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2005年10月投稿分

2005年10月31日

街路樹も紅葉

 月曜日は定例議員団会議です。市役所本庁に向かって軽トラを走らせながら、周りの風景の変化が目に入りました。街路樹が見事に紅葉しています。ここ数日の間にこんなにも変わるものかと驚きました。議員控え室の外の風景も変わっていました。市役所玄関前は小さな林になっていますが、ここの木々もすっかり紅葉していました。頸城三山が初冠雪してから1週間ほど経ちましたが、冬が駆け足でやってくる、そんな印象を持ちました。
 議員団会議では、前日の市長選の結果を踏まえ、木浦市政にどうのぞんでいくか、アスベスト調査結果と市民生活の安全確保、改悪介護保険や農業政策の新展開などについて話し合いました。アスベスト対策については、公共施設については進みつつあるものの、市民の健康診断、民家での対策などで改善すべきことがいくつもあるということになり、明日にでも市長へ申入れをしていくことを確認しました。介護保険、農業政策については情勢認識を深めるために次々回に学習会をしていくことになりました。
 今週の囲む会は4会場で実施予定です。きょうの会場での懇談では、布団のクリーニング、県道の災害復旧の見通しなどが話題になりました。思わぬ展開となったのは、上川谷の道路災害のことについてでした。この現場を見たことのある参加者の方がひとりおられ、現場の大きな白っぽい岩のことが話に出ました。早速、この岩の画像をスクリーンに映し出して波の化石などについて説明したところ、興味深く聞いていただきました。これはプロジェクターがあったからこそできたことでした。きょうの会場ではストーブをつけていただきました。寒くなりましたね。


2005年10月30日

東京吉川会

 きょうは第13回東京吉川会総会でした。昨年、吉川町としては最後になるので、町議会議員みんなで参加しようと決めていたのですが、前日の中越大地震の影響で参加できなくなってしまったという経過があります。それで、今回は何としても参加して今後も交流を、との思いがありました。地域協議会の野呂副会長、常山総合事務所長、塚田参事、八木主任とともに参加して、楽しく交流させてもらいました。
 私が東京吉川会に参加したのは、設立総会の時と、もう1回あったかな、それくらいでしたが、参加者の故郷への思いの強さを今回もまた感じてきました。テーブルをまわって話し込んでみると、初対面の人とも、「えっ、ゼンイチさんちの人なんですか、私はご長男と同い年なんです」といった調子ですぐに話が広がります。ふるさと吉川のつながりが産む親しみは特別です。おかげで新たな友人が何人もでき、来年も会いましょうと約束してきました。
 参加者の中には私を遠くから応援し続けてくれる人もいました。会場に行くまで知らなかったのですが、その人たちは、「ひょっとすれば橋爪さんに会えるかも」という思いで参加してくださっていました。バックの中には最新の市政レポート吉川版も入っていたので、びっくりしました。お友だちに見せるために持ってきたというのです。この人たちに会えるなら、何かお土産を持っていけばよかったと反省しています。
 2次会にも参加してきました。役員をされている何人かはすでに顔なじみですが、「何で共産党のあなたが市議として選ばれたのか不思議だ」という人もいて、しばらく共産党についての話がにぎやかになりました。そのなかでIさんが、「おれは不破さんと面識がある。地域のイベントなどでは時間前にちゃんと来られて、終わるまでいてくださった。他の議員は挨拶しただけでさっと帰ってしまうなかで感心したよ」などと話をしてくださいました。
 もうひとつ報告しておきましょう。きょうは開始時間まで時間があったので靖国神社へ行ってきました。参拝をするためにではありません。遊就館を訪ねてきたのです。しんぶん赤旗に書かれているとおりの戦争記念館でした。短時間でまわったので、よく見れなかった面もありますが、ゼロ戦、はやぶさ、の戦闘機や戦車、大砲、そして、人間魚雷「回天」まで展示してありました。日曜日ということもあってか、靖国神社も遊就館もものすごく混んでいました。戦争賛美の世論が当たり前にならなければいいがと心配になりました。


2005年10月29日

吉中音楽祭

 昨晩の囲む会で、町田と道之下を結ぶ林道の管理が話題になりました。草刈りがこれまでより悪くなっていて、側溝に刈った草やごみがつまっている。それが大雨の時に路肩の決壊などにつながったのではないか。日頃の管理に金をかける方が災害復旧工事に金をかけるより安上がりだ。そういった声が出たのです。それで、きょうは久しぶりに、この林道を軽トラで通り、問題となっている箇所を写真におさめてきました。これらのことは、直ちに改善を求めていきたいと思います。
 さて、きょうは楽しみな日でした。というのも、数年ぶりに吉川中学校の音楽祭に出ることにしていたからです。中学生の若さあふれる表現力、クラスとしてのまとまりの素晴らしさは、わが家の子どもたちが中学生だったとき以来、感じてきました。それを再び、この目で、耳で再確認できる。それに、吉川中学校の音楽祭は昨年から、音響効果のいい頸城区の希望館で実施されていることもあり、その点でも期待が持てます。来賓として案内をいただいていたので、ワクワクした気分で参加してきました。
 今年の音楽祭では、「響け最高のハーモニー」を目標に、学年ごとの合唱と6つのクラスの合唱コンクールが行われました。ゆったりとしたテンポで表現力が求められる曲、元気でリズミカルな曲などを男子と女子の混声で歌い上げる、どの合唱も心に響くものがありました。なかでも、3年B組の〝新しい世界へ〟は、手拍子あり、アカペラもある、体も動かす、これまで見聞きしたことのない魅力いっぱいの合唱でした。たぶん、このクラスが最優秀賞を獲得すると思ったら、そのとおりになりました。
 心に残ったのは生徒たちの合唱だけではありません。審査、講評をされた頸城中学校の渡邊先生のお話がとても良かったのです。先生は各クラスの合唱の良さをコンパクトにまとめた後、音楽の魅力について語り、、人としてどう生きるべきかについても分かりやすく語られました。相田みつをの「幸せはいつも自分の心が決める」という言葉を引用しながら、「最高という思いも人それぞれで違う。今回チャレンジしてきたものは、一人ではできないもので、形としては残らないものの、ずっと心に響き続ける魅力がある」とのべました。そして、「きょう、感じた最高という思いを長い人生の中で灯し続けてほしい。人生で一番大事なのは結果ではない。いま取り組んでいることに、どんなふうに向き合っていたかだ」と結ばれました。
 もうひとつ、今回の音楽祭で、いいなあ、と思ったことがあります。成績発表の際、生徒たちから歓声が上がり、拍手が起きました。その喜び方が、ものすごく若者らしく、健康的な感じがしました。また、3年B組のアンコール合唱では、生徒たちが受賞の喜びを顔に出して伸び伸びと歌っていたのも良かった。手拍子をしてリズム感たっぷりに歌う場面では、観客席にいた生徒たちも次々と立ち、最後は総立ちになり、舞台上の生徒たちと一体となりました。まさに、〝最高のハーモニー〟が出現したのです。期待通りの素敵な音楽祭でした。


