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2005年12月投稿分

2005年12月31日

市議増員選挙、豪雨災害など激動の1年でした

 2005年もあと少しで終わろうとしています。今年は市議増員選挙があったので正月休みなしでスタートしました。宣伝活動、組織戦、いずれもかつて経験したことのない規模で取り組みました。おかげ様で、選挙戦は定数1という厳しい中を勝ち抜くことができました。越後よしかわの人たちはずっと温かい目で私の活動を見ていてくれた、そしてこれからについても期待していてくれる、それが数字になってあらわれた時は感激でした。
 市議会は吉川町議会と違った慣例やルールがあって、とまどうこともありました。特に、一般質問を国会方式でやるのには抵抗がありました。答弁者と対面でやることに慣れていたので、何かピントが合わない感じがしてなりませんでした。しかも一般質問は定例議会の後半です。常任委員会審議をやったあとですので、やりずらかったですね。もっとも、定例議会を4回やったら、だんだん慣れてきて、自分流のやり方もできるようになってきましたが……。
 今年、忘れることのできないのは6月の梅雨前線豪雨です。1日で330ミリという記録的な豪雨のなかで、山間部の道路、田んぼ、河川はズタズタになりました。平場は国田、代石などで浸水が相次ぎました。わが家も被害に遭いました。牛舎の牛を10日間も避難させたのは初めてでした。ボランティアの皆さんから何日も後片付けにきてもらったのも、もちろん初めてです。いつも被災者を支援する立場で活動してきたのですが、支援してもらい、本当に助かりました。この豪雨で上川谷に至る県道が崩落した土砂の下になり、上川谷集落は交通面でかつてない不便をこうむることになりました。市町村合併で過疎地が見捨てられることのないように、そんな思いで、いま精一杯支援していきたいと思っています。
 さて新年、年明け早々には党大会が開かれます。11日から4日間、私も代議員として参加します。全国の先進的な取り組みを大いに学び、越後吉川の地で、さらに頑張るエネルギーを補給してきたいと思います。この1年間、拙い「ホーセの見てある記」をお読みくださった皆さん、ありがとうございました。


2005年12月30日

カモは例年より早く脂がのった

 この冬の寒さ、降雪は異常です。昨晩は2月並みに冷え込みました。山間部での積雪は、正月前だというのに2メートルを超えています。新聞の配達・集金をしていると、こうした異常さについて具体的なことを教えてもらうことがあり、参考になります。
 例えば、尾神のHさん、この冬はすでに道つけを13回もしたということでした。道つけというのは、カンジキで雪を踏み固めて、人間が歩けるような道をつくることをいいます。昔は一冬で30回くらいの道つけは当たり前でしたが、ここ20年ほどは一冬で10回もあればいい方でした。もっとも最近は、カンジキを使うことがほとんどなくなって、除雪機で雪を飛ばす家庭が多くなってきました。
 もうひとつは、カモの肉についての話題です。原之町のNさんから、今年のカモはうまいという話を聞きました。いつもより早く脂(あぶら)がのっていて、さばいていても分かるし、鍋にしたときの肉も違うというのです。そう言えば、先日、ある人からいただいたカモ鍋、アブラがたっぷり浮いていて、肉も美味しかった。カモもいつもより寒いことを体で感じ、脂をつけたということでしょうか。
 きょうは午前中に党の地区委員会事務所へ行き、新聞代の集まった分を納めて来ました。まだ完全には終わっていません。明日、半日は配達・集金で動きたいと思っています。年賀状の宛名書き、家の周りの除雪もあります。本当にいそがしい年末になりましたが、残るは、あと1日です。がんばらなくては。


2005年12月29日

「しんぶん赤旗」の配達・集金に全力投球

 きょうから3日間は「しんぶん赤旗」の配達・集金に全力投球です。「しんぶん赤旗」の新年号は1日号と8日号の合併号になっています。新年号を年が明けないうちに配達するのはいささか抵抗感がありますが、さりとて元日に配達はできませんので、仕方ありません。集金の方は、今の段階では、例年より多く残っています。ご迷惑をかけないようにと思っているのですが、きょうは留守の家がけっこうありました。明日になれば留守はぐんと減ると思うのですが……。


2005年12月28日

御用納め

 今朝は冷え込んで、道路は見事なアイスバーンになっていました。スリップしやすい状態ですが、洗濯板のようになっている路面に比べれば走りやすい。市役所までは45分ほどで行きました。
 きょうは議員団で市長申入れをしました。新年度予算と遊漁船の不法係留問題についてです。新年度予算についての要望項目は、県などへの働きかけを含めて72項目になりました。幼児医療費の無料化の早期実現、新市建設計画は関係住民の声を聞いて実施を、など全市的な要望の他に、議員団メンバーの地元要求も盛り込みました。私のところは、26日付「見てある記」で書いたように「橋爪法一を囲む会」で出されたものが中心です。申入れの回答は、来月下旬までに文書でもらえることになっています。
 申入れが終わってから、議員控え室で新聞記者とお茶を飲みながら懇談しました。きょうは御用納め、市役所へ行くのも最後です。議員も我々だけとあって、ゆっくり話をしました。新聞の新年号のあり方、新年度予算要望の取りまとめ方法などを話し合う中で、新市全域の住民の声をもっと反映させる活動について具体的なものが見えてきたのは収穫でした。新年度は、議員団として懇談会を全市的に展開することになりそうです。
 議員団としての新年の活動は2日から。4人で全市をまわり、街頭から新年の訴えをすることにしました。この街宣をやる中で、降雪状況の視察もしたいと欲張りな計画を立てています。


2005年12月27日

1年の締めくくりと新年の準備

 年末は1年の締めくくり、これまでやっておかなければならなかったもの、待ってもらっていたものも年末までには片付けなければなりません。生活相談、付けなど年を越したくないものがいくつもあり、きょうはそれらの対応で動きました。区内、合併前上越市内などの事業所、金融機関、一般家庭など、いくつかまわったら、夕方までかかりました。
 年末には新年の準備もしなければなりません。議員としての仕事では、議員団ニュース及び市政レポートの新年号作成がその一番の仕事です。自分の気持ちが新春モードに切り替らないなかで、新春向けのものを書く。ちょっと戸惑うこともありますが、きょうは、議員団ニュースをまず完成させました。元衆議院議員の木島日出夫氏から新年のメッセージをもらっているので、夏の衆議院選の時の写真も入れてプリントしました。ところが、冬の時点の挨拶に半そでシャツ姿なので、いかにも寒そう。杉本議員団長から夏の写真を探してもらい、なんとか格好をつけることができました。
 次は市政レポートです。とりあえず表面だけ作成し、御用納めとなる市役所関係だけ配布しておこうと思います。明日は、議員団として市長に新年度予算要求をすることになっています。当初11時15分からだったのですが、葬儀が入ったとかで10時に変更になりました。


