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2005年09月投稿分

2005年09月30日

赤とんぼの群れと出会う

 「おっ、赤とんぼが下りて来たな」。数日前、議員控え室から外を見ながら、杉本議員がそう言いました。秋が深まると、赤とんぼは高いところから低いところに下りて来るのだそうです。今日の夕方は赤とんぼの群れと出会いました。県道新井柿崎線を軽トラで走っている時でした。3キロメートルほどの間、赤とんぼのなかをかき分けて走るという感じでした。トラックの窓ガラスに次々とぶつかってくるとんぼたちが気になり、少しスピードを抑えました。すごかったです。
 きょうは午前中、市役所でチラシづくりをし、午後からは赤旗日曜版の配達と集金をしました。


2005年09月29日

「失敗学」

 きょうは9月議会最終日でした。提案されていた議案審査についての委員長報告、意見書の提案、討論等が行なわれました。最終日を賑やかにしたのは、昨日になって急遽出てきた市長と助役の報酬の減額条例及び関連予算でした。1ヶ月10%の報酬カットはごみの最終処分費用の支払遅延の責任を取ったものですが、責任のとり方をめぐって本会議と委員会で活発な質疑が行なわれました。
 印象に残ったのは総務常任委員会での審議です。杉本委員の「市長は自分にはどういう責任があると思っているのか」に始まって、これまでの経緯と市長のかかわり、さらには再発防止に向けた対策論議へと発展しました。民間会社での経験から「失敗学」を語ったのは吉田委員、「人間には失敗がある。自分がやった失敗は即刻明らかにすることが大事」「失敗を防ぐには精神論ではダメ、人間は1人だけでやるとミスってしまう。チームで責任がとれ、チームでチェックする仲間意識を育てる必要がある」などの発言は注目されました。
 きょうの私の出番は道路特定財源に関する意見書についての討論です。議運で全会派が一致できる内容に修正しようと議員団の代表が提案したのですが実りませんでした。その結果、私の出番となったのです。討論では、「あくまでも道路に関する事業に充てることが適当」「道路特定財源を堅持」という文言を盛り込んだ意見書を出すということは、時代の流れに逆行するばかりか、市民の利益・国民の利益にもそむくと訴えました。討論が終わったら、保守系大物議員が議員団控え室にやってきて、「いずれ橋爪さんの言うとおりになる」と声をかけてくれました。
 夕方まで控え室で市政レポートを作成し、その後は党議員団で懇親会をやりました。上野事務局長を含め4人で飲み、語ったのは今年初めてでした。今定例会は1ヶ月の長丁場でしたので、いろんなことがありました。議会での様々なエピソードなどを出し合い、楽しいひと時を過ごすことができました。


2005年09月28日

そもそも分庁舎は必要か

 秋晴れでした。それもじつにさわやかな晴れ方でした。ゆっくりする時間があればねぇ、カメラ片手に出かけられたのに……。きょうは休会日ですが、総務常任委員協議会があるというので市役所に出かけました。テーマがまた大事なものばかりときています。分庁舎整備計画の中間報告、アスベスト対策、さらに土地開発公社の業務運営改善計画、いずれも市政の将来に係わる重要性を持っており、半日の議論では無理でした。
 きょうの議論で一番燃え上がったのは分庁舎整備計画についてでした。口火を切ったのは昨日の一般質問で本庁機能の分散化論をぶった山岸委員です。経済がなかなか上を向かない時代、10億円もの税金を使って事業をすすめるのではなく、旧町村の公共施設、民間の空いている施設を利用すべきではないか、という同委員の提起は正論です。この論戦に杉本委員が加わりました。「(提出資料には)分庁舎に必要な機能ということで7つのことが書いてあるが、何が必要か整理してあっていい」とほめたうえで、資料に書かれている機能にふれながら、「必ずしもまとまった建物が新たに必要だとは思わない」と論じました。
 さらに論戦を熱くしたのは旧中郷村長、吉田委員でした。同委員は、「分権時代の市役所はいかにあるべきか、住民の近くで仕事をするにはどうあるべきかを考えるべきだ」「上越市役所は、まだ中央集権の、従来通りのやり方からぬけきれていない。先見行政をやっているか疑わしいところもある。もっと将来に責任を持つべきだ」と発言しました。また、20年後に減価償却期間の終了する本庁舎の建設計画が資料に書かれていたことから、「民間なら償却が終わってから利益を出すんです。(償却が終わる時点を意識して)計画を考えるなんておかしい」と批判しました。吉田委員と高橋財政部長の丁々発止の論戦は聞き応え十分でした。
 午後からは吉川区に戻り、党支部の仲間と組を作って「しんぶん赤旗」の購読を勧める活動を約1時間やりました。途中、私と別の組になった人から携帯電話があり、「ここの家のおばあちゃんがぜひ橋爪さんの顔を見たいと言っている。来てもらえないか」と言われました。行くと、ニコニコして、「忙しそうだねや。おら、おまさんに、早くこの道、直してもらいたくてさね。合併したすけ、もうダメかと心配してるがだ」と語りかけてこられました。こうした住民要求は大事にしないといけません。早速、行政に働きかけたいと思います。きょうの活動では、2人の方が「しんぶん赤旗」の購読を約束してくださいました。


