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2005年07月投稿分

2005年07月31日

勝穂フェスティバル

 午前は吉川区内にある勝穂地域づくり会議主催の第1回「勝穂フェスティバル」に参加してきました。赤沢、泉、後生寺、伯母ヶ沢の4集落のみなさんが家族そろって旧勝穂小学校に集まり、ペタンクやグランドゴルフなどのニュースポーツを楽しむ。お昼休みには焼きそばにタケノコ汁もふるまわれる。とても賑やかな集まりでした。フェスティバルは合併後初の取り組みといいますが、これまでの地域活動を引き継いでいて、しかも新鮮な感じがしました。何よりもうらやましく思ったのは、きょうの運営で30代の青年たちが中心的な役割を果たしているということでした。
 私は来賓挨拶後、グランドゴルフの親父チームのメンバーの1人として競技に参加しました。学校のグランドに7つのコースが用意され、少ない回数でまわるほど点数が高くなる仕組みになっています。グランドには木の根があり、草もある。狙い通りに打てたときは歓声があがります。失敗した時は失敗した時で、「ああー」という声も出る。最初はうまくいくか不安があったのですが、そのうちはまり込んでいきます。約1時間、楽しい汗を流しました。
 夜は党頸城支部の新入党者歓迎会でした。議員団に参加要請があったのですが、何とか都合をつけられそうなのが私だけということで、出かけてきました。入党式では、木島日出夫前衆議院議員(衆議院選候補者)と阿部正義地区委員長から激励のメッセージが寄せられました。自己紹介や歓迎の挨拶のなかでは笑いがいっぱいあってとても暖かい感じのする式でした。その後は党創立83周年記念集会のビデオの前半を観て、歓迎パーティへと続きます。この日の入党者の1人は、見たことがある人だと思ったら、2月の選挙戦の時、私の宣伝カーに近づいてきて、「私も頸城で上野公悦さん、応援しているんです。頑張ってください」と声をかけてくれた女性でした。
 「春よ来い」の第54回「記念写真」をアップしました。ご覧ください。


2005年07月30日

ほほえみまつり

 きょうも昨日に負けないくらい蒸し暑かったですね。「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金をしていてもシャツやズボンがべたべたした感じがしてたいへんでした。午後、こういう私を見て、仲間の一人が助けにきてくれました。クーラー付きの車で運転してくれるというのです。時間的にはそうたいして変わらないはずですが、運転しない分だけ余計なストレスがたまらず、リラックスして配達できます。しかも、「さっき会った人は、昔はどこどこに住んでいた人でね…」といったふうに、いろいろ話もできて楽しい。助かりました。
 夕方からは特別養護老人ホーム、「ほほ笑・よしかわの里」の「ほほえみまつり」に参加しました。まつりは今回で2回目です。ホームの裏庭には、テントが張られ、漬物、お菓子などのお店も並びました。会場は車イスに乗った入所者、入所者の家族、ボランティア、区内の文化団体のグループ、地域の人たちでいっぱいになりました。会場へ行ってうれしかったのは、久しぶりに会った人が何人もいたことです。入所者の何人かに「元気かね」と声をかけたら、「父ちゃんどうした、母ちゃんは」と逆に聞いてくる人もいます。短い会話であっても、励ましあえるのはとてもいいものです。
 「ほほ笑・よしかわの里」は旧吉川町時代の一昨年にオープンしました。当時の町民が「ぜひ吉川町に特養を」と長年要望し、党派を超えた運動の高まりがあって実現した施設です。特養30床、ショート10床という小さな施設ですが、いつもこのまつりのように、みんなで盛りたてれば、地域の大事な交流の場としても発展すること間違いなしです。そうそう、もう1つ書いておきたいことがあります。数年前、小学校で、ふるさと・吉川についての「特別授業」をしたことがありました。その時、目を輝かせて聴いていてくれた1人にS少年がいました。彼はもう高校生ですが、いろんな行事で偶然会います。きょうもボランティアとして参加していました。地域のこうした大切な取り組みの場に彼がいると、なぜかうれしくなります。


2005年07月29日

クーラー様様の一日

 午前に社民党の小山県議事務所から電話がありました。上川谷など吉川区内の豪雨災害現場を視察するので、地元市議として同行してもらえないかということでした。県議の方が今回の災害で視察に入るのは初めてです。どの党であろうと、関係住民の願いに応えて活動してくださるのはありがたいこと、午後から約2時間、総合事務所幹部とともに上川谷、国田、片田、代石の現場を見て回りました。
 上川谷の現場へは今回で5回目になります。前回は、18日の市政懇談会の後、見ています。今回は地元集落の町内会長さんをはじめ、3人の方が出迎えてくださいました。すでにボーリング調査に入っていることや、まだ、少しずつ動いているのでしょうか、現場の姿はだいぶ変わってきています。上部は地層がはっきり見えるようになっていましたし、中ほどにごろごろとしていた大きな岩は、あまり目立たなくなっていました。
 きょうは蒸し暑い一日でした。窓を開けて風を入れ、原稿書きの仕事をするつもりだったのですが、まったくの無風状態です。体はべたべたしてくるし、たまらず、クーラーのある部屋にパソコンを持ち込んで仕事をしました。涼しいと仕事がはかどります。書けるかどうか心配だった「春よ来い」も54回目を何とか書くことができました。上川谷へ行く時もクーラーのついた車に乗せてもらいました。タオルを首にまかなくてもよいというのは、いいもんですね。クーラー様様の一日でした。


