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2007年01月投稿分

2007年01月31日

男性からも手紙

 とうとう1月も最後。しかし、わが家の周りには雪が「ひとっぱ」もありません。56年の人生で初めてのことです。マスコミなどでは「大暖冬」という言葉が使われるようになってきていますが、まさに一級の暖冬です。もちろん除雪機はまだ一回も使っていません。ふきのとうはどんどん出てくるし、この調子だと、わが牛舎のそばにあるマンサクが近いうちに花を咲かせるのではないかな。「しんぶん赤旗」の記者がマンサクの花が咲いたらすぐに教えてほしいと言ってきているので、毎日観察を続けています。
 きょうは午前中に市議会の新幹線・交通対策特別委員会があり、その後は2月の上越民報号外の編集で選対の係りと共に印刷屋さんと打ち合わせをしたり、写真を集めたりと大忙しでした。わが家と印刷屋とを2往復して、夜はまた取材に出る。こんなことをやっていたら、眠気が激しくきて、ダウンしてしまいました。
 このところ、うれしいのは、『春よ来い』を読まれた方からメールや手紙が毎日のように来ることです。どういうわけか女性からのものが多いのですが、昨日は男性の方から手紙が来ました。手紙としてはこの男性からのものが初めてです。「全文、これふるさとへのオマージュ(賛歌)に貫かれた本書は、さわやかであたたかく、帯の近藤さんのことば通りに時にホロリとし、何度か瞼が潤みかけました」こういった身に余るおほめの言葉に続いて書かれていたのは、本に登場した人とのかかわりです。大和町の元酪農家・山口将治さん、古厩忠夫さん、佐藤誠朗さん、真壁仁さんなど、私と付き合いのあった人とこの方も交流があったということです。世間の狭さを改めて感じましたが、私の知らなかった過去のドラマがいくつも書いてあって感激でした。本を出すと、このようないいこともあるんですね。


2007年01月30日

地域協議会が元気になってきた

 平日としてはめずらしく、朝から夕方まで吉川区にいました。午前中は上野公悦県議候補と一緒に街頭から県政改革の訴えです。税金と暮らしの問題はどこでも大きな関心を持って聞いてもらえます。詳しいことは聞けませんでしたが、聴衆の1人の方が私のそばで、「こんなに上がったんじゃたまったもんじゃねぇ。年金入っても、おれなんか、2万8000円もひっこくられて……、ほんとにまいるよ」。上野さんの訴えはどこでも好評で、演説していると次々と人が出てくる。きょうは、まるで投票日直前みたいな雰囲気がありました。
 午後からは地域協議会の傍聴でした。前回に続いて公共施設の利用料金を巡る諮問についての協議でした。「いまよりも不便になる現実があってもいいのか。ある程度、地域自治区の中で判断できるようにしないと……。何か違う方向に行っている気がしてならない」「(減免について総合事務所長に権限はないとの答弁を受け)そんがなバカな話こて」「市全体のルールはあっていいが、区にもっと権限、裁量権があってしかるべきだ」諮問案を一応認めたものの、厳しい意見が相次ぎました。最終的な文言はまだまとまっていませんが、①減免問題については弾力的運用ができる条項を盛り込むこと、②申請、納付などの手続きの簡略化、③区に裁量権を持たせることを付帯意見としてつけることになりました。
 地域協議会は他の会議、予定と重ならないかぎり傍聴していますが、率直に言って、これまで自主的な審議にもとづく意見書の提出もなく、ちょっと元気がないなと感じていました。しかし、前回、今回と協議はとても元気で活発でした。3月議会では、各区の協議会の答申に基づき、いくつかの議案が出てきます。こちらも元気に頑張らなければいけません。地域協議会でのこうした声をしっかりふまえた論戦を組み立てていきたいと思います。


2007年01月29日

やましいことがなかったなら会計帳簿は公開すべき

 注目の市議会全員協議会。木浦正幸市長の後援会の政治資金収支報告書に架空献金があったのではとの新聞報道を受けて、市長が説明する場として設定されました。市長は親戚の人からいただいた寄付の真相等、収支の実態についてキチンと調べてきて、議会に説明する責任がありました。しかし、その責任が十分果たされたとは言えない状況だったと思います。市議になってから約2年、木浦市長のさわやかな人柄と議会質問などに対する丁寧な対応を評価してきた議員のひとりとして、とても残念に思います。
 全員協議会では、市長の説明責任が果たされるどころか、ますます疑問が深まったという印象を持ちました。個人で寄付をしてもいい限度額の150万円を分割して後援会に入れた親戚が何人かいたようですが、1回ごとに収入として記載しなければならないのに、まとめて最後の分の段階で記載したとする市長でしたが、それは本当かどうか。役員会などで会費をもらい飲食をしたというが、その会費収入と当日の役員会における支出額に大きな差があった。後援会の会議費の実態は本当はどうであったのか。市長が自らの政経事務所に1000万円を出しているが、市長の資産公開の実態と合わないのではないか。こうした質問に市長は答えきれませんでした。
 1000万円の問題は別ですが、その他の質問に答えるには、収支報告書の元になっている会計帳簿を公開して、こうなっていますよ、あなたのような心配はいりません、ご安心くださいといえばいいことです。ところが市長は、答えきれなかった質問について調査を約束したものの、この会計帳簿の公開を頑なに拒否しました。これは納得できません。やましいことがなかったら堂々と公開すべきではないでしょうか。
 きょうの協議会では、私は議員の中では市長と最も近い距離に座りました。1メートル数十センチくらいでしょう。答弁にあたって、助役と話した中身、息づかいまでわかる距離でした。先月14日の全員協議会の時も同じ距離だったはずでしたが、きょうの市長は、前回よりも元気がなく、さみしそうでしたね。


