病院に寄ってから市役所に行ったので、到着したのは10時5分前となってしまいました。昨日入院したHさんは、思った以上に元気なので安心しました。
 きょうは市長による提案理由の説明と総括質疑が中心でした。総括質疑には早津、滝沢、永島の3議員が登壇。おやっと思ったのは市長の答弁の様子です。早津議員の再質問に対してはどうもピントがずれているなと、自分でもわかったのでしょうか、まるで野党議員に突っ込まれたかのように汗をかいていました。注目したのは、滝沢議員の水道事業会計についての答弁です。平成20年度以降の経営見通しはどうかと問われ、「このままでは更に悪化する。20年度の水道料金改定は避けて通れない」とのべていました。料金値上げと合併前14市町村間の料金統一をどんな数字でまとめてくるのか、目が離せなくなってきました。
 明日も総括質疑です。公明党の杉田議員からはじまってわが党議員団の杉本団長まで6人です。ケーブルテレビでもインターネットでも生中継されますのでごらんください。


2007年02月27日

Hさん入院

 市役所を出て選対会議に向かう途中でした。午後4時半近くでした。携帯電話がなったので出ると、「Hさんが木の枝払いをしていて4メートル下に落ちた。いま救急車で労災病院に向かっている」とのことでした。Hさん宅はわが家の大親類で、家庭的に様々な困難をかかえている家です。その家の柱であるHさんが緊急事態……。選対をキャンセルし、夕方から予定されている自治基本条例についての市民会議との意見交流も遅刻すると連絡して、Hさんの世話をすることにしました。
 Hさんは右足の複雑骨折、左足の骨折という重傷でした。でも不幸中の幸いは頭から転落しなかったことです。3時間半ほど労災病院にいましたが、弱音はまったくはかず、検査、治療を受けました。麻酔も効いていたのでしょう、「足がボーッとしているようだが、痛くない」と言っていました。いまは足の骨をひっぱり、手術は1週間後とのことです。ここしばらくは病院通いをしなければならなくなりました。
 きょうは午前中は上野こうえつさんの宣伝カーに乗り、街宣。三和区に近い集落でビラ配布活動もしました。じつにさわやかな天気で、音もきれいに伝わりました。午後からは市役所で議会の準備や生活相談に対応しました。きょうの公務でもっとも大きな仕事であった自治基本条例についての意見交流会には、わずか10分しか参加できませんでした。また落着いて意見を言うこともできませんでした。関係者の皆さんにはいろいろご心配をおかけし、申し訳なく思っています。お許しください。


2007年02月26日

通園バス制度の統一案は地域協議会に諮問へ

 きょうは厚生常任委員会でした。テーマは保育園の通園バス制度の統一です。合併協議では、合併後3年間は現行どおりとし、08年度から新制度・新基準を作成し統一するとなっていました。そしてその新制度・新基準の基本として、①通園バス運行補助制度と路線バス利用補助制度の併用とし、それぞれの町村が現在実施している制度を継続することを原則とする、②通園バスの運行は、保育園ごと又は地域ごとに運行組織をつくり運営するものとする、③受益者負担を求めることとし、あわせて公平性を保つための上限を設けるものとする、を確認していました。
 通園バスは運行組合が運行主体となっているところもあれば、市が運行しているところもある。また民間路線バス利用のところもあります。合併前の各市町村によってサービスに差がある問題だけに、合併協議と同じように、それぞれの地域住民の声を反映させた中で解決を図っていかねばならないと思っていました。ところが厚生常任委員会での市民生活部長や担当課長の説明を聞いてビックリしてしまいました。市役所木田事務所と各総合事務所の担当グループ長、所長とが話し合って、①運行主体は市とする、②受益者負担は、児童1人につき、1か月当たり2500円とする(ただし同一世帯で2人以上バスを利用する時は、2人目以降は半額)という内容の新制度の基本事項を決めたので、3月下旬から保護者会、地域協議会などに対して説明をしていくというのです。各区選出の議員の考えを聴く場もない、地域協議会に諮るでもない、こんな進め方ではいけないと思いました。
 きょうは体調が悪く、咳が止まらない状態でした。子育てに係りのある重大問題なのでせめて傍聴だけでもと思い、参加しましたが、黙ってはいられませんでした。番外発言を求め、「合併前の14市町村の住民の意思を反映させた中で新制度の基本は決めていくべきだ。新制度の基本事項は決定事項とせず、(案)として、少なくとも地域協議会に諮ってほしい」と要請し、部長見解を求めました。市村市民生活部長は、「地域協議会に諮ってまいります」と答えてくれました。問題はこれからです。私の質問で、いまの案でいくと、バス利用者のうち約8割は値上げとなることが明らかになりました。大島区など無料だったところはいきなり2500円もとられることになります。吉川区でもこのままだと値上げです。受益者負担額はこれでいいのか、運行主体は現実にどうすればベストなのか、大いに議論してほしいものです。


2007年02月25日

大島区でサルトコ

 すばらしい天気になりました。きょうは大島区足谷の伯母の壇払い(「壇ひき」ともいいます)でした。お経を窓ぎわできいていたら、背中をお天道様が暖めてくれて、眠たくなりました。ところが、骨納めで外に出たらびっくり。空は真っ青に晴れわたっていたものの、ものすごく寒いのです。
 伯母の家の墓がある大桜高台霊園は海抜300メートルくらいでしょうか、積雪が50センチ~70センチくらいありました。家を出るとき、長靴に履き替えるのを忘れていて、革靴のままだったのですが、雪道はうまりませんでした。固くしまっていたのです。骨納めの時、伯母のひ孫にあたる小さな子どもたちが6人ほどいたのですが、みんな、踏み固めてない雪の上を歩いて遊んでいます。そうです、サルトコ(凍み渡り)ができたのです。暖冬でわが家の周りは雪はなく、サルトコのことをすっかり忘れてしまっていました。おそらく、きょうは、この冬初めてのサルトコができる日となったのではないでしょうか。
 伯母の壇ばらいには母も板山の伯母も参加しました。ふたりとも顔色もよく、とても元気でした。お斎の時、こうやってみると、板山の伯母さんの後姿は足谷のばちゃとそっくりだ。あとはおまんた、ふたりしかいないがだすけ、長生きしてくんなさい。そんな言葉が次々と出て、いつのまにか、このふたりが話の中心にいました。私の方は、足谷の家で小さな子どもたちをジャンプさせ、受けとめる遊びをやって酔いが完全に回ってしまい、ダウンしてしまいました。目が覚めて窓の外を見たら、この家の孫たちが雪の上で楽しそうに遊んでいます。この日は午後になってもサルトコができた。めずらしい日となりました。ま、これで足谷の伯母の「騒ぎ」は一段落です。愛治さんもアサ子さんも楽々したことでしょう。
 「春よ来い」第75回「ありがとう」を掲載しました。ご笑覧ください。