2005年12月26日

議員団も忘年会

 きょうは朝から夕方まで市役所で過ごしました。議員団の3人で、新年度予算要求項目の整理、議会報掲載原稿書きなどをしました。市全体のことはともかく、合併前上越市の地域要求、吉川区の地域要求については、それぞれの日常活動でつかんだものがどれだけあるのかが試されます。私の場合は、今年34会場で取り組んできた「橋爪法一を囲む会」で出された要求をピックアップして文章化しました。項目をしぼったつもりでしたが、20項目近くになりました。きょう文章化したものは、明日1日じっくり検討して、28日の午前11時15分から市長に直接手渡すことになりました。
 作業が終わってから、議員団で忘年会をやりました。これまで合併前上越市内で懇親会をやってきたので、今回は大潟区内の会場でということになりました。上野事務局長が幹事役をしてくれ、海の幸を存分に味わい、最後はカラオケを楽しんできました。締めくくりは4人そろって「青春時代」を合唱、盛り上がりました。たっぷりとエネルギーを補給してきたので、これで年末年始の党大会に向けた活動に弾みをつけることができるでしょう。
 家に帰ったのは10時ちょっと前でした。牛たちには夕飯をそれまで待たせたので、ちょっとかわいそうでしたが、鳴きもせず、じっと待っていてくれました。


2005年12月25日

旧議場でミニコンサート

 青空が時々広がるいい天気でした。上川谷の積雪も2メートル72センチでひと休み状態です。きょうは旧吉川町議会議場でミニコンサートが開かれました。主催は「音楽を楽しむ会」(八木孝一会長)です。プラハから帰省中のピアニスト・市村幸恵さん、ギターの山岸協慈さん、フルートの関沢さんの演奏を30人ほどの参加者が楽しみました。旧議場は来年、多目的ホールに改造される予定となっていますが、ミニコンサート、寄席などをやるには丁度いい空間です。椅子や机を片付けて、空調などの雑音をなくせば、区民の素敵な集いの場になると確信しました。
 私にとって旧議場に入るのは1年ぶりです。昨年の12月14日の12月定例議会が最後でした。あれ以来、まったく入っていなかったことになりますが、議場に入ったとたん、胸がきゅんとしまりました。議員の名札は取ってあるけれど、あとは議場の風景も匂いも1年前とまったく同じだったからです。町長や各課長の名札もついたまんま、机の上の筆箱もそのまま置いてありました。いつでも議会をやれる、そんな感じでした。傍聴席にじっと座りながら、同僚議員のことや課長さんたちのことをなつかしく思い出しました。1年って、早いですね。
 私が町議時代座っていた場所へ行って驚きました。机の中には議員手帳と役場からの1通の手紙がそっくり残っていたからです。考えてみれば、昨年の最後の議会が終わって、職員の皆さんから拍手で送り出され、議場は議長によって施錠されました。その前に自分の持ち物を片付ける余裕が無くて、後日、議場へ行って片付けるつもりでした。当時、市議増員選挙のことで頭の中はいっぱいでしたので、そのことをすっかり忘れていたのです。コンサートが終わってから、筆箱の中の付箋、議員手帳、手紙をカバンの中にしまいました。これで区切りがつきました。
 コンサートが終わってから大潟区に出かけ、「音楽を楽しむ会」の忘年会をやりました。きょうのコンサート会場が寒かったことから始まって、これまでの音楽会の取り組みの思い出、コミュニティプラザ構想などの話で盛り上がりました。多目的ホールは一過性のコンサートなどのイベントをやる会場ではなく、各種団体が日常の練習、準備、本番とすべてをやる場所にする必要がある。文化団体、サークルなど使用を予定しているところが、いまの旧議場をしっかり見て、何を改造したらいいのか意見、提案を出し合う場をつくらないといけない、そんな声がたくさん聞かれました。


2005年12月24日

豪雪の様相

 朝から市政レポートの印刷、「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金で飛び回りました。市政レポートのメイン記事は市長の上川谷訪問です。同集落は商業新聞は郵送地域なので新聞折込はできませんので、午前中に配布に出かけてきました。昨日からきょうにかけて70センチも雪が降って、積雪は2メートル70センチにもなっていました。おそらく、明日までに3メートルを突破するでしょう。住民の皆さんとの対話では、この異常とも言える積雪が話題になりました。まだ正月前なのに、この調子で降られると、5メートルを超えるのではないか、と心配している人もいました。午後の降雪は、その心配が現実になりそうな感じの激しさがありました。
 お昼はTさん宅でご馳走になりました。「何も無いでも上がっていけ」と言われ居間に入ると、豆炭ごたつの上に漬物、みかん、大根、ニンジン、サトイモの煮付け、それにモチがありました。「何も無い」どころか「いっぱいある」。遠慮せずにご馳走になりました。きょう、ご馳走になったモチは、もち米が少々しか入ってなくて、大半はうるち米のものです。モチ特有のねばりはないものの、ぶつぶつしていて食べやすい。6個ほど食べたら、もう腹いっぱいになりました。
 「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金の際には生活相談が寄せられることが多く、今回も税金、交通事故の相談が寄せられました。お茶をいただきながら話をしていると、けっこう時間がかかります。きょうは夕方7時ころまで頑張りましたが、配達は終わりませんでした。雪の中、朝から出っぱなしになっていたので、7時前に妻から電話がありました。「あんた、生きていたの。よかった」。連絡ナシで飛び回っていれば、それほど心配になる天候でした。


