« 2005年03月 | メイン | 2005年05月 »

2005年04月投稿分

2005年04月30日

GWは懐かしい出会いや思わぬ出会いが…

 昨日からゴールデンウィークが始まっています。普段ここに住んでいない人で、ゴールデンウィークの何日かを吉川の地で過ごそうという人は結構います。お盆ほど多くはないものの、ふるさとへ戻ってくる人がその大半を占め、あとは親戚、友人を頼って山菜採りなどを楽しむ人たちになりましょうか。きょうは、新聞配達をしながら、そういう人たちとの会話を楽しみました。
 このうち何人かは私のHPを見ていてくれる人でした。遠くから、選挙で力強い応援をしてくださったYさんのところではお茶をご馳走になり、「ふるさとの情報を知ることができてありがたい」「選挙、ほんとうに良かったね」「伯母さん、回復されたそうで安心しました」などと励ましの言葉を寄せていただきました。うれしかったですね。関東で働いているTさんからは、「冬場、役場のHPで尾神岳のライブを見て、自分の家がどうなっているかを判断していた。この春から見られなくなって残念でならない。何とかできないか」と要請されました。
 まったく予想していなかった人との出会いもありました。東京は千代田区に住む女性(お名前を聞くのを忘れていました)は、日本共産党が非合法活動をしていた時代、小さな印刷所を営んでいた自分の家で、当時の新聞「アカハタ」を印刷していたと教えてくださいました。一時期、地区委員会と同じ屋根の下で暮らしていたともいいます。当時の思い出話を語っていただいたお礼に、市政レポートをあげました。近く開かれる新婦人の会合で、私との出会いを紹介してくださるとのこと、感謝です。


2005年04月29日

合併記念式典と祝賀会

 昨日が夏日だったせいか、きょうは寒く感じる一日でしたね。午前は市政レポートの原稿書きでした。昨日書いたものを手直しするとともに、裏面についても書き始めました。「しんぶん赤旗」日曜版の今号は5月1日号と8日号の合併号なので、いつもよりゆっくりと書いています。でも配達する人が待っていますから、明日朝までには完成させないといけません。あとは随想、「春よ来い」を書けば出来上がりです。
 午後は合併記念式典・祝賀会でした。合併慎重派として行動してきた者としては複雑な思いがありますが、いったん合併した以上は、住民生活をどう守るか、良いまちづくりをどう進めるかに集中するしかありません。そういう観点で言うと、式典については、大手町小学校卒業生による創作組曲「上越の歌」のなかに新生上越市の将来像を見ることができたのは収穫でした。きょうの式典に参加した人の殆んどは役職を持った人たちです。1955年(昭和30年)前後の合併に比べると、住民みんなが祝うムードは無く、静かに受け止めている、そんな感じがしました。
 祝賀会では、合併協議などで知り合った多くの人たちと再会できました。そのなかでは、地域協議会などで頑張っている人もいます。合併した現段階で、どういう課題を抱えているか、何が問題になっているかを知るいい機会になりました。もうひとつ、市議や理事者のみなさんと交流できたのも良かった。山登りが趣味の人もいました。私のHPを見ていてくれる人もいる。議会の場では分からなかった多くのことを知りました。


2005年04月28日

病院局交渉

 きょうはいろんなことがあった一日でした。まずは、伊勢崎市とその周辺に住む従兄夫婦3組がやってきたことから。ここ数年、かならずわが家を訪ねてきてくれる親戚がこのグループです。このなかの一人が吉川区の山間部に70アールほどの山林原野を所有していて、そこで山菜採りなどをして楽しんでいきます。今年はまだ道に雪が残っていてそこへは行けないので、近くの山で我慢したようです。このグループは、母の手づくりの料理も喜んで食べてくれます。だから母は、この日のために毎年、得意の押し寿司を準備しています。ことしも喜んでくれたようです。
 私は今回、このグループとわずか5分しか付き合いができませんでした。新潟県庁へ行き、党地区委員会を代表して病院局と交渉することになっていたからです。高速バスで県立妙高病院について訴えることになっている人たちと合流し、新潟へ行きました。病院局を訪ねたら、次長が開口一番、「午前中に上越市の田村部長もおいでになりましたよ、うちの局長と高校の同級生らしいです」。ということは私と同窓で、年齢も近い。いや世間は狭いものです。
 次長とはとてもいい雰囲気のなかで話し合いができました。妙高や柿崎病院の状況についても詳しく知っておられるので安心しました。今回の申入れのなかで一番の収穫は、病院局側も「関係地域の住民の声や地元の市の意向を大切にする」というスタンスで、病院改革問題に取り組むことを明らかにしてくれたことです。県立病院改革検討会議が報告書の中で示した関係自治体とのスタンスとは微妙に違います。今後、地元で運動を進めていく上でプラスになることでしょう。
 県庁を訪ねたのは久しぶりでした。日本共産党の五十嵐完二県議の控え室は、前に訪ねた時とほぼ同じ位置でしたが、狭くなりました。しかも上部が開いていてプライベート空間にはなっていない。何となく落着かない空間になってしまっていました。これでは議員と事務局が打ち合わせるにも小さな声でやらなければいけないと思いました。どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
 夕方4時半近くに帰ってきて、市政レポートの作成にかかりました。明日からゴーデンウィークです。総合事務所職員だけでも「しんぶん赤旗」日曜版を配達しておかねばなりません。大急ぎで、とりあえず片面だけ書き、印刷したのは6時ころとなりました。超特急で飛ばしたので、脱線していなければいいが、と思いながら配達しました。疲れた一日でした。