2005年10月28日

毎回1つずつ工夫をすれば

 囲む会でプロジェクターを使い始めて4日目、だんだん慣れてきました。画像などを見てもらいながら話をするのも、簡単そうで、結構むずかしいもんだと感じています。でも言葉で語るよりも画像を見てもらうだけでさっと理解してもらえることも多く、使うのが面白くなってきました。河川内に草木が生い茂っている様子などは画像を見てもらうのが一番です。また、きょうは会場のある集落の写真をトップにもってきて、「○○のみなさん、お疲れ様です。ご参加ありがとうございます」の文字を挿入しました。会がはじまる前に、この写真を映し出しておくだけで喜んでもらえました。毎回、1つずつ工夫をしていくと、囲む会が全部の集落で終わるまでにはかなり上達しているかも知れません。
 きょうの日中は、市政レポート作成と日曜版の配達・集金でした。明後日の日曜日、東京吉川会の総会で朝早くから一日中いないので、配達はきょう、明日で終わらそうと頑張りました。ある集落で、70代の女性の読者からとても勇気づけられる話を聞きました。この人は日曜版はためになることがいっぱい書いてあるので、いつも楽しみにしている、新聞紙も資源ごみに出すのだけれど、この新聞だけは出さずにとって置いている、というのです。これほど大事にしてくれている人がいるとはうれしい。


2005年10月27日

一枚の記念写真

 一昨日のこと、旭川市在住の山崎知文さんからメールをいただきました。そこには、「先日『兜巾山からみた米山』の写真を拝見しました。びっくりするやら、懐
かしいやらです」とありました。山崎さんは私のHPに掲載した写真とコメントで小学校時代に兜巾山に登山したことを思い出されたのです。そして山頂での記念写真を送ってくださいました。女の先生と22人の男子児童が写っている記念写真の背景には米山がはっきりと写っていました。写真はいまから47年前の10月に撮影されたものでした。
 写真を見た瞬間、これはすばらしい写真だ、自分が撮影したものではないけれど、「私の好きな風景」にぜひ載せたいと思いました。そのためには撮影した人の許可を得なければなりません。手がかりは、写真の裏面に記された、「吉村先生より」という文字でした。山崎さんの子ども時代の字です。吉村先生というのは吉川区在住の吉村勝さんです。きょうは、吉村さんに会い、当時のことをたくさん話していただきました。
 吉村さんは当時、源小学校の教員で、カメラ愛好者の1人でした。自分の家で現像していたそうです。記念写真そのものの記憶はないものの、同じ学校の教員の中でカメラを持っていた人は他に思いあたらないことや山崎さんの写真メモからいって、撮影者は吉村さんにほぼ間違いないと判断しました。吉村さんからは、テレビの受信試験を当時、兜巾山でやっていたこと、それを見るために登ったこと、登山道が分からずに中学生が途中で引き返したことなど記念写真にまつわることをいくつか教えてもらいました。
 それだけではありません。当時の農村風景、学校生活など様々な思い出を語ってくださったのです。田植えの時の「わっころがし」を撮った話、当時、高沢入で下宿していた女性教員のところへ夜中に「訪問」しようとした者がいたので、運動会用のピストルで追い払うようアドバイスしたこと、昭和30年に新築したわが家の写真も撮っていただいたことなど、いずれの話も初めて聞くものばかり、興味深いものでした。これらの話は、どこかでキチンと書きたいと思います。


2005年10月26日

慰労会

 総選挙が終わったら一日ゆっくりと休もう。支部の仲間たちと約束していた慰労会をきょう、実施しました。勤めのある仲間もいますので、参加者は限られましたが、楽しい1日になりました。まずは温泉につかり疲れをとる。それから宴会をやる。遊びでも、一緒に行動するのはいいものです。宴会は、ささやかでしたが、昔話やカラオケも出て、笑いと拍手の連続でした。私はカラオケしかできません。きょうは、「酒よ」「夕焼け雲」「桃色吐息」の3曲を歌いました。みんな、個性あふれた芸を持っているのには感心してしまいました。
 Kさんの昔話は初めて聴きました。たくさんの昔話を知っておられるということは以前から聞いていましたが、自分なりの語りの世界をもっているのは驚きでした。身振り手振りを加えてKさんが語ったのは「へっこき嫁さん」。屁ばかりしていて姑さんから嫁として失格を言い渡された後、思わぬところで「屁の力」を発揮して姑さんの願いをかなえることになります。嫁さんが大きな屁をした時のことを語るKさんの様子が面白く、みんな、屁がでそうになるほど笑い転げました。
 宴会で腹いっぱいになったら昼寝です。私はごろ寝を30分ほどして、仲間の1人と散歩に出ました。温泉の近くには山芋のツルがあり、むかごを一生懸命とりました。ここのむかごは大きいのがたくさんありました。あったのは、むかごだけではありません。紫色になったアケビも偶然見つけました。ここのアケビはすでに口が開き始めていました。ただ、採れたのは1個だけでしたので、欲しがっている人にあげました。次に見つけた時はその場で食べてしまおうと思います。じつは、今年のアケビをまだ食べていないのです。
 夜、7時のテレビニュースを見ていたところへ妻が帰ってきました。いきなり、「きょうは何の日か知っている? 結婚記念日よ」と言います。いやはや、すっかり忘れていました。今回は30回目の結婚記念日でした。「よく別れないでがんばったね」と握手をしました。ふだん、結婚しているかどうかを考えることもなく過ごしているので、記念日くらい、ふたりで一緒に過ごす時間を持てばいいのですが、来年から気をつけたいと思います。


2005年10月25日

「囲む会」で新たな試み

 「橋爪法一を囲む会」の会場には何かが足りない、そう思い始めていた時に、フォークシンガーである横井久美子さんの「春秋楽座」の取り組みを知りました。お寺や喫茶店などで30人未満のこじんまりしたコンサートをやる時、縦横2メートルの幕を壁に張ってライブ空間を作っていたのです。一枚の幕がある、ただそれだけで舞台ができる、雰囲気が盛り上がる、何の会場かも分かる、これは見事というしかありません。
 同じようなことを囲む会でもやれないかと仲間に相談したら、ぜひやろうということになりました。早速、幸せ色の黄色い布を購入し、市内在住の書家、早川大斗さんに依頼したところ、快く引き受けてくださいました。きょうの囲む会では、出来上がったばかりの幕を張り、会を進めました。こちらのポスターが一枚もなかった会場は、この幕で一変しました。温かい雰囲気がただよい、とてもいい会場になったのです。幕に書いていただいた言葉は、「ふるさとは母 ふるさとは命」、このHPでも使っています。「どなたが書かれたものか、すばらしい」という言葉が何人もの参加者から寄せられました。
 きょうの囲む会では、もう1つ、新しい試みをしました。パソコンとプロジェクターを使って議会報告をしたのです。これまで、ほとんど口だけで報告していたものをカラーの画像も使ってやる。こんなに便利なものをいままでなんで使わなかったのかと思いました。報告後の懇談会では、新市建設計画に関することをいろんな角度から質問されました。吉川区の地域事業はどうなっているか、地域事業の変更などはどこで審議するのかなどです。地域協議会で審議する場合、住民の生の声を聞く場を設けてほしいとの要望もありました。
 今週の囲む会は先週同様5会場です。