2005年12月23日

党大会へ

 きょうは県党会議でした。新潟県党組織の大会といったらいいでしょうか。ここでは、党大会決議案の議論をするほか、党大会の代議員を選出します。党大会決議案の議論は支部段階から地区、そして県段階へと積み上げられてきました。こうした下からの議論の積み重ね、決議案の練り上げは日本共産党ならではのものです。きょうの会議、私も代議員だったのですが、地区委員長から、「疲れも溜まっているようだし、補欠代議員と代わっていいよ」と言われましたので、変わってもらいました。
 県党会議では、十数人の代議員が発言したそうです。その中には吉川支部のKさんもいました。Kさんは、この一年間の激動の支部活動を報告しました。市議増員選挙、衆議院選、囲む会の活動などの経験を丁寧に原稿に書き、話したのですが、全県から参加した代議員の注目を集めたといいます。県委員会のHさんに電話をしたら、「いや、いい発言だったよ。あの人は将来、橋爪の存在をおびやかす力があるな」と言うほど、べたぼめでした。
 うれしいことに、この県党会議で、私は党大会の代議員に選出されました。34年間、日本共産党の活動をやってきましたが、党の最高議決機関である党大会に参加するのは初めてです。日常活動と市議増員選挙での勝利の経験が評価されたのかもしれません。党大会は来月11日から4日間です。いろいろご迷惑をおかけすることと思いますが、よろしくお願いします。なお、吉川支部からの党大会への参加は2度目です。1度目は20年程前、全国最年少の25歳で議員に当選し、話題になった山本芳美さんでした。
 さて、きょうの私の活動ですが、大雪警戒対策本部現地対策本部を設置した区総合事務所を訪ねたほかは、ずっと市政レポート作成作業でした。今号が今年の最後ですので、表面、裏面とも書きました。私の随想、「春よ来い」はちょうど60回になりました。今回のタイトルは「遠い記憶」です。きょう掲載しましたので、ごらんください。


2005年12月22日

大雪警戒対策本部設置

 また寒波襲来です。朝から吹雪きはじめました。風が強いと、雪は山間部に運ばれます。今朝の観測では上川谷で220センチ、下川谷158センチ、原之町43センチでした。これからが心配ですが、下川谷で一人暮らしのWさんの家の屋根の一部が雪の重みで陥没したとの情報も入ってきました。こうした中で市は、大雪警戒対策本部を設置しました。
 きょうは中郷区にある中郷中学校の改築工事の竣工式でした。市議会の文教経済常任委員全員が来賓として出席しました。この式典で勉強になったのは挨拶です。みんないい挨拶をされたのですが、出色だったのは吉田市議(旧中郷村長)の挨拶でした。
 私はこの学校をつくる時に、生徒の皆さんに何かを語りかけてくれるような学校をつくりたかったのです。おはよう、きょうも元気で。(中略)悲しい時、ともに泣こう。うれしい時、ともに喜ぼう。私はいつまでも君たちを守り続けたい。私は中郷中学校。私はこの学校をつくるにあたって2つの点で力を入れてきました。1つは、教室もグランドも表側にするということ、いまひとつは、戦国時代の山城に似せて一番奥にしたことです。一番奥は殿様がいたところですが、みなさんは殿様です。この一番奥から西側を見下ろすと、中郷の家並みがよく見えます。卒業後、どこに住んでいようと、この風景を忘れないでほしい。そして思い出してほしい。どんなに苦しい時でも、この家並みを思い出して、あの中学校だって、堂々としていたじゃないかと。スポーツって、よく負けます。でも、負けても頑張る、この経験が大切なんです。人生もまた負ける時が多い。社会に出た時、この経験が活きます。これからも力一杯、頑張り続けてほしい。
 式典の主人公は、いうまでもなく生徒たちでした。その生徒たちに、心を込めて自分の言葉で語りかける。この姿勢といい、話の内容の深さといい、見事でした。おそらく、きょうの話は、生徒たちの一生の宝物になるに違いありません。吉田市議は合併協議の段階からの知り合いですが、「理系の頑固親父」(失礼!)というイメージが徐々に薄れ、「理系出身の詩人、哲学者」のように見えてきました。いい人に出会うことができ、うれしく思います。


2005年12月21日

12月議会最終日

 きょうは議会最終日でした。本会議は10時から。私は2つの常任委員会報告を聞いた後、退席させてもらいました。もちろん、議長から許可をもらっています。理由は病院で頭部CTスキャンをしてもらうためです。一昨日の夜、頭がふらふらしたと書きましたが、その話を昨日、病院の看護師に話したら、「議会終わってからなんて言っていないで、すぐ診てもらいなさい。あなたがもし倒れたら困る人がたくさんいるんだから」と言われました。
 というわけで、脳外科へ行ってきました。CTスキャンは初めてです。頭の断層写真を何枚も撮っていく時の音、切れ味抜群の包丁で薄く切られている感じがして、妙な気分でした。出来上がった写真を持っていくと、診察室で医師がいろんなチェックをします。両手を広げ、それぞれの手にものがさわった時の感覚の差があるかどうか、片足で立った時のバランスなどを調べた後に、医師の口から出た言葉は、「まったく問題はありません」でした。これで安心しました。
 午後からの総務常任委員協議会には、途中から参加しました。私は委員ではないので、傍聴ということになりましょうか。新市建設計画の地域事業費配分額は平成16年度の決算ベースで再計算することになっていましたが、この協議会で、その結果が発表されました。吉川区については、これまでよりも8900万円少ない17億8100万円が地域事業費の確定配分額となりました。頸城区のように、10億円以上も減額となったところもあります。再計算結果を受けて、今後の事業展開をどうするか、考えなければなりません。