2005年09月27日

一般質問の最終日

 一般質問4日目。きょうは一般質問の最終日でした。私の質問順番からいうと、きょうが出番となるはずでしたが、昨日終わっています。事前にビラで案内を出していたので、後援会員など傍聴に来て下さることになっていた人たちには電話連絡をしておきました。それでも、すでに終わったことが分からずに、わざわざ傍聴にきてくださる方があれば気の毒です。午前中は傍聴席が気になりました。
 きょうの質問者は4人でした。印象に残った質問の1つは森田議員の質問です。高田駅前のタクシープール導流島の取り壊し問題一点にしぼって、市長の政治姿勢を追及しました。高田駅前にふさわしい景観はどうあるべきか、市民の税金の使い方として問題ではないかなど執念を持った質問を展開しました。この人の批判的な精神とまじめさには学ぶところがあります。
 正直言って高田駅との付き合いは深いものの、最近、まったく利用していません。高校時代、高田駅はわが家での生活と高田での生活を分ける分岐点でした。だいたい1ヶ月に1回家に帰りましたが、駅に着いて列車に乗る時は、「これで家に帰れる」とホッとしたものです。逆に高田駅に降り立つと、「さあ、がんばらなきゃ」と気持ちの切り替えをしました。ただ、雪のある時の駅前広場がどうだったかの記憶はほとんどありません。城下町高田の駅前はどうあるべきかの視点を持って、今度、高田駅をゆっくり見てみようと思います。
 二番手で登壇した仲田議員の人口減少時代の少子化対策、過疎対策の提起も興味深く聞きました。創造行政研究所の研究データなどを使いながら、「出産、子育てに男性がどう係わっていくか、企業への働きかけをどうするか」などといった質問のきめ細かさ、これは市役所部長時代に培ったものなのでしょうか。新市域は972平方キロメートルもあります。東京都の面積の半分に相当しますが、「人口の流動化は新市域の中でも起きる」という指摘は重要です。
 


2005年09月26日

思わぬ出番

 まずはうれしいニュースから。きょうは上越市青野で和牛の市が開かれました。ここでわが家の10ヶ月になる牛がいい値で売れたのです。昨年、乳牛から和牛に切り換えて、最初に生まれた牛でした。生まれてまもなく中越大地震に遭いましたが、順調に育った牛です。アメリカから牛肉が入ってこないおかげで、今回は高値になりました。この牛を大きく育てたのは父です。乳牛の安い値段に慣れっこになっている父は、「高く売れたなぁ」と満足そうでした。
 さて、一般質問は3日目になりました。これまで2日間は、1日につき6人が登壇してきましたが、きょうは6人どころか8人も質問する展開となりました。これには参りました。じつは8人目は私だったのです。これまで2日間の進み具合、4日目の質問者数からいって、私の登壇は間違いなく明日になると思っていたからです。再質問に使う予定だった6月28日の梅雨前線豪雨のデータや教育関係の資料は家に置いたまま、質問をどう組み立てるかの検討も今晩やるつもりでした。ですから、データや資料で裏付けながら押していくという当初の作戦は不発に終わりました。
 でも答弁に不満だったわけではありません。市長や教育長の答弁では、ほぼ予定したとおりの回答を得ることができました。水道料金問題、遅くとも2008年度(平成20年度)までに、いっせいに統一することになりました。地域防災計画の見直しにあたって、各区の地域協議会の意見も聴くようにという提案も受け入れていただきました。これまで各区において取り組まれて来た地域教育の伝統や良さを引き継いでいく仕組みづくりも旧町村教育長などが入った「教育懇談会」を継続していくことで実りそうです。
 きょうの一般質問では、共産党議員団が3人とも登壇しました。杉本議員団長は地震対策を中心に質問を行い、樋口議員は板倉区の統合保育園建設などを取り上げました。杉本議員はメモだけを用意し、まるで原稿をそらんじている雰囲気で質問を展開しました。これはもう彼の特技といってもいいでしょう。樋口議員は現地調査を活かした質問をしましたが、64枚(1枚30アール)の田んぼの排水が保育園の敷地内で暴れるか否かは豪雨の時に結論が出るはずです。その時、彼女の質問が思い出されるでしょう。


2005年09月25日

久しぶりに図書館へ

 ありました、ありました。昨日から食べたいと思っていた甘柿です。朝、日刊紙を配達する途中に河沢集落の野菜市に寄りましたら、小さな甘柿が(ナイロン袋入り)いくつも並んでいました。一袋100円という安さです。2袋買ってきて、さっそく食べました。しっかりゴマが入っていて、カンゾウ柿とほぼ同じ甘さがありました。やはり初物はいいですね。5個くらい食べてしまいました。
 日中は高田まで妻を送り、帰りに図書館によってきました。日曜日とあって、大勢の人たちが利用していました。年配の人、小中学生、高校生といろんな人たちがいる。図書館がこういう空間になっているのはいいものです。子ども連れも多く、なかには、子どもに本の探し方を教えている人もいました。子どもには何一つ教えてこなかった私としては、こういう光景を見ると、うらやましく思います。
 図書館からは久しぶりに1冊の本を借りてきました。昨日読んだ論文に紹介されていた本です。これはNHKの特集番組で放映されたものに加筆し、出来上がった本です。番組は数年前に興味深く観たことを記憶していたので、気になったところを拾い読みしてみました。これらを読んだおかげで、頭の中はかなり整理できました。明後日の質問の組み立てが見えてきました。
 夕方、妙高市の渡辺幹衛議員から電話がありました。吉川町のまちづくり基本条例を読みたい、ついては関係資料を送ってもらいたいということでした。「どうしたの?」と聞いたら、いま、新井有線放送で橋爪さんが登場して、自治基本条例についてしゃべっている、というのです。そういえば二月ほど前に取材を受けていましたが、いつ放送されるかについては聞いていませんでした。1人でも聞いてくれ、興味を持った人がいたというのはうれしい。


2005年09月24日

今年の柿は不作?