2005年10月24日

有料老人ホームを視察

 定例の議員団会議が終わってから、杉本議員団長とともに、高田の寺町にある有料老人ホーム、サンクス高田を訪ねてきました。来月4日にオープンするそうです。上越地方の同じ種類の施設の中ではおそらく、最も新しい施設でしょう。居室、トイレ、お風呂、キッチンなどを案内してもらいましたが、介護用の各種機器はどんどん進歩しているんですね。特殊浴槽などは数年前とは比較にならないほど高性能になった、と感じました。
 サンクス高田はベッド数が74。このなかにはショートスティも20ほど入っています。この施設で働く職員数は50人以上だといいます。きょう、案内してくれた職員は20代の男性でした。案内者について行ってエレベーターを出ると、各階にはオープンに向けて準備している職員が大勢いました。以前、福祉部門の公共事業を拡大することで雇用を増やすことができるということを学びましたが、それを実感できました。それにしても、職員さんたちの挨拶が丁寧なのには驚きました。
 吉川区へ戻ってから、「囲む会」の案内ビラ配りを1時間半ほどやりました。久々に会った人たちのなかには、増員選挙後初めて会った人も何人かいました。ある方は再会を喜び、柿や山の栗をたくさんプレゼントしてくださいました。山の栗は小粒ですが、私の好物です。甘みがあって美味しいので、子ども時代には遠くの山まで出かけて採ってきたものでした。また栗ご飯を食べられます。
 きょうは市役所で、ある職員さんからパワーポイントを使ったファイルを見せてもらいました。ソフトは最新のバージョンです。表やグラフ、写真、それも動きのある写真を使った見事なものでした。私が昨日作成したものを小学校1年生の作品だとするならば、大学4年生の作品といってよいでしょう。いつかは、私も。そんな気持ちになりました。パワーポイントについては、北海道のYさんからもメールでアドバイスをしていただきました。しょっちゅうやっているうちに、だんだんできますよ、と励ましてもらいました。うれしかったです。


2005年10月23日

中越大震災1周年

 人生で一番怖い目にあったのが昨年のきょう、10月23日でした。朝一番に新潟日報のコラムや社説、「しんぶん赤旗」日刊紙の特集などを読みました。いまなお、9000人の人たちが仮設住宅での生活を余儀なくされているといいます。本当に気の毒です。個人の財産だからとの理由で、住宅再建への本格的な支援をしない国の政治はひどすぎます。新潟日報社説も「安心して暮らせる住宅の確保は、復興の最重要課題である。制度がこのままでは住宅再建を断念せざるを得ないケースが相次ぎ、被災者の気力をそぐ恐れがある。それは国としても本意ではあるまい。住宅本体への支援を決断し、法改正を急ぐべきである」と主張していますが、当然です。
 上には上がある、そう思ったのはパキスタン大地震の記事を読んでのことです。「しんぶん赤旗」日曜版23日号にはフォトジャーナリストの森住卓さんの写真ルポが掲載されていました。標高2500メートルの町で仮設住宅もなく、テント無しで寒さにふるえている子どもたちの目がさびしそうでした。3枚の写真のなかで一番気になったのは、山間部に救援に向かう軍隊の写真です。物資を馬やロバに載せて歩く集団の前に1人の兵士と一匹のヤギの姿がありました。ヤギは首を引っぱられてはいましたが、抵抗しないで歩いています。この写真の説明には、「ヤギは食料になります」とありました。切ない言葉ですね。
 きょうは買物をした後、家でずっとパワーポイントを使ってスライドづくりをしました。囲む会での活用を前提にした作成ですが、なにせ初めてです。写真を何枚も貼り付けたら、50メガにもなってしまい困りました。まだ5、6枚は写真を使いたいのに、これでは重たすぎます。解説本だけではよく理解できないので、明日は、実際に使っている人の話を聞こうと思います。パワーポイントだといっても、ワードやパブリッシャーを使っていればすぐにできるはずだ、と聞いていたのですが、いきなり実用はちょっときびしいかな。


2005年10月22日

パワーポイント活用へ

 新潟市で9条の会が計画していた講演会、楽しみにしていたのですが、入場券が入手できず参加できませんでした。そのかわり、新潟行きが不可能となったことで時間的な余裕が生まれ、いろんな人とゆっくり話すことができました。Nさんからは、数年前に長野県の山村で福寿草を見せてもらったことが縁で1人暮らしのおばあさんと交流が始まり、楽しい思いをしているという話を聞きました。ちょっとした親切から幸せが生まれた小さな物語に感動しました。
 日中は、橋爪法一を囲む会の案内ビラ配布と「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金でした。山間部ではいま、アケビがちょうど食べ頃です。いい色をしたアケビをとってきてある一軒の家で、「いいアケビだね」と言ったら、3つももらいました。午前中は何とかもった天気も午後からはぐずつき模様、いっとき、はげしい雨となりました。配達活動を続けるのは無理だと判断し、いったん家に帰り、横になると、そのまま4時近くまで眠ってしまいました。でもこの「昼寝」でエネルギーを補給、夕方遅くまで頑張ることができました。
 夜はパソコンショップと本屋へ出かけてきました。パソコンショップではPCカードアダプタとパワーポイントの解説本を購入してきました。アダプタを買ってきたので、昨日から取り込めないでいた写真をこのページに掲載できるようになりました。尾神岳がかすかに赤くなってきたのが分かるでしょうか。パワーポイントは、囲む会で活用できるようにしたいと思っています。いままでまったく活用してこなかったソフトですが、明日、じっくり読んで、来週から活用しようと思っています。


2005年10月21日

月例議員懇談会

 上越市議会には月例議員懇談会というのがあります。定例会のない月に議員が顔を合わせ、前回の懇談会以降の各種会議の報告や以前、問題にした常任委員会・特別委員会の研修報告などもここで行っています。きょうはその日でした。自治基本条例に関する特別委員会は埼玉県草加市や神奈川県大和市の条例づくりについて学んできましたが、委員長の報告では「上越市の取り組みについて考えていかなければならないことがある」といった趣旨の言葉がありました。どんな注文があるのか、具体的なところを知りたくなりました。
 きょうの懇談会では私の出番もありました。上越地域消防事務組合議会の報告です。午前中に、先日の組合議会の議案などを読み返し、5分くらいで報告できるようにまとめてみました。30分くらいで作業が終わると思ったら、結構時間がかかってしまいました。やはり、組合議会があった、その日にまとめておけばよかった、そう思います。私の報告は最後、だれも聞いていてくれないのでは心配したのですが、「分かりやすかったよ」と声をかけてくれる人がいました。ありがたいことです。
 昨日撮った尾神岳の写真、トップページのものと入れ替える予定でしたが、機械の不具合でパソコンに取り込めなくなりました。しばらくお待ちを!