2007年02月24日

本屋さんから電話相次ぐ

 やはり頭の回転はにぶい。そう思ったのは朝でした。昨日、しっかり見て印刷したはずなのに、市政レポートには誤字がいくつもあったからです。「保管」を「補完」としたり、「保存」とする。きょうは、その手直しから始めました。そして裏面も久しぶりに書きました。シリーズ「春よ来い」の執筆です。先日の大島区の伯母の葬儀のときの予想外の出来事を、忘れないうちにと思いながら書いてみました。最初は時系列的に書き綴ったのですが、どうも気に入らず、大胆に構成を変えて全文書き直しました。まだ、納得のいく文章になっていないので、このHPに掲載するまでには時間がかかりそうです。
 昨日、きょうと本屋さんから電話が相次ぎました。柿崎の佐藤書店、直江津の柿村書店からは、「『春よ来い』がなくなったから持ってきてほしい」という要請でした。高田の春陽館書店の社長さんからは、『ジャックランド』(上越地方のことを書いた月刊情報誌)に『春よ来い』のことを書いておいたのでごらんください、という内容でした。春陽館さんには『あどば』という情報誌でも宣伝していただきました。そのおかげもあって、本の売れ行きは順調です。
 きょうは午後から夕方の6時半頃まで「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金でした。マスクをしながら配達をしていたこともあって、風邪のことを心配してくれる人が多く、恐縮しました。県議選のことを話題にする人も増えてきました。「上野こうえつさん、どこと、どこへ頼んできたからね」とうれしい情報を寄せてくれる人もありました。こうした広がりを大切にして頑張れば逆転も可能というところまで来ている気がします。来週は上野さんの宣伝カーに乗る時間を少しでもつくりたいと思います。


2007年02月23日

この冬最後の保健集会

 午前は上越地域消防事務組合議会でした。このところ、消防署内でのボヤ発生、住民データ紛失という信じられない不祥事が続いています。会議では、住民データ紛失について報告があり、私を含めて4人の議員が質問に立ちました。「USBメモリを使ってデータ処理している消防署は県内にあるのか」「いつまでに新たなデータ処理システムに移行するのか」「組織の管理体制に問題があるのではないか」など厳しい質問が相次ぎました。火災や救急活動など献身的な活動をしている組織ではありますが、きょうの議論を聞いていて、情報管理については遅れていると感じました。
 午後からは吉川区に戻り、この冬最後の保健集会に参加して来ました。上川谷公会堂には9人の住民が集まり、保健師や栄養士から指導を受けていました。80歳前後の人が何人もいるのですが、とにかく元気がいい。
 セラバンド(介護用品。150センチほどの幅広のゴムバンド)を使った運動では、みんなが冗談を言ったり、笑ったり。途中でみんなが同じタイミングで笑うことに気がつきました。体を伸び縮みさせる時に、「1,2,3,4、5,6,7,8。2,2,3,4、5,6,7,8。3,2,3,4、5,6,7,8」と声を出すのですが、「3,2,3,4、5,6,7,8」がうまく言えなくて笑っていたのです。
 体操や食生活指導が終わってからは保健師による血圧測定です。夫婦で参加していたMさんに、「どうだね。若い女の人から診てもらう気分は」と声をかけたら、「うん、なんか、ドキドキする」と言って、みんなを笑いの渦に。新年度から住民健診の項目に「メタボリック症候群」が加わることになったと保健師の説明があったので、最後に私が大きなお腹を見せました。一人暮らしのMさんがすかさず、「そりゃ、おまさん、やせなきゃだめだ」。とても楽しい集会でした。
 夕方から、「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金をはじめましたが、風邪がなかなか治らず、体が重いので、早々と家に戻りました。


2007年02月22日

野の花の話で目が覚めた

 きょうは団会議、議案検討のための大事な会議です。しかし、完全に風邪にやられてしまい、まったく集中できませんでした。時々、ぼーっとしたり、眠たくなる。こんなことなら、思い切って医者のところへ行けばよかったと思います。ところが午後3時ころ、不思議なことに、稲田のMさんが議員控え室に寄り、「○○のユキワリソウはまだ咲かない」という話をされたことで意識はしっかりしました。「そうですか、うちらのところでは咲いてますよ、もう」とやりはじめ、野の花の話から総合計画の話まで話ができるようになったのです。
 わが家の牛舎の近くの雑木林にあるマンサクはすでに満開になっています。まわりに雪はまったくなく、黄色を目立たせるために杉林をバックにして何枚か写真を撮りました。そのうちの1枚は日本共産党文化後援会HPの「季節の風景」のところで載せてもらっていますので、ごらんください。母がわが家で大事に育ててきたユキワリソウは、紫色のものだけでなく、赤やピンク、白と全部咲きました。わが家の山にあるユキワリソウはどうなったか、気になり始めました。
 そうそう、ひとつ書き忘れました。朝、高速バス停まで妻を送り、その足で柿崎区のある商店に入ったところ、「上野さん、どうだね」と声をかけられました。そのご主人は、「上野さんが言ってなること、一番、オラの気持ちに合う。がんばってほしい」。保守系の人と思っていただけに、思いがけない言葉にびっくりしました。3月議会は28日からですが、本会議と自分が所属している常任委員会以外は県議選対策で動き回らねばと、改めて思いました。


2007年02月21日

風邪?