2007年01月28日

『春よ来い』出版記念会終わる

 尾神岳のふもとで昨日、思い出に残る出版記念会を開催していただきました。出版にかかわった人たち、親戚の人たち、本に登場した人、議会の同僚、党や後援会の仲間、友人など60人を超えるみなさんから祝っていただき、元気エネルギーをたくさんもらいました。「おかあさん、がんばって」に登場した奈緒美さんは、3人の子どもに読んで聞かせたところ、子どもたちが目を輝かせて聞いてくれたことを語ってくれました。出版元の川上さんは、「橋爪さんのお父さんについての文章には抑制が効いている。それがかえって読者をひきつけている」とスピーチしてくださいました。どの人のスピーチにも心に残る言葉があって、とても感動しました。この日記を読んで駆けつけてくださった方も5人ほどありました。記念会をやってもらい、『春よ来い』を出版してよかったと改めて思いました。お忙しい中、参加してくださったみなさん、心配してくださったみなさんに心から感謝します。
 「会場に入った途端、ここには橋爪さんがたくさんいる」そう感じましたと切り出して熱弁を振るってくださったのは近藤典彦さんです。近藤さんの講演では、石川啄木のふるさとへのやさしさ、家族へのやさしさ、自然へのやさしさ、そして正義感あふれる人間像を教えてもらいました。近藤さんの話を聴いたおかげで、これまで何度かお目にかかったことのある啄木の短歌がとても身近に感じられるようになりました。結婚式をめぐるエピソードや短歌に秘められた新たな事実の発見、人間臭い恋愛観などの説明は、啄木研究の第一人者ならではのもので、興味深く聴くことができました。会が終わってから、近藤さんのところへ行き、近藤さんの著書『国家を撃つ者』(同時代社)を求める人もいました。
 うれしかったのは、『春よ来い』で私が読者の皆さんに伝えたかった、ふるさとや家族への思いなどは、天才歌人・石川啄木の思いと通じるものがあることが明らかにされたことです。私の文が啄木短歌の訴える力に遠く及ばないレベルにあるにせよ、これは、私への大きな励ましです。こうした励ましは、カバー写真を提供してくださった平田一幸さんをはじめ、スピーチに立たれた方々の中にも、また、マイクを持たないものの、会場で私に声をかけてくださった人たちの言葉の中にも、さらに、この日、参加できなくて葉書にメッセージを寄せてくださった人たちの言葉の中にもありました。改めて感謝申し上げます。記念会でのこうした励ましをしっかり胸に刻んで、これからも書き続けたいと思います。


2007年01月26日

架空献金?

 びっくりしました。今朝の新潟日報の1面トップに「木浦上越市長 収支報告書 架空の献金記載か」という見出しが躍っていたからです。報道によれば、「木浦正幸市長の個人後援会が、上越市長選が行われた2005年の政治資金収支報告書に、市長の県内外の親族ら16人を中心に、計約2300万円の個人献金を受けたと記載したが、実際には記載通りの献金をしていない人が複数いる疑いがあること」が分かったとあります。新聞を読んで私のところに電話をかけてきた人が2人いました。そのうちの1人は、こんどこそ逃げられないね、これが事実ならば、市長の辞任という事態に発展するねとまで言っていました。来週の月曜日に急遽、市議会全員協議会が開催されることになりました。市長からは良心に基づいて真相を語ってほしいと思います。
 明日は『春よ来い』出版記念会です。終わった後、国際啄木学会の近藤典彦さんなどと交流し、スカイトピア遊ランドに宿泊する予定です。したがって、明日のことは明後日の昼ごろ書き込みをすることになります。


2007年01月25日

話を聞くのも大事な活動の1つ

 昨日から生活相談が続いています。そのうちの1つは、介護にかかわるものです。近くに身寄りのない80代の人が頼りにしたのは遠い親戚関係の方でした。この人がまたいい人で、病院の心配から、入所できそうな特養探しまで、じつによく動き回ってくれる人。この方が「いつ介護度が確定するか、調べてほしい」と訪ねて来られました。これだけなら電話で済むことですが、やはり、飛び回っていろいろ苦労したこと、いまの福祉の実態などを私に知ってほしかったのだと思います。お茶を飲みながら、1時間ほど、いい勉強をさせてもらいました。
 きょうは、午前中、生活相談などで吉川区で動き、午後から木田事務所へ。議員控え室で、主に明後日の出版記念会の準備作業をしました。ふるさとアピール年の取り組みなどで会に参加できない市長からもきょう、祝いのメッセージが寄せられました。これも会のプログラムにとりいれていただくよう世話人の方に連絡をとりました。会に寄せられたメッセージはとてもたくさんになっています。これらは、明日、印刷にかけ、みんなが集まってパンフレットにしてくださるといいます。私から言うのもなんですが、楽しみです。きょうの上越タイムスは、出版記念会のことも報道してくれました。国際啄木学会の近藤会長さんの話を聞きたいと、尾神岳のふもとまで足を運ばれる方があるかもしれません。
 夜は市政レポートづくりでした。一昨日の県議員会議で入手できた資料などを活用しながら作成しました。施設使用料をめぐり、吉川区地域協議会が活発な議論を始めています。これは今週の大きな記事にしたいと思ったのですが、まだ結論が出ない中で、さらに議論を深めてもらうために、どこまで書いていいのか悩みました。郵政公社のATM撤去の動きは波紋を呼んでいます。市内では自衛隊高田駐屯地出張所、さいがた病院出張所、県立中央病院出張所が対象ですが、すでにさいがた病院については撤去済みといいます。郵政民営化の一環でしょうか、不便になるばかりです。


2007年01月24日

貧困打破・生活防衛の課題山積

 きょうは新潟市で党議員の会議でした。3月議会に向けた諸課題の学習、一斉地方選挙に向けた方針の確認などをしてきました。虐待など介護における困難事例に対応するため、現存する措置制度をどう活用するか。消費税を分納もできず、滞納する業者が広がっていて、高利融資に手を出す人が増えている実態があること。郵政公社の県内におけるATM撤去の動きなどたくさんの情報を入手し、勉強してきました。貧困打破・生活防衛の課題はたくさんありますね。きょう学んだものは、すべて3月議会で活用していきたいと思います。
 参加した議員及び候補の中で3人の人が活動報告しました。津南町の桑原加代子さん、長岡市議の竹島良子さんと諸橋虎雄さん、3人とも今春に立候補する人たちです。農村部の6000人を超える人たちと対話を進め、いよいよ町の中心部での対話に入った桑原さんの気迫がすごいと感じました。明るく知性あふれる笑顔が魅力の竹島さん、素敵なリーフレットを作成してもらって、とてもうれしそうでした。ビラは明るい色の方が読まれますね、と言って、どんどん支持を広げています。この勢いが続けば、県議会での複数議席実現は夢ではありません。こちらもがんばらないと。