 きょうは終日、新聞配達と集金でした。総選挙の投票日から2週間経ちますが、いまだに話題の中心は選挙結果とその後の動きについてです。ある人は、憲法改悪に向かって動きが急速になってきたことにふれ、「これじゃ、国民だましだ」と言っていました。マスコミをフル動員し、郵政民営化だけが問われる選挙のような宣伝をしておきながら、日本の進路と平和に係わる重要問題をこのように出してくる手法は絶対に許すわけにはいきませんね。
 さて、きょうは楽しみにしていたことがありました。私が少年時代を過ごした蛍場の柿を食べることです。十五夜を過ぎれば食べられる「カンゾウ柿」(と呼んでいる)というのがあります。大きめの柿で、甘柿のなかでは早稲の部類に入ります。私が毎年、一番最初に食べるのがこの柿ですが、今年は木の下へ行ってビックリしてしまいました。いつもなら鈴なりなのに、今年は数個しか実をつけていないのです。それもまだ青い。伯母などにこの話をすると、「今年はみんなダメだ。村屋柿もぜんぜんなっていない」と言います。どうも虫にやられたらしい。
 夜は一般質問の準備もかねて本を読みました。質問の前になると、質問と関係のない本を読みたくなるクセがあるのですが、今回は質問にズバリ関係する教育問題の論文を読んでみました。読んでいるうちに、自分が質問しようとしている内容の理解が浅いのに気付き、ドキッとすることがありました。素人がプロにきく質問とはいえ、読んでおいて良かった。


2005年09月23日

無題

 久しぶりに飲み疲れをしたようです。午前中は市政レポートを仕上げるためにパソコンに向かいましたが、ボーッとしてなかなか進みませんでした。それで気分転換もかねて、精米など家の仕事を少しやりました。おもしろいもので、それまで浮かばなかった文言が頭から出てくるようになり、お昼過ぎには、農業災害復旧のことを中心にしたレポートをなんとか完成させることができました。
 午後からは気になっていた友人を見舞い、帰りには党地区委員会の事務所や本屋、パソコンショップに寄ってきました。友人は手術後の回復が良好で、とても顔色も良く、元気そうなので安心しました。もうじき、退院することができそうです。本屋は澤地久枝の新刊をさがすために2軒まわりました。残念ながら見つけることができませんでした。


2005年09月22日

武田候補の慰労会

 一般質問2日目。きょうも6人が登壇しました。質問は合併協定との関連を問うものがいくつもありました。例えば笹川議員、幼児医療費助成の対象年齢の引き上げを市長に求めました。同議員は、通院についても早期に就学前まで対象にし、小学校段階まで助成を広げるように求めました。対象を引き上げた結果、若者の移住が起きている自治体のことを紹介して、子育て支援の観点からも重要だとの主張はわが党と同じでした。でも市長の答弁は、「就学前までの引き上げを図るべく、最大限の努力をしていく」というレベルで終わっていました。
 柳沢議員の「13区出身の委員を各種審議会にもっと登用すべきだ」という質問も、合併後の審議会のあり方を問うもので、注目されました。134の各種審議会(委員会)があるなかで、13区から入っているのは約6割の79審議会、775人でした。審議会委員の数は全体で2437人ですので、約3割の登用ということになります。市長からは、「基本的にはすべての審議会に13区から参加していただけるようにと考えている」という答弁がありましたが、柳沢議員の今議会での質問は常任委員会のときも含め、よく調査されていました。
 ところで今晩は衆院新潟6区から立候補した武田勝利さんの慰労会でした。急な呼びかけにもかかわらず10数人が参加して賑やかで、楽しい会になりました。参加者が選挙戦を振り返って思いを語る3分スピーチでは、「8月10日の集会で初めて武田さんの話を聞き、応援したくなった」「候補カーがおんぼろで、最終盤、国道の真ん中でバッテリーが上がってしまったのには参ったが、忘れられない思い出になった」など選挙総括では聞けなかった話が次々と出されました。楽しく、元気の出る内容が多く、一巡どころか、3回もスピーチが続きました。慰労会をもう一度やってほしいという声も出ました。
 2次会も大いに盛り上がりました。阿部地区委員長の家の近くのスナックでカラオケ三昧でした。歌がはじまってびっくりしたのは、みんな歌いなれていてとてもうまいことでした。武田さんは「世界でひとつだけの花」を最初に歌い、「チャンピオン」「硝子の少年」と続けました。阿部委員長ものりがよく、「芸のためなら女房泣かす…」(難波恋しぐれ)とやり拍手喝さいでした。樋口市議は「ノラ」で自慢の喉を披露、この人の歌は素人離れしたところがあります。見事でした。写真は料理屋さんで撮ったもの、立ってスピーチをしているのが武田さんです。