2005年04月27日

大金辰三さんの憲法学習会

 「大金先生の話は良いよ」と聞いてはいましたが、こんなに分かりやすくて、ためになるとは思いませんでした。「憲法を守る上越地域の会」主催の憲法学習会、講師は元中学校教員・大金辰三さんでした。改憲のねらいは何か、大金さんは、戦後の歩みを丁寧に振り返りながら明らかにしてくださいました。アメリカの戦略の変化に合わせて自衛隊の任務が変わっていく様子は、年表に基づいて追っていくと、ぐんと分かりやすくなるものですね。「自衛の軍隊」が「世界の軍隊」に変わっていく上で障害となっているのが憲法前文と第9条だということを歴史的に理解でき、とてもいい勉強になりました。
 大金さんが歴史講座を開設し、頑張っておられることは、上越タイムスなどで紹介されていましたので、知っていました。最前列で講義を聞きましたので、講義のテクニックも垣間見ることができました。黒板と配布した資料を駆使し、テンポよく話を進める。この講義のために、かなりの時間を割いて準備してくださったことと思います。講師用の机の上には、講義の流れをまとめた自分用のレジュメと蛍光ペンで大事な点をハッキリさせた配布資料がありました。なるほど、こんなふうにすればいいのか、と感心しながら話を聞きました。
 それにしても大金さんはお若い。すでの70歳を超えておいでのはずですが、声に張りがあり通る。世界地図をチョークでサッと描く姿には、「記憶疲労」はまったく見られません。背筋をスッと伸ばし、動きもまた早いときている。「はい、次の資料を見てください。NO9の右の真ん中です」こういった調子で展開される「授業」にすっかり魅せられてしまいました。大金さんの憲法学習会は連続3回シリーズ、次回は5月25日、午後6時半から。上越市の市民プラザ第4会議室です。あなたも参加してみませんか。


2005年04月26日

議長に申し入れ

 人間の回復力というものはすごいものです。1週間前に頭の手術をした大島区の伯母は、もうリハビリに入っています。事故により不自由となった右手右足も少しずつ動くようになり、右手は指を曲げたり伸ばしたりできるようになっただけでなく、握手もできるようになりました。この調子でいけば、来月下旬には畑仕事ができるようになるでしょう。
 きょうは、議員団として発行する「市議会報告」ビラの検討をしました。できるだけ多くの市民に読んでもらおうと、今回は編集だけでなく、印刷まですべて手づくりでやることになりました。連休明けには発行する予定で準備を進めます。日本共産党市議団の杉本団長が21日の月例議員懇談会で取り上げた意見書の取扱いや私が問題提起した視察報告のあり方について、日本共産党市議団として議長に申し入れました。これも連休明けには代表者会議(あるいは議会運営委員会)の場で検討してもらえそうです。
 山菜食べての取り組みについては、さっそく参加の申し込みがありました。農繁期でもあるので、多くの参加は期待できないかもしれませんが、とにかく楽しい会にしたいものです。


2005年04月25日

山菜を食べて飲む議会報告会開催へ

 午前は市役所本庁で仕事をしました。主に書類の整理をしました。読みきれないほど次々と出てくる資料をどう選択して読むか、ここら辺のコツを覚えないと積読で終わってしまいます。途中から同僚の樋口議員に声をかけ、前から頼まれていたパブリッシャーというソフトの基本操作を「講義」しました。彼女がこのソフトの使い方を覚えてくれると、議員団ニュースなどの編集作業もずいぶん楽になるはずです。若い人だから、じきにマスターしてくれるだろうと期待しています。
 午後からは生活相談と新聞代の集金でした。いつものことながら、連休に入る前に、ある程度やっておかないとたいへんです。きょうは、おかげさまで、30件ほどの集金をすることができました。何人かの仲間と中間選挙支援などについて話し合いました。みんな、小国の細井さんの当選を期待していたので、「もったいなかった」「残念だ」など言っていました。
 頸城区や牧区の日本共産党後援会が楽しいイベントをやっているのに刺激され、吉川区でも何かやろうやという話になりました。その結果、来月の5日、山菜やトン汁を食べ、市議を囲んで議会報告会をやることに決まりました。会費を出してもらい、酒も飲みます。それに朗読ボランティアの小田順子さんにお願いして、斎藤隆介の絵本・『花さき山』の朗読をしてもらう提案も出ました。場所は私の牛舎周辺でということになりました。この日のために、ウド、ノノバ、コゴミ、タラの芽などを採りに行かねばなりません。また、楽しみが増えました。詳しいことは橋爪まで。


2005年04月24日

小国では残念な結果に

 きょうは長岡市議増員選挙の投票日です。私が直接応援に入った小国選挙区の細井良雄候補は残念ながら届きませんでした。定数1を4人で争う激しい選挙でした。細井候補は1351票(得票率28.4%)を得ましたが、当選まで271票足らず、第3位でした。新潟県内の日本共産党議員のなかでも優れた人でしたので、惜しいことをしました。
 私の方は、きょうは生活相談で新潟市まで出かけてきました。何か土産をと思い、朝早い時間にウドを数本採ってきました。気のせいか、今年のウドはいつもよりも匂いが強い感じがします。春の匂いは、フキノトウが最初で、次がウド。私は、ウドの匂いをかぐことで、元気をもらい、頑張ってきました。今年は忙しいので、もう2回ほど山菜採りに行ければいいなと思っています。
 米山団体研究会のメンバーの先生からメールが入りました。そのメールには、「今回の米山では雪上に沢山のおそ
らくカモシカと思われる足跡を見つけました。中には明らかに親子連れと思われるも
のもありました。厳しいやせ尾根を往復している偶蹄類のトレースなのでカモシカに
間違いないものと思います。本体を確認しようと思ったのですが、濃いガスと強風の
ため、それどころではありませんでした」とありました。また、米山でカモシカらしき足跡が見つかったというのです。
 同会のメンバーは昨年、カモシカの骨らしきものを発見しています。今回の足跡の発見でカモシカの存在はますます現実的になってきました。しかもこのカモシカは尾神岳でも動き回っている可能性があるとのことです。ゴールデンウィークには尾神岳に登って調査をしてみたいと思います。


