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2006年03月投稿分

2006年03月31日

巣立ちの日

 わが家にもとうとうやってきました。子どもが家から離れて暮らす日が来たのです。これまで3人の子どもは全員、親のそばにいました。21日に大学を卒業した次男が新潟市内の会社に就職することになったので、明日からいなくなります。母は赤飯を炊き、妻は手づくりのケーキをつくって次男の巣立ちを祝いました。次男は夜遅くまで、衣類などの整理に追われていました。
 市議会活性化委員会というのがあります。本会議や委員会などの運営改善について、これまで4回協議してきました。合併前からの検討事項では、一般質問のやり方について全会派の合意ができ、1回目の発言の時は登壇し、2回目以降は質問席で市長などと対面式でやることになりました。きょうは合併後1年を経過する中で、各会派が何をどう改善すべきだと考えているかを出し合いました。総括質疑に時間制限を設ける、一般質問は30分の質問時間を20分までにするなど、議会活性化とはかけ離れた提案もあり、びっくりでした。
 今朝も荒れました。この時期としてはめずらしく、県道ではブルが出動しました。10センチ前後の降雪があったということでしょう。スノータイヤを普通タイヤに履き替えた人が多いのか、車のスピードはゆっくりでしたね。上川谷では積雪がまた増え、2メートル60センチを超えました。


2006年03月30日

無題

 きょうも市役所で原稿書きでした。市政レポート(吉川版)では裏面に随想、「春よ来い」を連載していましたので、議会が終わったことだし、今度こそはと思いましたが、ダメでした。書くテーマはいくつかあります。ただ、文章が書けないのです。どういうわけか。ま、待っていてくださる方には、もう少し我慢していただくしかありません。気分がのってくれば、続けて書けるようになるはずです。
 随想は書けませんでしたが、その代わり、『議会と自治体』誌編集部から依頼されている原稿の内容のイメージを膨らませることができました。21年間書き続けてきた市政レポートのこと、私の一般質問などについて、どんなことを心がけてやってきたか、来週火曜日までには書き上げられるものと思います。
 わが家の仔牛は、すぐそばにいた仲間がいなくなったので、さみしいのか、親牛のところにいるようになりました。エサも親牛のものを食べてばかりいます。この調子で食べていると、仔牛専用の配合飼料をあまり食べず、あまり肉のつかない牛として市場へいくことになりかねません。議会も終わったことだし、一日くらい、牛舎に入って仕事をしないといけないと思うのですが、来週後半までやることだらけ、こまったもんです。
 昨日、きょうの寒波で、山間部はまた雪になっています。吉川区上川谷へ電話をしたら、「またカンジキで道つけしてもらった」という声が返ってきました。「(一般質問の模様を伝える)テレビ観たでね。おらたりのこと言ってくれてありがとね」とも。山間部は、思ったよりも雪消えが遅れるかもしれません。きょうは、市役所で、春先除雪に関するデータ集めもしました。


2006年03月29日

議員団会議などで一日中市役所に

 風が吹き、雪が舞う。朝からまた冬型の天気になりました。夕方には路面にシャーベット状の雪が積もり、とてもすべりやすい状態となったので、久しぶりにスリップを警戒しながら運転しました。頸城区ではトラックが一台、田んぼに落ちていました。予報では明日にかけて、まだ荒れるとか。きょう、明日の天気が桜の開花をちょっと遅らせるかもしれません。
 きょうは議員団会議でした。議会活性化委員会に向けた検討では、常任委員会、委員協議会のあり方などで意見交換をしました。また、党県委員会が来月4日に豪雪対策で政府交渉を行うことから、その要請文の内容の検討、学習をしました。内容面では、雪に弱いJR信越線の問題、農地・農業用施設の春先除雪への支援を盛り込むよう、県委員会に働きかけることになりました。政府交渉には市議団を代表して、私が参加することに決まりました。
 午後からは、にいがた自治体研究所の福島事務局長さんが市役所にこられ、地域協議会の現状とこれからの活動について調査をされました。企画振興課及び地域振興課から説明してもらいましたが、新年度の取り組みについての思いを詳しく知ることができてとても勉強になりました。
 合併後、地域協議会を設けた自治体は全国でも60くらいです。どういう仕組みにしていったらいいか、みんな、手探り状態で、上越市の実践には多くの自治体関係者が関心を持っています。こういう中で、自治体問題研究所が今年の9月に上越市内で研究会を開催することになりました。詳しい日程が決まり次第、お知らせしますので、ぜひご参加を。
 市役所に通い始めてから1年1ヶ月。常任委員会などで会う職員の顔をだいぶ覚えましたが、異動シーズンになって職員情報をいろいろ聞く中でびっくりすることもあります。きょうのお昼に食堂で会った、ある課長さんは、私の元職場の友人と同級生です。10年ほど前、友人の結婚式で見事な踊りを見せてもらい、その後は会うことがありませんでしたが、昨年再会しました。まだ私よりも若いので、これから長い付き合いができると思っていたら、今月一杯で職員を辞めるということでした。この話を同僚議員に話をすると、彼のお連れ合いも市役所の課長さんだといいます。そういわれれば同じ苗字です。まさか、私が何回も質問した女性がその人だとは……。


2006年03月28日

予算議会最終日

 やっとと言ったらいいのか、もうと言ったらいいのか。1ヶ月に及んだ予算議会が終わりました。
 きょうは本会議でした。付託されていた案件の審議結果を各常任委員会委員長が報告し、その後、討論、採決が行われました。党市議団では議案関係で樋口議員が登壇し、反対討論をしました。樋口議員の討論内容は、昨日、3人で検討整理したものです。彼女のはっきりとしていて、通る声が議場にひびきましたが、野次一つ飛ばない力強さがありました。
 昨日の討論準備で悩んだことの1つは、一般質問の段階で明らかになった災害救助法・県条例の適用問題での大きな前進をどう評価するかでした。また、品目横断的経営安定対策への対応では、私の一般質問で、支援対象要件に満たない農業者への支援を市長が認めてくれたことによって、農業関係での反対理由は消滅しました。委員会審議ではまだ見えていなかったことがはっきりする、委員会での課長答弁より前進した姿勢が市長答弁に見えた、こうしたことは初めてでした。他市での経験にも学びながら、市民の皆さんから、さすがは共産党だ、と言われるような賛否、討論をめざしたい。
 きょうの本会議を最後に2人の部長が市役所を去ることになりました。総務省から来ていた高橋財務部長と新潟県から来ていた白石都市整備部長です。どちらも元の職場に戻られます。高橋さんとは合併協議会以来の付き合いです。話の展開が理論的ですごい人でした。白石さんには、災害でとてもお世話になりました。親しみやすい人柄と現場重視の姿勢は職員の模範です。お2人とはがっちり握手をして別れてきました。ご苦労さまでした。
 議会が終わるとすぐ行きたくなるのは本屋です。きょうは岩波新書の新刊『思春期の危機をどう見るか』(尾木直樹著)を購入してきました。もう1冊、ちくま文庫の芥川龍之介の短編集をほしかったのですが、こちらは見つかりませんでした。今週からは、原稿書きの合間に、読みたい本を読む、こういう生活ができます。ああ、うれしい。