2005年07月28日

臨時議会

 梅雨が明けたというのにパッとしない天気が続いていました。でも、きょうは最高でしたね。とても夏らしい青空が広がり、いよいよ夏本番という感じが出てきました。セミたちの大合唱もこれまで以上にうまく聴こえます。暑い盛りはジージー、そして夕暮れはカナカナ、真夏にぴったりの合唱です。困ったことは、私の愛車である軽トラにクーラーがついていないことです。両サイドの窓を開け、風を入れると、少ない髪が乱れに乱れて……。いやー、みじめなもんです。
 さて、きょうは臨時議会でした。6月28日の梅雨前線豪雨により被害の出た農地、農業用災害復旧の測量設計の費用が盛り込まれた補正予算が提出されました。農地など農業関連災害は吉川区が最も被害が大きく、次いで柿崎区、大島区の順でした。当然のことながら、吉川区の分の予算額が最も多くなります。ある職員に、「橋爪さん、今回の予算はサッと通してくんないね。それが一番、(復旧への)近道なんだから」と言われました。こういう言葉は不思議と残りますね。きょうの私の発言はあっさりしたものとなってしまいました。まあ、大きな問題もなかったし、いいか。
 夕方、地学団体研究会のメンバーであるS先生がわが家にやってこられました。きょう、上川谷の県道崩落現場周辺で6時間ほど地質調査をされてきたということでした。現場には大島区から尾神岳にのびている断層があるのではという研究者もいて注目されていますが、きょうの調査では、まだ確認できなかったといいます。断層があるかないかは、今後の復旧工事にも影響を与えるものです。現場ではボーリング調査がすでに開始されているといいますので、近いうちにこの結論が出るでしょう。


2005年07月27日

「消えた」防災情報

 昨晩からずっと心配したのは雨です。台風の影響で150ミリ以上降る可能性があると報道されていましたので、どうなるか気になりました。最近、雨が降った時に見るのは、新潟県の河川防災情報、土砂防災情報のHPです。これは上越市のHPから入っていって見るクセがついています。ところが、市のHPではいつもの場所に災害情報がありません。そこには台風7号の影響で花火大会を延期したことが載っていたのです。先日の豪雨災害以来、雨に神経質になっている者としては、この措置は認めることができません。朝、防災安全課に話をして、改善措置をとってもらいました。今度は注目情報のところから災害情報へと入ることができることになりました。
 それにしても、なぜこういうことが起きるのでしょうか。防災安全課と広報対話課の連携に問題があることは確かですが、どうもそれ以前の問題があるような気がしてなりません。それは市政における防災の位置づけの問題です。これが弱いのではないでしょうか。台風が近づいて災害発生の可能性があるとしたら、市長はもちろんのこと、全職員が防災に集中し、市民の安全を確保する、このベクトルが動かないと危機管理はできないでしょう。この点で、新潟県のHPはトップページの一番目立つところに防災情報がどんとおいてある、学んでほしいと思います。
 きょうは久々に議会関連の用事がない一日となりました。おかげで、「しんぶん赤旗」の集金、父の薬もらい、その他、細々した用件をいくつもやることができました。大潟区まで行きましたので、前から一度訪れてみたいと思っていた「はまっこ保育園・児童館」に行ってきました。保育室も廊下もゆったりとして広く、ぬくもりがあります。それに、プールは室内にあり、保育室は障害児の対応を考えたスペースどりがしてあって、なかなかいい施設でした。児童館では子どもたちが私の大きなお腹に興味をもってさわりにきました。冗談で「お腹の赤ちゃんが動いているよ」と言って、小刻みに腹を出したり引っ込めたりしたら、子どもたちは「ほんとだ。動いている」と大喜びでした。そして自分でもお腹を出したり、引っ込めたりしていました。子どもたちは本当に遊び上手ですね。


2005年07月26日

農都市議員連盟の視察

 上越食料農業農村議員連盟(略称、農都市議員連盟)という組織が市議会にあります。一言でいえば、「上越市食料・農業・農村条例」に書かれた目的実現のために動く議員組織となりましょうか。市議全員が加盟しており、3つの部会に分かれて活動しています。党議員団はそれぞれ別の部会に所属しています。私は農業生産部会所属です。きょうはこの農業生産部会の研修会でした。牧区の耕作放棄地、全農の無洗米工場、久保田農場の視察などが主な内容です。
 牧区には約100ヘクタールの耕作放棄地があるとのことで、きょうは宇津俣地区の実態を視察してきました。深山荘が見える場所です。長野県境も見えました。一つの山の斜面に広がる耕作放棄地にはススキが繁殖していて、すでに原野と化しています。田んぼになっていれば、美しい棚田なのでしょうが、こうなれば、復元はまず無理です。地すべり地帯でもあるので、広葉樹の植樹でもして対応するのが一番かなと見てきました。
 無洗米は「洗わないでいい米」です。とぐ時の大量の水が不要となるので、これから徐々に広がっていくことと思います。今回は頸城区の全農精米工場のなかにある無洗化処理装置を視察し、お昼には、普通に炊いたご飯と無洗米を炊いたご飯の食べ比べをしました。これまでの精米よりコストがかかって、時間もかかる。そういうなかで味が抜群によければ一気に普及するでしょうが、味は、どちらも同じという気がしました。処理のコストや時間が改善されないかぎり、広げるのは難しいと感じました。
 久保田農場は上越では有名な農場です。田んぼは約30ヘクタール、これにトマトなどの園芸に力を入れています。きょうはスーパー『イチコ』と契約栽培しているミディトマトのハウスで説明していただきました。県下一という高さのあるハウスの構造の利点、連作障害を生まない接木の技術、深夜に及ぶ収穫作業の大変さなど、初めて知ることが多く、とても勉強になりました。「もうかるでしょう」の質問に、「もうかっていれば、議員の皆さんもトマト栽培しているでしょう。トントンになるかどうかです」。経営主はなかなかのやり手です。


2005年07月25日

友人を見舞うため新潟へ

 災害対策は合併前の各自治体のものとどう変わっているか。朝からこの問題意識を持って調査活動をしました。いわゆる「事務事業の調整」の経過をたどりながら道路や農地、農業用施設災害復旧事業がどう変わるかを追いました。しかし、文書だけでは分からないもんです。市役所の担当課は、「上越市の制度に統一する」という合意を得ると同時に合併時までにさらに良い制度にしようと動いていました。そして6月16日には各区の担当者と災害に備えて打ち合わせをやっていたのです。これらは担当課から聞いて初めて分かったことですが、「事務事業の調整」をここまで丁寧にやっている事例にぶつかり、ホッとしました。
 午後からは高速バスに乗り新潟へ。県立がんセンターに入院した学生時代からの友人を見舞ってきました。20日の日に手術したばかりなのに、寝起きもでき、会話もできる。しかもいつもの笑顔で迎えてくれました。「いやー、危機一髪だったよ」と言いながら、病気の経過、手術の状況をゆっくりと説明する姿には、落ち着きがありました。手術前に動揺したということがウソのようです。顔が変形するかもしれない、言葉もまともにしゃべれなくなる可能性がある、場合によっては指の動きにも障害が残る。そう医師から言われていたとのことですが、それらはすべて大丈夫でした。2週間後には退院できるといいます。いま彼が入っている部屋は4人部屋、テーブルの上にはもうパソコンが置かれ、「ふだんの生活」をしている感じがしました。
 夜、党支部の仲間と今後の活動計画について打合せをしました。災害対策、遺伝子組み換えイネの運動、そして総選挙準備など課題はたくさんあります。それに生活相談も続いています。打ち合わせ中にも2件、電話相談がありました。自治体学校へ行って仕入れてきた資料などの整理をしておこうと思っていたのですが、ここ数日はその時間もつくれないようです。