2005年04月23日

歓送迎会

 わずか1週間で雪がずいぶんと消えました。わがふるさとの蛍場の山も緑色が広がって、雪の白色は小さくなりました。もう4、5日経つと、雪は沢ぐらいしか見られなくなるでしょう。緑色が増えたのは、木々の葉と草です。きょうは用があって蛍場まで行き、ついでに山菜採りをしてきました。ねらいの中心はコゴミ、川沿いにたくさんあり、1キロくらい収穫してきました。まだ早いと思っていたウドも南向きの斜面で6本ほど採れました。来週後半になれば、ウドも盛りを迎えるはずです。
 夕方からは中学校の歓送迎会でした。吉川中学校を最後に退職された今井校長にはお世話になりました。忘れられないのは、3年ほど前、全校生徒、職員を前にして講演をさせてもらったことです。同校の後援会幹部の方から要請があり、「ふるさとは母、ふるさとは命」と題して、私のふるさと論を語ることができました。NHKの番組に、いろんな分野で活躍している人たちが、母校の教室で子どもたちに語るものがありますが、私も似たようなことをしてみたいと思っていました。それがこの講演を契機に実現できたのです。うれしかったですね。
 別れる時になって、思わぬ係わりを発見することがあります。今回の歓送迎会で糸魚川市の中学校に転勤されるSさんと話をしたら、蛍場のHさんと親戚にあたるということを聞いてビックリしました。子ども時代、遊びに来て、尾神にあった小さなも店までアイスクリームを買いに行ったことや、蛍場の前の山々のことをよく覚えておられました。Sさんのお父さんは、蛍場で葬儀があったときにお会いしたことがあります。高田のある寺院の御住職で、立派な方でした。
 随想「春よ来い」に第48回「残された黒板」をアップしました。また、トップページの尾神岳の写真も入れ替えました。ご覧ください。


2005年04月22日

久しぶりに家畜商と会って

 ここ3日間ほど風の強い日が続いています。牛舎の下見板がはずれるほどの強さでした。もっとも、これは、「だいぶ暖かくなったのだから、そろそろ取ったらどうですか」というメッセージなのかもしれません。考えてみたら、ここ2ヶ月ほどバタバタしていて、牛舎の中も外もまったく片づけをしていません。5月の連休には手をつけたいと思っています。
 きょうは、付き合っている家畜商と久しぶりに会いました。和牛の子牛相場は結構いい状態が続いているようで、安心しました。昨年10月に生まれた子牛をどうするか相談しましたが、牧場へあげるのはやめ、牛舎内の広い場所で飼って、秋にはセリに出すことにしました。来月には、またお産があります。少しは牛たちにも注意を払って、無事にお産させたいと思います。
 連休が近づいてきました。29日は合併記念式典、1日はメーデーで駄目ですが、それ以外の日にぜひ実現したいのが山菜採りです。平場ではゼンマイを干す家も出て来ました。いよいよシーズン到来です。いつもなら雪解けがほぼ終わりになりますが、今年は、山間部の沢には、まだ雪がたくさん残っています。ウドなどはちょうどいいものが採れるかも知れません。楽しみです。


2005年04月21日

月例議員懇談会

 定例議会がない月に全議員が集まって、活動報告などを行う。上越市議会には「月例議員懇談会」というものがあります。きょうは議員になってから初の懇談会でした。報告は議長会関係の報告と常任委員会などの視察の結果報告の2本立てでした。
 北信越市議会議長会の定期総会では、新年度の同議長会の予算等が承認されたことと、各県から提出された18本の議案が通ったことが報告されました。市川議長が「何か質問ありませんか」と言い終わって、すぐに手をあげたのはわが議員団の杉本議員でした。「第6号の議案(自然災害被災者に対する住宅再建支援制度の確立について)は、上越市の3月議会で不採択になった請願と同趣旨のものだ。議長は反対しなかったのか」との杉本議員の質問は、被災者の切実な願いを却下したことの道理の無さを指摘したものです。聞いていて、「よく気が付いたもんだ」と感心しました。市川議長は「(上越市議会で不採択にしたものと)内容が違うものと思うが、精査します」と答えましたが、趣旨に違いは無いはずです。議長が今後どう対応してくるか注目です。
 常任委員会などの視察報告をこの懇談会でやるとは知りませんでした。町村議会では、定例議会の本会議の場で「委員長報告」としてやっているものです。公費を使い、委員会活動や市政の発展のために役立てる視察は、所属していない他の議員にも知ってもらう必要があるでしょう。同時に、市民にたいしても責任を持って公開することが求められていると思います。「どういう経過を経て懇談会の場でやることになったのか」を議長に聞いてみたのですが、いまひとつハッキリしませんでした。今後の議会運営の検討課題の1つだと思いました。
 日本共産党上越地区委員会が1月17日に市長へ申し入れた市民要望とその回答書、ネットに載せる約束をしていましたが、ようやくアップしました。ちょっと重たいですが、ご覧ください。