2005年12月20日

市長が上川谷訪問

 2週間ぶりに上川谷へ行ってきました。市長や防災安全課長などが激励に訪れるというので、ご一緒させてもらったのです。14人の住民のうち、11人が集まり、市長などと顔を合わせ、懇談しました。市長がいたのはわずか30分でしたが、大雪の中、「元気そうですね。良かった」と声をかけてもらった住民の皆さんは笑顔でした。今回の訪問は、あなた方を見捨てませんよ、という意思表示です。この気持ちを編入された13区内の中山間地のすべての住民に示してもらいたいと思いました。
 会場の公会堂ではストーブを囲み、訪問した全員が紹介されました。この中には大島区板山の小山建設の社長さんの姿もありました。お連れ合いは吉川区から嫁いでいるということまで知っていたのですが、お会いするのは初めてでした。さて、市長は挨拶の中で、「6月の災害以後、一刻も早く復旧できるようにと意を用いてきました。生活していくうえで困難なことがあったら万難を排してやっていきたいと思います。遠慮なさらずに何でも早めに言ってください。元気に春にお会いできればうれしい」とのべました。住民の皆さんには頼もしく見えたことでしょう。
 上川谷は約2メートルの積雪がありました。しかし、冬期保安要員2人を中心に頑張り、民家周囲の除雪も木戸先の除雪もきれいにされていました。「保安要員を配置してもらいありがとうございました。皆で助け合いやってきました。上越市になって良かったという実感はまだ湧いてきませんが、いままでやってもらった(災害後の)市の対応は良かったです」という若井町内会長さんの言葉が印象に残りました。冬期保安要員は合併によって無くなるはずだった制度でしたが、この雪の中で住民の暮らしを守る力を発揮している状況を市長自らが視察したことは重要です。
 きょうは上川谷へ行く前に、母が作ったコンニャクを届けに大島区板山に住む伯母を訪ね、お昼をご馳走になってきました。おいしかったのは「のっぺ」、この中には、おなじみのサトイモ、ニンジンなどの他、「もぐら」というキノコも入っていました。これがまたいい味でした。伯母とはずいぶん会っていませんでしたが、とても元気そうなので安心しました。伯母から面白い思い出話をひとつ聞いてきました。ずいぶん前のことですが、私の母と一緒に千葉の叔父の家へ行く途中、大宮駅で離れ離れになってしまったという話です。今度、記憶力抜群の母に詳しいことを聞いてみようと思います。


2005年12月19日

一般質問第4日目

 朝、妻を職場に送り届けて市役所へと行きました。高速道がストップしていたので、国道は渋滞しているはず、そう思い、一番通りたくない吹雪く道を選択しました。県道柿崎新井線を三和まで行き、そこから高田をめざしたのです。高田の一歩手前、戸野目からが渋滞していて、妻は遅刻でした。私は10時からの会議でしたから十分間に合いましたが、家から高田まわりで市役所まで2時間20分かかりました。いつもなら1時間ちょっとの道なのに。
 きょうは一般質問の最終日でした。元首長の市議2人の質問を興味深く聞きました。ひとりは安塚区の矢野議員、行政と市民の一体感を醸成するためにということでいくつもの提案をしました。市長の挨拶はもっとフランクに、自分の意思でやったらいい。市民への説明では図表なども使ってわかりやすく。市長室は4階から2階(1階でないところが面白い)に。プロジェクターが市役所本庁には1台しかないという話は驚きでした。私が議会報告用にプロジェクターを1台持っているというのは、こうしてみるとぜいたくなのかな。
 もうひとり、中郷区の吉田議員は民間会社出身です。企業誘致、行政改革などで質問しました。行政は長文が得意だが企業は長文を嫌う。もっと短い文や詩のようなものを書いた広告を。行革は総務省の、こうやりなさいというものを進めるだけではダメだ。システム改革運動というふうに、市役所の運動にならないといけない。どちらが市長か分からないほど貫禄十分の質問でした。
 ここのところの寝不足からか、家で灯油を出しに行ったら、ふらふらしてまともに立っていられなくなりました。子どもたちに、「吐き気はするかしないか」「昨晩は何時間も寝てないだろう」などと言われました。、妻には、「八面六臂の動きをしちゃダメ、たまにゃ、休みの日は半日ぐらい休みなさい」と叱られました。というわけで、今晩は早めに寝ます。


2005年12月18日

長時間の停電にゾッとした

 一眠りして目を覚ましたら停電していました。朝、3時頃だったと思います。しばらく布団にもぐりこみ待ちましたが、いつまでも電気が来ないので、電力会社へ電話しました。柿崎区と吉川区全域が停電したそうです。この停電は、朝の2時17分から8時6分まで何と6時間近くも続きました。そのうえ、一晩だけで50センチ近くも雪が降ったからたまらない。住民は震え上がりました。
 これほどの長時間の停電は久しぶりでした。ひょっとすると、少年時代以来かもしれません。昔は冬場の停電はよくありました。でも、きょうほどの寒さを感じなかったように思います。湯たんぽとか豆炭こたつ、練炭こたつがありましたから、けっこう暖かでしたね。当時はトランジスタラジオがありましたので、アンテナを伸ばせば、ある程度の情報も入ってきました。それがいまの完全電化の時代ときたら、話になりません。暖をとるものは全くナシ、有線も電話もインターネットもダメなのです。
 今回の停電は朝食の時間と重なったこともあって、東北電力や市役所などに問い合わせが殺到しました。当初、有線放送が活用されず、身近な情報を伝えるものがなかったことも不安を広げました。大変だったのは、病院や特養ホームなどです。自家発電装置が稼動してもせいぜい2時間、あとは電気のない時間に突入します。県立柿崎病院では電源車が出たといいます。吉川の特養ほほ笑・よしかわの里では、源のディサービスから丸ストーブを運び込みました。冬場の長時間停電でどうなるか。災害に十分対応できない弱点をさらけだした6時間でした。
 きょうは、日本共産党の地区党会議でした。上越地区内の各支部から代議員が集まって、党大会の決議案を討議し、県党会議の代議員を選出しました。吉川支部からは、私を含め、2人が県党会議に出ることになりました。2人も参加するのは支部の歴史上初めてのことです。きょうの会議では、今年入党したばかりのEさんが、「入党したことが一生の宝になった」と笑顔で語っていたことが一番印象に残りました。それと、憲法9条を守るため靖国神社を視察したり、アンケートをとるなどの活動をして頑張っているという青年党員のTさんの話、これも良かった。