2005年07月24日

自治体学校in金沢

 22日からきょうまで3日間、金沢市での自治体学校に参加してきました。自治労連や自治体問題研究所などが実行委員会をつくって、その時々の地方自治の課題についてさぐる全国規模の学習会を開くのが、この自治体学校です。私はこれまで搾乳をしていたこともあって、全国規模の学習会にはほとんど参加してきませんでした。この自治体学校も初参加です。今回の学校のテーマは「憲法を生かし、自治の力で、くらしと地域の再生を」でしたが、どの講義も最近ぶつかっている問題にかかわるものばかりで、「なるほど、なるほど。こういうことだったのか」「うん、これは使えるぞ」などと思いながら講師の話を聞きました。
 議員になると多忙なため、地方自治関係の学習は、どうしても自分のかかわっている部署のことだけを少しかじって、終わりにしてしまいがちです。今回の学校では、国がどういう戦略を持って地方自治体を変えようとしているのか、その全体像をつかむことができました。また、そういうなかで、国の戦略と対抗する行財政運営をしている自治体の取り組みが次々と紹介され、とても勉強になりました。普段の活動で自分の頭の中にごちゃごちゃとつめこまれていたものを、いったん外に出し、整理してまた頭の中に入れた。そんな感じです。個別課題では、指定管理者制度をどうみたらいいのか、地域内循環型経済をどうつくるか、児童、生徒を主人公にした学校経営のあり方などいくつか深めることができました。
 わずか3日間離れただけなのに、きょうの帰りの特急「はくたか」から米山、尾神岳が見えた時、懐かしさを感じました。梅雨が明けて空は真っ青、稲も穂が出始めてきた、車窓から見える風景だけでも大きく変わったように見えました。また普段の生活に戻ることを実感したのは留守電を聞いた時です。学生時代の友人が入院して腫瘍摘出の手術を受けたというショッキングな情報、水害対策の新情報が記録されていました。また、生活相談が2つ、持ち込まれてきています。明日は臨時議会の準備もしなければなりません。急がず、できることを一つひとつ確実にやっていこうと思います。


2005年07月21日

厚生常任委員協議会

 きょうは市議会厚生常任委員協議会がありました。介護保険や国保で不適正な事務処理があったという事実や6月28日の梅雨前線豪雨災害などについて報告があり、質疑もありました。昨日の段階で関係部長にこういう項目でお尋ねしますよ、と通告しておいたら、関係部長間でやりとりがあったり、総合事務所との対応協議がされた模様です。私の出番は12時半頃になってからでした。みんな腹が減っている。午後から別の会議もある。というわけで、質問しにくかったですね。
 吉川河川内のヤナギの木などの伐木については、先日の県庁での交渉で、優先順位をつけて緊急にやりたいとの答えをもらっていました。きょうの質問などで、県が優先的にやろうとしている場所が片田から上流の八幡橋付近までであることが分かりました。ここも片付けてもらいたいですが、片田より下流の代石、桜町などが放置されては困ります。ここも雑木が川の流れを邪魔していて、床下浸水騒ぎの一因となったところだからです。質問が終わって、しばらくしてから、関係部長より電話がありました。「やはりカネが問題でした。9月議会には補正を出す方向で動いているそうですので、お願いします」。これで何とかなるでしょう。
 上川谷の県道崩落現場の復旧見通しと冬場対策。この問題は、地学研究者の方から昨日調査していただいた平面図や断面図などを使って具体的な質問を展開するつもりでしたが、時間的な余裕はまったくありませんでした。でも関係部課長に渡したので、何らかの形で生かされるはずです。きょうは川上副知事が現場視察に来たといいます。明日は、総合事務所が主催し、都市整備部長も参加して上川谷で懇談会をやるとのことです。動きが活発化してきました。
 明日から3日間、金沢市で自治体学校です。2日間、見てある記を休みます。


2005年07月20日

ある出会い

 17日の笠井あきらさんの講演中に市内のある建設会社の社長さんから党地区委員会経由で電話があり、ぜひ一度会いたいので時間をつくってほしいと頼まれました。分かりましたと返事をしていたのですが、きょうの午前中、会ってきました。じつは、社長のHさんの父親にあたる方が50年前、わが家を建築した人だったのです。その父親のことを私の『幸せめっけた』に書いていたのですが、それがHさんの兄弟の目にとまり、感激されたというわけです。きょうは社長さんの姉という人もかけつけ、一緒になつかしい話をしました。Hさんは50年ほど前、駆け出しの大工さんでした。本の中でふれたように、父親におこられ、尾神から当時の直江津まで歩いて帰ったというエピソードの持ち主でもありました。それにしても出版して5年も経ってから、こういう出会いが実現するとはうれしいものです。
 午後から市役所で市民生活部長と会い、議員団としての6.28水害関連の申入れをしました。防災の体制、吉川区の諸問題、吉川区以外の問題の3つに分けて、8項目の要請です。体制の問題では、区総合事務所長の権限を拡充強化、本庁内部で旧上越市担当部門と全市担当部門を分離することなどを盛り込みました。吉川区の項目に関しては、これまでの議員団の現地調査、懇談会で分かったことをふまえて、県知事への要請よりもさらに広く具体的な申入れにしてあります。申入れ内容は緊急性があるものが多いので、回答は今月中にということでお願いしてきました。夜は遺伝子組み換えイネについての市民学習会でした。推進側と反対側が共催して上越市が後援する、こうした学習会は初めて経験しました。とてもいいことだと思います。