2005年04月20日

ウグイスが鳴き始めました

 今朝は小鳥に起こしてもらいました。正確に言うと、ウグイスです。私の寝ている部屋のすぐそばの雑木林の中で盛んに鳴いていたのです。布団の中でしばらく聞き入りました。今年になってウグイスがやってきたのは、きょうが初めてだと思います。先日はツバメがやってきましたし、きょうはウグイス、これでわが家はかなり賑やかになります。
 午前、気になる小国の増員選挙の応援に行ってきました。候補者カーについていって驚いたのは、集落内の道路状況です。応急措置はとってあるものの、あちこちに「ヘコミ」や段差があり、ゆっくり走らないといけません。どうも、春先になってから、新たな痛みが出てきたものもあるようです。武石集落付近の崩れといい、つぎはぎだらけの道路といい、小国はまさに復興途上にある、そう思いました。
 午後からは柿崎病院の後援会立ち上げについての打ち合わせ会議でした。旧柿崎町の町長だった楡井さん、それに地元の3市議による呼びかけで行われた会議ですが、後援会立ち上げがいよいよ具体化します。一応、民間ベースで後援会設立をという確認はしたのですが、行政にも応援してもらいたい、少なくとも事務レベルの仕事ぐらいは総合事務所から手伝ってもらいたいという声が出て、呼びかけ人の人たちが市と交渉することになりました。


2005年04月19日

文教経済委員会の管内視察2

 まずはうれしいお知らせから。大島区の伯母の手術がきょう行われ、成功しました。不自由だった右手、右足は手術前の昨日から少しずつ動かすことができるようになっていましたが、きょうの手術の成功で、もっと動くようになるはずです。夕方、病院を訪ねると、伯母は、何回も「ありがとう」を言っていました。出血した場所は、脳の本体をあまり刺激しないところだったようです。このままうまくいけば、自分で用を足せるだろうし、大好きな畑仕事もできるかも知れません。
 きょうは文教経済委員会の管内視察2日目でした。三和区の富永邸、頸城区の大池ビジターセンター、浦川原区の「月影の郷」、安塚区の六夜山荘などを一日かけて視察しました。どこも印象に残ることがいくつかあったのですが、すごい建造物だと思ったのは富永邸でした。杉林の中の大きな家はカヤ葺きで、中はケヤキ材がたくさん使ってありました。庭園もすばらしく、これぞ日本の住宅という感じがしましたね。もっともこれだけりっぱな家を管理するには、たいへんな労力と金がかかりそうです。
 感動したのは浦川原区の宿泊体験交流施設、「月影の郷」でした。小学校を改造した建物ですが、「学校らしさを残す」ことを意識した造りになっているのが気に入りました。3階には閉校した時点の教室がそのまま残っていました。ここは、「時の流れがとまった空間」だと思いました。黒板には、「さようなら月影小学校」「ありがとう」の文字もあります。母校にたいする児童の熱い思いが伝わってきました。経営面を考えると、簡単ではないと思いますが、同じ体験交流施設でも一味違った発展をしそうな予感がします。


2005年04月18日

文教経済委員会の管内視察

 やはり吉川区の川谷地区だけではありませんでした。牧区も清里区も山間部はまだまだ雪がたくさん残っていて、苗代だけではなく、農道なども除雪支援が求められている状況でした。きょうは、文教経済委員会の管内視察でした。午前中に訪れた牧区の「ほほえみ荘」、清里区の「星のふるさと館」は豪雪地帯です。バスの中では、残雪を目にした委員の何人かが、「なんとかしてやらんきゃ、かわいそうだ」との声をあげていました。
 新上越市は東京都の面積の半分の広さがあります。文教経済委員会の調査対象となった市内の施設は、一度も訪ねたことのないところばかりでした。上記2つの施設のほか、板倉区の「ゑしんの里整備事業関連施設」「そば打ち体験交流施設」、柿崎区の柿崎第2学校給食センター、旧上越市内の「ヨーデル金谷」を訪ねました。このうち、「ゑしんの里」では、「こういう施設をつくって採算が取れるのか。お荷物にならないか」など厳しい意見が相次ぎました。
 夜は吉川区の地域協議会を傍聴してきました。福祉施設、観光施設の指定管理者制度による管理のあり方をめぐって様々な意見が出ていました。現在の総合事務所の建物を改造してコミュニティプラザを整備する構想については、計画図面(素案)を示して、旧町議会やまちづくり会議の意見を聞いた経過がありました。遠慮したのか、ほとんど意見が出ませんでした。区民に意見を出してほしいという総合事務所の呼びかけに応えた区民はゼロだったとの報告もありました。これからの区民の活動の拠点となる施設だけに、直接区民のなかに入って行き、声を聞く方法が求められていると思います。


2005年04月17日

春の集い

 会を組織するのが上手なところがあるもんだ、と思いました。昨日も今日も。昨日の観桜会は、頸城の日本共産党支部と上野公悦さんの後援会が準備したもの、きょうの牧区の「春の集い」も日本共産党支部の主催でした。とにかく、楽しい。新上越市の議会や行政の動きを学ぶことがメインなのでしょうが、それと本の朗読、花見やおしゃべりなどをセットにしています。
 きょうの春の集いでは、私の方から議会報告をし、続いて小田順子さんの朗読がありました。その後、手づくりの料理に舌鼓を打ちながらおしゃべりを楽しみました。会費制ですので、お酒が好きな人はお酒も飲めます。普請や観桜会などの行事と重なったにもかかわらず、たくさんの人が寄りました。おこわ、こんにゃく、煮豆、そのほか名前を思い浮かべることができませんが、手づくり料理はとても美味しかったです。
 合併して4ヶ月目ですが、3月末まで旧町村の仕組みが継続され、4月から旧上越市の制度に統一されたものがいくつもあります。それに伴い、住民要望が次々と出されてきています。ごみ収集では、白色トレイをスーパーなどに出すことになりました。これをこれまでのように集落、あるいは常設資源ごみ回収センターに出せるようにしてほしいとの電話がありました。きょうの春の集いでも、固定資産税、国保税、保育料などについて聞かれました。