2005年12月16日

一般質問第3日目

 昨日、きょうと、うれしい便りが届きました。昨年亡くなった作家の松田解子さんの娘さん・Hさんからのメールです。Hさんは何かを検索していているうちに、この「ホーセの見てある記」に行き当たったらしい。松田さんの『乳を売る 朝の霧』を買ったことや御自宅を訪問した昔話を読んで、なつかしくなったとのことでした。明後日が松田さんの一周忌の墓参会なのだそうです。松田さんには34年前に一度お会いしただけなのですが、とてもお世話になりました。私のこれまでの人生で出会った人の中で、もう一度会いたい人のひとりでした。東京へ出かけた時にはお参りしてこようと思います。
 さて、きょうは一般質問の3日目です。1日あたり10人前後の質問を聞いていると、疲れます。でも、結構息抜きできる場面があっておもしろい。個性豊かな議員が質問本体の部分やアドリブで楽しませてくれるのです。きょうの質問の最後は内山議員、「私はきょうは取りですが、ようはゲッパ」「皆さんもお疲れ、市長もお疲れ、私もお疲れ。短く終わらせてほしいというお気持ちは分かりますが、私は決して短くはしません」そう言って持ち時間を1秒も残すことなく使いました。このウイットと根性には脱帽です。
 きょうは私の出番でした。建築確認偽造問題と福祉輸送特区のふたつをとりあげました。建築確認の問題では、18日付「しんぶん赤旗」日曜版の記事(日本ERIが割引券を出していたというスクープ記事)も紹介して質問しました。赤旗を使って質問したのは、これまでの27年の議員生活のなかで初めてでした。民間の検査機関が行った、これまでの建築確認の再チェックと制度改正、市の確認体制強化についてはまずまずの答弁を引き出すことができました。
 福祉輸送特区の質問はくやしいですが、いまひとつでした。特区の区域についての質問では、構造改革特区法に基づき解釈するならおかしいことは認めながら、逃げの答弁を繰り返す市長を追撃できませんでした。寝不足と勉強不足が原因です。それと、もう1つ、木浦市長は慎重な方なので、具体的な施策の提案などは、あらかじめ質問通告に書いておくか、口頭で伝えるかしておかないと、いい答えは返ってこない。今回、この点、よく分かりました。福祉輸送についての市独自施策の充実を図るなかで運営協議会を立ち上げていく、という提案は別の場でも実現を求めていきたいと思います。


2005年12月15日

一般質問第2日目

 雪はひと休みしたようです。天気は晴れ、市役所からは米山や尾神岳、県境の山々がじつによく見えました。デジカメを持って飛んでいきたくなりました。吉川区にいるのであれば、このページの尾神岳の写真を撮りに行くんですが、いまは時間が無くて駄目です。残念、残念。
 きょうも一般質問でした。わが議員団からは樋口、杉本両議員が登壇しました。樋口議員は、さいがた病院が触法病棟を来年4月から開設しようとしている問題をとりあげました。質問の趣旨は、関係住民の声を十分聞いて対応せよということでした。現地を何回も訪ね、地域住民の不安や要望を丁寧にひろいあげる努力をしていた彼女の姿勢は学ぶところがあります。杉本議員は、長野新幹線が金沢まで伸びた時の在来線対策一本に絞って質問を展開しました。住民の足を守るための提案だけで質問時間の8割を使う、こういう一般質問もあっていい。近くの議員からは、「聞き応えがあった」という声も聞こえてきました。
 さて、明日は私の出番です。私がとりあげようとしていた上越ボランティア輸送特区の問題は、渡辺議員がきょう質問したので、ひと工夫しないと生き生きした質問になりません。質問のシナリオを再構成してのぞみたいと思いますが、その時間があるかどうか……。明日は金曜日、市政レポートを今晩中に完成させる仕事をまずしないといけません。
 お知らせが1つあります。日本共産党市議員団事務局長の上野公悦さんがホームページを立ち上げました。ぜひご覧ください。


2005年12月14日

一般質問第1日目

 3日連続の雪、わが家の周りも20センチを超えました。議会中も雪が舞うように降り続け、いやな雰囲気になってきました。この時期にしては久しぶりの大雪警報が出ています。一番困ったのは、市役所までの道の路面が悪いことです。今朝はまずまずでしたが、帰りはでこぼこ道が続き、時速20キロくらいで軽トラを走らせました。明日は、遠回りになっても国道に出て市役所に向かうことにしようかと思います。
 さて、きょうから一般質問です。総勢36人の通告です。きょうはその内、9人が登壇しました。これだけ質問者が多くなると、質問内容もけっこう幅広くなります。私の気が付かないようなことを訊く人もいて、とてもためになります。一番に質問した早津議員の質問の中で、児童生徒が下校時、最初からまたは途中から一人になる者が市内全域で2352人にもなることが明らかにされました。下校時に一人になったところをねらう事件が相次いでいるだけに、この多さにはびっくりでした。同議員は議運委員長ですが、質問通告書に書かれていないことをいくつか質問していました。関連があれば柔軟に質問ができるのは、いいことです。
 大きく変わる稲作経営安定対策について私は、文教経済委員会で基本的なことをとりあげて、助成の対象基準に満たない人も含めて守ることを約束してもらっていましたが、武藤、長井両議員がそれぞれの視点で掘り下げてくれました。武藤議員は、農業経営安定についての市の責務について触れている上越市食料・農業・農村基本条例第17条「 市は、農産物の価格の著しい変動等が認定農業者、新たに就農しようとする者等の農業経営に及ぼす影響を緩和するために必要な施策を講ずるものとする」に照らして市の独自施策の充実を求めました。長井議員は根っからの農業人で、彼の農業論、教育論は愛情あふれた素晴らしいものでした。
 まちづくりについて日頃から実践している本城議員は、高田の宝である雁木を活かしたまちづくりで質問をしました。350年の歴史を持ち、総延長18キロメートルにも及ぶ雁木通りは通勤通学の道としてばかりでなく、商人町、職人町に欠かせないもので、かつては賑わいをつくりだしていました。雁木通りをどのように全国発信するか、雁木の保存、これを活かしたイベント支援を訴える質問、とても興味深く聞きました。そうそう、雁木通りといえば、近々、著名な写真家・濱谷浩の写真展が高田の雁木通り美術館で開催されることを知りました。とても楽しみです。