2005年07月19日

代石懇談会

 朝、目が覚めて、時計を見たら何と午前8時です。ここ数日の疲れがたまっていたのでしょうか、こんなに遅く起きたのは久しぶりのことでした。きょうは、日中は総合事務所や市役所本庁で水害関連の仕事をしました。具体的には、昨日の懇談会で出された住民要望を行政当局に伝える、21日及び28日の市議会の諸会議で何をとりあげるか話し合う、夜の懇談会の準備をする、こういった内容です。吉川区総合事務所幹部とのやりとりの中で、尾神と上川谷を結ぶ市道の草刈り、側溝のゴミ上げについては、請け負った業者が明日からとりかかることになりました。上川谷の住民から強く出されていた要望の1つが実現することになったのです。よかった。
 昨日の上川谷に続いて、今晩は地元集落・代石(たいし)での懇談会でした。ここは吉川橋下流の堤防決壊などによって5世帯が避難、1世帯が床上浸水、8世帯が床下浸水しました。長年にわたり、水害に苦しめられ続けている集落です。今回の雨の特徴や市役所、党議員団の取り組みについて説明した後、懇談に入りました。水害の出た28日は地元にいる時間が少なかったこともあり、率直に言って、初めて知った事実もたくさんありました。懇談は、2時間過ぎても終わりませんでした。実態報告、質問、提案などが続出したからです。
 出された声を列挙すると以下のようになります。
● 吉川橋の上流もU字溝などをつかい嵩上げ(かさあげ)してほしい。そばに側溝もつけて……。
● 吉川の代石周辺は昭和46、7年頃、河川改修をやってもらったが、土などが土手にくっついて当時より川幅が狭くなっている。これを元に戻してもらうだけでもずいぶん違うはずだ。
● 大出口川の堤防で部分的に陥没しているところが何ヶ所かある。調査して手を打ってもらいたい。(吉川だけでなく)大出口川も10センチでもいいから、嵩上げしていただきたい。
● 水がひいた後の処理、柿崎区は散水車が来てきれいにしていった。こちらはグレーダーで泥をどかしただけだ。
● 流れ着いたゴミがたくさんあるが、袋に入れて出してくれと役場に言われた。とても出し切れる量ではないので、集落で処理することにしてもらった。
● 有放での情報伝達がほとんど無かった。もっともあったとしても(水騒ぎで)夢中になっていれば聞いていられない。防災無線とか消防団員の直接伝達でないと伝わらないのではないか。
● 吉川橋のそばにある昔の水位計、鉄骨が曲がってゴミがつっかえるようになっている。使っていないのならば撤去してもらいたい。
● 市役所は浸水被害に遭った家庭の掃除、ゴミ片付けボランティアを早く呼びかけるべきだった。最初、親戚などで対応してもらいたいとの話だった。
● 吉川町時代から浸水後の消毒は役場が散布までしてくれた。高齢化が進む中で、これはありがたい。続けてほしい。
● 流れ着いたドラム缶、タイヤの始末には困った。
● 消防団員はぐったりだった。夕方はおにぎりが出なかったのか。家に帰ってきてご飯を食べていった。
 懇談会が終わってから、夕飯を食べ、横になりました。ひと眠りした後、パソコンに向かうと、議会での質問をどう展開したらいいか、次々とひらめいてきました。面白い現象です。おそらくは懇談会の何かが作用したのでしょう。質問準備もかねて二日連続で集落懇談会をやりましたが、住民の皆さんの声を聞くことの重要さを再認識しました。住民こそ主人公を貫くには、まず住民の声を聞く。今月は日程的に開催は無理ですが、来月も災害関連で懇談会をやろうと思います。


2005年07月18日

上川谷懇談会

 午前は市政レポートの配布と「しんぶん赤旗」などの宣伝活動でした。下川谷まで行ったので、上川谷へつなげる冬場の道としてどうかという声の出ているブナ林経由の道を少し歩いてみました。3メートルを超える雪が降った時に雪上車が走れるようにするには、道路の拡幅などかなり手を加えないと駄目だと見てきました。私も豪雪地帯で育ってきましたので、ある程度の判断はできるつもりですが、冬場の道としての自然条件はきびしいという感じがしました。
 午後からは上川谷で市政懇談会をやりました。今年度から防災関係は厚生常任委員会が担当ですので、樋口議員にも同行してもらい、約1時間半懇談させていただきました。やはり生の声を聞くもんだと思ったのは、被害の出た道路の管理についての話でした。ここは柏崎市と隣接しているところですが、柏崎市地内と上越市では土砂やゴミの始末が違うと言われました。懇談会後、桜坂峠を柏崎方面へ下ってみてきましたが、上川谷集落の皆さんの言われるとおりでした。柏崎の方がきちんと対応してあるのです。地元の人たちはしっかり見ておいでになると思いました。
 懇談会では今回の豪雨について、市役所や党議員団の活動を紹介したうえで、要望をお聞きしました。「大潟高柳線の復旧工事が3年もかかるようなことにならないだろうね。生活圏は川谷地区なので、下川谷が(吉川区の中で)一番遠いというのは困る」「尾神岳経由の市道(旧林道)は雨が降ったらおっかない。降っていなくとも草刈りをしないと危険だ。緊急に刈ってほしい」「冬場、家の周辺の除雪はD3のブルと小型除雪機で対応してきた。県道が復旧されないと下川谷にあるD3を使えなくなるのでは」「夏休みになってもバスは運行してもらえるこてね」「県道が復旧するまで、バイクや軽トラが通る道をつくってもらえると助かる」などたくさんの声を寄せていただきました。こうした要望は市役所など関係機関にすぐつなぎたいと思います。
 懇談会後、樋口議員と主要地方道大潟高柳線の交通止めの原因となった地すべり現場を見てきました。先月30日にも下川谷から上り同じ現場を党議員団で視察したのですが、全体像は上川谷の方から見た方がつかめます。樋口議員は、「これはすごいわ」という言葉を繰り返していました。その後、主要地方道上越安塚柏崎線の上川谷から五軒角間(大島区)の入口まで、どういう道路状況か見てきました。郡境付近の雪崩危険箇所はどうなっているか、路肩は大丈夫か、などをチェックしてきました。道路延長約2.6キロ。もし、大潟高柳線の復旧工事が年内にできないとしたら、ここは上川谷の住民にとっては生命線です。