2005年04月16日

観桜会

 きょうは段払いと2つの観桜会があって、忙しい一日となりました。天気は晴れ、花見をやるには最高の天気でした。ただ、肝心の桜の方はというと、2つの観桜会は対照的でした。花のつき方がちがったのです。総合事務所周辺の観桜会会場の桜は、大雪のせいなのでしょうか、ウソが桜の芽を食べてしまい、花のつきかたがよくありませんでした。吉川高校のグランドもそうでしたが、ソメイヨシノ特有の華やかさにかけているという印象がありました。それでも、町づくり会議のメンバーや総合事務所幹部の皆さんなどの努力のおかげで賑やかな会になりました。
 頸城区百間町の栄恩寺のしだれ桜は、花が滝を流れ落ちる感じで、見事でした。夜、ライトアップされた桜の木の下でお酒を飲むのは、久しぶりです。あまりにも美しいので、みなさんにお裾分けをと思って撮影しました。ところが、フラッシュをたかないで撮ったので、美しさが伝わらない写真になってしまいました。夜の撮影については、勉強しないと駄目ですね。
 頸城の観桜会には吉川区出身の人が何人もいて、びっくりでした。吉川から離れて柿崎、大潟に出た人はかなり知っているのですが、どういうわけか、頸城に出た人をほとんど知りませんでした。川谷地区、泉谷地区出身の人たちとは、「どこの家の人だね」から始まって、いろいろな人の消息を聞きあったりして、楽しいひとときをすごしました。


2005年04月15日

蛍場

 私が20数年過ごしたふるさとの集落名は蛍場といいます。私が住んでいたときの世帯数は最高時で8、わが家が引っ越した時点では5でした。その後、火災で1戸減り、現在は4世帯、9人が蛍場に住んでいます。そこには毎週1回はたずねています。きょうの夕方訪ねたら、3世帯4人の人たちと話ができました。屋号でいいますと、大西、井戸尻、東の4人です。4人との話は大いに盛り上がりました。
 盛り上がった理由は、火災で蛍場から離れた大東のお父さんが、久しぶりにやってきたからです。数年間、町営住宅に住み、昨年、関東の娘さん夫婦のところへ行かれた大東のお父さんは、とても元気な様子だったという話から始まりました。そして、特養ホームに入ったきりになっている大東のお母さんの近況、さらには大東の親戚にあたる町田集落のKさんのことまで話は広がりました。
 大西のお母さんとの話では、東京都内に住む親戚の方(姪にあたるのかな)のことが話題になりました。2月27日の「しんぶん赤旗」日曜版に私が載ったことをきっかけにして、吉川町出身の人との交流が深まったのですが、そのうちの1人がこの女性の方でした。私が書いているものをよく読んでいてくださるとのことで、うれしくなりましたね。蛍場での話は尽きることがありません。
 


2005年04月14日

まだ2メートルも積雪が…

 きょうは朝一番に川谷地区へ雪害の状況を把握するために出かけてきました。今冬の雪は山間部が豪雪だったので、残雪が多く、ひどいとは聞いていましたが、見てビックリでした。道路に杉が何本も倒れている所はひどいものでした。重い雪のため杉の頭の部分が折れている光景は見ていましたが、このようにドサッと倒れている現場は今年初めて見ました。残雪状況ですが、北向きの所だけでなく、南向きの所でも、まだ1メートル以上残っているところがありました。もっとも標高の高い上川谷では、2メートルを超えている場所もありました。2メートルの長さのポールを雪に刺したら、スポッとうまってしまい、これでは通常の春先除雪対応では駄目だと思いました。豪雪の年の雪害対策として、特別の手立てを講じないと関係農家は救われない、その思いを強くしました。
 今冬の大雪、残雪による被害は各区総合事務所で対応できる範囲を超えています。吉川だけでなく、東頸の区にも共通する問題ですので、市議団として、対策を市長に申し入れることをすでに確認していました。午後からは、その申し入れでした。吉川区の関係町内会長さんにもお願いしたら、快く同行してくださり、実態を訴えていただきました。申し入れに応対したのは、中村農林水産部長や関係課長でしたが、持参した地図やデジカメ写真を前に身を乗り出して、話を聞いてくださいました。このように、市民の願いを真剣に受け止めてくれる姿は、とても好感が持てました。関係区の実態調査と対策、必ず動いてもらえると確信しました。
 市役所では市議団で今後1週間の活動計画について相談しました。議会報告、新春のつどい、中間選挙の応援と忙しい日がしばらく続きそうです。