2006年03月27日

今定例会もあと1日

 予算議会は明日で終わります。きょうは厚生常任委員会及び総務常任委員会があり、介護保険関係などの追加議案の審査が行われました。2月28日からはじまった今定例会は1ヶ月という長期戦でしたが、ここまでくるとやはり疲れます。総務常任委員会終了後、委員協議会が開かれましたが、論客ぞろいのこの委員会にしては質問が少なかったように感じました。明日は委員長報告、討論、採決などがあります。午後から、党議員団で討論内容の検討を行いました。終わったのは午後5時過ぎでした。
 夕方、農協の営農担当者(畜産係)に電話を入れました。仔牛の市場での結果がどうなったかを確認するためです。「うーん、あまりうまくいきませんでした」担当者は、申し訳なさそうでした。価格は予想を10万円ほど下回りました。月数が経っている割には肉のつき具合が悪かった。簡単に言えば、こういうことです。出した仔牛は、牛舎内で放し飼いにしている、もう1頭の仔牛と一緒にエサを食べていたのですが、こちらの方が太りがよかったので、その分、エサが足りなかったのでしょう。
 牛舎内にいる牛は親牛2頭と仔牛1頭。仔牛は仲間の牛がいなくなったことで、親牛の所へ行ってエサを食べるようになりました。やはり、さみしいのだと思います。仔牛配合も少し残していました。いま残っている仔牛は、出荷まであと6ヶ月は飼う必要があります。その前に妊娠している親牛を売ろうと思っていますが、きょうの仔牛の状態を見たら、一緒に売らないとエサを食わなくなるのでは、と心配になりました。


2006年03月26日

仔牛1頭出荷

 数日前、農協の営農担当者から連絡があり、「昨年生まれた仔牛、そろそろ市へ出した方がいいですよ」と言われました。議会で牛のことはエサをくれる、糞を出すくらいしか考えていなかったので、いつ出すかについては全く頭の中にありませんでした。この仔牛は昨年5月生まれ、この「見てある記」でも何度か紹介した牛です。生まれても母牛からおっぱいを飲ませてもらえず、父が初乳で作ったヨーグルト、粉ミルクで育てました。何とか生き続けてくれ、ホッとしているところへ今度は水害、牛舎から避難させる事態になりました。その牛が10ヵ月になったのです。肉付きはいまいちですが、明日の市でいくらになるか、気になるところです。
 この牛を育てたのは父ですので、出荷する前に父に一声かけました。「仔牛、きょう出すよ。見ないでいいかね」そう言ったら、「おお、いい」。もっと切ながると思っていましたが、あっさりと了解してくれました。父の頭にあるのは、この冬、牛舎で転倒した時に、この牛にのぼられて痛い目にあったことらしいのです。「もうひとつ(仔牛)は人なつこいでもな。出すのはでっけ方だろ?」この言葉で父の思いはだいたい分かりました。きょう、家畜商が大きい方の仔牛をもっていたことで、わが家の牛の頭数は3頭になりました。残りの牛も徐々に出し、数ヵ月後には完全に牛飼いをやめる予定です。
 さて、きょうは午前に近くの山でユキワリソウを見に行きました。落ち葉の下からスッと茎が出て、ピンク、シロ、紫の3色の花を咲かせていました。この花は毎年、数回は見に行きますが、最初に訪ねた時は、咲いているかどうかドキドキします。そして花と再会できた時の喜び、最高です。午後からは「くびき野地域問題研究会」主催の講演会でした。講演は、元高田高校教諭の高野武男さんによる「高田平野における活断層」、ながおか自治体研究所理事長・元県庁林政課課長・関裕吉さんによる「中越大地震から何を学ぶか」の2本。災害にたいする関心は高く、きょうも50人を超える人たちが集まっていました。


2006年03月25日

3.25県民大集会

 朝、「しんぶん赤旗」日曜版を配達していた時、「キクザキイチゲが咲いてますよ」と教えていただきました。紫色の花をつけたこの花、私の住んでいる集落では、公民館の周辺で群生しています。太陽の光を浴びると花を開き、曇ったり、雨が降るとしぼみます。野の花が大好きな私は、この花の開花を合図に、毎年、野の花へ目を向けてきました。きょうは、夕方にはオウレンの花とも出会いました。いよいよ春、これから私の活動は野山にも広がっていきます。
 きょうの新聞配達では、昨日の一般質問の様子をテレビで見たという数人の人たちから声をかけてもらいました。そのうちのひとりは、数年前亡くなった、おばあさんの遺影をテレビの前に持っていき、「おばあさん、ほら、橋爪さん出るよ」とやってくださったとか。私の活動を長年見守っていてくださった人に対してこれほどのことをしてもらえるのは、議員として最高にうれしいことです。
 きょうは3.25県民集会でした。「輝け憲法9条 人間らしい暮らしを! 地域のたて直しを!」をテーマにして、新潟市体育館などで文化行事や講演、デモ行進などが行われました。松平晃さんのトランペット演奏と「青い空」などの大合唱を聴き、そのあとは小森陽一さんの憲法問題講演、とても理論的でかつ元気の良いお話でした。特に、日本国憲法と国際連合憲章を対比させて憲法9条の持つ素晴らしさを浮き彫りにされた点では、改めて日本国憲法の素晴らしさを確認することができました。また、自民党憲法草案に切り込む視点も内容も良かった。東大の教授をされている人ですが、国会議員として予算委員会に立てば、与党陣営にとっては恐るべき論客になる人だ、そう思いました。
 集会では新潟市内あるいはその周辺の仲間や友人と会えるのを楽しみにしていました。探したひとりは元新大教授・古厩忠夫さん(故人)のお連れ合いでした。でも、残念ながら、会場内あちこち見渡しても見つかりませんでした。やはり2500人も集まるイベントでは人探しは難しいですね。夜、久しぶりに電話をかけたら、壇上で歌を歌っていたというのです。どうりでわからないはずです。その代わり、会場では思いがけない人と会いました。20数年前、新潟県酪農民協議会の活動で仲間だった旧水原町(現在は阿賀野市)の酪農家のOさんです。「あっ、橋爪さん」そう言って声をかけ、すぐ私の手をしっかり握ってくださいました。おそらく20年は会っていなかったでしょう、とてもなつかしい再会でした。


2006年03月24日

ケーブルテレビではパネルの写真も見えた

 一般質問4日目。きょうは私の出番です。質問の原稿は今回も準備せず、アウトラインのみ書いて質問に臨みました。言わなければならないことはしっかり言って、あとはふだんの言葉でわかりやすく、を心がけました。質問テーマは、限界集落対策、冬期保安要員制度の存続と充実、肺炎球菌ワクチン接種への公費助成、品目横断的経営安定対策への対応等でした。限界集落については初めて聞く人が多かったようで、関心を持って聞いてもらえたのがよくわかりました。冬期保安要員制度は思い通りの回答をもらいました。不十分だったのは農業問題です。30分の持ち時間で質問項目を欲張りすぎたことから、詰める余裕がなくなってしまいました。ここらへんは今回の質問の反省点です。
 質問が終わってからは、誰でもそうだと思いますが、聞いていた人の評価が気になります。廊下ですれちがった議長からは、「いやー、勉強させてもらったよ」という言葉をもらいました。また、ある部長さんからは、「いい質問だったね、ああいうふうに数字を並べられると深刻さがよくわかる」と評価されました。うれしかったのは与党会派のある議員がわざわざ議員控え室まできてくれて、「橋爪さん、風邪ひいてる? 声がかすれていたので○○さんが心配していたよ」と声をかけてくれたことです。少々風邪気味だったことと力が入ったことで声がかすれたようです。
 きょうの質問は地元吉川区でもケーブルテレビで視聴できました。1月からケーブルテレビが入ったおかげです。吉川町議時代は有線放送で聞いてもらえましたが、今回からは画像で見てもらえることになりました。質問では尾神岳の写真を使ったのですが、この写真もよく見えたようです。尾神集落の人から、「林道(現在は市道)がよく見えたね。クズレ(地名)もわかった」などという言葉を聞いたのでびっくりしました。A3くらいのパネルでも、テレビではハッキリと見えることがわかったので、これから機会があれば、どんどん使っていきたいと思います。なお、6月議会からは一般質問がインターネット中継されます。全国どこにいようと、パソコンがあればごらんいただけることになりました。すごい時代です。