 どうも風邪をひいたらしい。疲れがなかなか抜け切れていないなか、病院へ行ったのがまずかったのかもしれません。待合室ではすぐそばに風邪でこんこんやっている人がいましたし、そのほかにもマスクをしている人が何人かいました。きょうは天気が良かったせいなのか、患者は大勢でした。病院についてから父の診察が終わるまで、約2時間15分かかりました。
 吉川区総合事務所との打ち合わせ、議員団会議まではなんとかもったものの、妻を職場に迎えに行ってから、へんな咳が出るようになりました。明日以降、大事な会議などが目白押しなのに、情けないことです。なるべくゆっくり休んで早く治さないと。


2007年02月20日

一日に会議などが7つも

 会議や勉強会などが朝から夜の寝るまでに7つもありました。さすがに疲れましたね。これらは市長による新年度の予算説明、新型交付税の学習会、政治倫理についての検討委員会、県議選の選対会議などいずれも重要なものばかりです。議会運営委員会が終わってからの党議員団会議で3月議会の日程表をみながら思ったのは、県議選勝利に向けた活動と議会活動をどう両立していったらいいかでした。3月議会は約1ヶ月の長丁場です。きょうほどではないにしても、一日にやるべきことがいくつもでてくることは間違いありません。適度に休息をとる、これを意識してがんばりたいと思います。
 さて、きょう説明を受けた上越市の新年度予算について。一般会計は1029億7323万円で前年度比0.3%マイナスです。特別会計との合計では1916億7465万円、前年度比0.6%プラスとなっています。市長は新年度予算についてひと言で言えば「更なる飛躍をめざす予算だ」とのべました。議員に配布された当初予算案の概要には、「上越市へ出陣せよ!~ふるさとアピール年間~」という文字が躍っていました。大河ドラマ「風林火山」の放映や親鸞聖人上陸800年記念を意識して上越を売り込むのはいいにしても、市民負担を重くするもの、本来、「官」でやるべき仕事を「民」でやることも盛り込むなど問題となることも少なくありません。市民の暮らしを守る視点で分析し、積極的な論戦をしていきたいと思います。


2007年02月19日

不正献金問題調査結果が出たが…

 市の幹部は告発する意思はない、そう思いました。国や県、市が出資している企業は政治活動にかかわる寄付をしてはならない。国や県、市から補助金などを受けている企業も、その交付決定通知があってから1年間は政治活動にかかわる寄付をしてはならない。こうした政治資金規正法に違反した事実があったかどうか、市はその調査結果をきょうの市議会全員協議会で公表しました。このうち市出資企業では3社が再確認されましたが、告発するかどうかと質問された助役の答弁は、「関係機関と相談する。関係機関とは捜査機関だ」でした。こうした事実をつかんだ時に、公務員は率先して告発するのかと思っていただけに、不満の残る答弁でした。
 一昨年の市長選をめぐる献金疑惑は、大きく分けて迂回献金疑惑、市出資企業等による不正献金疑惑、市長の親戚の架空献金疑惑の3つがあると報道機関などから指摘されてきました。このうち2つ目は疑惑段階ではなく、事実であることが判明しています。市民の中にはきょうの全員協議会の動向に注目している人たちが大勢います。このまま終わらせてはならない。市の職員が告発しないなら、どこかでやらないと上越は笑い物になりますよ、そう言って電話をかけてきた人もいました。党市議団では協議会後、団会議をやり、今後どうしていくかについて党地区委員会と詰めていくことにしました。


2007年02月18日

葬儀ならではの再会

 尾神岳のふもとにある尾神集落は私のふるさとです。最盛期には73世帯があり、約500人が住んでいました。いまは25世帯65人しか住んでいない、高齢者比率57%の限界集落となってしまいました。そこで、きょう葬儀がありました。中屋(なかや・屋号)のおじいさん、杉田久夫さんが病気のため81歳と11ヶ月げ亡くなったのです。
 葬儀には近所の人や親戚の人ばかりでなく、尾神集落から柿崎区、大潟区などへ転出した人たちが大勢参列していました。考えてみれば、私もその1人です。葬儀が終わってから出棺までの約20分間はこういう人たちと交流できる貴重な時間となりました。家族のだれだれは元気か、何々さんは結婚したかなど、お互いにききあい、再会を喜びました。
 うれしかったのは、こうした人たちが私のことについても気を使ってくれているというか、心配してくれていることです。『春よ来い』をすぐ買って読んだ。自分が見聞きしたことが書いてあって、うれしかった。議会の質問をケーブルテレビで見ているが、がんばってほしい。こんな声をたくさんもらいました。ちなみに、新潟日報に毎週日曜日掲載される「売れている本」の紹介コーナーで『春よ来い』は7週連続でランキング入りをし、きょうは過去最高の3位となりました。


2007年02月17日

にいがた自治体研究所総会

 昨晩遅くまでかかってスライドづくりをしました。眠って2時間ほどしたら、サイレンの音が聞こえてきました。隣の原之町集落で火災が発生したのです。民家の物置が燃えただけで終わったのは不幸中の幸いでした。現場にかけつけた時はすでに鎮火していましたが、かけつけた人たちの中には、十数年前(?)に原之町十文字付近で発生した火災を思い出した人もいました。「いやー、3度目の原之町の大火になるかと思った」と心配した人が何人もいましたね。
 にいがた自治体研究所総会では、午前中に私と新潟市の「穂波の里」の上杉あさ子さんが講演。上杉さんの話を聴いてうれしかったのは、地域自治組織づくりについての上越方式を昨年9月のセミナー(大潟区鵜の浜温泉)で学び、その精神を新潟市の区自治協議会にとりいれようと努力されていたことです。委員選出にあたって選任投票を導入する、協議会では諮問だけでなく自主審議し、市長に意見を出せるようにする。なかなかうまくはいかなかったようですが、上越市での取り組みがこんな形で影響を広げていくんだなと感慨深く聴きました。
 私の話は限界集落対策がテーマです。限界集落の実情や様々な取り組みを50数枚のスライドを使って話しました。新潟日報や朝日新聞などで私の質問に基づく上越市の調査が報道されていたこともあって、関心の高さを感じました。研究所の福島副理事長から「ぜひ野の花も使って」と事前に言われていましたので、今回はマンサク、ユキワリソウ、キクザキイチゲ、エゾアジサイ、ヤマトリカブトの写真を使いましたが、好評でした。にいがた自治体研究所では、「限界集落調査研究」を今年度の緊急課題の1つとして取り組むことが正式に決まりました。また、糸魚川市の「まち研」の幹部から私に話してほしいと要請されました。
 新潟市までの行き帰り、乗せてもらった車の中で、綾小路きみまろの爆笑トーク1をCDで聴いてリラックスしました。1分間に何回笑ったかわかりません。笑いをとるタイミングのうまさ、絶妙ともいってもいい間(ま)のとりかた、さすがはプロです。綾小路きみまろのCDを聴くのは2度目ですが、この種の笑いが議会報告にあってもいいなと感じました。もっとも、笑いの回数は3分に1度くらいでないと完全にお笑いの世界になってしまいますから、注意は必要ですが。