2005年09月21日

一般質問始まる

 9月議会も終盤です。きょうから一般質問が始まりました。きょうの質問者は6人でした。いずれの質問も気合が入っていましたね。なかでも江口議員の土地開発公社に関する質問は見事でした。民間企業の経営者らしい感覚で資産の明細を分析し、「334億円にもなる土地は隠れ借金だ」「市長は簡単に言われたが半端な数字ではない。産業振興課はもっと外に出てセールスを」と迫りました。質問にあたっては、今回もパネルを使っていました。このパネルにはデータが2枚分貼り付けてあり、上に貼ってあったデータをとる時にはビッという音が議場に響きます。質問の切れ味を感じさせる、いい音でした。
 短時間ながら問題点にズバッと切り込んだのは田村議員の質問。「高田城の観桜会を100万人がやってくる滞在型観光に」という質問を準備するために同議員がやったのは、観桜会の最も賑やかな時期、3日間連続して夜7時から9時まで自転車に乗って「ぶらぶら」することでした。この調査で、車の流れ、観光客の出身地、そして彼らの「つぶやき」まで把握しました。また友人に協力してもらい、カメラで定点観測もやっていました。車の大渋滞の中で「もう二度と来るものか」とぼやいていた人たちが見事な夜景を見て、「これはすごい、日本一だ」という声を残していったといいます。上越市観光の最大の目玉である観桜会、日帰り観光から泊まってゆっくり楽しんでもらえるイベントに切り替えることができれば、の思いは共通です。なんとかしたいものです。
 お昼休みに浦川原区選出の山崎議員が控え室にこられました。真宗大谷派の関係者の方々が尾神岳の報尽碑を訪ねるルート開発を切望しておられるので、関係地域の議員が協力して対応したい、ついてはそのまとめ役をやってほしいとのことでした。新上越市には親鸞聖人ゆかりの地として高田の浄興寺、板倉区のゑしんの里などがある、これに尾神岳の報尽碑をドッキングさせたい。できればバスに乗って行かれるようにしてもらいたい、というのが関係者の願いだというのです。わが家も真宗大谷派ですが、尾神岳がこれだけ注目されてきているというのはうれしい。早急に関係者と相談して対応したいと思います。


2005年09月20日

総務常任委員会3日目

 土、日、月と休んで、また議会がはじまりました。きょうは総務常任委員会の3日目です。総務部関係の残りの議案と企画部関係の議案が審議されました。わが党の杉本委員が「企画政策課はいろいろなことをやりすぎて企画機能を果たしていないのではないか」という指摘をしましたが、的を射ていたと思います。休憩時間、他会派の議員が党議員団控え室に来て、いい質問だった、と言っていました。
 言うまでもないことですが、自分が所属していない委員会にも出るもんだと思いました。行政側の説明や質疑で初めて知ることが多いからです。きょうも、「入札に関しては、指名内申という制度に基づいて、いままで地域で貢献のあった事業所を総合事務所から教えてもらっている」とか、「駅舎のエレベーター設置に補助金制度があるはず。市が窓口になって計画を策定すればいいのでは」などの新情報をいくつも得ることができました。
 きょうからお昼は380円の弁当を買って食べることにしました。これまでは、市役所の地下食堂で520円の定食(味噌汁付き)を食べていたのですが、食堂はきょうからしばらく閉鎖となってしまいました。理由はアスベスト対策です。アスベストについては、公共施設の実態調査が進み、そろそろ収まるのかと思っていたら、逆に、だんだん身近なところで問題が出てきています。これから、思わぬ展開をすることにならなければいいのですが。


2005年09月19日

中越の党組織のガンバリが話題に

 もう少しチカチカしてくれればいい。太陽さんのことです。きょうは朝のうちに雨が降り、曇り空か小雨模様の天気が続きました。きょうの休みは稲刈りを、と意気込んでいた人たちにとっては太陽の照り具合が気になる一日でした。
 私はというと、衆院選の結果をどう見るかを話し合う会議が2つありました。1つは議員団会議、いまひとつは支部会議です。支部会議では、日曜版配達などで聞いた読者の声が次々と報告されました。「(小選挙区で)1万票超えたね、頑張ったね」「憲法が改悪され、戦争できる国になる危険度が高まってきた」「後援会をもっと強化しないといけない」などの声を聞いて、これらの声に応える活動をしなければ、と思いました。
 きょうの会議で最も話題になったのは中越地震の被災者支援で頑張った党組織の健闘ぶりです。川口町のように比例選挙で得票率を5.5ポイントも上げたところもあります。「みんなが困っている時に頑張ったことが評価された」「住民には、一生懸命頑張っている共産党の姿が見えていたのだと思う」「中越での活動と選挙結果については中央委員会の総括でも必ず載るね」などといった声が出されました。みんなの話を聞いて、『日本共産党救援センター物語』(新日本出版社刊)をもう一度読み直してみたくなりました。


2005年09月18日

休暇

 昨日ときょうで稲刈りはぐんと進みました。平場では最後の追い込みといった感じです。大規模農家以外は、もう2、3日で終わるでしょう。山間地はコシヒカリの刈取りがこれからです。午前中、写真撮影などのために尾神岳に登ったのですが、山間部の田の色はまだ黄色でした。
 きょうは、新聞の早朝配達をしたあと、久しぶりにゆっくりと休みました。やることはいっぱいあるのですが、やることをやるためにも休養が必要です。野の花の写真を撮ったり、家でごろねをしたりと、一日中、ぶらぶらとした生活をおくりましたので、これで明日から、普通の生活に戻れることと思います。


2005年09月17日

仲良し兄弟

 午前、午後と「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。会った読者の方にはお礼の挨拶をと思っていたのですが、きょうは稲刈りで留守の家が多く、選挙のお礼を言えたのは4分の1くらいだったでしょうか。会った人のなかからは、「(共産党は)もっと伸びると思って期待していたのに残念だった」「自民党がこんなに大きくなって(どうなるか)不安だ」などという声が寄せられました。なかには「えっ、伸びたの? そりゃ、いかった」という声もありました。逆風の中で現有議席を確保したこと、自公政権が多数の力で増税、憲法改悪などの路線を進むと、国民との矛盾が深まることなどをきちんとお伝えしないといけないな、と思いました。
 新聞配達の途中、リュックを背負い、歩いている小学生二人と出会いました。二人は兄弟で、赤ちゃんの頃から知っている子どもたちです。二人の家からは3~4キロも離れているので、「車に乗らんでもいいがか?」と声をかけたら、ニコニコして、「大丈夫です」。きょうは土曜日ですので、おそらく親戚の家から歩いて帰ることを親に言われたのでしょう。天気は良いし、絶好のハイキング日和、歩いている姿はとても楽しそうでした。
 この二人の姿を見て思い出したのは、40年ほど前に、弟を連れて柿崎駅まで歩いて行ったことでした。汽車を弟に見せたい、その思いで、20キロ弱の道を歩いた想い出はいまでも心に焼き付いています。ただ、鮮明に記憶しているのは、初めて汽車を見て感動している弟の様子ぐらいで、道中、どんなことがあったかはほとんど覚えていません。それだけに、きょうの二人の様子を見て、「おそらく、俺たちも、こんな感じで歩いていたにちがいない」と思いました。この二人、無事、家に着いたかな。
 稲刈りが進み、トップページにかかげている風景もどんどん変わっていきます。きょうは、偶然、稲刈りをしているコンバイン、トラックの姿も見えましたので、デジカメで撮影しました。もっとも、コンバインは遠くの田んぼなので、みなさんには分からないかもしれません。