2005年12月13日

総務常任委員会

 常任委員会審議のラストは総務常任委員会です。いつもなら盛りだくさんの議案も今回はわずか5件、4つの常任委員会の中では最少でした。議案がどんなに少なくても、ほとんどの議員は、付託された議案の中で自らの力を発揮できる場所を探し、そこで質問を集中します。今回は1件の指定管理者の指定に関する議案がその対象となりました。これまで3つの常任委員会での審議の蓄積もあり、指定管理者の公募内容の公表、選定委員会の審査のあり方などをめぐって活発な質問が展開されました。
 複数の団体が応募した場合の指定管理者を選定する審査で、山岸議員が、「管理の安定を望めない」と判定された業者が1次審査で採点すらされないというケースがあったことを問題にしました。募集の条件を満たしていれば、審査対象にするのは当然ですから、これは行政の完全なミステークです。審査の基本方針がキチンと確立していれば起こりえないことでした。昨日の文教経済委員会で審議した案件の中では、「管理の安定を望めない」と判定された業者も1次審査で採点されていました。私の方でこの点を指摘したら、こちらのケースでは誤りに気付いた後だったので採点するようにしたと説明がありましたが、そうならば、山岸議員の質問があった時にその点に触れて答弁しておくべきでした。
 常任委員会後の委員協議会では、新市建設計画の地域事業をめぐってすったもんだしました。合併協議での各市町村への事業費配分額は平成15年度決算ベースで決めてあります。これを平成16年度決算ベースで再計算することについて、市長は今年中にやると約束していました。まだまとまっておらないことから、市側はお詫びし、もう少し時間をほしいとのべましたが、「どういう計算をするのか」という質問にたいする市側の答弁が明確さを欠いていたため、騒然とする場面がありました。こういう大事なことは、市長が出席して自ら報告すべきだと思います。


2005年12月12日

文教経済常任委員会

 布団がいつもより冷たく感じたので、また雪かと外を見たら真っ白。2度目の雪が来ました。昨晩は妙高方面に大雪警報が出たといいます。この分だと、山間部はかなり降ったはずです。わが家の近くでは朝の積雪は5センチくらいでしたが、日中も降り続き、ブルが出ました。区内での初出動は先月20日(上川谷)ですが、わが家周辺では初めてです。市役所までの到着時間は、雪があると無しでは軽トラで15分違います。きょうは50分かかりました。
 きょうは私が所属する文教経済常任委員会でした。教育委員会、農林水産部、産業観光部にかかわる議案を1日で終わらせる審議日程ですので、強行軍です。指定管理者の指定の議案では、合併前の上越市内にある施設についての地域住民の声をどう反映させるか、選定委員会の評価の公表などにしぼり質問をしましたが、もっと問題点を整理していく必要を感じました。
 警察が今春、小中学校の安全調査をしたそうですが、その調査結果が公表されました。外部侵入が容易であることが改めて明らかになったほか、異常発生通報装置のない学校が15%もあるなど、安全安心を確保する観点から見ると、いくつも問題点があることが分かりました。新年度予算編成方針では、教育予算もかなり削られそうになっていますが、子どもの命、安全を守る点で不十分さが残らないようにしてもらいたいものです。新教育長は、委員会で、子どもを守る教育委員会の方針を説明しました。スクールバスの運行を拡大し、子どもの安全を守ろうという私の提案には前向きな答弁がありました。今後に期待したいと思います。
 高田の商店街の空き店舗に市役所本庁の産業振興課、観光関係課の一部、歴史・景観まちづくり推進室を移転させる予算が計上されました。補正の理由が書かれた文書では、市の行政組織のあり方などとからめて記載してあったので、その観点から、つっこんだ質問をさせてもらいました。行政側のねらいはサテライトをつくり、商店街の活性化と高田の観光の発展をめざすことにあったようですが、観光関係課のどの係りを移転させるか決まっていないなど、計画の詰めの弱さを感じさせるものでしたね。採決にあたっては、移転の目的を明確にする、移転する部署を具体的に示すことを委員会として求め、それを前提にして認める決着をしましたが、どんな文書を行政側が出してくるか注目です。
 きょうの委員会は夜8時15分までかかりました。妻とは勤務先まで迎えに行くよと約束をしていましが、彼女は、電車で市役所まで来て、警備室でストーブにあたりながら待っていてくれました。


2005年12月11日

尾神では20センチ近くの降雪

 ぐんと冷えてきました。山間部の尾神では20センチ近くの降雪があったそうです。もちろん、除雪ブルも出動しています。何か本格的な降雪になりそうな雰囲気になってきました。いやですね、この降り始めは……。川谷はもっと降ったはず、そう思って市役所HPの区総合事務所のページを見ましたが、まだ何も記載されていませんでした。
 きょうは党大会に向けた会議がひとつと忘年会がありました。大会議案の審議では、説明役のAさんがよく準備してきてくれて助かりました。議案の説明をする時に、きょうの日曜版のトヨタ自動車の記事や身近な党組織のよく知られている活動などにも触れてもらったので、ずいぶん分かりやすいものとなりました。
 忘年会は大潟区の鵜の浜ニューホテルが会場です。これまで何回か利用させてもらっていますが、お風呂に入るのは初めてでした。海が見えるお風呂ですので、天気がよければ夕陽も見ることができるかもしれません。忘年会に集まったのは、私の地元の有志です。10人ほどの少ない人数の割りには、50人ほど入る大きな部屋を使わせてもらいました。結構賑やかに楽しくやっていたのですが、おもしろいもので、いつもより静かに感じました。空間が作り出すマジックかな、これは。


2005年12月10日

無題

 昨晩は強風とカミナリでひどかったですね。区内では停電したところもあったそうです。日刊紙の早朝配達をした時には、道にものが飛び出していたり、植木鉢がころがったりしていました。日中は「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。山間部は5センチほどの雪があったのですが、うっかり長靴に履き替えるのを忘れていたので、靴下までびしょ濡れになってしまいました。
 夕方から忘年会をハシゴしました。高田の仲町でスタートし、吉川区の長峰温泉ゆったりの郷で飲み終わる。合併によって多くのことが広域化していますが、こういう飲み方をしたのは初めてでした。最初の会場では飲む量をひかえ、会場を移動している時は眠ったので何とかもちましたが、きつかったですね。今晩はゆっくり休ませてもらいます。忘年会は明日もあります。