2006年03月23日

ウグイスが鳴いている

 朝、牛舎の仕事を終わって、着がえようとした時のことです。ウグイスの鳴き声がしました。まだだろうと思って耳を澄ましたら、もう一度、ホーホヘキョ、間違いありませんでした。今年初めて聞くウグイスの鳴き声です。小鳥たちの鳴き声は数日前から、寝室にも聞こえてきていましたが、ウグイスはまだ先のことだろうと思っていただけにうれしかったですね。
 きょうは一般質問3日目でした。質問にはなんと11人も立ちました。これで30人の質問が終わったことになります。明日は残りが5人、私は明日の4番目に登壇することになりますので、早ければ午後1時頃になるでしょう。
 きょうのトップで質問した小林克美議員は市の名称問題で熱の入った議論を展開しました。市政要覧には13区の区名と「合併前の上越市」が載っているが、自分の住んでいるはどこかと聞かれて、「合併前の上越市です」とは言えない。新幹線駅の仮称は上越駅だが、これは違和感と言うより嫌悪感を覚える。「上越」という名称をつけたブランドは無理だ。新市名を求める声は13区だけでなく、合併前の上越市選出の議員の中にも広がっています。もうそろそろ、新市の全市域の市民を対象にしたアンケート調査などをやって、市民の意思を確認すべきだと思います。
 党市議団の間で昨日の災害救助法・県条例適用問題のやりとりがきょうも話題になりました。「合併後の一定期間(10年間)、合併前の旧市町村の区域で発生した災害が基準を満たす場合は、合併後の市町村を対象に条例適用できるようにする」という内容は、今冬の活動の大きな成果です。ぜひ「しんぶん赤旗」日刊紙に通信を送ろうということになり、一般質問が終わっている杉本議員が原稿を書くことになりました。2、3日中には掲載されることでしょう。


2006年03月22日

一般質問2日目

 災害救助法・条例の適用についての私たちの主張が通りました。笹川議員の一般質問に答える中で、市長は、新潟県が災害救助条例の改正にむけて動いていることを明らかにしました。改正のポイントは、合併後の一定期間(10年間)、合併前の旧市町村の区域で発生した災害が基準を満たす場合は、合併後の市町村を対象に条例適用できるようにすることにあります。これは、今冬の豪雪対策の中で、私たちの市議団で申し入れた内容そのものです。この改正は災害救助法の適用にも連動しますが、市の救助条例も同じく改正するということでした。これで、災害救助法適用問題は一番困っている地域に光が当てられ、しかも合併後市町村の全域が助かることになります。ああ、よかった。
 きょうの一般質問には10人が登壇しました。それぞれ個性が感じられる質問でしたが、今回も長井節がさえました。戦中戦後のつらい時期を手を携えて生きてきた人たちへの感謝の気持ちを込め、柿崎区では「いきがいディサービス」に取り組んできました。ところが今回の介護保険見直しによって……。長井議員が坦々と読む原稿はヒューマニズムにあふれ、聞くものの心をしっかりとらえていました。話し上手というより、話のプロと言った方がいいのは佐藤議員です。上越市で開催される国際体操連盟創立125周年記念ガーラ(演技会)について、市の姿勢や取り組みを問いました。思い出話あり、笑いあり、そして荒川静香選手のイナバウアーまで登場させる質問は、この人ならではのものです。
 議員の中にも「しんぶん赤旗」を読んでいてくれる人が結構います。きょうの質問者の中には、「しんぶん赤旗」日曜版の記事を使って質問してくださる方がありました。どこかで読んだことがある情報だと思いながら聞いていたのですが、家に帰ってから、先々週の日曜版を開いて確認したら、間違いありませんでした。60~98年で中山間地の1713集落が消滅した。2000年の予測では、存続困難と見込まれる集落が2109に達している。じつは、私の一般質問でも旧国土庁のこの数値を使おうかなと思っていたところでした。他党派議員からこういう活用をしてもらえるのもうれしいことです。


2006年03月21日

卒業式と親鸞聖人フォーラムに参加

 祭日ですので、議会の方は休会日です。きょうは次男の大学の卒業式でした。妻とともに参加してきました。大学講堂での式は、粛々とすすめられ、気持ちの良いものでした。大勢の中からわが子をさがそうとするのは小学校の時も大学の時も同じです。遠くからは後姿しか見えませんでしたが、それでも自分の子どもを夫婦そろって確認しました。特別変わったかっこうをしているわけでもないのに、頭の形、肩の様子だけで確認できるのは、普段、一緒に生活しているからでしょうか。式典の最後は「蛍の光」の合唱でした。式典後の交流会にも少し参加させてもらい、お世話になった教授にお礼の挨拶をしてきました。
 交流会の途中で抜けさせてもらったのは、高田で予定されていた「親鸞聖人と上越」をテーマにした講演と市民フォーラムに参加するためです。基調講演は元上越教育大学学長の松野純孝さんが講師でした。80代後半とは思えない若々しい語りに感激しました。約800年前、上越の地に流された親鸞聖人がどんな人なのか、資料がほとんどない中で、きょうは泥臭いというか、人間の匂いのする親鸞像を聞きました。ほして、丸ノコを曲げてしまうくらいの「どんごろ」になれ、という「どんごろ」教育論、おもしろかったです。
 市民フォーラムは市内のパネラーによる「親鸞聖人遠流800年をきっかけとする観光推進に向けて」でした。高橋飴屋さんの淳子さん、真宗大谷派の北條さん、直江津駅長の古川さんなどが自分の職業、仕事を通して何をすべきかを語りました。駅長さんなどが、長野・善光寺のご開帳の時に628万人集まった、その時の関係者の取り組みがどうだったかを語られましたが、これは初めて聞く情報でした。また、「まちの中に住んでいる人がまずまちの中の良さを知ることが大事」という視点の大切さを2人の方が言っておられました。同感です。残念だったのは、合併してできた上越市の全市域で取り組むようにするためにはどうしたらいいのかという角度からの発言がほとんどないことでした。これは他人事ではなく、議会でも深めていかなければならない課題です。勉強しなければなりません。


2006年03月20日

一般質問1日目

 きょうから一般質問です。今定例会では35人が通告を出していますので、4日間の日程の中でやるには、1日あたり9人ずつ登壇しないと終わりません。というわけで、きょうは朝10時過ぎに1番手が登壇し、最後の9番目の人の質問が終わったのが夜の7時15分でした。これだけの人たちが登壇するとなると、聞いているだけでも結構疲れます。でも、一番疲れたのは答弁する機会の一番多かった市長でしょう。ハンカチで汗を拭き吹き、答弁していました。
 一般質問は通告をしてあれば何でも訊いて良い。身近なことから国政、国際問題までとりあげることができます。私個人では気の付かないことも次々と出てくるので、とても参考になります。例えば、永島議員が質問した今冬の雪対策。12月から2月までの間にどういう苦情がどれくらいあったかと質問しました。前年度の1.8倍の1841件の問い合わせや苦情があったそうです。一番多いのは除雪方法で車庫前に雪を置いていくななどの声が767件、早く除雪してくれなどで677件あったとのことでした。数字で注目したのは、この他に宮崎議員がとりあげた男女共同参画データもそう。女性町内会長は6人、女性PTA会長4人、この他、トップだけでなく副会長や役員に女性が進出しつつあることが分かりました。
 昨年の9月議会で高田の観桜会について執念を持った実態調査をやって質問した田村武男議員、今回も100万人観桜会めざして具体的な要求、提案で市長に迫りました。高田公園内の樹木管理とトイレの充実です。昨年、トラブルもあって長蛇の列ができたトイレ。田村質問で身障トイレ、仮設トイレ(駐車場にもできます)の増設方針などが明らかにされました。今年はずいぶん改善されることでしょう。安心してお出かけいただきたいと思います。
 執念を持った質問という点では、わが党の杉本議員も他議員に勝るとも劣らないものがあります。今回も大型店出店問題をとりあげました。前市長の時代から、この問題をすでに5回以上とりあげているそうですから、すごい。中小業者を泣かせるな、という思いから、今回は、国の都市計画法改正の動き、「福島県商業まちづくりの推進に関する条例」をからめながら、大型店の出店規制を求めました。市長は、独自条例制定による規制には消極的でしたが、国や県にたいして「今後も引き続き改善を求めていきたい」とのべていました。