2007年01月23日

出版記念会の準備

 今週の土曜日、27日に『春よ来い』出版記念会が尾神岳のふもとにあるスカイトピア遊ランドで午後1時から開かれます。すでに世話人の人たちがプログラムを決め、準備をしていてくださいますが、きょうは世話人の人たちと会場となるスカイトピア遊ランドに行き、支配人などと打合せをしてきました。会場でのテーブルの配置、送迎バスの運行時間、料理の内容など細々としたことも打ち合わせ事項の1つです。思ったよりも時間がかかりました。
 記念会は第1部が「春よ来い」を語る会、第2部は祝賀会です。第1部では国際啄木学会の近藤典彦さんが相模原市からかけつけ、講演を約20分間してくださいます。また、カバー写真を撮った平田さんやカットを描いた弟などから、本とのかかわりの中で、「春よ来い」への思いを語ってもらうことになっています。さらに朗読ボランティアの小田順子さんから「巣立ち」の朗読をしていただきます。第1部は事前の申し込みがなくても参加できますので、ご希望の方は遠慮なくお出かけください。第2部は会費が必要となります。きょう現在、第2部の参加希望者は約60人で、定員まで若干の余裕があります。
 きょうは、この他、吉川区地域協議会があり、その傍聴をしてきました。公共施設の使用料金などに関する市長の諮問という重要な審議ですので、選対会議と重なりましたが、協議会の審議を傍聴し続けました。合併協議で一定の決め事があるものの、「新しい体育館よりも古い体育館の方が高いのはおかしいのではないか」などといった市民感覚に基づく疑問の声も上がっていました。この諮問に関する審議は30日に継続して協議することになりました。


2007年01月22日

市職労と懇談

 昨日の県党会議で気になっていたというか、心残りがひとつありました。日本共産党の衆院選北信越ブロックの比例代表候補である山口典久さんと挨拶を交わすことができなかったことです。山口さんはたびたび上越市に足を運んでくださり、心のこもった訴えで聴衆をひきつけてきました。また、山口さんのホームページでも何回か私のことを紹介していただいているのでお礼の挨拶をしたかったのです。その山口さんが、ホームページの活動News(21日付)で、また私のことを紹介してくださいました。昨日の会議で『春よ来い』を買い、読み始めたら止められなくなった、長野駅に着くまでに一気に読んだと、感想を書いて発信してくださったのです。次に会ったら、ちゃんとお礼を言わなきゃ。
 きょうは党市議団3人と上越市役所労働組合の幹部および調理員のみなさんとの間で懇談会をやりました。テーマは既報のとおり、学校給食の調理部門における民間委託問題です。すでに市教委では、新年度に1校で試行することを明らかにしており、その候補校も組合側に示しています。そうしたなかで、どう対応するか。組合側も私たち議員団も試行であっても反対だという点では一致しています。センター方式から自校調理方式へ、地場産食材の活用の重視、食育推進条例の制定など上越市における給食の歩みを振り返りながら、逆行は許されないという思いを強くしました。
 この懇談で一番印象に残ったのは、現場で働く3人の調理員さんたちの発言でした。メモを議員控え室に忘れてきたので詳細を書けませんが、単に調理をしているだけでなく、児童生徒と交わりながら仕事をしていることを生き生きと語ってくれました。学校給食には伝統がある。その伝統をしっかり引き継いでいくことが大事だ。子どもの学校給食の残り具合が気になるし、そこからクラスのまとまり具合も見えることがある。学校経営の一翼を担い、学校の普段の生活、行事に溶け込んで仕事をしている姿がよく理解できました。問題は世論をどう盛り上げていくかです。それと、文教経済委員会での論戦が大事になってきます。勉強して望みたいと思います。
 「春よ来い」第74回、「父の『旅行』」を掲載しました。ご笑覧下さい。


2007年01月21日

県党会議で学んできました

 きょうは年に1回開かれる日本共産党の県党会議でした。吉川支部からは私ともう1人が代議員として参加してきました。新年早々に中央委員会があり、目の前に一斉地方選挙や参院選があるとあって、選挙勝利をめざす元気な発言がいくつもありました。これらのなかには県議選で上野公悦さんを勝利させるために、これは使えるという話もありました。これらは次の選対で私なりに整理して提起したいと思います。
 トップに発言した五十嵐県議の話は泉田県政がどういうものかを県民の立場から分析したもので、とても参考になりました。志位委員長が先月の新潟の演説会で、「新潟県政は全国でもっともひどい逆立ち県政だ」と指摘していましたが、それを裏付ける事実を次々と示してくれました。財政危機だといいながら、港湾やダムなどで明らかに無駄と思える大型開発に金を注ぎ込む一方で、福祉は全国最低。地方自治体の「住民のいのちと健康を守る」という基本任務を忘れたこうした政治は、落第点をつけないとダメです。ところが、これを自民、公明だけでなく、他の政党会派も支えている。改めて、日本共産党の議席を前進させなければと思いましたね。
 きょうの県党会議では、入党してから数ヶ月という若い党員から党歴60年という人まで発言しました。まだ20代前半の人が平和や雇用の問題で頑張っている姿を見ると、とてもうれしくなります。また年配党員が自慢話ではなく、全党を励ます積極的な取り組みを自らやってアドバイスしてくれる、これも元気が出ます。定数2の選挙区で五十嵐県議を再選させようと、20もののぼり旗を立てて宣伝をやることを宣言した渋谷新潟市議、この人の姿勢はいつもすごい。
 わが支部からはSさんが発言してくれました。これで昨年、今回と2年連続で吉川支部の代議員が発言したことになります。発言の中身は集落に出向いてやってきた懇談会の取り組みについてです。懇談会の案内、パワーポイントを使った議会報告、懇談会で寄せられた要望の対応などについて、ユーモアを交えての報告は注目されました。吉川支部の取り組みについては中央委員会の選対局も『前衛』などでとり上げてくれていることもあって、他の代議員の発言でも、「吉川支部のように」という発言がいくつもありました。まだ不十分なことが一杯あるので、なんとなく恥ずかしかったです。


2007年01月20日

雪割草が咲いている

 とうとう20日です。まだ本格的な雪にならないし、降りそうにもない。20日になっても雪がないのは数十年ぶりです。そうしたなかで、あちこちで春到来のニュースを聞きました。スミレが咲いている。ふきのとうを採ってきた。こんな話を聞くだけでなんとなくそわそわしてきます。ある家の玄関先ではスハマソウ(わたしたちの所では雪割草と呼ぶ)がもう白い花を咲かせていました。こんなことであれば、マンサクの花が咲いているかもしれないと思って道路脇の木を見てきましたが、こちらはまだでした。
 きょうは午前中、市政レポートの印刷など家の中での仕事をやり、午後からは、「しんぶん赤旗」日曜版の配達と県議選に向けた政策などを書いた「新にいがた」号外などの配布活動をやりました。久しぶりに訪ねた家が多く、一声かけると、「じいちゃん、元気かね」「市議会たいへんだね」などと聞かれます。下中条という集落は、私が住んでいる集落の隣ですが、お寺が取り壊された後の風景を初めて見てきました。私が小学校時代、家庭科を習った先生のお寺だったこともあって、とてもさみしくなりました。