2005年12月09日

建設企業常任委員会

 書きたいことはいっぱいあるが時間が無い。議会開会中の市政レポートの編集は時間との勝負です。きょうは朝から2時間ほどで原稿書き、編集、印刷を終わらせる予定でした。編集までは思うようにいったのですが、その先でつっかえてしまいました。パソコンで何を間違えたのか、プリントできないのです。ヘルプを読んでも分からない。そのうちに生活相談の人が来る。そうこうしているうちに家を出る時間になってしまいました。トラブルに巻き込まれてから何とかプリントできるようになるまで40分、その分だけ市役所に行く時間が遅くなりました。
 委員会では原発交付金の基金積立や道路橋梁災害復旧経費などをめぐりもめていました。災害復旧については仕組みが分かっていないと、説明を聞いても分かりません。説明する方も言葉だけで分かってもらうには、分かりやすく整理しておく必要があります。傍聴席にいた議員の中からは、「何が何だか分からない」といった声も出ていました。こういう時には、黒板やパワーポイントなどを使って説明したり、質問したりできればずいぶん違うのでしょうに。そろそろ、委員会審議のやり方を変える時が来たのではないかな。
 きょうの会議の中で注目したのは、委員協議会での耐震偽造に関する市の説明です。国県が指定した民間の確認検査機関が扱ったものは、システム上、問題があったかどうかチェックできない。市民から問い合わせがあったケース4件のうち1件は、日本ERI株式会社が確認したものだった。市では同社に照会し、「再検査したが構造計算書に問題が無かったことを確認した」という会社の回答があったので、それを関係市民に伝えた。建築住宅課長は、検査をした会社の再検査であることを含めて市民に伝えたと答弁していましたが、番外で質問に立った松野議員は、「会社の回答を信じるしかないのか、それで終わりか」と不満を漏らしていました。当然です。


2005年12月08日

厚生常任委員会

 きょうから4日間は常任委員会審議です。総務常任委員会をのぞく委員会は定例会ごとに審議の順番が変わります。今回のトップは厚生常任委員会でした。きょうの審議の中で注目したことの1つは、紙おむつ助成事業です。13区内でもこの事業が知られていくに従い、この事業を活用する世帯が増加し、予算を985万円増額補正することになりました。わが党の樋口委員がこの事業の拡充を訴えてきましたが、担当課がとったアンケートがその必要性を裏付けました。市が設定している限度額(所得税の非課税世帯は月3500円、課税世帯は1750円)を超えて自己負担をしている人が56%にものぼっていたのです。しかもその額は、かなり多く、オーバー分1000円未満はわずか10.5%、残りは数千円から2万円以上までありました。最終的なまとめはまだですが、これをもとに新年度からこの事業が充実されることを期待したいと思います。
 要援護世帯除雪費助成事業についても注目しました。この事業は今年2月の19年ぶりの豪雪という事態をふまえ、共産党議員団などが豪雪地域では助成額が足りないと訴えてきました。今回、事業の実施要綱を改訂し、多雪地域の援助限度額を他の地域と区別し、6万5600円にしました。これは貴重な前進です。ただ気になっていたのは、多雪地域の設定でした。各総合事務所などの意見を聴いて、豪雪地域をほぼカバーしていますが、なかには「何でこの集落が入らないのか」というところもありました。この点については、樋口委員の質問にたいする田村健康福祉部長の答弁が解決してくれました。「その年の風の吹き方、雪の降り方によって(多雪地域は)違ってくることがある。(設定した)多雪地域から外れていても、それらの地域も救えるように運用していきたい」。
 きょうの質疑では、このほかにも聴きごたえのある議論がいくつもありました。1つは上越センター病院の、いまの特別会計のあり方です。上越医師会に事実上丸投げしておきながら特別会計になっている、これでいいのかという疑問を持っていましたが、疑問を持っている人は他にもいました。指定管理者の選定をめぐる議論、私の頭脳では気が付かない大切なポイントをいくつか学ぶことができました。これらは、私の所属している委員会審議で活用させていただくことにします。


2005年12月07日

一般質問36人

 一般質問通告の締切日。私は朝9時ころ通告しました。その時は27番目ということでした。その後も通告は続き、最終的には36人になりました。6月議会の35人を上回る新記録です。この数のすごさを言ったら、ある人が、「市長が委員会に出ないからこうなるんだわね」と言いました。確かに常任委員会審議でも市長が答弁席にすわっていれば一般質問通告数に一定の影響が出るかもしれません。でも、議員としては、「委員会審議にも一般質問にも立つ」積極性が大切だと思います。
 きょうは12議会初日でした。市役所までもう少しというところで家から電話が入りビックリしました。次男が家の近くで交通事故を起こしたというのです。幸い人身でなく、本人は怪我ひとつないので安心しましたが、わが家の近くの蔵を痛め、運転していた車も大きな側溝にはまったため、左側が台無しでした。事故現場は吉川橋のすぐそば、わが家から県道に出る交差点の近くです。ここは見通しが悪く、事故がおきなければいいがと心配していた場所でした。
 きょうの会議は市長の提案理由の説明だけでしたので、約40分で終了しました。その後、一般質問の内容について関係課に説明するつもりでしたが、次男の事故処理のために、いったん吉川区に戻り、現場での車の処理を見守りました。車を現場から近くの修理工場まで移動させ終わったのは、12時少し前でした。市役所に戻った時には、大半の議員は退庁していて、静かです。建築住宅課に寄った後、何人かの議員と提案された議案の中身などについて意見交換し、私も退庁しました。


2005年12月06日

質問準備も最終盤

 明日から12月議会だというのに質問の準備はまだ終わっていません。前々から資料集めはしているものの、何をどういう切り口で質問していくかが定まらない。こういう状態はいやですね。きょうは、市役所で一般質問、常任委員会質疑をどうするかに集中して動きました。同僚の樋口、杉本議員は一般質問については、すでに通告済みです。私はどうやら、また一般質問最終日に登壇することになりそうです。
 上越市議会は各常任委員会の委員協議会をよく開催します。この議会でも、委員会が終わった後に協議会を開き、重要問題をいくつも協議することになっています。例えば、市内の建築物で耐震偽造があったかどうかの調査報告、質疑が建設企業常任委員協議会で行われます。関係課で調べ、丁寧にまとめたようですが、ここでの質疑で終わっていいものか疑問が残ります。市長は正規の委員会も委員協議会も出席することはめったにないらしい。となれば、本会議でということになるでしょう。
 市役所へ行く途中、新しくできた本屋さんに寄ってきました。専門書もかなり置いてあるし、文庫や新書の数も豊富です。妻のスーパーでの買物と同じで、いったん本屋に入ると、見るだけでけっこう時間が過ぎてしまいます。きょうも何冊か買いたくなりましたが、いま買っても読む時間はありません。買いたい気持ちをぐっとこらえて店を出ました。