2007年02月16日

旧上越市内にも地域自治区・地域協議会設置で合意

 きょうは、午前が自治基本問題調査特別委員会でした。1時間半ほどの会議でしたが、重要なことが決まったというか、合意された会議となりました。自治基本条例のなかに都市内分権という大項目を設け、そこに現在の13区(編入された13町村の区域)でおかれているように、旧市内も含め、地域自治区、地域協議会を設置する。地域協議会委員の選出にあたっては選任投票を行う。こういうことを盛り込むことを全会一致で確認したのです。この結果、上越市の自治基本条例は都市内分権を最大の特徴としたものになることがほぼ決まりました。13区選出の議員としては、現在の制度を続けてほしいと願っていただけにうれしい。
 午後からは妙高市、糸魚川市の議員との合同学習会兼交流会でした。時々メール交換している糸魚川のS市議や妙高のY市議と情報交換できました。懇親会では飲みたいビールを飲まず、ウーロン茶でがまん。でもおかげで体調もよく、夜の仕事ができました。ビールを飲まなかったのは、明日の自治体研究所総会での報告の準備が半分もできていなかったからです。明日は出かける前に、「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしなければなりません。大忙しとなりそうです。


2007年02月15日

現場主義

 やはり現場は見なければならない。いつも市議会報告ではそう言い続けているのですが、きょう発生した名立区の風力発電機の落雷事故もそうでした。この風力発電機は「うみてらす名立」という物産館やお風呂などのある施設内にあります。雷が落ち、ブレード(羽)の一部が燃焼し、落下するという事故でしたが、文書や口頭では分からないことを目で確認し、関係者から落下当時の状況について説明をしてもらいました。
 落雷があったのは午前7時28分。ブレードの先端部約7メートル80センチが発火・燃焼し、落下したのが8時5分。落下したブレードの端が当たったのでしょうか、発電機から30メートルほど離れた健康交流館「ゆらら」の女性風呂のガラス6個(1個の大きさは縦横30センチ、厚さ10センチほど)が割られ、洗い場、浴槽に飛び散りました。交流館の担当者の説明では落下する直前までお風呂で掃除をしている人がいたといいます。避難の指示がもう5分遅れていたらたいへんなことになったとも。風呂場に飛び込んだガラスのうち、少なくとも1個は5メートルほど離れた浴槽まで飛んでいました。
 現地に行く前に防災局の職員からある程度、情報を聞いていたのですが、事故のすさまじさは落下した場所、ガラスが飛び込んだお風呂まで見ないと実感できません。強風ということもあったでしょう、しかし、風呂にまで被害が出たことは今後の発電機をどうするかを考える時、重要なポイントになります。現場まで直行し、失敗したなと思ったことがあります。カメラはいつもカバンの中に入れてあるからいいものの、長さを測るテープをまたしても忘れてしまったのです。これからは軽トラの中に常備しておかなければ……。


2007年02月14日

バレンタインデー

 誕生日がバレンタインデー。全国にはこういう人がけっこういるはずです。じつはわが家にもひとりいました。父です。きょうで満80歳になりました。長女が誕生日のプレゼントとして大きな花束を用意してくれました。玄関に飾ってあります。こちらは誕生日のことをすっかり忘れていました。私は毎朝、父の容態を確認していますが、このところ、足どりもまずまずです。ずっと頑張り続け、休むことをほとんどしなかった人間ですので、ゆったりとした時間を味わい、少しでも長生きしてほしいと思います。
 きょうのバレンタインデーを意識されたのではないでしょうが、2人の60代の女性からプレゼントが届きました。ひとりは新潟市のHさん、大阪屋のお菓子でした。Hさんからは昨日、若い女性の方たちと楽しい時間を過ごしたとメールもいただきました。私まで若い女性に囲まれたような気分に浸ることができました。いまひとりは川崎市のMさんです。友達の方に私の随想集『春よ来い』をプレゼントされたとのことで、その友人の方たちのお礼と感想をしたためた手紙の一部を素敵な和紙に貼って送ってくださいました。
 こういうふうに書くと、きょうはゆっくりできたのかと思われるかもしれませんね。残念ながら、きょうもそうはいきませんでした。午前中は柿崎区で小集会、午後からは講演の準備でした。小集会では、私がスライドを使い市政報告をやり、上野こうえつさんの訴えが終わってから懇談をしました。共産党、赤旗という言葉のイメージが悪いので変えることができないか。共産党はいいことを言うが実現性にとぼしいのではないか。共産党というと北朝鮮やソ連のような国を連想してしまう。「しんぶん赤旗」の購読者が少なく、党の活動している姿がほとんど見えない地域だけに、こういう質問がポンポンと出てきました。
 きょうの小集会は党の企画ではありません。定年を過ぎ、残りの人生を社会に役立つことをしてすごしたい。ついては、日本共産党の考えを聞いてみたい、そう思って自主的に企画して私たちに声をかけてくださったのでした。共産党の活動には大いに関心があるが、どういう党だか不安もある。そういう方たちが自ら集まって話を聴いてくださるのは「変化の兆し」です。おそらく、きょう、集まった人たちは勇気を出して参加してくださったのではないでしょうか。