2006年03月19日

焼もちと手づくり豆腐と

 朝9時過ぎに家を出て、午後3時頃まで市政レポート配布、過疎地の集落訪問などをしてきました。吉川区から大島区大平までは雨だったのですが、板山の不動尊あたりから路面が白くなっていました。上川谷では3センチほどの新雪が積もっていました。この雪を見て、ある農家では、春先の田んぼまでの除雪が早くできるかどうか心配だという声を聞きました。今の時期の降雪は、農家の心に重くのしかかるようです。
 上川谷は新年になって8回目の訪問です。何軒かで話し込みました。ある家では、今冬の豪雪では冬期保安要員ががんばってくれて助かった、県道の除雪も休みなしにやってもらえたことがうれしかったと話してくださいました。本当によく頑張ったと思います。先週の日曜日の報尽碑訪問でご一緒したSさんが同地の出身だったこともあって、明治16年の尾神岳での遭難の話から昭和30年代の兜巾山でのテレビ受信試験などのなつかしい話もしました。また、きょうはめずらしいものをいただきました。漬け菜の入った焼もちと手づくりの豆腐です。どちらも美味しかったのですが、とくに豆腐は青大豆を使ったもので、身も固くしまっていて、いい味でした。
 母に頼まれたものがあって、上川谷からの帰り道、板山の親戚に寄ってきました。伯母の姿は見えませんでしたが、その代わり従弟夫婦とひさしぶりにゆっくりと話ができました。集落内には道路除雪をしてもらえなくて困っている家があり、小型除雪機を使い助けてきたという話を聞きながら、まだ行政に見えていない部分があるなと感じました。板山から藤尾、安塚区の山間部、浦川原区の谷などを訪問し、雪の状況などを見てきました。いずれも夏場しか訪ねたことがない所でしたので新鮮でした。
 板山でWBCの日本と韓国戦を少しテレビ観戦しました。上原がヒットを浴び、日本の長打となりそうな打球を韓国野手が好捕する。きょうも流れは韓国だと思って、3回途中で観戦をやめました。ところが家に戻ると、妻が「韓国に勝った」というじゃありませんか。流れがどこで変わったのか気になり、またテレビを観ました。どうも、ジャイアンツの試合と同じく、私が観ていない方が勝ちにつながるようです。


2006年03月18日

『ふみ子の海』は感動の連続

 映画『ふみ子の海』の脚本を読み終わりました。昭和初期、この頸城野の大地で生きた盲目の少女・ふみ子の物語はまさに感動の連続です。高田の按摩屋(あんまや)での厳しい生活、簡単には仕事にありつけない中でふみ子を何度も助ける芸者・〆香の温かい心、軍人のお酌を断わったことをきっかけにした騒動と同じ按摩屋で働くサダの死、盲学校の先生・高野りんの愛情あふれる指導、すでに死んで冷たくなっている母をもんでやるふみ子、胸がいっぱいになる場面や光景が何度もありました。そしてラストはやはり海でした。幼い時に母に連れて行ってもらった海を前にしたふみ子は、死んだ母への思いを抱きながら叫びます。母ちゃん、海だ、海に来たてぇ! 母ちゃんっ!
 いうまでもなく脚本はすべて文字で書かれています。しかし、登場する場所はすべて自分が見聞きしたことのある所を土台にイメージを勝手に膨らませて読みました。例えば高田のまちは、私が暮らしていた昭和40年代当時の本町通り、仲町を思い浮かべます。列車が駅に入線してくる光景は、弟に初めて汽車を見せた昭和30年代の柿崎駅を思い浮かべました。物語に何度か出てくるお地蔵様については、先日、吉川区の大賀で撮るということを聞いていたので、これはイメージというより実物そのものがわかります。じつはこのお地蔵様は私のお気に入りの地蔵様(写真は3年前のものです)で、町政レポート(現在の市政レポート吉川版)でも紹介したことがあるのです。物語にぴったりの地蔵様だと思います。
 『ふみ子の海』の原作を購入したいと思って調べたら、品切れで、古本屋のサイトでも見つかりませんでした。ならば、図書館で借りるしかないとおもって調べたら、高田・直江津の図書館にある9冊はいずれも貸し出し中か確保中扱いになっています。柏崎の図書館にもありましたが、こちらは貸出し禁止となっていました。原作は、議会が終わってから、ゆっくり読みなさいということなのでしょう。しばらく、がまんです。


2006年03月17日

都市内分権と住民自治のあり方で議論

 粋なはからいとでも言ったらいいのでしょうか、委員長の一言で委員会の空気がとてもいい感じになることを昨日、きょうと2日間の委員会審議で学びました。昨日の午後の審議の冒頭、総務常任委員会の小林委員長は、「(WBCの)韓国戦が気になるところですが、審議をすすめたいと思います」と言い、委員会室が和らぎました。きょうの午後は、「アメリカとメキシコ戦の結果、日本チームが準決勝にすすめることになりました。早めに審議を終わり、家で祝杯をあげましょう」とやり、拍手が起きる寸前まで盛り上がりました。
 さて委員会審議の方ですが、総務常任委員会はきょうが3日目、企画・地域振興部関係議案の審議でした。
 全国的にも注目されている新上越市における都市内分権と住民自治のあり方については、新年度、有識者による研究会を設置し、研究をすすめることになりました。編入された旧13町村には地域自治区が設けられ、そこには「議会」ともいうべき地域協議会が設けられています。これをしっかり根付かせると同時に、合併前の上越市でどうするかが問われています。昨年からモデル的に取り組んでいる事例をどう広げていくかでいくつも質問が出ていました。
 もう1つ、市民会議による自治基本条例づくり。市民と市役所職員の手による素案作りに向けて会議が重ねられていますが、当初予定していた来年3月議会での制定には間に合わないようです。委員会では、市民も加わった素案作りを評価する声が多く、「今回の合併は日本で一番多くの(自治体の)合併だった。これまでの成果を踏まえたものにしてほしい」などの声が出ていました。担当課長は、市民会議で策定した素案を同会議が市民に示し、説明していく手法をとっていくことになるが、「丁寧な策定を心がけていきたいのでご理解を」とのべていました。
 夕方、観光企画課に立ち寄り、話題となっている市川信夫原作の映画、『ふみ子の海』の脚本を借りてきました。映画の脚本を読むのは初めてですが、昭和初期の庶民の貧困がよく描かれていることや身近なところが次々と出てくることもあって、ぐいぐいひきつけられていきます。一般質問の準備をすることも忘れて読み続けています。理論社の原作も読んでみたくなりました。