2005年10月20日

4時前起床しフル回転

 めずらしく朝4時前に目が覚めました。やるべきことがたくさんあって、なかなか消化できない時にこうなりやすいのです、私の場合は。生活相談がたまっている、原稿書きもある、牛舎の仕事もやり残しだらけ、早急にやるべきことが次々と浮かぶようになってしまって……。でも、こういう時は全部やろうとしないで、ひとつずつやっていくのが大事なんです。
 起きて、ただちに日刊紙の配達に出ました。さすがに早朝は冷えますね。軽トラの暖房を入れ、走りました。帰ってから牛舎の仕事をやりました。わが家の牛たちはいま3頭です。この間までワーワー鳴いていた仔牛も落着いてきました。忙しすぎてうっかりしていたのですが、今月末にお産があります。昨年も10月に産んだ牛です。問題はわが仔を無視し、蹴り続けた暴れ牛がすぐ隣にいること、これをどこかに移動させないと、お産したあと、何か起きそうなので心配しています。
 囲む会、きょうは2会場でした。昼間の部と夜の部、いずれも活発な意見が出ました。災害対策など個別の問題も大事だが、合併前の上越市中心の議会運営にならぬようがんばってもらいたい。合併したら、関係がないはずの県道の除雪まで遅くなった感じがする、何とかしてほしい。吉川町時代になかった良い制度があるのはありがたいけれど、申請手続きがやっかいで使いかってが悪いのがある。きょうは、これまでの懇談で出なかったものがいくつも出ました。
 「私の好きな風景」、久しぶりに1枚追加しました。「兜巾山から見た米山」です。ごらんください。


2005年10月19日

高校の同級生と20数年ぶりに再会

 会議はなかったのですが、朝から夕方まで市役所本庁にいました。主な仕事は議員団ニュースと市政レポートの作成です。先週から1週間は情報もたくさん入ってきていましたので、何を書こうか迷うこともなく、原稿書きができました。割合と時間的な余裕もあり、日頃から話をしてみたいと思っていた何人かの職員ともゆっくり話をすることができました。高校時代の同級生の職員のひとりとも20数年ぶりに再会しました。髪も薄くなり、結構、年をとったな、と思ったのですが、髪の薄さはこちらも負けていません。向こうも、「老けたな」と思ったに違いありません。
 昼間、たくさんしゃべりすぎたのか、夜の囲む会では、少し疲れが出てしまいました。それでも、真剣に聞いてくださり、質問もたくさん出ました。これまでの囲む会では、不思議と市長選の話が出なかったのですが、今晩はその話が一番最初でした。吉川におけるアスベスト対策の現状、直下型地震対策、県道でのガードレールの設置など他所の会場では出なかった質問が続きました。集落のおかれている状況によって要望事項もずいぶん違うと感じました。勉強になります。
 昨日から気になっていたことがひとつありました。それは赤いミョウガの花です。通常は薄黄色の花をつけるのですが、山芋掘りの際、見つけたミョウガの花は赤でした。赤い花の中に黒い目のようなものがあり、ちょっと不気味なところがあります。囲む会から帰って、ネットで探したら、何とか見つけることができました。初めて見た人は、みんな驚いているようです。私はこれで2度目です。


2005年10月18日

10数年ぶりに山芋掘り

 きょうは、私のささやかな願いが実現しました。山芋掘りです。忙しくて芋掘りどころではないのですが、1時間半の芋掘りを楽しんできました。山芋掘りは10数年前に酪農家と一緒に出かけて以来のことです。毎年、行ってみたいと思いながら、なかなかふみきれませんでした。今回は後援会員のTさんと一緒でした。このところ「橋爪法一を囲む会」などでたいへん世話になっているTさんに、いつか連れて行ってあげますよ、と約束していました。その約束を実行したのです。
 今回も10数年前と同じ場所へ行ってきました。急斜面にある芋をねらったのですが、この方が短時間にたくさん掘れると思ったからです。実際は1時間半で6本の収穫でした。全体に細くて、目方がありませんでした。でも70センチくらいのいいものも2本含まれていますから、まずまずというところでしょうか。出かけた場所の周辺には、シラネセンキュウサラシナショウマの白い花が咲いていました。くるみもたくさん落ちていましたよ。
 さて、きょうのその他の活動です。午前は生活相談と買物でした。買物はパソコン関連部品の購入が目的で、ついでに本屋ものぞいてきました。午後からは市役所職員と一緒に区内の危険な交差点、三叉路の調査をしました。人身事故が多発している所では、見通しが悪いこともあって、バイクが急ブレーキをかける場面に出会いました。危険箇所は車を降りて、いろいろな角度から歩いて調査しました。普段、車で走っているだけではわからない危険なところが見え、勉強になりました。
 今週の「橋爪法一を囲む会」は5会場です。これまでの会場でもそうでしたが、議会報告後の懇談がとてもにぎやかです。今晩の会場では、県道拡幅予定地の草刈り、梅雨前線豪雨で各種助成制度がまったく適用できない被災ケースの救済策、農業振興策、第四銀行のATM移転問題、区体育祭での来賓のあり方など質問が続出、閉会予定時間を軽くオーバーしました。今晩の参加者数は増員選挙前の懇談会の3倍以上になりました。


2005年10月17日

今度は「むかご」と栗入りご飯

 午前から午後2時ころまで、市役所本庁、総合事務所で仕事をしました。「橋爪法一を囲む会」で出された要望を総合事務所などに伝える、尾神岳の報尽碑についての検討会の案内文を書く、市政情報を収集するなどが主な内容です。冬場の資源ごみの回収は、降雪期のため簡単な小屋を作るなどの回収場所(資源物集積所)の整備が求められています。資源物集積所の新設、改修については市が一定の助成措置をしていますが、担当グループの話では、吉川区だけですでに24件の申し込みがあるとのことでした。
 午後3時ころからは、「囲む会」の案内ビラを2集落で配布しました。増員選挙後、初めて訪ねたある家では、「あんたのレポートを楽しみにしている。がんばってくんない」と励ましてもらいました。また、昨日、市議団で発行した市議会報告を新聞折込したのですが、その反応もありました。裏面にまるまると太った私の笑顔が掲載してあったのが話題になっているようで、「おまさんもいい男になったねぇ」と年配の女性から声がかかりました。すかさず、「おれは若い時からいい男だでね」と言っておきました。もちろん笑顔で。
 ビラ配布に出かける途中、道にぶら下がっていた山芋のツルが目にとまりました。帰りに車をとめたら、むかごが鈴なりでした。一緒に行った仲間と帽子の中にもいで帰りました。仲間の1人はこれをゆでて食べたそうです。私の方は、先日のむかご入りご飯が忘れられず、3合のご飯を炊き、その中に入れました。炊き上がったご飯には、むかごだけでなく、栗も入っていました。妻が入れたのだそうです。3合のご飯はあっという間になくなりました。