2005年04月13日

花冷え

 ソメイヨシノが10日に開花しました。市役所のそばのソメイヨシノは3分咲きといったところでしょうか。高田公園のものの見ごろは週末のようです。ところが、吉川区はどうかというと、総合事務所周辺のソメイヨシノはまだ開花していません。高田よりも数日遅れているようです。山間部はもっと遅れるでしょう。合併して東京都の面積の約半分、972平方キロメートルの大きな市になった上越市、花の咲き方も様々です。
 きょうは一日中、寒い日でした。完全に花冷えです。見ごろに入りかけていた頸城区百間町の栄恩寺のしだれ桜も開花の動きを止めたかのように見えます。ここ数日は、朝晩でもストーブが要らなかった日もあったので、きょうの寒さはこたえました。軽トラを走らせるにも暖房を入れっぱなしでした。吉川総合事務所で16日の観桜会の話をしたら、常山事務所長は、「それまでに桜が咲いてくれればいいんだけど…」と心配されていました。
 花冷えで一番心配しているのは山間部の稲作農家でしょう。雪消えが遅いために、農作業に支障をきたしているとの情報も入ってきています。杉などの木があちこちで倒れている、農道普請もできない。農協では5月20日ころから田植えをと指導しているがこれではとても無理だ。そんな声が寄せられました。この間からの暖かさが続いてくれれば、一気に雪消えが進むのに……。
 きょうの昼休みは市役所近くの「膳屋」というところで風岡画伯と食事をとり、久しぶりに友人情報、同級生情報を交換しました。彼は仕事柄、報道機関、役所の幹部とも付き合いが深く、私にとっては数十年間会っていない人の情報をたくさん教えてくれました。この春の人事異動で、県庁や新潟市役所などの幹部に何人も抜擢されたらしいので、今度よく調べておいて、新潟へ出かけたら訪ねてみようと思います。


2005年04月12日

伯母は順調に回復

 旧大島村の伯母が交通事故で緊急入院してから、ちょうど1ヶ月になります。おかげさまで順調に回復して会話は普通に出来るようになりました。顔色も事故前の状態に戻りました。右半身は動きませんが、左手でスプーンやフォークを持ち、ご飯も食べています。体力もつきつつあるので、近いうちに頭の中で出血し、固まったものを除去する手術も行われる予定です。成功すれば、右半身も正常に動くでしょう。
 きょうは午前中、妙高市議選に向けた諸準備で旧妙高村へ出かけてきました。残雪がありそうなので、ブーツを履いていったのですが、思ったよりも雪消えが進んでいて、普通の靴で十分でした。予定候補の望月幸雄さんは、最近、体調を崩されたと聞いていましたが、思っていた以上に元気そうなので安心しました。妙高民報を配布していたら、「ぜひ頑張ってもらいたい」という声をいくつも聞きました。応援に行った者としては、この言葉を聞くことができるのが一番うれしい。
 夕方、日本画家の風岡準仙画伯から電話がありました。高田の桜の取材に来ていて、上越教育大学のH教授と一緒だということでした。会えないかとの電話でしたが、夕方からは生活相談の予約が入っていたので、明日のお昼に市役所で会うことにしました。一緒にお昼を食べ、語り合いたいと思っています。


2005年04月11日

県活動者会議

 三条市で日本共産党新潟県委員会主催の活動者会議があり、参加してきました。この会議は、6~7日行われた第3回中央委員会の方針を学び、具体化するためのものです。小日向県委員長の報告が約1時間半、経験交流の発言が約2時間行われました。
 小日向委員長は中央委員会に参加していますが、幹部会の報告を説明するのに、中央委員会の場での発言をいくつも取り入れていました。日本共産党の野党外交については、ベネズエラ政府首脳が日本共産党の決定文書を学んでいることが紹介されました。憲法9条を守る、「9条の会」の活動についても、高知県の実践例を教えてもらいました。
 経験交流の場では10人が発言しました。最近、日本共産党の会議に参加して感じていることは、個性あふれる発言が多いことです。きょうも旧小国町の細井さん、新津の小山さん、旧紫雲寺町の倉島さんなどが笑いあり、ユーモアありの発言を展開し、楽しく有意義な時間となりました。私は発言のトップバッター、市議増員選などで見聞きした住民の〝変革を求める動き〟を紹介しました。
 市議団ニュースNO7をアップしました。ご覧ください。


2005年04月10日

春普請

 雪が消えてから集落で最初に行う仕事のひとつに春普請があります。農道、水路など冬の間にいたんだ箇所をなおし、農作業ができるようにするのです。きょうは、私の地元集落の春普請でした。いつもの年よりも雪が多かったこともあり、いたんでいる所は例年の倍はあったように感じました。ネズミやモグラも、ずいぶんいたずらしていましたね。私の仕事は土のうづくりと用排水路の泥上げでした。普段、あまりやらない土方仕事は疲れます。グッタリとしました。
 午後からは長岡市の旧小国町まで出かけてきました。市議増員選挙予定候補の細井良雄さんを励ます会に参加するためです。参加者は事務局の予想を上回って、約140人が参加しました。地元文化人の高橋実さん、小国和紙の片桐ミサさん、それに前衆議院議員の木島日出夫さんとともに、応援の言葉をのべてきました。「細井よしお物語」で彼のすばらしさを再確認したこと、定数1では住民の願いを市政に届けるしっかりした発言力と議会報告が大事だと実感している、と語ってきました。
 小国へは妻が一緒に出かけてくれました。午前の普請で疲れていることから、居眠り運転をしないようにと心配してくれたのです。それに妻は、一時期、細井さんのお連れ合いと一緒に下宿したこともあって、再会を楽しみにしていたようです。普段、こうした活動で中越に出かけることはまずないので、きょうは数十年ぶりに再会した人が何人もいたようでした。妻への感謝の意味を込め、きょうの新潟日報文芸欄に掲載された彼女の俳句を紹介します。
 初雪や指の張り切る靴の中……真由美。
 細井良雄さんのパンフレット「細井よしお物語」をアップしました。実際のパンフでは写真をたくさん使って、もっと読みやすくなっています。