2006年03月16日

総務常任委員会は論客ぞろい

 総務常任委員会2日目。朝から夕方まで傍聴しました。この委員会は論客ぞろいで、質疑はとぎれることがほとんどありません。その影響もあってか、番外で発言する人は昨日もきょうもなし。午前は合併前にある自治体の助役をしていた議員の隣に座って傍聴しました。審議対象となっている議案について、時々、解説してくださるのでとても勉強になりました。
 きょうの委員会では与党会派の委員の中にも事前に調査をやり、審議に臨んでいる人がいることを知り、注目しました。職員の旅費に関する条例の一部改正の質疑の中で、早津委員は、「宿泊料、食卓料は市の三役、6級以上の職務にある職員、その他の職員で差がついているが、いかがなものか」と疑問を投げかけました。同じ物を食べ、ちがう料金がつく。この矛盾を指摘するために、わざわざ総務省に電話をかけて「市町村の裁量で変えることができる」確認をとったということでした。
 指定管理者制度については、995の公共施設のうち233で導入しています。今後の同制度の導入方向について、わが党の杉本委員がいいところをついていました。市は「今後の導入については、導入効果の大きいところから実施する予定」としていたので、「ほんとうは行政がかかえている大変な施設をおまかせできればいい。何をもって効果が大きいとしているのか」と問いました。市側は、「住民サービスの向上とコスト削減の2つ」と答えていました。これからは、住民サービスの向上につながるかどうか、しっかりチェックさせていただきましょう。
 ISO9001の導入に関して、吉田委員が、「導入する時、一斉同時にやるのではなく、どこからやるか作戦・戦略をもってやるべきだ。まず市民サービスに直結した部署への導入としているが、これは違う。重要なポジションを持った人たちからやった方が良い」とのべていました。民間会社勤めを経て村長になった人だけに、この人が組織論、経営論を語ると委員会室は静かになります。たいしたもんです。
 夕方、家に帰ると手打ちそばと押し寿司がありました。きょうは大島区竹平から吉川区に嫁いだ女衆の「竹平会」が山直海であったということでした。みんながそれぞれ手づくりの料理を持ち寄り、食べて、しゃべる会です。食べ切れないほど、どっさりと持って行くので、帰りには、残り物がいい土産になります。もっとも、押し寿司は母が家の分として作っておいたものです。そばも寿司もとてもうまかった。


2006年03月15日

総務常任委員会1日目

 おもしろいものを見つけました。きょうの朝、大小さまざまな形をしたかたまりが近くの雪原で無数にできていたのです。おそらく、昨日降った新雪の上を風が吹き、小さな雪のかたまりが大きくなったり、それがまた崩れたりしたのでしょう。斜面を転げ落ちて出来る雪のかたまりや崩れ、これが風の力を借りて平らの所でも出来たと思えばいい。たくさんのかたまりがある田んぼは、そうですね、どこかの星の地面のような感じでした。
 きょうから総務常任委員会です。午前中は確定申告や市議団ニュースの作成のため時間がとれませんでしたが、午後から夕方まで傍聴しました。きょうは財務部関係の議案と総務部関係の議案の一部が審議対象です。予算の組み方、施設管理などを中心に様々な議論がありました。
 わが党議員団の杉本委員が市民の暮らしを直撃する問題をとりあげました。「定率減税の縮減や公的年金控除の改正で、1円も収入が増
えていないのに、非課税から課税になり、要介護などさまざまなサービスを受けられ
ない人たちがいる。何か対応できないか」と質問しました。中川助役は、「該当す
る人がどれだけいるか精査し、必要なら対策を検討する」と答弁していました。
 合併前の自治体で直接財政運営にたずさわっていた元三役の委員(複数)にとっては、新市の財政運営のやり方が気になるのでしょう、継続費か繰越明許費かとか、基金の繰替運用などについていくつも質問していました。びっくりしたのは公共用地として民有地を購入しておきながら未登記のものが4000筆もあるということでした。家庭環境が複雑で、なかなか所有権移転できないケースなど、いろいろあるのでしょうが、それにしても多い。
 家に戻ったら、ちょうど父が風呂から出るところでした。久しぶりに見た父の体は痩せ細り、心配になるほどでした。下着を着るにもずいぶん手間がかかります。年をとったな、と改めて思いました。夜、市政レポートの原稿書きをしたいと思ったのですが、頭がまったく回転しません。横になったり、テレビを見たりして休み、ようやくパソコンに向かえるようになりました。明日の朝までに半分くらいは書きたいものです。
 「私の好きな風景」に「雪原のめずらしい現象」を掲載しました。


2006年03月14日

建設企業常任委員会3日目

 朝降って、昼間はちょっぴり、そして夕方からはまた本格的な降りに。もちろん、雪の話です。わが家はたいしたことがないと甘く見ていたのですが、どんどん降り積もり、明日の朝は除雪機の出番間違いなしです。除雪機はずいぶん動かしていないので、エンジンがかかってくれればいいのですが……。上川谷は一度2メートル台まで下がったのに、今朝の段階で3メートル53センチにもなったといいます。
 きょうの建設企業常任委員会はガス水道局関係の議案の審議でした。ガス事業会計予算審議では、新井、本城両委員がガス料金の引き下げを求めているので注目しました。考えてみれば、原油価格の高騰で、ガスの需要は大きくなっています。市にガスを供給している帝国石油から利益還元してもらい、引き下げることにつなげてもいいはずです。ガス水道局長は、「ガスホルダー設置などをひかえているので、いますぐとはいかないが、平成22年頃には値下げができるのではないか」と答えていました。上越市はこれまで25年間、ガス料金を値上げせず、3回ほど値下げしてきました。
 もう1つ注目したのは、水道事業会計予算における石綿セメント管更新事業計画です。これまで石綿セメント管の総延長は127キロという話でしたが、調査の結果、136キロにも及んでいることが明らかにされました。このうち最も多くの石綿セメント管をかかえているのは吉川区で約59キロもあります。牧区や名立区のように総延長が1キロに満たないところは1、2年中に終了しますが、吉川区は平成31年度までかかります。
 午後3時半頃から、2つの課にたいして一般質問通告内容の説明をしました。限界集落、肺炎球菌ワクチン接種については、偶然、12日付の「しんぶん赤旗」日曜版に関係記事が掲載されていて、話題になりました。両方とも10日ほど前から市民課などに情報提供を求めていたので、編集部と同じことを考えていたんだね、と党議員団の仲間もびっくりでした。掲載された記事のコピーを持って私どもの控え室にきた課もありました。


2006年03月13日

春が近づいているからこそ

 昨日からの雪は本格的な降り方となりました。わが家で約15センチ、山間部では50センチほどになったとのことです。朝、除雪のブルもやってきましたし、路面も凍っていました。困ったのは吹雪です。県道沿いにあった吹雪防護柵はすでに撤去されていて、暴れ放題でした。こういう荒れ方をすると、冬に逆戻りしたと思いがちですが、春が近づいているからこそ、こういう天気もある。暖かい日が来たり、寒い日が来たり、これを何回か繰り返すと間違いなく春がやってきます。
 きょうは建設企業常任委員会第2日目でした。一般質問通告の締切日ということもあって、関係課長と連絡を取り合ったりしていたら、なかなか委員会に集中できませんでした。私は地元の区民のみなさんに、「24日に一般質問します」とお知らせしてあるので、24日に登壇できるよう、通告をできるだけ遅くしました。順番は34番目。最後から2番目になりました。テーマは過疎対策、肺炎球菌のワクチン接種、市の食料・農業・農村基本計画の3つです。通告後は質問内容を確認するために2つの課の職員さんたちが議員控え室にやってきました。
 もうひとつ書くことがありました。お昼休みに大潟区、柿崎区、吉川区の議員が集まり、住民から強く要望の出ている運転免許証更新手続き問題で相談しました。既報のように、柿崎区の議員と吉川区の私とで協力して、柿崎交番での更新手続きを復活させるか、上越警察署までマイクロバスで送迎してもらうか、どちらかを実現させたいと行政に働きかけてきたのですが、なかなかうまくいきません。こうしたなか、一昨日、一市民から大潟区、柿崎区、吉川区の議員あてに投書がありました。きょうの打合せで、警察に直接交渉に行くこと、それで実現できなければ、署名活動を展開するなどの行動に出ることを確認しました。