2007年02月13日

千の風

 足谷の伯母の告別式が終わったのは午前9時45分頃でした。それから出棺の準備をして、火葬場に向け、出発するまでけっこう時間がかかりました。外へ出て、玄関先で空を見上げたら、素敵な風景が見えました。すぐ隣の「イナバ」の屋敷の杉が天まで伸びていくようにすくっと立っている。そして、青い空の中を小さな雲が次々と流れていたのです。とても美しい風景なので、しばらく空を見続けてしまいました。ずっと見ていると、気持ちがすっきりする、元気が出てくる。不思議な感覚に陥りました。
 昨日、きょうと、照源寺の住職が話をされたのはチヨノ伯母さん向けの「千の風になって」でした。亡くなった人の骨をお墓に入れても、その人の思いは空から光となってやってくる。チヨノさんは自分の家の仕事だけでなく、お寺の行事でも活躍してくれた。ときたま人を笑わせるヒョウキンなところもあった。料理が上手かった人だ。若い時分の声を覚えているが、隣に座っているミツエさん(伯母の子)の声が同じなのでびっくりした。1人の人が亡くなっても、いろいろなことが伝えられ、つながって人間の歴史は続く。いま出されている料理にもチヨノさんの心が伝わっているのではないか。いいお話でした。
 きょう、最も感動したのはお斎の時の嵩治さんの挨拶でした。チヨノ伯母さんの子どもを代表してアサ子さんにお礼の言葉をのべたのです。「アサ子さんには9年間も母の面倒を見ていただきました。子どもを代表して…お礼を言いたいと思います。…ありがとう、ありがとう…」起立して挨拶を述べ始めた嵩治さんでしたが、涙で言葉が続きませんでした。「いえいえ、私なんか何も……」と手を横に振り、声をだすアサ子さん。みんなもらい泣きしました。わずか1分ほどの挨拶、心のこもった「ありがとう」の一言に感動しました。「ありがとう」は簡単に言えそうですが、なかなか言えないものです。私もこういう挨拶ができる人間になりたい。


2007年02月12日

葬儀の準備と「囲む会」で

 いつもより早く、「しんぶん赤旗」日刊紙の配達を済ませ、大島区の伯母のところに飛びました。すでに棺の中に入っていた伯母に、「ばあちゃん、ご苦労さんだったね」と声をかけました。唇に皺が寄っているのが目に入りました。年齢も92歳ということもありましょうが、数年にわたる闘病生活で顔などの皮膚が薄くなっているなと感じました。入退院を繰り返す伯母を長年支えてくれたのは従兄の連れ合いのアサ子さんです。看護疲れも見せず、この日も台所でお客の世話をするアサ子さんには本当に感謝です。
 通夜の前、棺の中に花などを入れ、ふたをする儀式がありました。ひ孫にあたる唯ちゃんか愛ちゃんの絵でしょう、伯母の体の上に置かれました。青い大きな川の上をだいだい色と黄色の金魚が2匹飛んでいる絵でした。私の父は最初の孫となる長女が生まれた時に「孫は自分の子どもの10倍かわいい」と言ったものです。ひ孫になれば100倍くらいかわいいのだと思います。旅立つ伯母にとっては最高のプレゼントとなったに違いありません。
 心配した旭農業環境改善センターでの「上野こうえつを囲む会」ですが、こうした騒ぎにもかかわらず、従兄たちが参加呼びかけ、会場づくりなどで一生懸命動いてくれ、とてもいい会になりました。日本共産党主催の会はこの地区では史上初めてにもかわわらず、20人からの皆さん(宣伝カー乗員、弁士などを入れない参加者数)が参加してくれました。市議会報告では旭地区の風景や運動会などの写真も使ったところ、喜んでもらえました。朗読ボランティア・小田順子さんは、『春よ来い』の中から「千葉の叔父さん」「姉と妹」を読んでくれました。いずれも話の舞台は大島区です。涙が出たという人が何人もいました。それにしても上野さんは元気です。県会議員の政務調査費、海外視察などの実態を告発し、政策を語り、福祉優先の県政をと呼びかける。演説内容も迫力が増してきました。


2007年02月11日

大島区の伯母亡くなる

 大島区足谷の伯母が夕方、亡くなったと知らせがありました。県立松代病院から市内のある病院に移ったということを聞いたのはほんの数日前です。3ヶ月しか同じ病院にいられない制度になって、ひどい話だと従姉などと話をしていました。血の流れが悪くなってきたという情報も入っていたので、2、3日中に見舞いに行かねばならないと思っていたところでした。
 足谷の伯母は母の一番上の姉です。くりくりっとした目をしていて、人懐こいところがありました。お盆泊まりに行った時などは、とてもやさしくしてくれた伯母でした。6年前、私の最初の随想集『幸せめっけた』にこのことを書いたら、「これはおれの宝じゃ」と言って喜んでくれたことを思い出します。これで母の姉妹は板山の伯母だけとなってしまいました。
 明日は葬儀の準備、手伝いです。明日の午後から旭地区で行う「上野公悦を囲む会」をどうしようか考えたのですが、母の実家の従兄と相談して予定通りやることにしました。私はその時間帯だけ抜けさせてもらい、市議会報告を行います。中止するより、そのほうが伯母も喜んでくれることと思います。