2005年07月17日

アニメ映画そして講演会

 昨日に比べて暑さが一段と強まった一日でした。ひょっとすると梅雨が明けたかもしれません。昨夕、今年初めてカナカナゼミの鳴き声を聞きました。梅雨明け直前に鳴き始めるとも聞いています。午前は市政レポートの配布活動で汗を流しました。明日、もう半日やれば、終わるでしょう。配布時に60代の女性に、「橋爪さんですね。頑張ってください。私も応援しますから」と声をかけていただきました。見たことがない人なので、どちらの方ですか、と聞いたら、何と大潟区に住む人でした。
 午後から妻と一緒にアニメ映画『あした元気になあれ』を観てきました。原作者の海老名香葉子さんについては『ことしの牡丹はよい牡丹』(文春文庫)で初めて知り、以来、フアンになってしまいました。父母やキョウダイなどを亡くした彼女の空襲体験を伝えることは平和の尊さを考え、平和を守る大きな力になります。今回の映画でも、人間の命を奪い、家族をばらばらにした戦争を絶対やっては駄目、という彼女の思いがすっと伝わってきましたね。
 今回の映画では、海老名さんについての新たな発見がありました。疎開先からお兄さんのところへ出そうとした葉書の束を見て思ったことですが、彼女の優れた文章力は子どもの時からのこうした積み重ねによったものだったんですね。向田邦子の「字のない葉書」(『眠る盃』所収)もいいけれど、この葉書の束には、どんなことが書いてあったのか見てみたくなりました。
 夜は元参院議員の笠井あきらさんの講演会でした。南米各地に続出した進歩的政権誕生と日本共産党とのかかわりなど野党外交については、細かいところも語ってもらいました。都議選の結果は、二大政党づくりが破綻に向かいはじめたことを示しています。笠井さんが多摩市の支部会議にも出て、ビラまきもしているということを聞いて、親しみがぐっと増しました。13年前に父親を亡くし、連れ合いを介護していた母親が脳梗塞になり、「最近は広島の話も聞けなくなった」というくだりではジーンときました。会場では入党コーナーの係りをしましたが、私のところだけでも3人の方から入党してもらいました。


2005年07月16日

被災者から怒りの声も

 梅雨に入って一番蒸し暑かったのは、おそらくきょうでしょう。朝のうちに一時雨が降り、その影響もあってぐんぐん蒸し暑くなりました。午前中に明日の商業新聞に折り込む市政レポートを印刷しましたが、畳がじめじめした感じがしました。その後は新聞配達です。配達していてもタオルを離すことはできません。最初はタオルを手に持って動いていたのですが、そのうちに首に巻いて汗を拭き吹き飛び回りました。県道柿崎新井線での温度表示は29度でした。湿度が高かったんでしょうね。
 配達時に数軒の読者、および今回の被災者の方と懇談してきました。県土木や市役所の動きについては、私はいつもより頑張っているとの印象を持っていたのですが、被災者やその周辺の人たちの中にはかなり厳しい評価をしている人たちがいます。「昨年頼んでおいたことがやってもらえなかった。同じことが原因で二度、三度被害に遭えば人災と言うしかない」。きょうはそうした声をメモを取りながら聞きました。夜、地元集落で常会がありました。そこでも被災された方からは怒りの声が上がっていました。初めて聞く話もあったので、調査をしなければいけないな、と思っています。
 「春よ来い」の第53回は「牛飼いの勘」です。アップしましたので、お読みください。


2005年07月15日

戦没者合同追悼法要そして市政レポートづくり

 3日連続晴れです。予報では、一時中断されるかもしれないけれども、天気のいい日が結構多いようです。ただ湿度が高く、ベタベタした感じがしますね。わが家では、牛舎管理舎のコンクリート部分、牛舎の中が濡れていて、乾いてくれません。きょうも、「しんぶん赤旗」の配達で訪れた家では、「家の中が乾かない」「また、でかい雨がやってこなければいいけど…」など天気のことが話題になりました。
 きょうは午前が吉川区戦没者合同追悼法要でした。原之町の福生寺で行われました。今回が51回目ということでしたが、私は町議時代を含めて初めての参加でした。これまで議長が呼ばれていたのです。日清、日露戦争から先の大戦まで吉川区の人が亡くなったのは440人といいます。父や祖父を亡くされた人たち、ほとんど私の知っている人でした。始まる前に、市長と水害のことで話をしました。市の県交渉については、「ちゃんとやってきたよ」と自信たっぷりでした。先月28日、吉川区を市長が視察にきた際、一人の市の幹部の奮闘ぶりが話題になりました。その幹部が首まで水に浸かって視察した現場は何とわが家のそばでした。これは市長から教えてもらいました。
 法要後は市政レポートの原稿書きと「しんぶん赤旗」の配達でした。レポートでは昨日の県交渉の中身を吉川区民向けにしてお知らせする、「春よ来い」を載せる、この2つのことを決めていました。県交渉については、上川谷ー角間の県道除雪を確実に進める約束をいただいたので、それをメインに据えました。まだ商業新聞が書いていないので、新鮮な情報提供となるはずです。「春よ来い」は、避難先から帰って来た仔牛が死にそうになった、この数日間のことを書きました。これは、このHPで日曜日までにアップします。
 夕方、尾神岳経由で上川谷へ行きました。出来立ての市政レポートを配布するためです。このルートで上川谷まで行くのは、地すべり後、3回目です。きょうはめずらしく対向車が5台ありました。その中で前市長・宮越薫氏と尾神岳中腹で会いました。地すべり現場を視察してきたそうです。自ら撮ってきたデジカメ写真を私に見せながら、「わたしならこうする」と語っていました。彼も秋の市長選に向けて動きを活発化させてきている、そういう印象を持ちました。上川谷では5軒の人たちと直接対話してきました。