2006年03月12日

雪崩現地検証・報尽碑参拝

 朝から雪が舞っています。きょうは午前中、真宗大谷派(東本願寺)東部地区教化協議会の人たちなどとともに尾神岳の報尽碑を訪ねました。午前7時にスカイトピア遊ランドを出発し、ブナ林、見晴らし荘、そして明治16年の遭難現場を通り、約1時間半で報尽碑に到着しました。ブナ林は雪消えがすすんでいましたが、他は2メートル以上の雪におおわれていました。ウサギが藤ツルや木の皮をかじったあとが何ヶ所もあり、今年は豪雪だったんだな、と改めて感じました。
 雪崩が発生した現場は雪の無い時期には何度か見ています。でも雪が積もっている時期、しかも大ケヤキを運んでいたと同じ日に訪ねたのは初めてでした。いまから123年前に表層雪崩が発生した上の方を見ると、大きな雪崩になることが十分予想できる地形になっていました。もし昨晩、新雪が30センチでも降っていれば、怖くて歩けなかったかもしれません。きょう参加した人たちのほとんどは、昨晩の研修会で遭難時のことを再現した物語を聞いたばかりです。事故がおきた時、子どもたちはどこにいたのだろうか、救出した者をどこで暖めたのか、などと話をしました。
 報尽碑は上部1メートルほどが出ていました。まわりも雪解けがすすんでいます。花瓶代わりに雪を固めて花をさし、参加者全員でお参りをしました。雪の降る外で、お経をきくのも初めてです。お寺さんたちの読経の声は雪がちらつくなか、遭難現場まで響いているように思えました。お経が終わってから、報尽碑を前にして記念撮影をしました。これまで3月12日のお参りに誘ってもらいましたが、いつも議会中で参加できませんでした。日曜日と重なってようやく参加できたので、きょうの写真は私にとってもいい思い出になるはずです。
 参拝がすんでからは、ケヤキを運んだルートを逆にすすみ、下川谷まで歩きました。報尽碑からは上り道はほとんどなく、下り道か平らです。歩きやすかったですね。旧川谷小学校に到着したのは、予定よりも1時間ほど早い午前10時過ぎでした。もちろん、14人の参加者全員無事です。きょうの参加者の中には、古老からケヤキを運んだ当時のことを詳しく聞いている人や動植物について明るい人もいて、とても勉強になりました。ミズキは雨を集めやすいように枝を広げている。ウサギが皮をかじった木のそばには必ず糞がある。食べてすぐ糞をするからだ。こんな話を聞けるとは思いませんでした。来年の3月12日は土曜日とか。また参加したくなりました。
 昨日、「私の好きな風景」に「退いていく冬」を掲載しました。ご笑覧ください。


2006年03月11日

尾神岳報尽碑研修会

 昨晩に続いて上野實英先生の話を聴きました。今晩は真宗大谷派のみなさんが中心になって取り組まれた尾神岳報尽碑研修会でした。講師は上野先生。尾神岳中腹にある報尽碑については昨年10月14日の「見てある記」などに書いてきましたが、今回は古文書などによって、遭難時の様子などが再現され、事故の時に運んだケヤキの出所などについても詳しく解明されました。
 圧巻は雪崩が発生した時の光景でした。「沢」という集落から参加していた杉田友吉、スイ夫婦、ヨシとサカの2人の子どもに焦点をあてて、雪けむりを伴った雪崩が襲った時、家族はどうしたか。逃げろと子どもたちに呼びかけるスイ、雪に足をとられ、表層雪崩に巻き込まれていく子どもたち。雪の中から掘り起こされた子どももスイも冷たくなっていました。「寒かったろう、寒かったろう。息をしてくれ!」自分の肌で暖め、必死になって生き返らせようとする友吉。心の動きまで再現しての物語は涙無しには聴けませんでした。上野先生が史実に従い、書かれたこの物語は尾神岳報尽碑をめぐる歴史に残ることでしょう。すばらしいものでした。
 研修会の参加者は40名ほど。地元の吉川区だけでなく、柿崎区、大島区、安塚区、浦川原区などからも参加がありました。研修会後の懇親会では、いろんな人との出会いがあり、交流を深めることができました。柿崎区の仙田伸太郎さん、大潟区の佐藤誠一さん、大島区藤尾の布施一郎さんとは初対面でしたが、報尽碑にまつわる話だけでなく、地域づくり、新上越市のあり方などで意見交換できました。明日は明治16年の雪崩があった日と同じ3月12日、10数人の人たちとカンジキをはいて、ケヤキを運んだルート(約10キロ)を歩くことになっています。楽しみです。


2006年03月10日

建設企業常任委員会1日目

 朝早く起きて市政レポート(吉川版)づくりをしました。先週もそうでしたが、市議会の常任委員会が開会中なので、市役所に出かける前に原稿書きだけでなく、印刷まで終わらせなければなりません。区内の人たちにお知らせするトップ記事は苗代等の緊急消雪促進事業補助金でいこうと決めたものの、大事な事業内容は市役所の議員控え室においてきてしまいました。それで、総合事務所のグループ長さんに電話し、教えてもらう段取りをしました。印刷が終わったのは午前9時10分。それから総合事務所で「しんぶん赤旗」日曜版を配達し、市役所へ。自分のことながら、よく間に合わせたなと思います。
 市議会はきょうから建設企業常任委員会です。午前中だけ傍聴し、午後からは一般質問の通告の準備に入りました。委員会では除雪関係の予算の専決処分1件だけで約2時間の審議が行われました。本城委員の一斉雪下ろしの話を皮切りに、災害救助法適用の実態、要援護世帯と個人情報保護問題など次々と質疑がおこなわれ、厚生常任委員会(こちらが災害対策を担当する委員会となっている)に負けない議論となりました。今冬の豪雪対策では、春先の農業用施設の除雪など、まだいくつかの現実的な課題が残っていますが、きょうの質疑を聴いていて、総括の時期を迎えたな、と思いました。
 夜は、楽しみにしていた公民館実用講座でした。「ふるさと吉川の風習を語る」というテーマで旧吉川町教育委員長の上野實英さんが話をされました。
 最近インターネットにはまっておりまして…。便利ですね、何でも調べることができる。私の名前で検索したらいくつも出ているんで驚きました。何年か前、山形県尾花沢市が募集した「恋文」に応募したがです。そしたら佳作に入っちゃった。それもちゃんと載っていましてね…。
 ゆっくりしたテンポでひょうひょうと語り、方言もまじえての話、ぐいぐいひきつけられました。「ガァ」「…スケ」など、ふだん使っている言葉の特徴の説明には何度も笑いました。本当におもしろかったですね。それと、話の途中、黒板を使って説明される姿を見て、「あっ」と思いました。先生の左手の位置、チョークの使い方、40年ほど前、私が源中学校の生徒だった時のものと全く同じだったからです。今晩の講座には西山町出身の樋口市議も参加し、「ボエニョって何ですか」と質問していました。


2006年03月09日

子育てジョイカード

 早い、早い。この間、3月になったばかりだというのに、もう9日です。13日が一般質問の通告締切日となっていますが、ある職員さんに、「今回は何をきかれるんですか」と言われ、返答に詰まりました。党議員団会議である程度は整理したものの、じつはまだ定まっていないのです。災害対策、過疎化対策、老人医療、農業政策など質問したいことが頭の中でまだぐるぐる回っていて止まりません。止めるためには、一定の時間をとって、じっくり考える必要があります。この土日は真宗大谷派の人たちと尾神岳周辺で行動することにしていますから、明日あたりにこういう時間をとらないと……。
 さて常任委員会は厚生常任委員会審議の3日目でした。予算審議は、どの委員会でも新事業に質疑が集まります。きょうは子育てジョイカード事業がその1つでした。同事業は、18歳未満の子どもが3人以上いる家庭にたいしてカードを発行して、協賛企業から割引などのサービスを受けるというものです。子育て家庭の経済的な負担を少しでも減らすとともに、企業振興も図る。これまでの行政オンリーの子育て支援とは違った、行政と民間の協働による取り組みとなりますので、ぜひ成功させてもらいたいと思いますが、実施に向けた市の具体的な方針がよく見えません。説明があった中身は、4月から協賛企業を募る、実施は夏ごろから、カード所持者にたいするサービスは、各企業が定める割引、ポイント増、景品など様々だという程度。これくらいでは、委員から次々と質疑の手があがるのは当然です。
 夜は上越フィルム・コミッション(FC)設立式及びセミナーに出てきました。フィルム・コミッションというのは、映画やテレビドラマなどのロケーション撮影を誘致し、実際のロケをスムーズに進めるための非営利公的機関。上越のFCは当面、市川信夫さん原作の『ふみ子の海』の撮影に協力する活動が中心になるということでした。きょうの話では、冬のシーンのほとんどは吉川区大賀で撮り、海のついては柿崎海岸などがロケ地になるといいます。ふるさとの魅力や情報の発信によって、みんなが力を出し合うまちづくり、観光客の増などにつながっていけばいいな、と思いました。会場では、映画鑑賞の活動を続けている増村さんや西脇さん、それに吉川観光協会会長の長谷川彰さんと久しぶりに会いました。