2005年12月05日

上川谷へ

 昨日から2日間、新幹線との並行在来線問題の学習会でした。とは言っても、私は急用ができて朝のうちに帰ったのですが……。今回の学習会では、北陸新幹線問題を歴史的にとらえることができましたし、上越での今後の課題も整理できたように思います。いまのまま進んでいった場合、県や市の財政負担が巨額になるので、国、JRにも応分の責任と負担をさせる運動が重要になってきます。運動面で活発な動きをしている富山県内の人たちなどからたくさんの資料をいただきました。これらの宝を眠らせることなく、活用していきたいものです。
 夜の交流会では、長崎明元新潟大学学長と久しぶりに再会しました。先生の傘寿を祝う会以来かもしれません。私の母よりも2つ年上ですが、お若いのには驚きました。今朝の朝食では、「歯はすべて自分の歯だけれども、最近、年のせいか、弱ってきてね」と話しておられました。先生は30数年前のことをふり返り、「ぼくらの時代では戦後民主主義が大きな影響を与えたが、あの頃の学生には70年前後の学生運動だったね」などとのべ、とても懐かしそうでした。
 きょうの午後は久しぶりに上川谷へ行ってきました。崩落した大量の土砂にうまった県道は20センチほどの雪に覆われていました。下の方では堰堤工事の人たち数人が仕事をしていましたが、寒い中、沢水の流れの音が大きく聞こえました。上川谷集落では全戸を訪問、このうち6軒で、「今年は雪が多そうな気がする、たのむでね」「風邪ひきなんなや」などと対話をしてきました。みんな元気そうでしたので、安心しました。上川谷では、行く度にいろいろな発見をします。きょうは夕陽が照らし出す雪の棚田がとても美しく見えました。それと鈴なりになっている砂ナシ、美味しそうでした。
 トップページの尾神岳の写真、入れ替えました。川のそばの柿の木、葉っぱが完全に落ち、3個ほどの実が目立ちました。


2005年12月03日

初雪

 とうとう初雪です。午前10時半頃でした。朝飯を食べ、NHKの衛星テレビで「風のハルカ」を数回分見て、「さあ、日曜版の配達だ」と外へ出たら真っ白になっていたのです。すぐ家に戻り、「母さん、雪になったよ」と妻に教えました。昨年は12月22日が初雪でしたので、20日ほど早い雪ということになります。何か損をしたような感じがしますが、上川谷や大島区での初雪より2週間近くも遅かったのですから、ガマンしなければならないでしょう。ともかく、スノータイヤに履き替えていて良かった。
 新聞配達は長靴を履いて出かけました。いま住んでいる代石で道路が真っ白になったのだから、少し中に入ればもっと雪が多いにちがいない、そう思っていたのですが、川崎から東田中までは雪はほとんどないのです。そして国田を過ぎたあたりから、また白くなっていました。ずいぶんおもしろい降り方をしたものです。途中、専徳寺に寄って「雪の中のイチョウ」を撮りました。ここのイチョウはまだ黄色になっていないのに、雪に降られてしまいました。
 夜は、早くからパソコンに向かいました。12月議会が始まらないうちに終わらせておく必要のある仕事をするためです。ネットで調べながら原稿を書き始めたものの、頭が回転せず、テレビ映画を観て気分転換をしました。明日から2日間、糸魚川市のホテルで、新幹線と並行在来線問題の学習会です。新潟県内の関係者だけでなく、富山県内からも参加者があるといいますので、どんな出会いがあるか楽しみです。大雪にならなければいいのですが……。


2005年12月02日

無題

 まずは訂正から。昨日の「見てある記」で「新井消防署、頸北消防署も耐震補強が必要という結果が出た」と書きましたが、このなかで頸北消防署とあるのは上越北消防署の間違いでした。市政レポート作成時にミスに気が付きました。関係者にはお詫びして訂正します。ちなみに上越地域消防事務組合の第11次組合消防整備計画案では、来年度予算で新井消防署および上越北消防署の耐震補強工事をする計画が出されています。
 きょうは、午前中に区総合事務所での用事や買物を済ませ、午後から市政レポート吉川版の作成をしました。このところの囲む会で出された銀行ATM問題などもできるだけ入れようと編集したら、両面とも記事でいっぱいになりました。この調子だと、「春よ来い」は、しばらく書けそうもありません。原稿を書き上げてから、ただちに印刷して「しんぶん赤旗」日曜版のポストおろしをしました。急いで印刷したら、見出しや記事に誤字などが3ヶ所もあり、日曜日に商業紙に折り込む分については訂正しました。
 ポストおろしや配達中、天気は荒れ模様でした。クリーニングしたばかりのズボンも雨風にさらされ台無しです。予報はこれから冬型に向かうとか。年内くらいは雪の無い中で活動させてほしいものです。


2005年12月01日

忘年会で楽しいひと時

 とうとう12月がやってきました。今年最後の月、しっかり頑張って、いい締めくくりの月にしたいものです。きょうは朝からトラブルがありました。昨日のうちに送信しておいた議員団ニュースのファイルが党地区委員会事務所に届いていないというのです。事務所のパソコンの不具合で受信出来なくなっていると連絡があったので、こちらで版下を印刷して樋口議員に渡し、印刷してもらうことになりました。いつもより半日遅れた結果、直江津地域、高田地域の「しんぶん赤旗」日曜版読者の皆さんのところについては、議員団ニュースを折り込めないところが出ることになってしまいました。申し訳ありません。
 きょうは、午前に上越地域消防事務組合の議会がありました。耐震診断の結果、東頸消防署が大きな地震に耐えられないことが判明し、安塚スノーステーションに一時移転することになりました。きょうの議会では、消防署設置条例の改正や補正予算が審議されました。新井消防署、上越北消防署も耐震補強が必要という結果が出たそうですが、東頸消防署の場合は建て替えという思わぬ結果になりました。これで第11次組合消防整備計画(期間は来年度から3ヵ年)は、当初予想したものとは違った内容になることが確実となってきました。
 夜は党支部の夜班の忘年会でした。それぞれ家からいろいろなご馳走を持ち寄り、忙しかった一年を振り返りました。冬の市議増員選挙、水害、囲む会など、これまでの支部の歴史では特筆すべき一年でした。各人のスピーチでは、「長年活動してきたが、日本共産党員で良かった」「まさか、こんなにも一生懸命活動するとは思わなかった。とても充実した一年だった」などという話が出ました。言うまでもなく、出た話は政治のことばかりではありません。結婚記念日に子どもから旅行をプレゼントしてもらったなど様々な話が出て、とても楽しいひと時でした。みんなが、「もう1回、忘年会やりたくなったね」と話をしていました。


2005年12月投稿分

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