2007年01月19日

市職労旗開き

 市役所の職員労働組合の旗開きがあり、日本共産党議員団を代表して来賓として参加しました。私が自治労関係団体の旗開きに出たのは今回が初めてです。どんな出会いがあるのか楽しみにして参加しました。昨年の大会に参加していたので、組合幹部には顔なじみの人が何人かいます。それに加えて、12月議会で当面の重要課題となっている学校給食の民間委託について反対の立場からとりあげていたこともあって、調理員の組合員などと親しく意見交換、情報交換ができました。
 学校給食の調理部門のみ民間委託する試行は、新年度、市内の1つの学校で予定されていますが、食育推進の立場からいっても懸念されることばかりです。それが保護者や学校現場職員などとの合意がないなかで強行されるかもしれない、そういった不安が広がっていることが分かりました。きょうは2人の調理員の方が私のところにやってこられ、力を貸してほしいと訴えていきました。党議員団としてもこの問題に取り組む必要性は確認しており、来週には市職労のみなさんと懇談して対応策を協議していくことにしています。
 きょうは、この他、市議会議員勉強会、月例議員懇談会などが一日中行なわれました。勉強会では辻山幸宣地方自治総合研究所長を招いて、これからの地方自治と議会の役割について学びました。上越市における地域自治区、地域協議会の取り組みは全国に先駆けたものとなっていますが、きょうの講演では地域協議会と市議会の役割についてかなり掘り下げた内容を聞くことができました。ただ、頭の回転が遅いものですから、講演が終わってから気付いたのですが、地域協議会が住民の共同意思を体現しているかどうかは何をもって確認するのか、そこらへんの見解を聞いておけばよかった。また辻山さんといっぱいやりながら話をしたくなりました。


2007年01月18日

2つの新聞記事

 昨日、書き忘れたことから。地元紙・新潟日報の上越版に、「戦争体験を寄せて」と「柏崎原発データ改ざん」の2本の記事が掲載されました。2つとも上越市の取り組みの報道です。内容はいずれも私が一般質問でとりあげ、市長が答弁したことを実行したものですが、同じ紙面に、自分のとりあげたことが2つも載るのは初めてのことです。うれしかったですね。
 1つ目は全市的に戦争体験談の収集を行い、体験を語り継ぐ講師のリストも作成するというのが内容です。これで平和への取り組みも一歩前進しました。2つ目は、柏崎刈羽原発が長期間にわたって冷却用の温度データを改ざんして運転を続けていたことに対する市の抗議と再発防止策を求める要請です。これも安心・安全の重要課題の1つでした。あとは地域防災計画に原子力災害対策を盛り込み、この対策の強化を図ることが課題として残されています。これも、再び議会でとりあげなくてもいいように積極的に対応してほしいものです。
 さて、きょうは、議員団ニュースと市政レポートづくりに専念しました。新年になって2回目のビラ作成ですので、そろそろ調子が出てもいいころですが、まだまだぎこちなさが残っています。市政レポートでは裏面の「春よ来い」も執筆し始めました。こちらは明日の朝の締切りまでに書けるかどうか。睡魔との闘いとなるでしょう。
 きょうの上越タイムスによれば、『春よ来い』のランキングは先週よりさらに1つ上がって第5位になりました。これで前著『幸せめっけた』の記録(最高で第6位)を超えました。きょうは市内の料理屋の女性から手紙をいただきました。「こんなに感動しながら本を読んだのは何年ぶりになるのか」とまで書いてくださいました。こういう励ましがあると、もっとがんばって書かなければ、という気持ちになります。ありがとうございました。
 もう1つ、お知らせです。杉本議員団長ががんばってくれて、日本共産党上越市議団のホームページができました。議員団ニュース、市議会報告はこちらでご覧いただけます。


2007年01月17日

乳幼児医療費助成で市に要請

 マスコミでも報道されているように、泉田裕彦知事は11日、乳幼児医療費助成制度の「入院」の対象年齢を、現行の「4歳未満」から「小学校卒業まで」に引き上げることを正式に表明しました。これを受けて、きょうは、日本共産党上越地区委員会として木浦上越市長に対して、乳幼児医療費の助成拡充を求めて要請を行いました。具体的には、①現在、「6歳未満」となっている通院に対する助成制度を、「小学校卒業まで」に拡充すること。②一部負担金についても助成し、真の乳幼児医療費無料化を実現することの2項目です。
 今回の要請には、上野公悦事務局長を含めて党市議団全員が参加しました。市議団メンバーはこういう場でだまっていられないタイプの人間ばかりです。「今回の県知事の拡充表明で状況は大きく変わった。市の予算編成作業では、県の今回の決断は予想外だったはずだ。県の『入院は小学校卒業まで助成する』という施策に対応した拡充策を」「入院に至らないうちに手当することが大事。通院での拡充要望は切実だ」などと発言し、積極的な対応を求めました。
 木浦市長に代わって応対した中川助役は、「みなさんがこれまで熱心にやってこられたことは理解できる。市長もこれまで何回も県に働きかけてきたし、市長会でもとりあげてきた。今回の県の突然の対応には驚いているが、皆さん方の要望は市長にしっかり伝えて対応してまいりたい」と答えました。新年度の市の予算がどうなってくるか注目です。
 


2007年01月16日

難解なものが読めるようになってきた

 最初は昨日の続きです。介護関係の文書を読んでいたら、「入浴介護」という言葉が目にとまりました。これまで何度も出会った言葉のはずなのに、とても新鮮に受け止めました。「入浴は生活上、基本的な要求であります」と書いてある。さらに「訪問入浴」に関する部分を読み進むと、通常、看護職員1名、介護職員2名がついてサービスを行うとあります。洗髪、陰部などの部分浴を行った場合の所定単位数は100分の70となるとも。不思議なことに、これまで、難解すぎて途中で投げ出したくなった介護保険関係の文書が集中して読めるようになって来ました。父のおかげです。
 きょうは一日中、県議選の準備などで動きました。午前中は、予定候補の上野公悦さんと県選対部長の3人で来月上旬発行予定のチラシの内容について検討しました。頸城区以外の有権者は上野さんの生い立ちも、人柄も、議員としての能力もまったくと言ってよいほど知りません。そういう中で、どういうふうにしたら知ってもらえるか、何に焦点をしぼって訴えるかなど時間をかけて話し合いました。短い文章、一目でわかる写真、共産党嫌いの人も読んでみたくなる紙面構成にする。1週間くらいでつくりあげなければなりません。彼の最愛の人、法子さんにも登場してもらうことにしました。
 チラシの検討の中で政策課題についてもいつくか議論しました。一番議論になったのは県の幼児医療費助成制度に関してです。この制度は日本共産党や民主団体の働きかけや世論に押され、新年度から入院については小学校卒業までを対象とすることが、このほど決まりました。従来の制度から見れば貴重な前進ですが、保護者から強く求められている通院はこれまで通りです。県民の立場にたって、さらに拡充が求められていますが、それを「通院も小学校卒業まで」とするかどうかなど話し合いました。この議論は午後からの党議員団会議でもさらに進めました。