2005年10月16日

吉川小学校文化祭

 きょうは小学校の文化祭でした。学年ごとの展示作品はほとんどが図画です。1学年から6学年まで順番に見ました。毎年思うことですが、一学年ごとに成長していることがはっきりわかり、その学年ならではの良さもある。大人になってもこういうふうに成長していることが確認できるならば、年をとるのも悪くないな、と思うのですが、現実はなかなかそうはいきませんね。
 作品の中で、「これはすごい」と感じたのがいくつもありました。そのなかでも3年生のTさんの「転んでドロドロ」はいい絵でした。何匹も飛んでいる赤とんぼ、カエル、小鳥がしっかり描かれていて、秋の雰囲気がよく出ていました。ユニークだと思ったのは、草の根など地面の中まで描いてあることでした。6年生のIさん、「はいぜんだいはきれいに」というポスターも良かった。タオルに立体感があるので、近づいてみたら本物を貼り付けてあるので感心しました。
 10時からは音楽発表会でした。体育館は、家族ぐるみで来ている人たちでいっぱい。後ろの方には三脚つきのビデオカメラがずらりと並んでいます。みんな、子どもたちの記録を残そうというお父さんたちです。合唱・合奏は耳だけでなく目も楽しませてくれました。着ている物も凝っていておもしろかったですね。何となく学芸会とミックスした感じがしました。よさこいは、小学校でも人気があるんですね。発表会では、先生たちも大活躍でした。写真は先生たちの発表です。役者ぞろいでびっくりしました。


2005年10月15日

県活動者会議

 最近は朝早く起きることができなくなっています。たいがいは6時頃の起床です。しかし、きょうはゆっくりしていられません。早めに新聞配達を終わらせて、新潟市へ行かなければならなかったからです。4時半起床。それから8時半まで「しんぶん赤旗」の日刊紙、日曜版の配達をしました。会って、朝の挨拶をしたのはほんの数人、後は配達のみ。ずいぶんはかどりました、でも終わりませんでした。
 新潟は共産党の県活動者会議です。柿崎インターから頸城区、大潟区の仲間と一台の乗用車に乗り、向かいました。会場まで約1時間45分で到着。そこでは小国の細井良雄さんや新津のHさんなど懐かしい人に何人にも会いました。きょうの会議の最大の収穫は岩切幸子さんの講演です。中央委員会組織局の方ですが、「温かい人間的連帯にあふれた党づくり」をどうすすめるかについて具体例をたくさん出して、わかりやすく語ってくださいました。
 私の所属している支部でみんながいま心がけているのは、楽しい支部活動にすることですが、岩切さんの話には、そのヒントがいっぱい詰まっていました。新入党者にたいしてはこころのこもった歓迎会をやる。入党してきた女性がきれいにお化粧してきてくれるのに、迎えた支部が「パジャマ姿」ではダメ。支部ニュースは事務連絡ではなく、支部のみんなの活動、生活が生き生きと伝わるものにする。日刊紙にはまず慣れ親しんでもらう努力を。とてもいい勉強になりました。岩切さん、着ておられるものも素敵でしたね。
 そうそう、発言にも参考になるものがいくつもありました。なかでも頸城区のN子さんの発言は良かった。前日から準備してきたというのですが、日頃から楽しく、にぎやかにやっている支部活動を紹介してくれました。私も彼女の支部の新入党者歓迎会や焼肉大会などを見てきたのですが、そうした活動をわかりやすく、丁寧に報告する内容でした。岩切さんの講演内容を実践するとこうなりますよ、といった感じです。N子さんの発言はぜひ、全国の仲間にも伝えてほしい。


2005年10月14日

報尽碑現地視察

 尾神岳の報尽碑については9月21日の「見てある記」で書きましたが、きょうは関係する議員など16人が集まり、現地を視察しました。その後、見晴らし荘において、道路整備などこれからの運動をどのようにすすめていくかについて懇談をしました。碑は尾神岳の中腹の高台にあります。現地に行った人たちが、まず驚いたのはどんぐりでした。碑の周りはどんぐりの実でびっしりと埋まっていたのです。歩くと、「ブチ、ブチッ」という実のつぶれる音がしました。
 碑に手を合わせた後、報尽碑について説明してくださったのは、旧吉川町教育委員長の上野實英さんです。元中学校の校長先生で、区内では「古文書を楽しむ会」の講師も務めておられます。上野さんは、明治16年3月12日の遭難について史実に想像もまじえて語ってくださいました。「雪崩は最初小さなのが落ちてきたのでしょう」「おそらく欅(けやき)を運んだソリが埋まったのではないか」。遭難現場の地形などを見たばかりなので、上野さんの言葉から事故当時の情景が浮かび上がりました。
 説明の中で参加者が最も注目したのは、欅の出所についてです。これまで大島区嶺だというふうに聞いてきたのですが、上野さんは柿崎区米山寺の木村家文書や大島区の中条家文書などによって、吉川区川谷であることが明確になったと説明されました。それらの文書を読み上げておられる時は、緊張した雰囲気につつまれました。なぜ嶺という説が広まったのか。その点については神社の名前から嶺だという思い込みがあったのではないかということでした。文書には「川谷村黒姫神社境内木伐採シ…」と書かれていたのですが、まったく同じ名前の黒姫神社が嶺にも川谷にもあった(川谷の黒姫神社は合祀され、いまは存在しない)のです。
 現地調査にあたって、私は大島区総合事務所へ行きました。大島区選出の岩野市議や浦川原区選出の山崎市議などの道案内のためです。大島区から尾神岳の山中を通る市道を走り現地へ行ったのですが、途中、パラグライダーの飛び立つ場所に立ち寄りました。少しモヤがかかっていましたが、眺めは抜群、「何か吸い込まれる感じだ」「飛び込みたくなる」などの声があがっていました。


2005年10月13日

無題

 昨日に続いてきょうも秋晴れでした。午前は「橋爪法一を囲む会」の案内ビラ配布を後援会の方と一緒にやりました。昨日まで議会報告会とか、市政懇談会という言葉で案内してきたのですが、もっと気楽に出かけられる感じの名前にしたらどうかというアドバイスがあり、きょうの案内ビラから「囲む会」にしました。確かに、この方がイロリを囲んでお茶飲みをし、談笑する、そんな雰囲気になります。きょうは3集落で配布しました。
 お昼には市役所本庁へ行き、議員控え室で仕事をしました。本当は原稿書きをするつもりだったのですが、何を書くかの整理ができず、昨日の赤旗日刊紙に掲載された日本共産党第4回中央委員会総会の報告と結語を読みました。先の衆院選の総括と教訓について、「善戦・健闘」という結果を全党の深い確信にすること、同時に今回の結果に甘んぜず、本格的な前進のために何が必要かを明らかにすること……この二つの角度から報告されているのはとてもいいと思いました。各種のデータによって「善戦・健闘」が明確になったとしても、「何で現有議席確保にとどまることなく議席増を実現できなかったのか」が気になっていましたので。
 きょうの赤旗には国際啄木学会会長である近藤典彦さんの「啄木の北海道時代」という小論が載っています。国際啄木学会札幌大会が22日から2日間開かれますが、そこで講演する近藤さんの話の内容が少し見えた気がしました。新聞では、函館、小樽、釧路での生活から上京にいたるまで、社会主義にどう接近していったのかが簡潔に書かれていました。近藤さんとは昨年2回お会いする機会がありました。その時の印象は、「優しさと正義感が同居している人」でした。今回の講演は約1時間とのこと、一度、近藤さんの講演を聴いてみたくなりました。