2007年02月10日

おまんた、チャンスだ

 県議選に出る上野公悦(こうえつ)さんのことがあちこちで話題になっています。きょう、「しんぶん赤旗」日曜版の配達をした時のこと、何人かの人たちにお茶をすすめられ、いただいてきました。そのなかで、こちらから話をしないうちに、県議選のことを話題にする人が2人もいて、その中身に注目しました。ふたりとも区内ではいろいろな役職についている人ですが、「上野さん、がんばっているねぇ。このまま行けばいく(当選する)ねぇ」「やはり、時代が変わりつつあるのかな。仕事もなく、負担が重くてどうにもならない。県政もちょっと変わった人が出て何とかしてもらいたいという声が出てきた。おまんた、チャンスだ」。ここ1か月あまりの活動が生み出した変化です。大事にして、この勢いを本物にしていきたいものです。
 午後2時から約1時間、雁木通りプラザの多目的ホールで行われた「雪のファンタジーコンサート」に参加してきました。吉川区出身でプラハ在住のピアニスト・市村幸恵さんの演奏とチェコの暮らしの紹介、楽しいひと時でしたね。幸恵さんのコンサートは何回も参加していますが、今回は演奏だけでなく、彼女のおしゃべりが印象に残りました。「私は冬になると、上越、吉川のことを思い浮かべます」と切り出し、「買物の際、近くの同僚とオシャベリをしているレジ担当のところへ行くと、オシャベリが終わるまでレジを打ってもらえない」などプラハならではの、ゆったりした暮らしを笑顔で紹介してくれました。満席となった会場では、大きな笑いが何回も起きました。今回のコンサートはレルヒ祭の一環、吉川区出身の人がこういう場で活躍してくれるのはうれしく、誇りに思います。
 コンサートが終わってからは、父の迎えでした。父は施設の2階であずかってもらっています。まだ約束の時間より30分も早いというのに、父は、私が1階から上がってきて最初に姿を見せるエレベーターの方を向いて椅子に座って待っていました。私の顔が見えたとたんに、「とちゃだ、うれしい」と大きな声を出して喜びました。小さな子どもと同じです。今回も2泊3日でしたが、前回に比べて元気なので安心しました。前回はまったくといってよいほど歩けない状態でした。今回は多少ふらつきはあるものの、足どりがいい。トイレに行くにも、できるだけ歩かせてほしいという長女の気持ちが職員の人たちに伝わっていたのかもしれません。


2007年02月09日

「家に帰る」の「合唱」

 父は昨日からショートスティに行っています。これで2回目です。少しは慣れてくれるかと期待していたのですが、どうもそうはいかない。昨日もきょうも、家に帰してくれと言い続けたようです。夕方、施設を訪問したところ、父ともうひとりのおばあさんが「家に帰る」の「合唱」をやっている最中でした。若い職員が、「あっ、お父さん、いいところに来てくださった」とホッとしています。おそらく、長時間、合唱を聞かされていたのでしょう。
 父ももうひとりのおばあさんも「帰る」の一点張り。これにはまいりました。「これから高田に行くんだ。仕事だからダメ。明日は連れて帰るから」と説得したのですが、1分も経たないうちにまた同じ繰り返しでした。「もうひとりのおばあさん」は、私が町議時代にお世話になった方のお連れ合いでした。このおばあさんは、今回は1週間いるのだそうです。「おまん、吉川へ行くんだったら、おれも乗せていってくんない」と私の手を離しませんでした。これまで、特養ホームを増やしてという運動では、「入りたくても入れない人が○○人もいます。力を合わせて実現させましょう」と訴えていましたが、これからは言い方を変えなければならないなと感じました。
 さて、きょうは全員協議会でした。市長選に絡む献金問題での全協はこれで3回目です。今回は「女性感謝の集いは選挙でのお礼の集会だったのでは」「役員会などの収支の差額はどう説明するか」「木浦政経事務所への市長の1000万円の献金と資産公開との矛盾」など前回指摘されたことを調査し、説明するために設定されました。問題はなかったと説明を続ける市長ですが、マスコミなどがとりあげた「迂回献金疑惑」の解明につながるのではと言われている問題はこれからが本番です。市が出資している企業、市が補助金等を出している企業の献金実態はどうなのか。その結果を受け、法律で義務付けられている告発をやるかどうか。19日の4回目の全協に注目です。


2007年02月08日

マンサク咲き始める

 とうとう咲きました。ここ1週間ほど毎日観察を続けていたマンサクです。朝8時ころの観察ではまだ開いていなかったのに、お昼ごろに3つほど花が開き始めました。つぼみがふくらんで、その先に割れ目ができたのが2日前でした。いつ開くか、いつ咲くかと楽しみにしていました。咲き始めの花は数ミリですので、遠くから見てもわかりません。毎年、マンサクの花を確認するのは、木全体が黄色くなってから。咲き始めたばかりのものを見つけたのは今回が初めてです。うれしくてたまりませんでした。
 きょうは午前に市議会の新産業創出対策特別委員会の視察に同行(みなもと農場のブルーベリージャムなど)したあと、高田の春陽館書店に行き、その後はビラ配布の予定でした。ところが1つの集落で配布が終わってから、がまんができなくなって山の中に……。ユキワリソウ(スハマソウ)が咲いているかどうか確認したくて入ったのです。お昼にマンサクを見てから完全に「野の花モード」になってしまいました。
 花が咲いているだろうとめざした場所は急傾斜地で、3年前、カメラごと転落して20日間ほど松葉杖を使う破目になったところです。30分くらいで楽に行けると思ったのですが、体重80キロの人間にとっては大苦戦。行って帰ってくるまでに2時間近くも要しました。花は予想通り、咲いていました。花は紫色だけで、ピンクや白はこれから。でも、感激でした。マンサクよりもかなり前から咲いている感じでしたので、おそらく1月末には咲いたのではないでしょうか。
 美しいものに酔ってしまうのは仕方がないにしても、きょうはおぼれてしまいました。朝早く起きたこともあったのでしょうが、ユキワリソウ見学で体はクタクタ。夜には大事な学習会があったのに、完全にダウンしてしまいました。体重を減らさないと、来年はユキワリソウを見には行けなくなる。そう思いました。