2005年07月14日

水害対策で県交渉

 心配した仔牛ですが、おかげ様で元気になりました。朝一番に牛舎に行って、恐る恐るのぞいてみると、仔牛は目をぱっちりと開け、呼吸もゆったりして普通の姿に戻っていました。後から父に聞いた話では、ミルクも立って飲んだそうです。これで、もう大丈夫です。もし、仔牛の様子のおかしさに父が気づいていなかったならば、昨日のうちに葬式を出すことになっていたことでしょう。助かりました。
 きょうは県庁に出向いて、水害関連の要請をしてきました。党地区委員会の要請行動に参加したのは上越市議団です。吉川区、頸城区、旧上越市内の河川改修、道路復旧、冬場の交通確保などについて要請してきました。今回の要請には五十嵐完二県議にも同席してもらいました。
 吉川区の被害実態については航空写真も撮ってあり、被害調査については十分されているという印象を受けました。主要地方道上越安塚柏崎線の上川谷ー角間間については、2メートル50センチ以上の積雪になった場合は除雪しないという条件除雪区間となっていましたが、少なくともこの次の冬についてはこれをはずして、どれだけ降ろうとも除雪する区間にすることを約束してもらいました。
 また、吉川河川内の雑木伐採についても、先日の東田中ー国田間に続いて下流域についても優先順位をつけながら緊急にやるという回答を得ました。東田中ー国田間は雑木伐採に続いて河床の土砂を除去する仕事に取り掛かるということでした。注目の河川改修は桜町橋までを06年度中にやり、07年度以降はその上流へとのばすといいます。問題はそのスピードです。予算がついて回ることですが、これまでのようなペースでは、毎年水害の心配をしていなければなりません。今後さらに要請を強めていきたいと思います。


2005年07月13日

仔牛が脱水症状

 晴れ。雨の心配をしなければならない日が続いた後に青空が出る。いいもんです。きょうは朝からいろいろな雑用をこなしました。新聞屋さんへのチラシ折込料支払い、水害見舞いにたいする返礼など、たまっていた「やるべきこと」をいくつかやることができました。10時半すぎには妻の実家へ向かいました。来月20日、21日予定の親戚旅行の相談です。毎年8月に実施していた旅行の幹事をやっていた人が亡くなり、今回は私が幹事をすることになっていたので、打合せをしてきました。
 お昼をご馳走になり、横になったところへ長女からの電話が鳴りました。何事かと思ったら、仔牛が死にそうだと言うのです。直ちに獣医さんに連絡をして、私も帰りました。数日前から下痢をしていたので手当をしていたのですが、どうも脱水症状を起こしているらしい。ぐんなりして、首を持ち上げることができない状態なので、重症です。獣医さんがリンゲルなどの点滴をしてくれ、あとは仔牛の回復力に期待するだけ。ところがしばらくは回復どころか目の輝きがなくなり、体も冷たい。ほんとに心配しました。きょうは何とかもちました。明日、もう一日がんばってくれれば、助かると思います。
 夕方からは吉川区農業労働災害互助会の役員引継ぎ、そして懇親会でした。合併協議で吉川区だけの事業として存続が決まったこの互助会は発足して15年目になりました。農業者の労災補償制度として喜ばれてきただけに何としても存続発展させたい、その思いは一緒です。会員拡大に向けて新たな手を打つことを確認しました。互助会の会長は旧吉川町農業委員会会長だった小野寺さんから若い大滝政一さんに引き継がれました。他の役員も交代です。おかげ様で私も15年間に渡った役員を退くことができました。


2005年07月12日

足谷もひどい

 こんなことを書くと笑われるかもしれません。最近、自分が寝ている部屋の上のトタン屋根の音に敏感になっています。今朝も激しい雨の音がして、また水害が始まる、そう直感したのですぐに起きました。4時半過ぎでした。軽トラで吉川橋の近くまで行ったら、案の定、水位が上昇していました。先日浸水被害のあったJAえちご上越のサービスステーションの敷地まであと1メートルほどで、川の流れはヌルヌルとしていて不気味です。これは危ないと判断、区総合事務所へ。
 すでに防災担当グループの2人の職員が動いていました。5時12分には大雨警報が発令、総合事務所長や各グループ長、それに消防団方面隊長が次々と総合事務所2階に集まりました。直ちに区内の雨量計、水位計の数値の確認、気象庁HP、県土砂防災情報HPなどによる情報収集などにあたりました。そして現地警戒対策本部会議を行ないました。短時間のうちに2週間前に大きな被害が出た上川谷、国田などの現地の状況把握、区民への情報伝達、消防団員にたいする出動準備要請などが決められました。
 きょうは明け方に大きな雨が降ってからは落ち着き、先日のような豪雨にはなりませんでした。まあ、運が良かったということでしょう。先日の豪雨でゆるんだり、崩れたりしたところへさらに大きな雨が続けば被害は加速度的に広がる可能性がありましたから。
 午前に1つ会議を行い、午後からは尾神岳ルートで上川谷へ入り、その後、大島区の農地、農業施設災害の実態調査をしてきました。尾神岳の市道はあちこちで崩土があり、土石流の跡もある。大きな雨が降っていれば怖くて通れる道ではありません。ここは旧吉川町の地域防災計画では土石流の危険箇所となっていない場所ですが、土石流を意識して通行可とするか通行止めとするかの判断が求められます。
 上川谷では町内会長さんがお留守でしたので、一人暮らしのTさん宅でお茶をご馳走になり、要望などを聞いてきました。昨晩は雨の音が怖くてよく眠れなかったそうで、さみしいんでしょう、私の顔を見るなり、「おら、人間の顔を見るとホッとする」。キュウリの漬物、ジャガイモやタマネギの煮物などを食べながら、市や県の動きなども紹介し、今後どうすべきか率直な気持ちを聞いてきました。市議会では21日に厚生常任委員協議会が開かれる見込みとの情報も入ってきていますので、現場の生の声をできるだけ聞いておきたいと思いました。
 6・28の豪雨以降、大島区の旭地区に入ったのは初めてです。一番ひどいと言われている足谷(写真)へ行ってびっくりしました。山のあちこちが崩れ、茶色の肌を見せています。農道へは土砂が崩れ落ち、田んぼには土砂が流入している。遠くで見ると、この風景はどこかで見たことがある、と思いました。実はテレビで見た山古志村の震災後の風景とそっくりだったのです。伯母の話では、足谷でたくさん耕作しているUさんは涙を流していて、孫さんが「じいちゃん、どうしたの」と心配していたといいます。データ的には吉川が一番ひどいと思いますが、足谷も大災害です。それにしても上越市のHPではこうした実態がまったくといってよいほど伝えられていませんね。