2005年09月16日

総務常任委員会2日目

 HPを開設していると思いがけない人からメールをいただくことがあります。きょうも石川啄木を愛する1人の方からいただきました。8月7日付の「ホーセの見てある記」を興味を持って読んだ、できれば自分のサイトで使わせていただきたいという趣旨でした。この方は国際啄木学会の池田副会長とも面識のある方らしい。また啄木愛好者の方とのつながりが広がる、そんな感じがしました。ありがたいことです。
 さて、きょうは総務常任委員会2日目でした。総務部関係の決算審査は前日の財政部関係の審査に比べれば静かな審査風景でしたね。私も市史編纂関連で史資料の保存状況などを聞きましたが、ずっと他人の質問を聞いていて、急に発言したら、言葉がするりと出てこないので参りました。新市の区域内には数万件にのぼる貴重な史資料があるといわれています。全国へ散らばるのを防ぎたいと思います。
 総務常任委員会終了後、文教経済委員会委員協議会が開催されました。柿崎区の下黒川小学校のアスベスト発見に伴う学校移転問題、直江津東中学校体育祭での事故について教育委員会から報告があり、質疑が行われました。どちらも児童、生徒の命、安全に係わる問題なので、真剣な議論が1時間以上も交わされました。下黒川小学校の地元出身の議員の質問には力が入っていましたね。


2005年09月15日

総務常任委員会1日目

 市役所へ行く前に、どうしても気になることがあって板倉区を訪ねてきました。昨日の厚生常任委員会で質疑の対象になった板倉統合保育園の建設予定地にある農業用排水路、これを自分の目で確かめたかったのです。区総合事務所の所長さんから案内していただきました。現地は有恒高校の東側に位置するところにありました。田んぼを埋め立てて建設予定地が造成されています。ただ問題視された排水路はまだそのままでした。計画ではこの排水路を敷地内で迂回させることにしていますが、大雨が降った時にどういうことになるのか。360度ぐるっと見渡し、建設予定地の東側にある広大な田んぼ、ここの排水などが敷地内でどう流れるかをイメージしました。
 現地では、建設予定地が変更になった理由などを所長さんからお聞きしました。同じ説明であっても委員会室で聞くのと、現地で聞くのとではずいぶん違うものです。もし厚生常任委員全員がこの現地を見たうえで審議をしたら、どういうことになっただろうかと思いました。これまでの経緯については、板倉区の地域協議会の議事録も読んでみましたが、党議員団としての最終的な賛否は、来週の議員団会議で決めることにしています。
 きょうは総務常任委員会の1日目でした。財務部関係の決算、条例、補正予算の審議が行なわれました。ここの委員会は論客ぞろいで、しかも行政経験のある人が何人もいるとあって、興味深い論戦が行なわれます。きょうもある委員が昨年度の地方交付税などの極端な削減がこれからも続く可能性を指摘し、合併協議会で示された財政計画の今後の行方についてただしていました。また別の委員は、「無駄な事業がいくつかある」とのべ、改善をせまっていました。いずれも、与党の立場の人の発言でしたが、共感を覚えました。


2005年09月14日

厚生常任委員会3日目

 夜遅くまで頑張ることができなくなったな。最近、そう感じています。昨晩も一般質問通告文を書くつもりでパソコンに向かったものの、いつのまにやら布団の中に入りそのまま朝を迎えてしまいました。そのおかげで、きょうは午前中に通告文づくりをしました。質問テーマは水道料金統一問題、災害対策、合併後の学校教育の3つです。通告は20番目でしたので、26日の午後か27日の午前に登壇することになりそうです。
 通告文を議会事務局にメールで送信して、さあ、出かけようと思ったら、牛舎から「おーい、とちゃ」という父の声が聞こえてきました。牛に蹴飛ばされたというのです。幸い、打撲程度の怪我ですんだから良かったものの、80近い年齢ですので、もう牛の世話は無理かなと感じました。でも、もし、父から牛の仕事をとってしまったら張り合いをなくすことだろうし……。
 市役所へは午後1時前に到着。しかし、厚生常任委員会を傍聴したのはほんの2時間ほどで、ほとんどの時間を議員団ニュースの作成や一般質問の事前打ち合わせに費やしました。ごみの最終処分にかかわる問題などで白熱した論戦がありましたが、これまでの議事録を読んでおくなどの質問準備をていねいにやっている委員がいるのには感心しました。負けてはおられません。
 ところで今朝の日刊赤旗の東海・北陸信越のページに一昨日の写真が掲載されました。残念ながら白黒でしたが、記事の内容を考えれば時期はずれに掲載されるよりましでしょう。カラー写真は「見てある記」読者の皆さんにご覧いただくことにしました。ただし、解像度をかなり落としてあります。