2006年03月08日

厚生常任委員会審議2日目

 厚生常任委員会審議は2日目に入りました。昨日の後半の審議とは打って変わって、最初からゆっくりと審議が進みました。上越市保健医療福祉ゾーン基本計画に基づいて整備される高田南部温浴施設の検討委員会について、樋口、矢野委員などが質疑しました。高田南部に温浴施設をというのは地域住民の長年の願いですが、合併したいま、21万市民の施設としてどういう役割を持たせていくのか。この視点は、この種の施設整備を進めていく上で大切なことだと思いました。
 頸北地域の住民が大きな関心を持っている2つの病院の問題について、大潟区選出の柳沢委員がとりあげてくれました。県立柿崎病院の存続については昨年の3月議会で、私が最初に問題にした経緯がありますので、どういう答弁が聞かれるか注目しました。田村健康福祉部長が、「合併した自治体に2つの県立病院はいらないという論理はいただけない。市もしっかりと対応していきたい」とのべていたので安心しました。触法病棟を設けることに不安の声があがっている「さいがた病院」については、地域住民の声を尊重して慎重に対応することが求められています。地元町内会や地域協議会の要望を尊重してもらいたいとする同委員の主張には同感です。
 昨日に続いて乳幼児医療費助成事業が質疑の対象になりました。新年度から、対象年齢は入院がゼロ歳から6歳就学前まで、通院はゼロ歳から5歳児までとされました。入院、通院とも就学前まで助成していた自治体にいたものとしては、まだ不満が残ります。一時も早く、元の水準に戻し、さらに対象年齢を上げてほしく思います。長野県松川村では、新年度から、中学校卒業までを対象にするというニュースも入ってきています。昨日は、合併協議で決まった「財源を最優先して確保し、対象を就学前まで引き上げていく」ことを忘れた議論が一部にあり、「えーっ」と思う場面もありました。きょうはすっきりしましたね。樋口委員の質疑に、田村部長は、医療費助成は少子化対策に資すると明言し、「残り1年齢引き上げについても可及的すみやかにできるよう努力していきたい」と答えました。
 夕方、議員控え室でカップラーメンを食べ、フィルム・コミッションセミナーに出る準備をしていたら、議会事務局の人に、「橋爪議員、フィルム・コミッションは今晩ではなく、明日だそうですよ」と言われました。8日と思っていたのは、申し込みの締切日。完全な記憶ミスです。ああ、情けない、情けない。きょうは愛用の軽トラもなく、9時過ぎの電車で帰る予定でいたので、吉川区在住の市役所職員さんに送ってもらいました。


2006年03月07日

答弁席に見る個性

 ご心配をおかけしました。一晩ぐっすりと眠ったおかげで体調はずいぶんよくなり、食欲も回復してきました。「おとうさんの声、おかしい」。昨晩、子どもたちにそう言われていたのですが、きょうは声も元に戻ったようです。
 きょうから常任委員会審議は厚生常任委員会に移りました。私のすわる席は、委員席から傍聴席になりました。傍聴席は、委員席のすぐ近くに20人ほどすわれる場所があり、答弁者側の後ろの方にもあります。どこに座るかによって、参加の姿勢も気持ちも違ってきます。きょうは委員席に近く、しかも答弁席とも最短距離の場を確保できました。ここに座ると、いつでもスクランブルをかけることができます。それに答弁者の様子もしっかり観察でき、とても勉強になります。
 老人福祉などでいくつも質疑を浴びたO課長、質疑があると、手元にあるバインダーから答弁メモ・資料をサッとはずし、答弁席に向かいます。一見、自信なさそう。でも答弁席での発言は真剣で誠意に満ちていて、丁寧です。全身から真面目さがこぼれ落ちている。こうした雰囲気を感じさせる点では、この人の右に出る人はいないでしょう。「1人だけの地域包括支援センターもあるが、本庁ではどうやってフォローしていくのか」という樋口良子委員の質疑に、「統括事務を行う本庁の体制はとりますが、どういう人的体制になるかはまだ決まっておりません」。たたみかける質問はありませんでした。
 答弁席に立つと、つい見とれてしまうのはK課長。三つ指をつき、きちっとした答弁をする課長の姿は藤沢周平の歴史小説に出てくる武士を思わせます。低所得者で生計が困難である人を支援する介護保険サービス利用者負担助成事業に関して、樋口委員に、「介護保険料を滞納していないことも対象者の要件のひとつになっているが、1回でも納めるのが遅くなると対象からはずすのか」と問われ、「シビアなことを言っているわけではございません。(分納などで)納めていただく方向を確認しながらやっております」。明後日、上越フィルム・コミッションの設立式がありますが、この人には一度、時代劇に出てほしい。
 ところで、きょうの委員会審議ですが、先へ先へと急ぐ雰囲気が漂っているのが気になりました。各委員の質疑スタイルやその内容に異論があっても質疑時間は十分保障する、それがないといけませんね。


2006年03月06日

風邪? 

 議会がある時にもっとも大事なのは健康管理。情けないことに、それが分かっていながら風邪をひいてしまったようです。朝から頭がふらつき、これじゃダメだと思いながら市役所に向かいました。案の定、委員会審議では頭は回転せず、脳みその稼働率は40%くらいでした。気のせいか、きょうの委員会、私だけでなく、全体に元気がありませんでしたね。


2006年03月05日

マンサクが咲いていた

 この間から予感がしていました。ひょっとしたらマンサクが咲いているんじゃないかと。きょう、わが家の牛舎近くのマンサクの木の下に行って、見上げてみると、明らかに黄色の花がついています。毎年そうですが、初めて見た時はうれしくなりますね。昨年、開花したマンサクを見たのは3月20日でした。花の開き具合からいって、開花はもう何日も前だったと思います。「かあさん、マンサク咲いているよ。いつもよりも早いかも」と妻に教えたら、「今年は雪が早かったからね。マンサクや桜は低い気温の期間の長さも影響するみたいよ」と言います。雪の期間が長いと開花は遅いと思ったら、どうもそうではないらしい。
 気になって調べてみたら、サクラについては妻の言うとおりでした。桜の場合、花のもととなる芽は前年の夏にでき、秋から冬にかけて「休眠」に入るのだそうです。この花の芽は、低い気温に十分さらされることが大事で、休眠から覚める「休眠打破」の状態を経て、温度の上昇とともに成長し、開花していきます。今年は雪が早く、2月後半は暖かかったですから、開花が早くなることは十分予想できます。でも、マンサクがサクラと同じような条件で開花に至るのかどうかは確認できませんでした。
 きょうはお悔やみ、入院見舞いなど、議会中にできなかったことを中心に動きました。お悔やみは国際啄木学会副会長の池田功さんの親戚にあたるEさんと昨日書いたおばあちゃんのところへ行ってきました。Eさんは吉川区の農業振興でがんばってくださった方でした。いま1人の亡くなったおばあちゃんは一人暮らし、遠くに住むご家族の方が電話をかけても出ないので不思議に思い、近所の人から確認してもらったら、急病で倒れていたということでした。80歳を過ぎてからも絵手紙を通信教育で学び、昨年の暑中見舞いも絵手紙だったとか。お二人とも頑張り屋のお年寄りでした。