2005年07月11日

会議の連続

 久しぶりに市役所本庁へ出かけてきました。地元の水害対策や常任委員会研修などですっかりご無沙汰してしまいました。きょうの主な仕事は議員団会議と党の拡大常任委員会でしたが、水害対策の関連で都市整備部長、防災安全課長などとも話し合いをしてきました。本庁の方でも水害対策に全力をあげてくれていることが分かり、安心しました。こちらからも現地調査などで知ったこと、気づいたことなどを伝えてきました。
 夜は支部会議でした。東京都議選の結果をどう見るか、体が不自由になった仲間の会議への参加をどう保障するかなどで議論は大いに盛り上がりました。東京都議選の結果については、定数2の文京区や日野市で日本共産党候補が勝利したことが「二大政党制づくり」にストップをかける重要な一歩であること、日常的に党建設をすすめておくことが大切であることなどを確認しました。また、日野市で村松候補を応援した窪田弁護士が私の学生時代の先輩であることを話したら、仲間はびっくりしていました。
 雨の音がまた大きくなってきました。14日には県庁に出向いて地区委員会としての要請をすることが決まりましたが、それまでにまた水害が発生しなければいいが、と思います。


2005年07月10日

法事で

 きょうは法事でした。早朝に新聞配達を済ませて、尾神集落に向かいました。昨年のお盆前に亡くなったSさんの法事です。参加された人は地元の人とそうでない人が半々くらい、それでもみんな尾神やSさんとかかわりのある人ばかりですので、話し始めればはずみます。元尾神に住んでいた人たちの様子や先日の雨について話をしました。参加者の中にはSさんそっくりの弟さんも参加されていました。昨年の葬儀の時も思ったのですが、顔も頭の髪の伸び具合も同じ、タバコの吸い方、くわえ方も同じなので、近くに座った人と「瓜二つだねぇ」。
 大島区から参加していたUさんと先日の災害についていろいろ情報交換をしました。むこうの降り方は午後からの約1時間半がすごかったといいます。近所の古老でも初めて見たというほどの大雨だったそうです。農地、農地関連の被害は甚大だったといいますので、今度、見てきたいと思います。大島区と連携して上川谷の住民を冬季間も孤立させないよう、力を合わせようという話もしました。県道の復旧が間に合わなかった場合の対策について、吉川区だけでなく、近隣の区の人たちも心配してくれているのは、ありがたいことです。
 法事から戻ってしばらく眠り、夕方は牛舎及び管理舎のまわりの草刈りをしました。ここは今年2度目の草刈りです。草があっという間に腰の高さほどになり、ぼうぼうでした。暗くなるまでがんばったら、だいぶきれいになりました。昨年まで父がやっていてくれた仕事ですが、除草剤を使わないで草刈機で始末する労力はたいへんだということがよく分かります。でも、もう1時間がんばれば、3週間くらい草刈りをしないですむ状態になるはずです。


2005年07月09日

校友会総会

 7月の第2土曜日は私が出た高校の校友会の総会と決まっています。3年前に同級生のMさんから誘われ、以来、毎回出席しています。楽しみは同級生や恩師などと会えることです。きょうは同級生が11人参加していました。このうちSさんはある市議と中学時代一緒だったとかで、「市議会でのあんたの様子は聞いているよ。がんばってくんない」と励ましてもらいました。恩師のS先生とも話をすることができました。こちらはだいぶ体が太くなったので最初は誰か分からなかったのでしょう、私の名札をじっと見てから、ようやく思い出してくださったようです。感心したのは、校内マラソンのことをよく覚えておられたことです。私が陸上部の選手よりも速かったことをちゃんと覚えていてくださった。感激でしたね。
 校友会は夕方からでした。それまでは「しんぶん赤旗」の配達でした。先週もそうでしたが、今回も豪雨被害のことがどこへ行っても話題になりました。「昨年と同じ同じ家が床上浸水した。河川内に生い茂った木々をなぜ水害が出る前に切ることができなかったのか」「朝も大きな雨だったが、昼前から降った雨がすごかった。数十年に一度あるかないかという雨が短い間隔でやってくる」「上川谷はいま大島区と尾神岳からいくことができるが、問題は冬だ。思い切った支援策をしないといけないよ」などといった話をしてもらいました。配達の途中、いくつかの災害現場を見て回りました。また、先週の配達時に話題になった桜町橋の工事現場も写真に撮ってきました。河川、橋梁の工事のあり方についても研究してみたいと思います。


2005年07月08日

10日ぶりに牛たちの鳴き声が

 夕方、避難させてもらっていた頸城区の家畜商の牛舎からわが家の牛たちが戻ってきました。28日に避難しましたから10日ぶりということになりましょうか。牛舎内はこれまでになくきれいになっています。やはりすみなれた所が一番いいようです。車から降りた牛たちは、水に浸かっていない牛舎内にさっさと入りました。仔牛が何回か鳴きました。大きな牛たちには乾草をくれました。牛の鳴き声、草を食う時の音を聞きながら、うれしくなりました。「牛は帰ってくるがか」と心配していた父もこれで安心することでしょう。
 きょうは午前中、上越地域消防事務組合の説明会でした。高田の本部内で、組織や主な装備、仕事の概要などについてデータにもとづいて組合幹部が説明、消防事務組合議員が質問をしました。その後は、緊急指令システムや消防車、救急車両などを実物を見ながら説明してもらいました。また職員による救助訓練についても見学しました。議員仲間と3人ではしご車に乗って高さ28.5メートルまで上がりましたが、エレベーターと違って、怖かったですね。
 今回、救助隊の装備や訓練をじっくり見させてもらいました。土砂の中に埋まった人を捜す機械、サリンなど化学物質に対応した服、煙の中の人間を感知する機械など想定されるどんな災害にも対応できるようにしてあるのには驚きました。中には兵器を平和的に利用したと思えるようなものもあり、興味深く見てきました。それにしても救助訓練は見事でした。職員がチームをつくって、すばやく、的確に動く。その流れがきれいで、圧倒されました。