2005年10月12日

若い研究者がやってきた

 合併して失効したにもかかわらず、旧吉川町のまちづくり条例についての視察や問い合わせがまだ続いています。きょうは早稲田大学のマニフェスト研究所から若い研究者が吉川区を訪ねてきてくれました。総合事務所の展望台にあがり、吉川区の歴史や特徴について簡潔に説明したのですが、何よりも尾神岳や米山の風景に感動していました。都会生まれの人にとって、秋晴れの下での山や田んぼは魅力満点なのでしょう。
 さて、まちづくり条例については、議員提案だった点にしぼっていろいろ質問されました。一番の関心は集落懇談会だったようです。どんな意見が出ていたのか、住民はどう受け止めていたのかなどについて聞かれました。議員提案条例に関する論文を書くための取材ということでしたが、こちらの方がいろいろと情報を教えてもらいました。私のHPに掲載している条例制定の経過や「地方自治職員研修」掲載の文章があちこちで引用されているということも知りました。駅まで送る車の中で、「来てよかったです」という言葉を聞いてホッとしました。わが子と同じ世代の青年がどんな論文を書いてくれるのか楽しみです。
 夜は久々の議会報告会兼懇談会でした。7割の世帯から参加がありました。2月の増員選挙後の議員活動について、時々、町議時代の活動と比較しながら話をさせてもらいました。3月、9月議会の長さには驚かれた方が多かったですね。個別の問題では、豪雪・水害などの災害対策のあり方、柿崎病院存続にむけた取り組み、昨年の住民アンケートに寄せられた要望がどうなったか、などを中心に報告したのですが、しっかりと聞いてくださいました。懇談では、合併後の市道の管理、文化財の扱い、防犯灯についてたくさんの声、要望が出ました。終わって家に帰ったのは8時45分頃です。何となくいっぱいやりたくなり、発泡酒500㏄を飲んでごろりとなりました。


2005年10月11日

デート、そして議員団会議

 毎朝、起きるとまず、きょうは何と何をやって……とスケジュールを確認します。きょうは議員団会議ですが、その前に約束が1つ入っていましたので、出かけてきました。妻にどこへいくのかと聞かれたので、「デートだよ、70代の女性と」と答えました。2週間ほど前のこと、小学校時代の恩師のことがふと気になって訪ねてきました。そしたら、いろいろ相談にのってもらいたいこともあるし、ゆっくり遊びに来てくれないかと誘われたのです。その約束の日がきょうでした。もちろん喜んで出かけてきました。お世話になった人に少しでもご恩返しができれば、これほどうれしいことはありません。
 議員団会議では、9月市議会報告の最終仕上げの仕事をしました。上野事務局長が作成してくれたファイルを元にレイアウト、原稿のチェックなどを行ないました。杉本議員団長から、裏面にある1つの記事を表面に持っていこうという提案があり、それを実行することにしたのですが、文章の長さも違い、レイアウトの再構成も必要となることもあって、それだけで1時間以上を費やしました。「3人の議員の主な質問」コーナーの原稿の整理も思った以上に手間がかかりました。10月からの介護保険制度改悪に伴い、市が自己負担軽減措置を拡充したことを盛り込もうとしたのですが、勉強不足で、分かりやすい文章にするにはいまいちでした。作業が終了したのは午後3時少し前でした。
 夕方からは、明日からの集落での議会報告会兼懇談会の準備に入りました。7月に実施した懇談会では、水害一本に絞った懇談でしたので、何をどう話そうかということで頭を使うことはほとんどなかったのですが、今回はそうはいきません。限られた時間の中で、2月の増員選挙以後の山ほどある報告事項をどう伝えるか。一般質問だけでも3回やっていますが、そのなかのいくつかを取り上げて、開催した集落に関係するテーマも柱に据えたい、そんなことを考えていたら、あっという間に時間が過ぎてしまいました。ま、ひとつひとつ、一生懸命やれば、少しずつ整理できていくでしょう。
 1ヶ月ぶりに「春よ来い」を書きました。第58回は、「『ハルとナツ』をみて」です。ご笑覧ください。


2005年10月10日

新そば

 きょうは体育の日。いつもなら駅伝がある日なのですが、今年は別の日になったのか、それともなくなったのか、区内ではそのような動きはまったくありませんでした。私が吉川に戻ってきた1972年(昭和47年)にはすでにやっていましたし、その後も毎年ありましたから、今年中止になったのなら、それこそ数十年ぶりに駅伝がない年となります。私はランナーとして10数年、その後は応援者として駅伝と付き合ってきました。それだけに、とてもさみしい。
 昨日に続いてきょうも懇談会の案内を各戸へ配布しました。きょうは3集落をまわりました。午前中に終了させる予定でしたが、何軒かで話がはずみ、午後1時近くまでかかりました。山方集落では鯉上げをやっていました。池の水を払い、飼っていた鯉をつかまえて、どこかへ運ぶのです。区内ではニシキゴイをやっている魚沼の業者に池を貸すところがいくつもあります。この集落では昨日ときょう、二日間も鯉上げがあり、フナをもらってきた人もいました。これは別の集落ですが、もう冬囲いをしている人がいました。「早いね」と声をかけたら、「かわいそうだけど、酒屋もんに行かなきゃならんすけね」という言葉が返ってきました。もう出稼ぎのシーズンです。
 夕方、頸城区の美しが丘の新そば祭りに出かけてきました。ここは旧頸城村議の小堺正雄さんの地元です。市町村合併問題では終始慎重派で、私は数年前から付き合ってきました。鼻ヒゲを生やし、短い言葉で核心を突くので、一度会うと忘れられない人間です。とにかくおもしろい。彼は旧松代町出身で、そば打ちの名人です。一度は彼が打ったそばを食べてみたいと思っていたのですが、ようやく実現しました。そばは歯ごたえがなんともいえず味も抜群、この人はそばで商売できる人だと思いました。祭りでは、焼鳥、ラーメン、赤飯なども並んでいたので、赤飯を2つ買ってきました。