2005年09月13日

厚生常任委員会2日目

 厚生常任委員会はきょうが2日目です。健康福祉部関係の条例改正案、一般会計補正予算などが審議されました。介護保険はこの10月から改悪されますが、認定者数とサービス未利用者の問題などをとりあげた柳沢委員や樋口委員の質疑は勉強になりました。また、病院と指定管理者制度についての矢野委員の質疑は、同じ市の施設であっても、他の施設とは違う対応をしなければならないことを浮き彫りにしたもので、参考になりました。
 市議会が終わって、久しぶりに妻と一緒に帰りました。彼女の職場を出た時は夕方の6時をまわっていましたので、家に帰る途中から真っ暗に。日が短くなりましたね。昼間も鳴いているのでしょうが、アオマツムシの大合唱が街路樹、雑木のあるところなど、どこを走っていても聞こえてきます。アオマツムシの鳴き声を聞きながら、総選挙の結果や市議会での様子などについて話をしました。


2005年09月12日

厚生常任委員会1日目

 朝、市役所へ向かう途中、秋空が澄み渡っていて頸城三山が見事でした。あまりにも美しいので、頸城区で軽トラから降り、写真を何枚か撮りました。高田平野はこれから刈り取るコシヒカリが黄金色に輝き、転作ソバはいまが花盛りです。稲とソバに頸城三山、この組み合わせが気に入りました。うまく撮れていれば、赤旗編集局へも送りたいと思っています。
 きょうから厚生常任委員会がはじまりました。選挙が終わったばかりとあって、明らかに疲れているなと思われる人が何人もいました。私の方はというと、この「見てある記」を書いてから朝8時半まで眠ったので、何とかもちました。健康福祉部関係の決算審議では、予算の流用の仕方を問題にする場面が何度もありました。予算の趣旨から外れず、目、節ならばいつでもオーケー、そんな流用の仕方に違和感を感じる委員が多かったように思います。
 高田の南本町の朝日湯が7月末で廃業しました。これに関連して、高齢者の公衆浴場利用助成が議論の対象になりました。部長の答弁で、自宅の風呂を持たない1人の高齢者については「もらい風呂」で対応してもらうことになったという言葉が出ました。懐かしかったですね、この言葉は。じつは私も朝日湯を1年間利用したことのある人間です。公衆浴場で大人の裸をたくさんみて、いろんな人と出会いました。単なる風呂場でなく、町場の人たちの、とてもいい交流の場でした。なくなるのはさみしい。


比例で前進、小選挙区で過去最高

 昨晩は、政党ポスターを撤去してから武田勝利新潟6区候補の選挙事務所へ出かけてきました。武田候補や阿部正義党上越地区委員長らとともに開票を見守りました。6区内で一番最初に開票状況が報道されたのは津南町、前回票を大きく上回る500を突破したので、「よし、これならいけるぞ」という声が出ました。その後開いた十日町市、糸魚川、妙高市、そしてわが上越市でも前進を期待できる票の出方をしましたのでホッとしました。これまでずっと選挙の裏方を務めてきた人なので、クセになっているのでしょう、武田候補は、過去の得票データと電卓を離さず、得票状況をチェックし続けました。6区の選挙区選挙では全体で10000票を超えるというのが具体的な目標でしたが、目標を超えた夜12時の時点で、武田候補は事務所に駆けつけた人たちを前に「みなさんの大奮闘で、6区では過去最高の11138票の支持をいただき、反転攻勢の一歩をふみだすことができました。6区の要求実現にみなさんと力を合わせて頑張ります」と挨拶しました。当選できなかったとはいえ、とてもいい表情でした。
 その挨拶を聞いてまもなく、私は家に帰りました。帰ってすぐに缶ビール(350cc)を飲んだら、そこで朝までダウンしてしまいました。でも、「果報は寝て待て」でした。獲得議席は8止まりかと思っていたのですが、一眠りした後のテレビ画面では9議席にたどりついていました。新潟6区内での日本共産党の得票は以下の通りです。


2005年09月10日

美味い物を食べて一日中、新聞配達と対話活動

 きょうは一日中、新聞配達と対話活動でした。久しぶりに会った人とは話がはずみ、議会の様子、郵政民営化などの話をしました。午後から空模様がおかしくなり、夕方には雨となりました。それも一時的に激しい降りとなって、外には出られないほどでした。そのため、一軒のお宅でお茶をご馳走になり、おいしい漬物、煮物をいただきました。ここのお母さんの味付けは、吉川区の中では五本の指に入ります。今回も、たくさんご馳走になってしまいました。
 味の話でもう一つ、書いておきましょう。バタバタしているので、お昼は、杜氏の郷の小さな店、『ともだち』の五目おこわを買って食べました。吉川区で栽培されている「こがねもち」を使い、
しいたけ、油揚げ、人参、ちくわ、ひじきが入った美味しい五目です。ここのお店では、きのこの押し寿司も販売しています。2003年度きのこ料理コンクール全国大会で、最優秀賞(林野庁長官賞)を受賞したものです。まだ食べたことのない方は、ぜひ一度ご賞味を。ただし、これは土日限定販売です。
 トップページに使っている写真の現場で稲刈りがはじまりましたので、入れ替えました。