2007年01月15日

地域自治区発展めざす設計図

 どうなっているんでしょうか、この冬は。わが牛舎の周りの雪はどんどん減り、明日か明後日には消えてしまいます。同じ吉川区でも上川谷は107センチの積雪ですが、ここも昨年に比べれば極端に少ない積雪です。昨日のサイの神でも、「この分だと、夏は水不足か冷害だど」「こういう年はろくなことが起きない」など異常気象を心配する農家のみなさんの声が相次ぎました。
 さて、きょうから市議会の委員会活動が始まりました。私の所属する自治基本問題調査特別委員会の会合がトップです。きょうの会議では、10日に市長に提出された「上越市における都市内分権及び住民自治に関する調査研究報告書」の説明がありました。これは辻山幸宣地方自治総合研究所所長など5人の専門家が上越市の都市内分権のあり方について議論を深め、まとめたもの。大きく分けて、「住民自治の充実に向けた地域自治区の再設計」と「全市的な都市内分権の展開方策」の2つが書かれています。
 先週の金曜日にこの報告書を通読してみてまず思ったのは、「この報告書は単なる上越市の自治のあり方の文書ではない。全国の自治体関係者、研究者で議論されるにちがいない」ということでした。きょうの野澤企画・地域振興部長の説明を聞いて、その感を強くしました。準公選制と無報酬の地域協議会を評価し、総合事務所の役割や所長の権限等についても深められました。まだ、議論、検討をしていくべきことがいくつかありますが、今回の報告書は上越市の自治の仕組みを発展させる設計図として、しっかり学んでいきたいと思います。
 夕方、家に帰ったら、デイ・サービスから戻ってきた父がいました。そこでお風呂に入っていながら、家に帰っても入りたがる父。母が用意し風呂に入ることは入ったのですが、浴槽から上がることができず、スーツ姿のまま、父をひっぱりあげ、ベッドまで移動する手伝いをしました。長女が「じいちゃんがお風呂に入る時は2人の手助けがいるから注意してね」と言っていたことがよくわかりました。


2007年01月14日

巨大サイの神

 きょうは市内各地で小正月行事のサイの神が行われました。天気は曇り、山間部では小雪がちらつきました。まあ、サイの神をやるにはまずまずの天気でしょう。私は午前11時から川谷の冬祭りに招かれ、午後3時からは地元集落・代石でのサイの神に参加しました。いずれの会場でも酒を飲み、楽しいおしゃべりをいっぱいしてきました。
 川谷地区の冬祭りは昨年に続いて2度目の参加です。今回も法政大学環境ネット21や世田谷子ども会のみなさんが参加してくださいました。こうした人たちの応援に支えられているとはいえ、過疎が最もすすんでいる地域で、またしても巨大なサイの神が作られました。高さは15メートル近いのではないでしょうか。おそらく上越市内ではナンバーワンです。地域住民の1人が、「毎年やめようかという声が出るがど。でもやめられなくてね」と笑いました。やれば楽しく、元気が出る。すごいエネルギーです。
 冬祭りでは初めて餅の3人づきを体験しました。通常の杵と比べ細いものの、3人で順番に杵を振り落とすと、なかなかの重労働です。終わったら、すっかりへばってしまいました。サイの神に点火してからは雪上ゲームです。これもおもしろかった。景品名が書かれた紙の入ったダンボール箱を持って走り回る松浦隆司さん。誰よりも早く、そのダンボールのそばに行って、いい景品を取ろうとする参加者。松浦さんもダンボールも押し倒されての大騒ぎでした。2つのチームに分かれてやった雪の塔づくり競争も盛り上がりました。高さを競うのですが、1つのチームの塔が途中でこわされたとかで駐在さんの審判をあおぐことになりました。「いいか、駐在さんのいうことを聞け」と誰かが叫び、その後の審判は警官らしからぬ意外な結果が出て、また大笑い。
 雪祭りの途中で代石へ。ここでもお酒をいただきましたがもう限界でした。公民館へ入って反省会をやるころにはこっくりをしてしまいました。川谷で一緒だった木浦市長は冬祭りでがっちり飲み、その後、道之下、三カ字へも行かれたとか。酒豪といってもいいほどの飲みっぷりには驚きました。


2007年01月13日

歩いた 笑った

 朝になって一番の関心事は父が歩けるようになるかどうかでした。昨日の様子では、簡単にはいかないと思っていたのですが、母に手伝ってもらってトイレまで何とか歩いたと聞いて安心しました。ぐっすりと休んだのが何よりの薬になったようです。そして、父のベッドの所へ行って、「どうだね、調子は?」と声をかけたら、「なんだ、とうちゃんか」と言って笑顔を見せてくれました。
 赤ちゃんが生まれてから、家族は、笑ったとか、はったとか、歩き始めたなどと言っては喜びます。それと同じようなことが要介護の人間をかかえた家庭では話題になるんですね。私の祖母は生まれる前に亡くなっていますし、祖父は病気を出してから1週間で亡くなりましたので、いま、父の介護を通じて見聞きすることは初めてのことだらけです。
 昨日ときょうは新年になって最初の「しんぶん赤旗」日曜版の配達です。役所を除いて、すべて新年の挨拶をしながらの配達となり、結構時間がかかりました。でも、雪が少ないだけ助かります。それに、「ビラで読んだ時とはちがった味があるね」「息子がこたつで1人笑いをしているので何をしているのかと思ったら、おまさんの本を読んでいたがど」など、『春よ来い』のことを語ってくれる人も何人もいて、いい気分で仕事ができました。
 新刊『春よ来い』は先月20日に出たのですが、HPで紹介してくださる方が相次ぎ、とても助かっています。最初は先月21日の上野公悦市議団事務局長の日記、つづいて今月の8日には法政大学の五十嵐仁教授が「転成仁語」でたっぷりと紹介してくださいました。また昨日は、長野県松川村の前村議、井川のぶ子さんの日記でも読後の感想を書いてくださいました。こうしたいろいろな人たちの応援のおかげで、上越タイムス紙での今週の本のランキングでは6位に浮上しました。感謝です。