2007年02月07日

大島区でビラ配布

 これまで日本共産党の得票が極端に少なかった地域でも党の政策や活動を知ってもらい、得票数、得票率を大幅に伸ばさないと選挙には勝つことができない。普段、自分たちが責任を持っている地域だけでなく、こうしたところへも出かけていこう。一昨日の支部会議でこのことが決まり、上越地区の選対会議でも承認を得て、早速、隣の大島区旭地区で懇談会を開くことになりました。きょうは、私の後援会事務局長とともに、その旭地区でビラ配布活動をしてきました。積雪は約1メートル、木戸先にはまだ雪がたくさんあるなか、約5時間かけて100軒を超える世帯に声をかけながらビラを届けてきました。
 おそらく、この地域の人たちにとって、日本共産党のビラが手配りで届けられたのは戦後の歴史の中でも初めてか、2度目くらいでしょう。「日本共産党の市会議員です」と言うと、戸惑いを見せる人もいました。そういう人には、すかさず、「竹平の『のうの』の孫です」と言いました。うれしいことにそう言うだけで、「まあ、おまさんかね、議員やってなさるてがは……」などという言葉が返ってきます。板山という集落では、ビラを渡してしばらくしたら追いかけてくる人がいました。何か文句でも言われるのかと思ったら、「おかあさん、達者かい?」。また田麦という集落では、「おらは義孝さん(叔父)と同級生でね。死になる前の年までカレンダー送ってもらっていた」「私は『のうの』の好子さんと仲よくさせてもらっている」などと声をかけてくださる方が何人もいました。人のつながりというのは、こんな形で打ち解けた雰囲気をつくるのですね。有難いものです。
 言うまでもなく、葬儀などで顔なじみの人とも何人か出会いました。板山集落で、「さーさ、入ってください。いまお茶です」そう誘われて入ったら、何と従兄の子どもさんであるYさんもいるではありませんか。M商事の奥さんが描かれた絵手紙を見せてもらったりしながら、楽しいひと時を過ごしました。大島区のシンボル天明山や尾神岳を見渡せる高いところに住んでいるMさんには、「あんたの本、何回も読ませてもらいました。なつかしくて、なつかしくて……」と言われました。事前に旭地区に行くと知らせては従兄たちに迷惑をかけると思い、黙って出かけたのですが、この日記を職場で読んだHさんが朝のうちに情報を伝えてくれていました。Aさん宅ではお連れ合いが、美味しい漬物やコショウのきいた炒め物などを用意して待っていてくれました。感謝です。


2007年02月06日

調理師さんたちは泣いた

 党議員団で午後から城北中学校へ出かけました(樋口議員は都合で不参加)。いうまでもなく、学校給食調理部門の民間委託問題についての現地調査です。同校は杉本議員団長の母校であり、中野校長は私の中学時代のテニスの相棒です。杉みき子さんの出版記念会以来の再会ということもあって、校長室で2時間近くも率直に意見交換してきました。また、新築された校舎も見せてもらい、給食調理員さんたちとも懇談させてもらいました。
 中野校長は今朝一番に調理師さんたちを呼んで、今回の動きについて報告したそうです。新年度から、同校の調理については民間委託される可能性があると聞いた調理師さんたちの頬には涙が流れていたといいます。調理員さんたちは学校の職員、この学校は自分たちの学校だという意識があります。着任した時、離任する時は生徒に挨拶し、学校行事だけでなく、日常の学校生活にも深くかかわってきました。それだけにつらかったのでしょう。
 校長や現場職員などと意見交換するなかで、昨日、文教経済委員協議会で感じた疑問が一層大きくなりました。市内に学校調理をする受託業者がいるのかどうか、そして仮に手をあげる業者が出てきたとしても市教委が期限としている3月上旬までにきちんとした調査をして選べるのか。地元の食材を使うとなれば、金もかかることもあるが、利潤追求型の民間がこれをまちがいなくやれるのか、などです。民間委託は試行とはいえ、急ぎすぎているなと改めて思いました。
 夕方からは県議選常任選対でした。4日の演説会などこれまでの活動から教訓を引き出し、次週までの計画について話し合いました。明日は大島区旭地区の110世帯へビラ入れに行くことになりました。12日午後1時半から田麦の農村改善センターで開催する「上野こうえつを囲む会」の案内ビラなどを配布してきます。親戚もあるので、楽しみです。


2007年02月05日

急いではなりません

 昨年、県内でいち早く食育推進条例を制定したわが上越市で学校給食の民間委託の動きが具体的になってきました。給食の調理部門に限って民間委託の試行を城北中学校でやろうというのです。合併後の新市の学校給食の基本方針はまだ策定されていない。食育推進条例に基づく食育推進計画もワーキングチームが素案づくりをしているという段階です。こういうなかで一部門とはいえ民間委託を試行するというのは乱暴です。例えて言えば、住宅改築の設計図ができていない段階で台所の工事を始めるようなものです。あまりにも急ぎすぎではありませんか。
 きょうの文教経済委員協議会で明らかになったことですが、民間委託の試行を急ぐ背景には、行革推進大綱に基づくコスト削減があります。児童生徒数401人~550人規模、調理員5人の給食施設では、年間906万円の歳出削減が見込まれるといいます。調理部門を民間委託しても、市の直営時と同様のサービスが維持できますと説明していましたが、主食ひとつとっても説得力がありませんでした。自校炊飯している施設がどうなるかなどに不安が残りました。給食調理員の人たちが学校経営に参加し、児童生徒とのふれあいのなかで仕事をしていくことも大切なことです。しかし、これは努力事項になっている。そして、これまで学校給食に関する各種会議で、市内に委託できる業者が見当たらないとしていたのに、ここにきて、委託業者選定にあたっては、市内に本社があることを盛り込んだ選定方針を打ち出す。首を傾げたくなることがいくつもありました。
 食育基本法は、その前文において、食育は「生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきもの」としています。学校給食は、この食育を推進するもっとも重要な場のひとつです。そこでいま、上越市の学校給食の歴史に残る新たな取り組みが始まろうとしている。全国ですでに先行して民間委託をすすめている所からは問題ありの声がたくさん聞こえてきています。いま、ここで一番大事なことは、関係者がじっくり時間をかけて話し合うことではないでしょうか。城北中学校の主人公は生徒です。生徒はどう思っているのでしょう。今回の試行は市内のすべての学校にも影響を与えていきます。市内の保護者の皆さんはどう考えておられるのでしょう。いま一度書きます。急いではなりません。