2005年09月09日

文教経済委員会の3日目

 台風が去って、さわやかな一日となりました。朝晩は、はっきりと涼しさを感じます。日刊紙を配達中、あるお母さんに「一年で一番いい時期」と言われましたが、朝の空気が実に美味しい。
 文教経済委員会はきょうが3日目、最終日です。昨日、あるベテラン委員が「明日は午前中でほぼ終わりになるだろう」と言いましたが、いやー、みんな、しゃべる、しゃべる、個性豊かな発言が相次ぎ、結局、夕方までかかりました。
 観光通でならす小林委員、「直江津の街に人が来るようにするには、他所には見られない清潔な公衆トイレをつくるだけでいい」。毎日ランニングを欠かさぬ近藤委員、「毎日、高田公園のハスを撮りに来ている人たちがいる。2か月も咲くハスを活かさない手はない」。質問は、自らの体験や見聞に基づく内容に裏付けられていると説得力が増幅します。私ならではの質問をやらなければ……。


2005年09月08日

文教経済委員会2日目

 昨晩の風は強烈でした。私が出したポスターのほとんどは吹き飛ばされてどこかへ行ってしまいました。わが家の牛舎周辺もいろいろなものが倒れたり、飛んできたりしています。刈り取り前の稲もかなり倒伏しました。雨はパラパラですんだのですが、もし本格的に降っていれば、倒伏はもっとひどくなったでしょう。この程度の被害で終わったのは幸いでした。
 きょうは文教経済委員会の2日目でした。教育委員会と農林水産部にかかわる議案の審議をしました。公共施設のうち教育関係のもののトイレ改善は、人にやさしいまちづくり条例にもとづくものですが、合併後の推進計画が整備されていない中での予算措置に疑問を感じました。担当課長は新年度予算編成前に推進計画の見直しをすると答えましたので引き下がりましたが、本当は今回の予算計上の前にしてほしいことでした。
 農業関係では、合併に伴い見直しをすべき計画がいくつもあります。農業振興計画、農業経営基盤強化促進基本構想などは、いくら過渡期であっても、バラバラなものを寄せ集めただけだと、いろんな矛盾が出てきます。そこら辺の実情はどうなっているのかをただしましたが、質問の整理がよくできていなかったので、突っ込み不足に終わってしまいました。いい答弁を引き出すには、やはり、事前の準備をしっかりやらないといけませんね。


2005年09月07日

文教経済委員会初日

 私の所属する文教経済委員会の初日でした。朝10時から夕方6時過ぎまで昨年度決算について質疑をやりました。編入された13町村の膨大なデータも含めて、配布されたすべてのデータに目を通すのは事実上不可能です。これはという問題に絞って調べて質疑に役立てるのが精一杯でした。
 昨年度というのは、いうまでもなく昨年4月から今年3月末まで。一番の出来事は14市町村の合併です。多くの事業が合併とからんで展開されました。ところが、決算書や関連資料では、子どもの姿がほとんど見えませんでした。1万人を超える児童生徒にとって合併は何だったのか、合併に向かってどういうことをしたのか、もっと意識してもよかったのではないでしょうか。
 私が取り上げた問題は、子どもと合併のほか、社会科副読本の充実、学校HPなどです。学校図書館、図書標準などについては他の委員が取り上げていましたが、私の場合、春の予算審議で取り上げていましたので、来年の予算審議でチェックをかけたいと思い、やめておきました。
 きょうは一日中、台風のことが気になりました。委員会室の窓に強い風があたり、ビュービューという音がしました。地元の総合事務所に戻って、「台風の進路から外れたね。昨年からはずっと外れている」と言ったら、「その代わり、大雨(被害)がひどい」という言葉が返ってきました。考えてみれば、昨年から、雨と雪の災害で苦しめられてきました。台風がこなかった時のホッとした気持ちはいままで以上です。


2005年09月06日

目の離せない1時間

 きょうは建設企業常任委員会審議の最終日でした。党議員団の分担で私の当番です。でも、すでに決算、一般会計補正予算の審議を終えていましたので、きょうはガス・水道関係の条例、補正予算の審議だけとなっていました。
 はじまってから終わるまで1時間ちょっとの審議でした。でも、私にとっては目の離せない1時間でした。13区と合併前の上越市の水道料金との統一をどう進めるかをめぐり活発な議論がされたのです。杉本議員の総括質疑の到達点を各委員がどうとらえているのか、もよく分かりました。今定例会では料金格差が小さく、企業債の残高が無い、さらに石綿管の更新も終わっているという大潟区、清里区、名立区の3区が統一されます。この先、残された10区がどういう年次計画で統一されていくのか。どなたかが言っていたように、これをキチンと示すことが求められていると思います。風間ガス・水道局長の「(全市的な統一は)平成20年度が目安」という発言や「残された区を一度に統一したらどうか」という吉田議員の提案も頭に残りました。当局から今後の計画が示された段階で、さらに踏み込んだ議論をしていきたいものです。
 明日からは私の所属する文教経済委員会がはじまります。連続3日間、しっかり審議していきたいと思います。


2005年09月05日

三宅島からの手紙

 どうされたか、気になっていた女性から手紙がきました。三宅島の佐々木美代子さんです。5年前の全島避難により、東京は台東区で避難生活をされていました。2月1日の避難指示解除で、おそらく三宅島に帰島されたのではないかと思っていましたが、正確なところは分かりませんでした。今回の手紙でお元気なことを知り、安心しました。
 手紙では、本格的に帰島した後の暮らしぶりが丹念につづられていました。24時間火山ガス情報が出されていて、野菜や花を植えてもガスや酸性雨により一晩でダメになってしまう。そういうなかで、ガス対策をしながら大根を作ろうとしている。島での生活のたいへんさが伝わってきます。そういうなかで、お連れ合いがカヤの根を起こし、畑を広げていることや海運丸に乗って海の仕事も再開されたことを知って、島での暮らし再建にむけてがんばっていらっしゃるご夫婦の意気込みを感じました。
 私と佐々木さんとの交流は数年前にさかのぼります。佐々木さんが避難先の東京・台東区から吉川の山間部の農家、Tさん宅を訪ねてこられたことがありました。その時、Tさんが私の書いた本を佐々木さんにプレゼントされたことがきっかけで手紙をやりとりするようになりました。まだ一度もお会いしたことがありませんが、ふるさとを見る眼がやさしく、社会問題への視点も鋭いのでいつも感心しています。
 今回の手紙でも、郵便局の役割についてハッとする記述がありました。島にあった5つの郵便局のうち2つの郵便局がシャッターを下ろしているといいますが、「都会と違って小さな島の局の存在は、生活のパートナーであり、コミュニケーションの場であり、子どもやお年寄りの見守りの場でもある」とつづられていたのです。瞬時に農協川谷店(簡易郵便局でもある)と同じだと思いました。郵政民営化を進めようとしている人たちに読んでほしい文章です。