2005年10月09日

区体育祭

 10月はイベントが続きます。きょうは吉川区体育祭でした。会場となった吉川体育館は、午前9時から午後3時ころまで賑やかでした。昨日からの雨のため、外での競技はパターゴルフとゲートボールだけ、あとは室内となりました。玉入れ、綱引き、輪投げなど室内向けに工夫を凝らしてあるので、とても面白かったです。私が参加した種目は玉入れでした。投げる玉の中に5個だけ青いのがあって、白や赤の玉が1点なのに、これは5点扱い。玉数では私のチームが多かったのですが、青い玉をたくさん入れた相手チームに逆転負けしました。昨年、関東地方から吉川区に越してきたNさんは初参加、「どうですか」と聞くと「楽しいねぇ」という答えが返ってきました。
 体育祭が終わってから、町田集落でビラ配布をしました。選挙で約束した集落懇談会の案内です。これまでもいくつかの集落でやってきたのですが、町田をスタートにこれから約4ヶ月ほどの間に、残りの集落を一回りする計画です。久しぶりに、そう、おそらくは増員選挙以来でしょう、一軒一軒まわったので、何人もの人から、「頑張っていてくんなるね」「お茶飲んでいきない」と声をかけてもらいました。
 数日前に仔牛を木製のハッチ(専用の箱・オリ)から広いところへ移動しました。5月に生まれた例の牛です。水害、病気などいろいろありましたが、ハッチではうまく動けないほど大きく育ちました。それで、成牛の近くに場所を移したのです。ところがそれから、連日、鳴き続けています。エサが足りないのか、水が飲めないのかと時々見に行くのですが、原因はまったく別のところにあったようです。じつは、もうすっかり忘れていたのです。この仔牛の親がわが子に乳もくれようとせず、子育てしなかったことを。仔牛を移した場所は母牛の隣でした。おそらく、仔牛は母親のことを忘れられないのでしょうね、盛んに鳴いて母の愛情を求めている、そんな気がします。


2005年10月08日

むかご入りご飯

 きょうから上越市美術展が高田の雁木通り美術館と市民プラザで開かれています。午前11時から開場式ということで来賓として出席してきました。会場が雁木通り美術館でしたので、そこに展示してある洋画、日本画、書道部門の作品を観てきました。合併したことで13区の作品がどれだけ出品されるか注目していましたが、昨年とたいして変化はありませんでした。まだ、各区の展覧会が主流となっているからでしょう。展示作品の中でゆっくり鑑賞したのは、妙高市の岡田清和さんの「白倉さんの牛」という作品です。酪農家の白倉さんは私も知っている人、牛の表情はとてもやさしく、すてきな貼り絵でした。
 お昼に帰ってきたら、めずらしいご飯が炊いてありました。むかご入りご飯です。昨日、新聞配達の途中、河沢集落の農産物直売所でむかごを一袋買ってきました。炒るか、ゆでるかして食べようと思っていたのですが、妻が洗って炊き込みしてくれました。ご飯と一緒に口に入れると、クセのないいい味です。おいしいので2杯半も食べてしまいました。お昼に炊いたばかりなのに、好評なものだから、みんながどんどん食べました。とろろ汁もそうですが、芋の味というのは食欲をそそります。
 午後は「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。うれしかったのは、何人もの人から「有線放送による議会報告」について「分かりやすくて良かった」という感想が寄せられたことです。火曜日に収録し、水曜日に放送されたのですが、風邪と疲れでいつもより話のスピードがゆっくりでした。聴く人たちにとっては、ちょっと元気がない感じがしたにちがいないと思っていました。でも、かえってそれが良かったようです。有線の職員の人からは、放送後、2人の方から「もう一度聞きたい」という電話があったそうです。ありがたいことです。


2005年10月07日

今年最後のセミの鳴き声?

 昨日に続いてきょうもいい天気でした。気温は28度まで上昇しました。10月だというのにチョコチョコイースというセミの鳴き声が聞こえました。おそらく、今年最後のセミとなるでしょう。こういう日は赤とんぼが目に入ります。総合事務所から米山を見たら、青い空が広がっていて、群れて飛んでいる赤とんぼの姿が良くわかりました。
 きょうは市政レポートを印刷した後、生活相談や日曜版配達をしました。ある家のおばあさんが、「昨日はご馳走さんでした」と挨拶されたので、さて、何のことかと思ったら、敬老会のお礼の言葉でした。どうやら、私も主催者の一員と見なされているようです。
 夕方、ある読者の方のところでゆっくりとお茶をご馳走になりました。テーブルの上にはイチジクが並んでいて、ひとついただきました。イチジクは吉川区でも栽培が広がってきており、道の駅「杜氏の郷」でも販売されています。ワンパック300円です。ぜひ寄ってみてください。


2005年10月06日

吉川区敬老会

 きょうは長峰温泉ゆったりの郷のゲートボール場で吉川区の敬老会がありました。合併後初めての敬老会でしたが、前評判はあまり良くありませんでした。経費削減のためなのでしょうが、これまでのように、寿司やトン汁がないなどについては何人ものお年寄りから不満の声が寄せられていました。式典の直前に、こうしたことを私や総合事務所長から聞いていた木浦市長、挨拶の中で、「トン汁や酒がなくなったそうですが、やはりあった方がいいでしょうかね」とやりました。会場に集まった400人ほどの人たちからは拍手喝さいでした。なかなか……。
 どぎもを抜く挨拶をしたのは市議会厚生常任委員長の佐藤敏議員でした。壇上でいきなり、「総合事務所長さん、きょうは、何の会でしょうか」と「質問」したのです。びっくりした所長が、「敬老会です」と答えると、「私はこの会場へ入って1回外へ出たんです。集まっている人たちを見たらお若いので、あ、ここは青年会の会場だと思ったからです」と続けました。会場からドッと笑い声が起きたことは言うまでもありません。その後も、事務局で用意された原稿に頼らず、笑いと拍手を呼ぶ話を次々とくりだしました。まさに芸人です。
 式典が終わってからはアトラクションです。ここ数年、敬老会に参加していなかったので、気が付きませんでしたが、頸城区など近隣の芸能愛好者グループのみなさんも昨年あたりから応援に入っているんですね。興味深かったのは、地域の元気唄「いたこ」です。お盆踊りでよくやる唄らしいのですが、唄の文句の中には、「親の意見とナスビの花は千にひとつもムダがない」というのに混じって、「山のアケビは何見て開く、シカの……」などエロティシズムあふれたものがいくつもありました。あとで聞いた話ですが、上越地方には地域によっていろいろな歌詞があるようです。どんなのがあるか集めてみたくなりました。それと、もうひとつ、「いたこ」には太鼓の音がよく似合いますね。
 しばらく一般質問を掲載しませんでしたが、3月と6月の定例会のものをアップしました。9月のものも議事録がまとまり次第掲載します。
 


2005年10月05日

無題

 毎年、必ず撮りたくなる野の花があります。ユキワリソウコシジシモツケソウツリガネニンジン、そしてもうひとつ、いま咲いているシラネセンキュウなどがそうです。どんなにいい写真が撮れ、保存してあっても、その花の時期になれば、また新しい花の魅力にとりつかれてしまうのです。シラネセンキュウは先日の日曜日に開花を確認していました。たまたま、夕方だったので撮らずじまいでした。それで、きょうは市役所へ行く前に撮ってきました。いつ見ても素敵な花です。
 きょうは早朝から生活相談があり、現地に足を運んできました。県道の改修に伴う要望だったので、区総合事務所の担当グループに声をかけ、上越地域振興局へ出かけることにしました。きょうは時間がとれなかったので、明日にでも行ってこようかと思っています。要望を寄せてこられた人は、私とほぼ同年代の人です。これまでの経過を丁寧に記録し、写真も撮ってありました。これまでいろんな方から相談をうけてきましたが、この人のように、しっかりと記録している場合は交渉しやすいので助かります。
 市役所に着いたのは午前10時過ぎでした。それから夕方まで原稿書きをやりました。議員団ニュースと市政レポートの作成です。議員団ニュースについてはレイアウトが決まらず、時間ばかりが経過しました。杉本議員団長と相談しながら書いたのですが、今号は9月議会最終号にふさわしい内容になったかどうか。市政レポートでは久々に裏面を書こうと構想を練りました。「春よ来い」はもう1ヶ月も書いていないので、なかなか書きすすみません。締切りまでに間に合ってくれればいいのですが……。