2007年02月04日

5番目でいいんです、あげてください

 約400人。よく集まりました。熱気がありました。これで、上野公悦さんも、応援する人もますます元気になるでしょう。頸城区の希望館できょう行われた日本共産党演説会のことです。上越地区の党演説会でこれだけの人が集まったのは、本当に久しぶりでした。しかも初めて日本共産党の演説会に出たという人がたくさんいました。聴衆の皆さん方がお帰りになる時、「ありがとうございました」と声をかけたら、「よかったでね」という声がいくつも返ってきました。そして、「がんばろでね」という言葉も。
 弁士は井上さとし参院議員と上野公悦さんです。安倍総理の名前を覚えるには、「不安倍増」の安倍と覚えればいいと言っていきなり笑いをとった井上参院議員の演説は1時間ほどでしたが、わかりやすく、ためになる話でした。「政治とカネ」の話では、「自民党政治というのは公衆電話政治です。金を入れないとかからない」と皮肉り、企業献金漬けの政治を批判しました。教育基本法のタウンミーティング、国会議員の事務所費問題、いずれも井上さんが質問にかかわり、国政を動かしてきただけに説得力がありました。
 上野公悦さんはお連れ合いの法子さんとの早朝の出来事から話を始めました。法子さんはきょうの演説会にどれだけ集まるか心配で、緊張してよく眠れなかったそうです。続いて、増税や仕事がなくて困っている業者の方などから寄せられた声を紹介し、逆立ちした県政の刷新を訴えていく。一生懸命さ、がんばりがよく伝わってくる演説でした。後援会の2人の話も良かったです。特に女性後援会の斉藤さん、「私も業者で、上野さんも業者。上越市からの県議は5人です。5番でいいんです、上野さんをあげてください」。笑いと大きな拍手が起こりました。法子さん、今晩は眠れることでしょう。


2007年02月03日

また青空が広がった

 また、いい天気になりました。2月になって最初の青空も広がりました。上の写真できょうの尾神岳の風景をごらんください。昨年の冬なら、毎日のように、除雪機の音がしたものですが、ことしは、まだ2回目くらいでしょうか、きょうは久しぶりに除雪機の音を聞きました。
 午前は市政レポートの改訂版を作成して商業新聞に折り込む分を印刷した後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金、演説会の案内をしてまわりました。何軒かの家で「上野さんにがんばってもらってくんない。応援するすけ」という言葉が返ってきました。少しずつ上野公悦の名前も浸透してきているな、と感じました。これまでの国政選挙や県政選挙では見られなかったムードが生まれつつあります。
 午後からは、後援会の人たちと一緒に川谷地区へ市政レポート配布に出かけました。先月14日の冬まつり以来です。「元気かね」と声をかけ、おしゃべりもしてくるものですから、3人馬力でやっても2時間半ほどかかりました。ある家からは「わらびの漬物」をいただいてきました。夕飯の時、さっそくいただきましたが、ご飯と合い、うまかった。


2007年02月02日

臨時議会

 朝早く起きて市政レポート(吉川版)づくりをしました。昨日は上越民報づくりで頭が一杯になっていたこともあって、何を書くかをまとめないまま書き始めました。公共施設使用料金をめぐって地域協議会が協議を続け、付帯意見書をつけて答申をすることになったこと、地域協議会メンバーがコミュニティプラザの工事現場を視察したことなどを書き、写真も入れて出来上がりとしました。区総合事務所で「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしてから、読み返してみて、ハッとしました。先週の議会でもっとも大きな出来事であった市長の政治資金をめぐる全員協議会のことがすっぽりと抜け落ちていたからです。書き始める前に書くテーマの整理をする。この当たり前の作業をやっておかないとダメですね。
 きょうは、臨時議会でした。議案は3つ。そのうち2つは市道の廃止と認定の議案です。先に新聞報道されたように、県の南部産業団地に大手電子部品メーカー・太陽誘電が進出することになりました。このメーカーの工場の敷地面積は15ヘクタールという大きさです。団地を造る時に県が想定していた以上のものでした。その結果、すでに団地内に整備されている市道の一部を取り壊し、工場敷地を整備しなおす必要が出てきたことから、市道の廃止、認定が出てきたというわけです。議会では、今後もこういうケースが出てきた場合に柔軟に対応するのかどうか、という質問がひとつあっただけでした。議案はすべて全会一致で可決。
 きょうから配布し始めた「しんぶん赤旗」日曜版の2月4日号には、「大企業に巨額補助金 これが自治体の仕事?」というのが載っていました。タイムリーな記事です。ここには、神奈川県や三重県などの実例をあげ、新規雇用が増えるかどうか、税収増につながるのか、地元の期待とのギャップが書かれていました。興味深かったのは、自治体政策学の中山徹さん(奈良女子大学助教授)のコメントです。多額の補助金による誘致では、企業がそこで長期間操業するということが前提になっている。ところが撤退の際の規制がない。フランスのように誘致と撤退はセットで決めないといけない。なるほどと思いました。また、小さい囲み記事ながら、内閣府のリポート『地域の経済2005』に、途中で撤退しても補助金を返還する制度がない県が18もあることが書かれているとありました。とても参考になります。


2007年02月01日

開いた口がふさがらない

 今朝の新聞を見て呆れてしまいました。東京電力柏崎刈羽原発でまたしても不正行為が明らかになったからです。今度は、故障していた非常用炉心冷却系に関係するポンプを作動するように偽装して国の定期検査に合格していたといいます。偽装工作などについては電気事業法違反(検査妨害)の疑いが強いものの、時期が1992年と古く、3年の時効が成立しているとも。東京電力によると、原発の安全運転に問題はなく、現在は適切に対応しているとのことですが、まったく信用できません。上越市では、つい先日、先の温排水のデータ改ざん問題で抗議したばかりです。原発推進機関から完全に独立した原子力規制機関の必要性がますます重要になってきましたね。
 さて、きょうは2月の上越民報号外の校正作業のため印刷屋さんで約4時間がんばりました。ビラの校正の仕事はこれまで何度かやっていますが、これまでは白黒印刷のものばかりでした。今回はカラーです。白黒とは違って、色の配置、濃さなどチェック項目がたくさんあり、いい勉強になりました。カラーで試し刷りしたものをPDFファイルにして、メールで地区委員会や県委員会選対部長に送信して検討しましたが、便利になったものです。出来上がった号外は、上野公悦市議団事務局長のこれまでの歩み、活動、県政政策を盛り込みました。見やすく、親しみの持てるものにしようと、私が撮影した雪割草、マンサクの花も使いました。頸城区希望館で行われる4日の演説会から配布がスタートします。どんな反響があるか楽しみです。
 


2007年02月投稿分

2007年02月に投稿された全てです。

前:2007年01月
次:2007年03月

過去の投稿

小さな町の幸せ通信