2007年01月12日

父帰る

 今年初の市政レポートづくりをしました。当初、年末に実施していた市長への予算要求と昨日の新潟日報のトップに掲載された幼児の入院時の医療費助成に関することを書くつもりでしたが、予算要求に関する記事のボリュームがあって、それ一本のレポートにしました。40回近い「橋爪法一を囲む会」で出された要望をどう市政につなげたかをはっきりさせるためにも、中途半端な報道をしたくなかったからです。
 午後からは、ショートスティに入っている父を迎えに長女とともに行ってきました。父にとっては、二泊三日のショートスティでした。父は長女の顔を見たとたんに涙ぐみ、「じいちゃん、泣なかんでよ」と言われていました。車に乗っていても、まだ、旅行へ行くのかと思っているらしく、「どこへ連れて行ってくれるのか」という言葉を連発しました。家についてからがたいへんでした。車から降りても歩けないのです。母と長女と私の3人でやっとベッドまで連れて行きました。慣れない所へ行ったことが強いストレスになったのか、ベッドに入るなり、すぐに眠りました。
 午後3時頃、上野公悦さんから携帯電話がありました。一緒に動いてほしいという要請でした。じつは、きょうは上野さんと行動する計画を数日前にたてていたのですが、父の入退所のことで頭が一杯になっていて、失念してしまいました。介護というのは、こうした計画を忘れさせてしまうほど、いろんなことが次々と起こることを知りました。


2007年01月11日

ビラづくりの妙

 定期的に発行しているビラに限っての話かもしれませんが、新年になって最初のビラ作りの「乗りの悪さ」というのがあります。いいものを作ろうという意欲を持って新年号を作って、しばらくビラづくりを休み、その後の最初のビラづくりです。どういうわけか、毎年、悪戦苦闘してしまいます。証券会社だかどこだかのように、気合を入れる儀式をやったほうがいいのかも知れません。来年からは議員団全員で集まって、「いよー、パンパンパン、パンパンパン」とやろうかな。きょうは早朝から議員団ニュースを作成し、ついで市政レポート作りの準備に入りました。
 午前中はまず父が入所している施設を訪ねてきました。昨日の夕方、訪ねた時の父の様子で気になったのは、私と会った時のいつもの笑顔が消えていたことでした。家族の姿が自分の周りから消えてショックを受けたのではないか、そう直感し、適度に顔を見せておかないとたいへんなことになると思ったからです。訪ねた時はちょうどお茶の時間でした。父のそばに座り、目やにをとったり、耳の掃除をしてきました。数十年前、わが家のあった蛍場から「上」(かみ)という屋号の家が高田に出ました。父は入所している施設をこの家と勘違いしたらしく、「上の家もりっぱにしなったもんだ。廊下が広い。金もかかっただろう」などと言っていました。
 午後は県議選政策宣伝担当者会議でした。党の県選対部長からきてもらって、全戸ビラの内容をどうするか、横顔リーフレットをどうするかなどについて話し合いました。私が当初つくったA4サイズ裏表の横顔ビラはレイアウトを一部変更し、そのまま使うことにしました。上野公悦さんのこれまでの歩みなどを詳しく紹介するリーフレットは近日中に県選対部長からもう一度きてもらって、がっちり取材して書くことになりました。長岡市選挙区の県議選出馬予定の竹島良子さんのリーフレットを読ませてもらいましたが、彼女の人間性がくっきりと浮かび上がり、とても分かりやすいものでした。人には必ず歴史があって、その人がどんな人かわかるエピソードもある。それをつかめば、横顔ビラもリーフもうまくいくものだといいます。竹島さんに負けないものをつくりたいと思います。


2007年01月10日

初めてのショートスティ

 きょうは父が初めてショートスティ(短期入所事業)に行く日でした。数日前から教えておいたのですが、本人はすっかり旅行に行くものと思い込み、小遣いは持っていかんでいいがか、などとそわそわしていました。母によると、昨晩は1時間に1回起きてトイレに行くほど興奮していたようです。一方、家族は気を使いました。今回の入所次第では二度と行かないと言う可能性があるからです。間違っても、家族に見放された、おいていかれたと思われないようにしたい、というのが家族の気持ちでした。最初は、長女が車に乗せていき、午後から私が入所した父を訪ねる計画でしたが、最終的には、長女の運転する車に私と母も乗り込み、送り届けることになりました。
 家から約30分のところにある施設です。着いた時に待っていてくれたのは、介護担当のHさん、とてもやさしい感じの女性でした。入所の手続き、薬剤師さんとの打ち合わせを済ませたのち、Hさんは入所されているみなさんに父を紹介してくださり、その後、5分くらいで父と離れてきました。車イスに乗ってテレビの前のテーブルのそばに陣取った父は無言でした。どうも何か違うようだと思い始めていたのでしょう。帰りの車の中では、長女も母も、「思ったよりも明るくて良かった」、「病院に入れようとした時のように、入ったら認知症がすすんで悪くなるかもしれないという思いはない」などと言って喜んでいました。
 その後、友人とともに新潟市に飛びました。癌と闘っている学生時代の友人を見舞うためです。カナダ在住の同級生からメールをもらい、彼に会って励ましてほしいとの要請があったのが直接のきっかけですが、県議選で動きが取れなくならない内に訪ねたいとは思っていました。闘病中のKさんと県立がんセンター近くのレストランに入り、昔話を楽しみ、県庁などで活躍している同級生の動向などを語り合いました。わが家へ泊まりに来て山芋を掘ったこと、牛乳入りラーメンを食べたこと、日和山海岸で拾った空瓶をお金にかえてパンを買った話はいつまでも忘れないと思います。Kさんは、来月から東京で新たな治療に取り組む予定です。彼は、それまでもってくれればいいが、と言っていました。いまは作り笑いであっても笑うことが大切だとも言い、がんばっているので、綾小路きみまろの爆笑トークCDと私の新刊をプレゼントしてきました。
 新潟から戻って父のところへ向かいました。施設の事務所に顔を出したら、Hさんが、「帰りたがられて……」。テレビで相撲を観ていた父のそばに行くと、目を赤くしていました。おそらく、さみしくて涙がでたのでしょう。若い男性職員のなかに次男と同年代の人が何人かいたのですが、次男と違うことを知って、なおさらがっかりしたようでした。今回のショートスティは3日間です。あと2日間でどうなるか心配になりました。明日も父のところへ行ってこようと思います。