2005年04月09日

お茶飲みは楽しい

 ここ数日の暖かい陽射しの力はたいしたものです。先週の日曜版配達の時に山間部で見た雪は、私の背丈を越えていました。それが、きょう訪ねた時にはガクッと減って胸の高さ位になっているのですから。ブナの芽吹きもさらに進みました。雪の残っている中での黄緑色はとてもいいですね。
 きょうは、日曜版配達の途中、都会から山間部に移り住んだ人たち数人とお茶を飲み、世間話を楽しみました。フキノトウ、ツクシ、それにウィンナーの燻製などをいただきながら、市町村合併でどうなったか、山菜料理の仕方、遊休農地の活用方法、都会での暮らしと山間部での暮らしなどについてたっぷり1時間、話をしました。ツクシの煮物の味はゼンマイに似ていて美味しかったです。
 夜は、吉川町走ろう会の仲間だった友人と久しぶりに会い、スポーツ談議をしました。4年後には新潟県に国体が再びやってきます。まず40年前の思い出を語りました。そして今度はどんな取り組みにしたらいいのか、越後100キロマラソンのことをイメージしながら、市民参加型の取り組みにしたいものだと大いに盛り上がりました。


2005年04月08日

ソメイヨシノのつぼみもピンク色に

 午前から午後2時頃まで原稿書きをしました。市政レポート1191号の原稿です。久しぶりに随想・「春よ来い」を書き始めたのですが、なかなか進みませんでした。まだ、政治的な記事の方が書きやすいですね。1月に市長へ申し入れたことの回答、柿崎病院をめぐる動きを書きました。市長からの回答書は厚く、今度、吉川分だけでも、HPに掲載したいと思います。
 雪解けが進み、雨が降っていないのに、吉川の流れは増えています。ここ数日の暖かい天気でソメイヨシノもピンク色のつぼみを膨らませています。もうすぐ開花です。山の色も緑が見え始めてきました。ブナの芽吹きが始まったのです。ある日曜版読者を訪ねたら、ブナに花が咲いていると教えてもらいました。こういう年はいいことが起こらないと、その人は言います。干ばつ、地震などに要警戒です。
 「春よ来い」の第47回、「」を掲載しました。ご覧ください。


2005年04月07日

ヒメオドリコソウ

 昨日に続いてきょうも暖かい日でした。新聞を見て、昨日は夏日だったことを知りましたが、きょうもストーブをつけることなく過ごすことができました。あまりにも気持ちがいいので、午後、近くの田んぼの畦を歩いてみました。畦塗りをしないと水をためるのは難しいと思われるほど、もぐらがあちこちに穴を開けています。足の裏に伝わる感触は、スポンジの上を歩く時のものと同じでした。
 この時期、歩いている時の最大の楽しみは花に出会うことです。今年は雪消えが遅かったので、咲いている野の花は、オオイヌノフグリ、ハコベなど、まだ10種類に満たないでしょう。きょうはそのうち、ヒメオドリコソウを見かけました。そばに近づいて見ると、小さな女の子がきれいな服を着て踊っているようにも見えます。このHPの「野の花」でも掲載してあるのですが、今年のヒメオドリコソウをデジカメにおさめました。どうです、かわいいでしょう。
 きょうは午前中、妻を学校までおくり、その足で弁護士事務所などに寄ってきました。法律相談、生活相談は専門家の力を借りないと解決できないケースが多くなっていますが、もう少し法律の勉強をしておけばよかったと、いつも思います。法律といえば、今朝の商業新聞に旧吉川町長の角張氏が会長をやっている会のチラシが折り込まれました。驚いたことに、そこには先の市議増員選挙でお世話になったと、お礼の言葉が「堂々と」書かれていました。法律の勉強をしなければいけないのは、どうやら、私だけではないようです。


2005年04月06日

「葬式日和」

 暖かい日でした。20度近くはあったでしょうか。風も無し、雨も雪もない。ストーブも要らない。こんな日に葬式だったのですから、まさに「葬式日和」と言って良いでしょう。3月議会の疲れが残っていて、一昨日は殆んど眠れなかったこともあり、きょうはこっくりの連続でした。初七日のお経、その後の会食では目を瞑ったらもう駄目でした。
 親戚とはいえ、わが家を代表して、これまで父がずっと付き合いをさせていただいた家でしたので、遠くから葬儀に参加された親戚については殆ど分かりません。やっと話ができ、知り合うことができたのは、火葬している間の待ち時間でした。1時間ばかりの間に、最近の話から40年位前までの話が次々と出ました。その中には、お盆にわが家にやってきて、横井戸からスイカやメロンを出してもらって食べた味が忘れられないとか、味噌汁が美味かったなどという話もありました。昔の話をして仲良くなれるということは、私も年をとったということか。
 夜は早々と寝ました。いつものクセで枕元に本を持って行きましたが、それこそ1行も読まずに眠ったようです。


2005年04月05日

通夜

 人間の一生というのは本当に分からない。一昨日まで元気だった人が亡くなり、きょうはお通夜、明日はもう葬式です。私にとっても信じられない展開でしたが、家族はもっとその思いが強かったでしょう。一人娘のMさんが東京から駆けつけたのは今朝の9時半過ぎでした。涙をまったく見せないで、葬儀に向けた諸準備をテキパキとこなす彼女の姿を見ながら、そんなことを考えました。
 きょうは朝から夜まで親戚の家でした。役所への手続きを済ませた後、通夜、葬儀、初七日と連続する儀式の準備をしました。結婚式と違って「葬」の場合は、結構時間があります。親戚筋にあたる板倉区、三和区の人と雪対策など合併後の様々なことを話することができました。お通夜では、先の増員選挙のことが最大の話題となりました。明日は葬儀です。