2006年03月04日

見忘れていた「お悔やみ欄」

 議会に集中していると、クセになっていることでも忘れることがあります。私が毎朝、新聞を開く時、一番最初にに見るのは「お悔やみ欄」です。自分の知っている人や家族が載っていないかどうか気になるからです。ここ数日、バタバタしていたこともあって2人の方が亡くなったのを見落としていました。どちらも女性で、そのうちの1人は、会うたびに声をかけてくださるおばあちゃんでした。「この間の『春よ来い』見たよ。いかったでね」こんな調子でいつも声をかけてくださいました。きょうは近くまで行って、葬儀の花輪が出ているのでびっくりしてしまいました。あすにはお参りに行ってこようと思います。
 きょうは朝から夕方まで、「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金でした。先週は時間がなく、まわれなかった集落にも出かけてきました。市政レポートや議員団ニュースで議会日程とケーブルテレビでの中継日をお知らせしてあったので、「テレビに映っていたね。たいへんだね」「カリキュラム(日程表の意味でお使いになったのでしょう)が混んでるね」などといった声がいくつもかかりました。なかには、「おまんが出るのは24日だったっけ」ときいてくる人もありました。これまで、有線放送で私の声が流れるのを楽しみにしていたという伯母は、「たいした時代になったもんだ」と喜んでいました。しんぶん配達では、いろんな声が聞かれるのでありがたい。


2006年03月03日

農業論戦

 朝早く除雪ブルドーザーがやってきました。寒さがぶり返し、私のところでは新雪が15センチほど積もりました。吉川区で最も積雪のある上川谷は3メートル27センチになったそうです。雪の無い路面の心地よさを味わっているのに、「いまごろ、降らなくていいだろう」という気持ちです。
 きょうの文教経済常任委員会では、まず雪の問題から入りました。今冬の豪雪で、雪消えは5月の連休ころになるのではないかといわれています。こうなると苗代、農道などの除雪への支援が欠かせません。そしてもう1つ、昨年の豪雨などによる農地、農業用施設の災害復旧工事をちゃんとやってもらえるかどうかも心配です。植え付け期に間に合うように全力をと訴えました。
 熱い議論になったのは、上越ブランド米と新たな担い手政策でした。上越という名前を冠したブランド米をつくるには、広大な市域の土地条件などの違いをふまえつつ、市内全域にわたる統一した取り組みが必要となります。一定の栽培基準と上越市農業ならではのセールスポイントが求められてくる。これまでの環境にやさしい米づくり、有機栽培などの蓄積をどう結びつけていくかが大事になります。ただ、きょうの私の発言は、今後の取り組みの方向性を提起するところで終わっています。もっと踏み込んだ提案をしていく必要がありました。
 担い手支援の問題。上越農業の生きる道は、国が示した要件を満たした「新たな担い手」づくり、これに乗っていくしかないという考え方でいいのかどうか。率直な気持ちをぶつける質疑をおこないました。特に、これまで市が地域農業の担い手として位置づけてきた認定農業者の中で、「新たな政策」において支援対象となる人たちが半分ほどにしかならない点を問題にしました。残念ながら、市独自の支援対象としていくという答弁はもらえませんでしたが、今後も問題にしていきたいと思います。
 私は長年、農業現場において政府・農水省の政策で苦しめられてきた人間の一人として、今回の「新たな政策」についても強い疑問を持っています。国が示した要件を満たす農家、経営組織だけに支援対象を絞り込むのではなく、その他の家族経営農家、生産組合なども、現状では上越市の地域農業を担っているのだから支援の手を差し伸べるべきです。昨年の12月議会で、与党会派の議員の一人も「(今回の支援の)対象外となった者に対する施策」を質問していたので、さすがは現場を知っている人は与党であっても骨があると感心していたのですが、きょうは、そういった声を聞くことはできませんでした。それどころか、それに反発する声が出たのはさみしいことでした。


2006年03月02日

注目されたミニ土偶

 時々冬に戻りながら、春はやってきます。朝、市役所へ出かけるとき、近くの田んぼの土が少し見えたのでうれしくなりました。それがどうでしょう、帰りはまた雪になっていたのです。雪が軽トラの前方から吹きつける、路面はシャーベット状、久しぶりに「雪道の怖さ」を意識しながら運転しました。上川谷は昨日3メートルを割り、2メートル99センチになったそうですが、再び3メートルを超えたことと思います。
 きょうから市議会は私の所属する文教経済委員会です。朝10時から夜8時まで、教育委員会関係の議案の審議でした。答弁者の中には教育、文化のプロといってよい人が何人もおられますが、遠慮なく質問させてもらいました。これだけはきいておきたいと思っていたのは、教育予算切り詰めによる義務教育無償の原則くずし、それと文化財保護の2つです。前者の方は、合併前の上越市区域内にある小学校の後援会予算(案)を使って質問を展開した結果、義務教育無償の原則に抵触する実態があるかどうかの調査を約束してもらいました。ありがたかったのは、他会派の委員からも教材消耗品費などの不足を指摘する声があがったことです。これで教育予算にたいする見方も少しは変わることでしょう。
 文化財については保護と活用の両面から質問をしました。個人や集落で管理している文化財については、保存、管理が難しくなった場合、寄託制度を活用するという答弁がありました。市の準文化財調査で判明した、大勢の皆さんから見てもらいたいような宝物は広く公開する場を設けるべきだ、との私の提案は積極的に受け止めてもらえました。具体例として紹介した長峰遺跡出土の小さな土偶については、休憩時間に、小林教育長などから、「きょうの質問が大きな意味を持つかもしれないですね。マスコットにしたらいい」と声をかけていただきました。


2006年03月01日

総括質疑2日目

 3月議会は2日目です。きょうも昨日に続いて総括質疑が行われました。市民クラブ、政新、市政会議、日本共産党議員団の各代表が質疑しました。このうち市民クラブの仲田議員とわが議員団の杉本議員が国民保護協議会条例をとりあげました。上越市に対するどんな武力攻撃事態が想定されるのかとの問いに、木浦市長は、「弾道ミサイルなどの攻撃の可能性もある」などと答えていましたが、これにはびっくりでした。元防衛庁長官でさえ、「当面、武力攻撃は想定されない」と言っているのに、上越市では「可能性もある」というのは何が根拠なのか、ききたいものです。日頃は慎重に答える市長なのに、きょうは、ちょっと軽い答弁だったと思います。
 きょうの質疑では、予算の基本的なことを問うものがいくつもありました。
「基金の歳計現金への繰替運用」「繰越金と財政調整基金の関係」「専決処分のあり方」など、まるで地方行財政の基本的な事項を学ぶ学習会のようでした。質問する側、答弁する側、双方の基礎的なことに対する理解度が明らかになるので、耳を澄まして聴きました。こういったことを虎の巻も見ないで、ふだんの言葉で、分かりやすく語れるようになりたいものです。
 杉本議員は、昨年に続いて、新市建設計画の財政計画と新年度予算規模の不整合性、乖離を問題にしました。新市建設計画は合併にあたっての21万市民への公約で、市長の選挙公約を超えたものだ。計画を大幅に超える予算編成をやるのはいかがなものか。市長の答弁は、三位一体改革や制度改革などの諸情勢の変化があるので(オーバーは)やむをえないものだ。新市建設計画を守ることと矛盾しないというものでした。昨年の総括質疑では、耐震調査や街灯設置工事など次年度計画の前倒しのせいだと逃げた市長でしたが、今回は、昨年後半の地域事業費再計算や行財政改革論議などで先が見え始めてきているので、「新市建設計画を守る」という言葉が弱弱しくきこえましたね。


2006年03月投稿分

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