2007年01月09日

市出資企業の違法献金続く

 先月、上越市が出資している2つの企業が自民党上越支部に献金していたことが判明して大きな問題になりましたが、市の調査の中で安塚のキューピットバレー(市が98%出資している会社)も2万円献金していたことがこのほど判明しました。きょうの市議会各派代表者会議でこのことがとり上げられ、日本共産党議員団と市民クラブが早急に議会に対して説明するよう市当局に求めるべきだと主張しました。しかし、現段階ではまだ必要なしという会派がほとんどで実現しませんでした。この調子でいくと、情報をつかんだマスコミには説明して、議会は後回しということが続くかもしれません。こんなことでいいんでしょうかね、議会というのは。
 きょうは市役所の木田事務所で仕事をした後、27日の出版記念会の案内状配布と新年の挨拶回りを兼ねて役所などを訪ねました。このうち新潟県上越地域振興局では、幹部のMさんと30分ほど情報交換してきました。Mさんは『幸せめっけた』を読んで長い感想文を寄せてくださった方で、新著が出て記念会を開く時は必ず声をかけてくれと言っておられた方です。きょう、びっくりしたのは故人である古厩忠夫新大教授とMさんは、Mさんが40代の頃、付き合いがあって、いろいろ面倒を見てもらったという話を聞いたことでした。古厩先生は私たち夫婦の仲人をやってくださった方ですよ、と言ったら、話がはずんで、つい長居をしてしまいました。
 夕方からは常任選対会議でした。宣伝物の中身の検討、組織戦の戦略などについて約2時間、話し合いました。私の担当する実務的な仕事がたくさん出てきました。


2007年01月08日

ふきのとうの天ぷら

 きょうも強風が続きました。朝9時からの直江津の38市(さんぱちいち・3のつく日と8につく日に開催される市)での宣伝行動に初めて参加しましたが、テントは3つほどしか張られていませんでした。強風で店を出せなかったのです。それでも上野公悦さんが演説を始めると、路上で演説を聴く姿がいくつもありました。税制改悪による大増税については関心が高く、この話になった時の聴衆の表情の変化がわかります。
 直江津の38市は私が20代の頃、勤務先がそばだったこともあって、何回か買物をした記憶があります。きょうはみんなが宣伝カーの乗員向けの弁当を買いました。樋口議員の知り合いの人がつくったサザエ入りの弁当です。うまかったねぇ、これがまた。それと、私の大好きなふきのとうがもう出ていました。暖冬だったので、あちこちに出ているという話は聞いていましたが、見たのは初めてです。1袋300円のものを買い求めました。これは夕飯の時に天ぷらにしていただきました。
 街頭宣伝は直江津の市が終わってから浜通りを大潟区まで進み、吉川区へ入り、昼食後は中郷区、板倉区、牧区などで行いました。牧区では元村議の渡辺靖子さんの家に寄り、お茶をご馳走になりました。たくわんと野沢菜漬がとてもおいしかったです。暖かいお茶と漬物のおかげで疲れの出ていたアナウンサーの声もよみがえり、夕方まで元気な声を響かせることができました。


2007年01月07日

強風

 天気予報どおりの強風でした。午前9時半から初めて消防出初式に参加しました。この時は建物の中でしたので、どうってことはありませんでしたが、帰りには風に軽トラが揺られました。午後からは親戚の挨拶回りです。県議選対策でいつもより遅い挨拶をわびながらまわりました。
 夕方、吉川区総合事務所に寄って、強風による被害状況を確認してきました。住宅はやられていませんでしたが、旭地区で作業所、倉庫など3棟の屋根が被害にあっていました。明日、確認してこようと思います。佐々木総務グループ長の「被害にあったところはいずれも風の通り道だ」という言葉を聞いて気になったのはわが牛舎でした。ここも風の通り道だからです。帰ってみると、牛舎の堆肥舎だった建物のトタン屋根が2枚まくられ、飛ばされそうになっています。急いで釘を打ってとめました。いやー、危なかった。


2007年01月06日

武士の一分

 昨晩、妻に映画に行こうと誘われました。それどころじゃないよ、と最初断わったら、「冷たいのね」という言葉が返ってきました。でも、考えてみれば、正月休みもなし、家庭サービスゼロです。それに映画はぜひ観たいと思っていた藤沢周平原作・山田洋次監督の『武士の一分』でした。考え直して、「分かった、行こう」と最終的には誘いに乗ることにしました。
 でも妻の言うことをきいてよかった。まず三村新之丞役、主演の木村拓哉の演技が見事でした。目が見えなくなってから、庭に出て木刀を振るシーン。観ているだけでも怖くなる迫力に圧倒されました。決闘シーンもすごかった。歌手としてだけではなく、俳優としても見事な集中力、ひきつけられましたね。加世役の壇れいは初めて見ましたが、山本周五郎の小説に出てくる誰か(名前は思い出せず)に似てましたね。徳平役の笹野高史もぴったりでした。この人は私とほぼ同年代ですが、これから年寄り役でどんな演技をみせてくれるか楽しみです。
 映画では「武士の一分」ということよりも男の一分、夫婦の絆のことを考えさせられました。坂東三津五郎演じる番頭の島田の罠にはまった加世を離縁するシーンに代表される男としてのやりきれなさ、切なさの連続、よく伝わってきました。そして何よりも最後の場面が感動でした。決闘が終わって、「飯炊き女」として徳平が連れて来た女がつくったご飯、芋がらの煮物を食べ、その味で加世だと分かり、加世の手を握る新之丞、もう涙がぼろぼろと出てしまいました。私もいつかこんな歴史小説を書いてみたい。


2007年01月05日

集団の知恵

 正月も5日、これほどいい天気になるとは。雪がなくて、青い空が広がっているなんて最高です。米山も尾神岳も美しく輝いていました。もちろん写真も撮りましたよ。このページの写真をごらんください。きょうは午前中、家で様々な用事を足しました。牛舎の漏電防止電気工事の手配、27日に吉川区坪野のスカイトピア遊ランドで行う『春よ来い』出版記念会の案内状の送付先の整理、本の発送などです。
 午後からは市役所で1時間ほど仕事をしたのち、家に戻り、パソコンにむかいました。3日に作成した上野公悦県議候補の横顔について党県委員会の選対部に意見を求めたところ、レイアウトなどでいくつかの注文が出されました。ビラに書いた原稿についても「証明ナシで決め付けた言い方をしないこと」などのアドバイスもありました。最終的には地区内の選対会議で決まりますが、集団の知恵が生かされたビラになりそうです。