2005年09月04日

まわると必ず相談が寄せられる

 台風の影響でしょうか、せっかくの日曜日だというのに、一日中パッとしない天気でした。日曜日に稲刈りを、と意気込んでいた人たちにとっては、いつ雨が落ちてくるかとハラハラした一日だったにちがいありません。
 きょうは朝から晩まで「しんぶん赤旗」日曜版や号外の配布でした。もっとも昼寝を30分ほどしましたが……。いつものことながら、こうしてまわると、相談をかけてくる人がいます。きょうは2人の方から、農地相談、税金相談がありました。
 このうちの1人は1人暮らしの方です。5ヶ月ほど会わないうちに、ほっそりした体つきになっていました。「どうしたんですか」と声をかけたら、土地や税金などのことで頭がいっぱいになっているといいます。9月議会がすんだら、ゆっくりと話を聞く約束をしてきました。
 8月の酪農組合解散式については、この「見てある記」で書きましたが、それをベースにして「春よ来い」第57回を書きました。タイトルは「解散総会」です。きょう、アップしました。


2005年09月03日

改革期を迎えている市政レポート

 午前の早い時間にカミナリと雨、この雨で稲刈りは半日できず、農家を泣かせました。そして日中は30度を越える残暑でした。午前の雨が効き、蒸し暑く、ベタベタした感じは夜まで続きました。
 きょうは市政レポート(吉川版)の裏面を作成した後、「しんぶん赤旗」日曜版や号外配布をしました。ある読者の方に、「議員団ニュースと市政レポートに同じ文章を載せない方がいいのでは」と指摘されました。2つとも読んでいる人の立場からみれば当然の意見です。編集している者としては、赤旗読者以外にも読んでいただく市政レポートには、地域限定の記事を中心にしながらも全市的な話題も載せたいという思いがありますが、安易な編集にならないように気をつけたいと思います。
 夕方、関東在住で、帰省しておられた方に偶然会いました。この方は帰省する度に市政レポート(吉川版)を土産に持ち帰り、友人にコピィして渡していてくださるとのことでした。ふるさとの情報源として活用していてくださる方もあるのは、とてもうれしいことです。
 このところ、時間に追われながら市政レポートを書いています。合併によって町政レポートから市政レポート(吉川版)になった。議会活動も1人で何から何までやっていた町議時代と違って、議員団の中で分担して活動するようになりました。こうした中でレポートの編集をどうしていくべきなのか、いろいろな意見を聴いていかなければならないなと感じた一日でした。
 


2005年09月02日

稲の匂いが…

 朝、地元新聞を見たら、昨日の総括質疑について書いてありました。杉本議員がとりあげた水道料金統一については、5年以内に統一することになったと書かれていました。合併協議での合意に照らせば極めて当然のことなのですが、昨日の市長の答弁はスカッとしていなかったので、気になっていました。新聞記者はしっかりメモをとって記事を書いたのでしょうが、一度、議事録を読んでおきたいと思います。
 きょうから常任委員会審議が始まりました。建設企業常任委員会はわが議員団の誰もが所属していない委員会です。審議は3日間の予定ですが、3人が分担して一日ずつ出席することにしています。きょうの審議では、ある区の打ち切り決算をめぐって1時間以上も空転したという情報が入ってきました。私の出番はもう少し先です。合併に伴う打ち切り決算、どう審査すべきか整理しておかなければ……。
 昨日、今年は稲独特の熟した匂いが車の中に流れ込んでこないと書きました。これは軽トラを走らせていた時に、たまたま、風が吹いていなかっただけのようです。今日の夕方、高田から家に帰る時、一年ぶりの匂いをかぎました。まちがいなく、稲のいい匂いです。稲穂の上を流れる風が車の中に運んでくれました。


2005年09月01日

稲刈りはじまる

 朝晩、ぐんと涼しくなりました。きょうは「しんぶん赤旗」日刊紙の配達でしたが、長袖シャツを着ていないと寒いくらいでした。もっとも日中はまだ猛暑が続いています。35度前後にはなったと思います。こういう天気は稲刈りにぴったりです。きょうは下町と片田の両集落の田んぼで稲刈りをしているのが見えました。おそらく越路早稲という品種でしょう。いつもだと稲刈り前に稲独特の熟した匂いが車の中に流れ込んでくるのですが、今年はどういうわけか、まだです。天候不順だったことが実りにどんな影響を与えたのかちょっと心配です。
 市議会9月定例会はきょうが2日目、昨日に続いて総括質疑が続きました。昨日は3人、きょうも3人が質疑をしました。私たちの議員団からは杉本団長が登壇して、昨年度決算、一般会計補正予算などにおける問題点、疑問点をただしました。私が最も関心を持っていたのは、格差のある水道料金を5年以内に統一する方法、段取りをただした質問でしたが、市長答弁は歯切れが悪く、がっかりでした。


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