2005年10月04日

グラジオラス

 朝、台所へ行って驚きました。グラジオラスが見事に花を咲かせていたからです。雑然とした場所ではありますが、ピンクのスカートをバッと広げたような咲き方は、若々しい女性が、「おはようございます」と挨拶しているかのようです。この花は2日前、酒まつりの会場で大乗寺集落の生産組合の皆さん方が、1本50円で売っていたものです。つぼみの段階で買っておいたものが、こんな形で咲くんですね。わが家に持ってきた3本の花、しばらく楽しませてくれそうです。
 さて、きょうは、午前中に生活相談と有線放送の取材がありました。生活相談は介護と医療の関係でした。介護については10月1日から制度が改悪されたので、それとのかかわりが気になりました。有線の取材は9月定例市議会についてです。1ヶ月もあった議会のことをわずか10分ほどで話さなければならないということで、一般会計補正予算の内容、とくに吉川区に係わりのあるものを中心にお話しました。指定管理者制度の話はもっと話し方に工夫をすればよかったと反省しています。放送は5日の朝と夜だそうです。
 午後からは市役所で原稿書きをしました。主に議会報用の原稿なのですが、まだ風邪が治りきっておらず、600字ほどの原稿を書くのに四苦八苦しました。議員団ニュースや市政レポートの原稿も締切りがまたやってきています。取材や資料集めもしながら少しずつ準備をしているのですが、明日には原稿書きに入らなければなりません。果たして書けるだろうか、ちょっと不安です。


2005年10月03日

上越地域消防事務組合議会定例会

 どうも昨日の雨で体調を崩してしまったようです。おそらく風邪でしょう。声がかすれ、頭もなんとなくしっかりしません。酒まつりのオープンセレモニーの時、雨足が強くなり、ズボンもシャツも濡れてしまいました。このままじゃ危ないな、そう思いながら、すぐに着替えなかったのが間違いでした。
 それでもきょうは、午前と午後、3つの会議に参加しました。午後の会議は上越地域消防事務組合議会定例会でした。議案は条例改正、昨年度決算、本年度補正予算の3件です。いずれも全会一致で可決承認されました。
 条例改正は火災警報器設置義務付けなどにともなうものです。個人住宅であっても新築については、来年6月から火災警報器の設置が義務付けられることを初めて知りました。また、これまでの「消防力の基準」は来年4月より「消防力の整備指針」へと変わることも知りました。勉強不足でした。
 次回の組合議会では、次期の「消防力の整備計画案」を審議することになっています。しっかり準備してのぞみたいと思います。


2005年10月02日

合併して最初の酒まつり

 きょうは吉川区で最大のまつり、酒まつりの日でした。あいにく雨が断続的に降る空模様でしたが、よく人が集まりました。特に、小雨の中で決行された太鼓とよさこいソーランの時は、どこからこんなに人が来たのかと思うくらい大勢でした。どちらも吉川区のまつりに欠かせぬものとなりましたね。このまつりは今回で8回目です。お客もこのまつりを楽しみにしている常連客が少しずつ増えてきているという感じがします。地元野菜がたくさん出ている四季菜の郷、酒蔵・杜氏の郷の売店はごったがえしていました。
 今回は14市町村が合併して最初の酒まつりでした。吉川町の時から交流のあった東京荒川区や東京吉川会もこれまでと同じように参加してくださいました。来賓として挨拶に立った東京荒川区の助役さんは、吉川区から持って行った稲の苗を学校の子どもたちが育て、みんなでおいしく食べた、カブトムシも子どもたちを喜ばせてくれている、と報告されました。また、東京吉川会の関沢会長は、「ふるさとのみなさん、こんにちは」と切り出し、「合併してこのまつりも無くなってしまうのかなと思っていたら、上越市からも応援していただき、継続されるということを知った」とうれしそうでした。
 昨日、頸城区の希望館で開催された市民セミナー(市議会市民クラブの主催)で辻山幸宣元中央大学教授が、新市のこれからのまちづくりについて語りました。そのなかで、地域での個性を大事にしたモザイク状のまちづくりについて言及され、まつりもたくさんあってよい、という話が出ていましたが、その通りです。私はこれまで吉川のまつりしか出たことがありません。これからはよその区、旧上越市のまつりにも時間をつくって参加してみようと思います。
 


2005年10月01日

小川未明文学館開館

 高田図書館内に小川未明文学館ができました。きょうはそのオープンセレモニーが行なわれました。私は未明については、童話集の一部を読んだくらいで、深くは知りませんでした。常設コーナーで彼の50年余の作家活動の流れを見て驚いたのは、社会主義に傾倒した一時期があったことでした。かなり正義感の強い人だったようです。たくさんのすぐれた作品を世に残した人ですが、最初から文章がうまかったわけではないことも、知って、なんとなくホッとしました。学校時代、教師によく叱られ、「どうも、君の書く文章は、テニヲハがちがっている」などと言われたとか。
 館内展示物の説明を学芸員から一通り聞いた後、「児童文学のふるさと上越」創作童話コンテストの受賞式がありました。このコンテストは、上越市とのかかわりがある作品にすることが応募の条件でしたが、全国からずいぶん応募があったということでした。児童文学作家の杉みき子さんの講評によると、上越という地でなければ成り立たない話に優れたものが多かったそうです。杉さんの講評の中で印象に残ったのは、「上越に生きる人々の心をえがかれればよい」という言葉でした。いつか私も挑戦してみたいと思います。
 さて、大賞を受賞したのは秋田市在住の小児科医、後藤敦子さんの『城山のモンシロチョウ』という作品でした。妻に先立たれたおじいさんの思いが伝わってくるとても感動的な話です。春日山城を舞台にしたこの作品を書くきっかけは、失語症とたたかっている父親の句集の中に春日山のことが書かれてあったことだそうで、作品の仕上げの段階では、父親に、「これでよいか」と確認したといいます。新潟市に住む後藤さんのお父さんが今回の受賞を一番喜んだのはいうまでもありません。
 作品も素敵でしたが、後藤さんの笑顔と挨拶にもひかれました。自分の作品についての話をコンパクトにまとめ、小川未明の作品や文学館についても触れる、心に響くものでした。未明の文学は子どものころからよく読んでおられたのでしょう、「未明の作品は不思議探しがたくさん詰まっているところがすてき」だといいます。最後は、「上越市だけでなく、他の地域にも開かれた文学館になってほしい」と結びました。もう一度会いたくなるような人でしたね。


2005年10月投稿分

2005年10月に投稿された全てです。

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