2007年01月04日

新年祝賀会

 きょうは役所の仕事始めです。吉川区総合事務所で新年の挨拶まわりをした後、上越市の新年祝賀会に参加しました。会場のリージョンプラザに着いたら、いきなり長井議員に、「どうしたね、元気ない顔して」と言われました。昨晩、ヒゲをそって、朝はそらなかったことも影響したのでしょうが、どうも、ここ数日の疲れが顔に出てしまったようです。でもこの一言で顔はしゃんとしました。議員仲間や行政の幹部、吉川区の参加者などと元気に挨拶を交わしました。
 祝賀会では高校時代の友人やお世話になった学校の先生などと久しぶりに話ができました。うれしかったのは、こうした人たちの中に何人も私の新刊を読んでくれた人がいたことです。「いつ文章を書いているんだい」「感動したよ」などと声をかけてもらいました。中には気の早い人もいて、次の本はいつ出すんだい、と聞いてくる人もありました。
 午後からは市役所木田事務所での挨拶回りを上野公悦事務局長とも一緒に議員団全員でやりました。それが終わってすぐに、地元商工会の新年会に参加しました。きびしい経営を強いられながらも、今回は昨年より10人ほど参加者が多くなりました。会長からは、「地元選出の橋爪議員からはもっと経済情報を出してほしい」と注文をされました。ありがたいことです。近くに住んでいながら、普段会って話ができない人も多く、宴会は2次会までお付き合いさせてもらいました。若い会員さんたちとは、昨年の「やったれ祭り」などの経験をふまえて、参加型のまちづくりをどうするかなど大いに議論しました。


2007年01月03日

横顔作成

 せめて横顔ビラくらいないと…。上野公悦を応援する方がたのそんな声を聞いて、午前中はビラづくりに専念しました。とりあえずは、白黒印刷できるタイプのものを作成、印刷屋さんへまわすカラー版はこれからとなります。表面は上野さんの笑顔を大きく載せました。普段どおりのいい笑顔です。裏面には政策と杉みき子さん、長崎明元新大学長の応援メッセージなどを掲載しました。白黒印刷でも、結構よくなりました。これから1日寝かせて、再点検したうえで印刷屋さんから印刷してもらいます。カラー印刷すれば、ぐんとよくなることでしょう。
 午後から、党事務所に白黒印刷したビラを届けました。また、『春よ来い』を注文していただいた方がたのところへ本を届けにまわりました。サインをしてほしいという人が何人もいて、けっこう時間がかかりました。
 夕方、上川谷へ市政レポート新年号を届けに行きました。12月上旬には、8軒14人が住んでいたのですが、そのうち1軒は春まで東京暮らしです。あとは全部在宅かと思ったら、MさんもSさんも東京とか。Mさん宅では玄関に羽目板がしてありました。ふたりとも、私が声をかけると、いつも、「何だ、おまさんかね。お茶飲んでいきない」という言葉が返ってきます。きょうはとても、さみしく感じました。ふたりは小正月には帰ってくるそうです。早く会いたいものです。
 「春よ来い」第73回「晴れ姿」を掲載しました。ご笑覧ください。


2007年01月02日

勝利へのイメージが膨らみ始めてきた

 2日は党市議団の新春街頭宣伝です。新春だの、終戦記念とかいった時にやる街頭宣伝で、お決まりのコースになりつつあるのが、大島区あさひ荘での昼食、昼寝です。頸城区からスタートした宣伝活動では、板倉、清里、牧、安塚の各区で上野公悦事務局長がマイクを握りました。そして12時半にはあさひ荘に到着、釜飯を食べたのち、風呂に入って昼寝です。わずか1時間半ほどの休憩ですが、ここでゆっくり風呂につかり、体が暖まったところで横になる。みんな、これを楽しみにしています。リフレッシュしたところで、午後2時から吉川区、浦川原区、合併前上越市で宣伝活動を繰り広げました。浦川原区や直江津での街頭演説では、支持者の方が駆けつけ、激励してくださいました。私は昨日、きょうと運転手です。2日間も続けたら、市議会議員よりも宣伝カーの運転手の方が似合う感じになってきました。
 夜は今年最初の県議選選対会議でした。作戦計画、体制の確認などを2時間かけてやりました。頸城区以外では候補者の名前も顔もほとんど知られていないなかで、どうやって勝利していくか。宣伝、組織活動の計画をしっかり立てていかないといけません。明日以降のスケジュールも次々と決まりました。私の担当は政策づくり、宣伝です。ここ数日中にやるべき仕事をいくつももらいました。明日は宣伝カーには乗らず、パソコンとにらめっこすることになります。ここ数日間、上野公悦さんと一緒に行動する中で、勝利へのイメージが膨らみつつあります。これが膨らみきって、行動が伴えば勝てる。気合が入ってきました。


2007年01月01日

元日から街宣

 昨晩から冷え込み、霜が降りました。でも、きょうの朝はすばらしい日の出となりましたね。ゆっくり太陽が昇り、尾神岳の周りがが赤くなりました。日中も、これまた元日にふさわしい好天でした。地元集落の年始会は朝9時から。ほとんどの家から参加がありましたが、話題の中心は天気でした。「こんないい正月はない」昨年の大雪の記憶がまだ鮮明だから、そういう気持ちになるのでしょう。
 毎年、元日は地元集落の年始会で酒を飲み、それから寺年始にでかけ、年賀状を書くのが固定したパターンになっておりましたが、今年は酒を飲みませんでした。「どうして飲まんがだね」と聞かれたので、きょうは上野公悦さんと街宣だ、しかも運転手だと答えましたら、「がんばってくんない」と激励されました。午前から夕方5時まで、上野公悦さんや阿部地区委員長などと一緒に頸城、大潟、柿崎、吉川の各区を回りました。
 新聞の1面を見たら、「首相、今年こそ改憲決意」との見出しがすぐ目に入りました。どこかのおえらい政治家のぼっちゃんといった感じで付き合っていると、とんでもない方向へ日本を持っていく首相です。きょうの新聞記事を見て、やはり、安倍首相は戦犯総理の孫だと再認識しました。教育基本法改悪関連の法律改悪、憲法改悪と進めないようにするためにも4月の一斉地方選、7月の参院選、日本共産党の躍進が必要です。今年も頑張ります。よろしくお願いします。


2007年01月投稿分

2007年01月に投稿された全てです。

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