2005年07月07日

視察旅行から帰る

 3日間の研修視察を終えて戻ってきました。一番気になったのは雨です。旅先ではテレビなどで天気予報を見て、上越市の天気がどうなるか注目し続けました。こちらは、きょうも大雨警報が出たといいますが、たいしたことがなかったとのこと、ホッとしています。今回の視察は、市議になって初の常任委員会視察(管内をのぞき)でした。交通手段はほとんど列車が中心です。これにバス、飛行機がつく。こういったタイプの視察もいいもんです。
 今回の視察先は広島県の福山市と竹原市、それに愛媛県の今治市でした。視察の目玉は産業振興プラン、町並み保存、地産地消です。いずれも印象に残ることがありましたが、竹原市の伝統的建造物群、これは江戸時代の雰囲気があってすばらしかった。それと今治市の学校給食を中心にした地産地消の取り組み、私がこうあるべきだと考えていたことをすでに実現させていたということもあって、うなってしまいました。
 外に出て初めて自分のところがよく見えてくる。視察のいい点はここにあります。今回も造り酒屋が開いている「酒蔵交流館」を見て、吉川区の「杜氏の郷」の販売所と比較してしまいました。「酒蔵交流館」の方は一度入ったらしばらくいたくなる、そして誰かを連れてきたくなる魅力にあふれていました。吉川区の施設は、もっと酒蔵の雰囲気を出し、歴史的なこともさりげなく展示することが必要だと思いました。地産地消の中心は学校給食です。学校での取り組みも見事でしたが、それを家庭、地域に広げていく工夫、仕掛けも参考になりました。
 さて、明日からまた普通の生活です。まずはレポートを作成しなければ……。


2005年07月04日

牛舎の片付け

 朝、いっとき、総合事務所へ顔を出した他はずっと牛舎の片付けに専念しました。区内外から7人の方が応援に駆けつけてくださいました。牛舎内には、牛のエサなどの他に、母の漬物桶とか、住宅に入りきれなかった家財道具がいっぱいありましたが、それらはすべて水につかり、使いものになりません。袋に詰め、ごみとして処分することになってしまいました。でも、応援してもらったおかげで牛舎内の片付けはほぼ終了、ずいぶんきれいになりました。これで一安心です。明日には共済組合に連絡し、消毒作業に入っていただく予定です。
 明日から3日間、広島、愛媛へ出かけてきます。市議会文教経済委員会の視察研修です。心配なのは梅雨前線の動き。もし、吉川区が再び水害に襲われることになったらどうしようと参加するかどうか迷ったのですが、いざという時には途中からでも戻る覚悟で出かけることにしました。雨に関する情報は吉川区総合事務所の幹部のみなさんから入ることになっています。たいしたことがなければいいのですが……。
 この研修で家を空けるため、5日、6日は「ホーセの見てある記」を休みます。


2005年07月03日

妙高高原にて研修会

 昨日の午後からきょうの朝まで妙高高原にて研修会でした。党市議団全員と各区の地域協議会委員でこれまでの地域自治区、地域協議会の状況を確認し、今後のあり方を探るというものです。にいがた自治体研究所の高橋剛さんからも参加していただきました。今回の研修によって、上越市の地域自治の取り組みが注目されていることを改めて確認できました。大きな自治体で自治をどう発展させていくかについては、いま一度、全国町村会の提言を学んでみたくなりました。
 研修した場所はボンネイジュ(電話0255-86-3309)というペンションでした。研修の後はすぐそばの「かんぽの宿」で風呂に入り、懇親会を賑やかにやりました。森の中にあるこのペンションのセールスポイントは美味しい食事。出された食べ物は評判どおり、美味しかったですよ。キノコ、野菜料理も良かったですが、お米の味が最高でした。懇親会では調子に乗ってビールだけでなく、雪中梅(三和区のお酒)まで飲んだら、部屋に戻ってすぐダウン。朝4時頃まで眠りました。
 ニワトリの鳴き声で目が覚め、何もすることがなかったので、朝5時すぎから何人かで「いもり池」周辺の散歩に出かけました。朝の早い時間帯に近くで妙高山を見たのは初めてです。朝日があたった時は雄姿が鮮明になり、素敵でした。デジカメを持っていかなかったのが悔やまれます。いもり池は人工池ですが、不自然さはまったく無し。水の音、小鳥たちの鳴き声、それにマツヨイグサ、ホタルブクロなどの野の花がとても良かったです。それにクワの実、グミもあり、口に入れてみました。美味しかった。
 戻ってからは新聞の配達、牛舎の片付け、そして5日からの研修旅行の準備もしました。頸城区に避難させた牛たちのところへも行ってきました。みんな元気でしたが、預かってくれた家畜商の話では、仔牛はストレスで少し細くなったといいます。この牛たち、9日には帰ってくることになりました。それまでに牛舎内を片付け、消毒し、そして床を乾燥させなければなりません。明日が大事な1日になります。
 このページの尾神岳の写真、入れ替えました。


2005年07月01日

牛舎の片付け作業に着手

 きょうから牛舎の片付け作業に入りました。ワラや乾草などがどこにあるかによって水の流れがどうであったをある程度知ることができます。牛舎の南川から流入した水のほとんどは近くの山から出た水のようです。思ったより泥が少ないので、そう判断しました。それにしてもこんな水が出るほどよく降ったものです。牛舎内を流れた水はほとんどが北側のシャッター付近へ行きました。そこにゴミが大集合しています。きょうはここまで手が回りませんでした。水につかった除雪機、これはディーゼルエンジンですが、エンジンがかかりました。駄目にならなくて助かりました。冬場はなくてはならない機械ですので。
 午後から市政レポート(2ページ)を数時間かけて書き上げました。HPの文章などを活用し、ここ数日間に撮った写真も掲載して作りました。民家が水につかった写真も何枚かあったのですが、みんな知っている家です、あまりにも気の毒で掲載するのをやめました。このレポート作成中に何人もの人が見舞いや調査に来てくださいました。また旧吉川町議のYさんが牛舎管理棟のボイラーの取替え工事をやってくれました。ボイラーは水につかって駄目になったのです。工事中に党県委員会幹部や後援会の人たちも次々と来てくださり、Yさんが「きょうは何だね」というほどでした。


2005年07月投稿分

2005年07月に投稿された全てです。

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