2005年04月04日

緊急連絡

 午前は議員団会議でした。午後からは、議会報に掲載する一般質問の原稿書きをやりました。質問と答弁を合わせて590字ほどですが、テープを聴いて正確に書かねばなりませんので、結構時間がかかりました。議会事務局の担当の人からは、「写真を入れた方が見やすいですよ」と言われたものの、制限字数を軽くオーバーしてしまい、写真どころではありませんでした。次回から工夫したいと思います。
 夜、支部会議をやっている時に電話が鳴りました。原之町の親戚の人が救急車で病院に運ばれたという連絡でした。心臓が悪く、これまでも数回入院した人でしたので、「ひょっとしたら……」という悪い予感がしました。残念ながら、病院に着いてまもなく亡くなりました。死因は心筋梗塞でした。病院から自宅へ運ぶのに手間取り、葬儀の段取りなどをしたら、帰宅したのは深夜になりました。
 トップページの尾神岳の写真、更新しました。


2005年04月03日

アカギレ悪化

 予算議会中ずっと我慢してきたことがあります。それは足の痛みです。数年前から始まったアカギレは今冬もやってきました。今回は両足に右手の指先です。足裏と指先、どちらも神経が行き届いているようで、さわる度に痛みが走ります。アロエ軟膏、水絆創膏などで手当していたのですが、数日前から足のアカギレがぐんと広がってしまいました。
 我慢できなくなって、昨日から皮膚科医院に通い始めました。患部には薬を塗って包帯を巻いています。そのせいか、歩きにくくなりました。きょうは日曜版を配達したのですが、歩く格好が悪いので、「どうしたんだね、その格好は」と聞かれます。「いやー、また始まってさ」と説明して数分かかります。来週には、「うまく直ってくれた」と言えればいいのですが、どうなることか。
 2月27日から市議団ニュースを発行してきました。きょうは、その1号から6号までアップしました。また、市や議会の動きも久々に更新しました。ごらんください。


2005年04月02日

マンモス成人式

 新上越市の成人式がきょう行われました。成人の数は約2600人。会場のリージョンプラザ上越は、着物やスーツ姿の若者でいっぱいでした。これまで60~70人ほどの成人式にしか参加したことがなかったので、こんなにも大勢集まって成人式ができるのかと不安になりました。ただ、この気持ちは一時(いっとき)のことで、プログラムを見てからは、どんな展開になるのか楽しみになりました。
 じつは、プログラムには、成人者代表スピーチの一番手に吉川区の北井聡さんの名前があったのです。うれしくなりましたね、これには。私の知っている彼のキョウダイ、親戚の人たちは、なんでも積極的ですが、彼もそうでした。司会者の紹介によると、スピーチする人は公募した者のなかから選ばれたといいますから、彼もこれに応えて出てきたのでしょう。たいしたもんです。
 彼のスピーチは、成人とは何かについてを彼なりにまとめたものでした。人間は人の間と書く。人間は人の間で助け合って生きている。自動車整備工として働いているが、ネジの締め忘れは大事に至る。何事も責任を持って成し遂げる人間になりたい。ここに集った仲間を大切にしよう。スピーチが終わったら、「ヨシッ」と声を出してしまいました。
 木浦市長の「激励の言葉」も人間とは何かを問いかけるものでした。相田みつをの詩、「自分の番~いのちのバトン」を暗唱して語りかける、市長の姿は好感が持てました。「父と母で二人 父と母の両親で四人 そのまた両親で八人 (中略) 過去無量の いのちのバトンを受けついで いま ここに 自分の番を生きている(後略)」。どこかで読んで感動した覚えのある詩です。どこで出会ったかは忘れましたが、こうして聞いたおかげで、また読む機会に恵まれました。


2005年04月01日

非の打ち所がない

 
 世の中には、言葉の使い方の上手な方がいるものです。妻が免許証用の写真を撮ってもらった時のこと、出来上がった写真を渡す前にチラッと写真に目をやったカメラマンは、「うん、これは非の打ち所がない」。写真の腕前をほめたともとれるし、被写体をほめたようにもとれる言葉ですが、どちらであろうと悪い気はしません。私なんか、冗談のつもりで言った言葉が人を傷つけてしまったり、誤解を与えたりと、しょっちゅう失敗しているものですから、うらやましく思います。
 言葉自体が魅力的なものもたくさんあります。きょう届いたメールの中に「お裾分け」というのがありました。これもその1つです。近くの山に登った友人から、春を告げる雪割草の花の写真をもらった。自分ばかり見ているのはもったいない。野の花が好きなあなたもご覧になりませんか。こういった感じで届けられたのですが、ほんとうに気持ちが良くなります。
 さて、きょうは4月1日。全国の労働者にとっては、1年の区切りの日です。初めて職につく人がいたり、異動に伴い緊張している人もいる。何か、新鮮な空気が流れる日です。吉川総合事務所にも本庁勤務だった職員が合併後初めてやってきました。あらたに本庁へ異動した職員もいます。2300人以上いる市役所職員の異動名簿は毎年新聞に発表される教職員の場合と同じ、探すのに一苦労します。新たな職場や職員食堂で会って、異動したことに気づくことが少なくありません。ともかく、異動した人には早く新たな職になれてほしいものです。


2005年04月投稿分

2005年04月に投稿された全てです。

前:2005年03月
次:2005年05月

過去の投稿

小さな町の幸せ通信