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2004年03月投稿分

2004年03月31日

コシノカンアオイ

 午前は吉川土地改良区の総代会でした。農業委員会長の代わりに出席してきました。私は土地改良区のないところで田んぼをやっていた関係上、土地改良区の総代会に出席したのは初めてです。分厚い議案書をめくりながら説明、質疑を聞きましたが、チンプンカンなことだらけでした。おもしろいと思ったのは補正予算を提案する際に、監事が意見をつけることです。町の予算でも監査委員がこういうことをやったならば、どうなるかなと思いました。
 午後は町民有志による文化財、史跡めぐりに参加しました。参加者の中に、植物に詳しい方がおられ、とても勉強になりました。ショウジョウバカマにはいろんな花の色がある。キクザキイチゲや雪割草が花を開くのは日照と気温が影響するが、どちらかと言うと、気温に左右される。花を咲かせるか、閉じたままにするかの境目の気温はだいたい13度くらいだ。こういった話にぐいぐい惹きつけられました。
 花としては美しさを感じないがぜひ一度見たいと思っていた花があります。コシノカンアオイです。きょうは、植物に詳しい方と一緒にこの花をさがし続け、1つだけ何とか見つけてもらいました。茎のもとの部分を手で広げて写真を撮りました。花の色といい、形といい、実にユニークでした。図鑑の説明に書いてあるブンブクチャガマとは少し違いましたが、ひょうきんなところがあって、とてもかわいいのです。
 文化財では町指定文化財の内、上杉謙信に関連のあるもののいくつかを見て回りました。ちょうど、地元紙・新潟日報で『天地人』という歴史小説が連載中で、謙信の時代のイメージが私の中にもできつつあります。町田山の木々の伐採を禁じた制札や飯綱明神石像などは当時の歴史を語ってくれるものですが、じっくりと見ることができました。


2004年03月30日

第9回上越地域合併協議会

 ソメイヨシノのつぼみが大きく膨らみはじめたというのに雨が降ってきました。ここ数年、桜の花見シーズンになると雨まわりになることが多いような気がします。きょうは、花見会場のなかにある上越市高田の厚生会館で、第9回上越地域合併協議会が開催されました。新市建設計画や地域自治組織に関する小委員会も決着、残る大きな問題は、新市の議員の定数及び任期ということになります。この問題を審議する小委員会では、きょうの会議で、上越市の委員と町村部の委員が激しくぶつかりあう場面もあったとのことです。この先、どうなるか、まったく予想できなくなってきました。
 きょうの全体会では、新年度の上越地域合併協議会予算(2358万円)が決まりました。会長、事務局の説明によると、合併協議会(全体会)の審議はもう3回行うことを想定し、4月12日のほかに5月、6月も開会の予定とのことでした。新市の議員の定数及び任期の協議の進み具合にもよりますが、このままいくと、廃置分合議決は当初予定の6月は無理で、数ヶ月先になりそうな感じです。こうしてみると、合併協議の早い段階で合併期日を決めたことがいいことだったのかどうか、ハッキリしたと思います。
 妻の職場で送別会があるとかで、夕食は私がチャーハンをつくりました。ガスレンジを中火にしておいて、フライパンにニンニクの芽、たまご、ごはん、チャーハンの素を順番に入れて炒める。ただ、それだけのことでしたが、いつもの出来上がりよりはパサパサした感じがあって、美味しくできました。この調子で毎回できれば、インスタントラーメン、カレーに加えて、新たな得意料理になるかもしれません。


2004年03月29日

長野県松川村へ

 暖かくなったらぜひ訪ねてみたい、そう思っていた人に会ってきました。その人は井川のぶ子さん、長野県松川村の日本共産党議員です。昨年、同村で取り組まれた市町村合併問題講演会で初めてお会いしてから交流させてもらっています。私にとって井川さんへの最大の関心はホームページです。私が知っている範囲での話ですが、分かりやすさと親しみやすさという点で、井川さんのホームページの右に出るものはありません。自分の主張もハッキリ出していて、日記もコンパクトにほぼ毎日書いている。そんなわけで、私の一番の「お気に入り」となっています。
 どんな所でどんなふうにホームページを作っておられるのか。技術的なことも含めてぜひ学びたいという私の願いは、きょう実現しました。「ホームページを訪れてくれる人のことを考えて、更新した時はニューのマークの脇に日付も入れたほうがいい」「フレームにこだわらなくても読みやすいものがつくれる」など、井川さんのパソコンを前にしてたくさん話をすることができました。それに、支部の仲間や後援会の人たちの力を大いに借りて議会活動をやる、という活動スタイルも気に入りました。私は、「頑張り過ぎないようにして頑張る」活動をしたいものだと思っていますが、そのお手本を見せてもらいました。
 きょうは、糸魚川から大町を通って松川村へと行きました。小谷村より南の方へ車を走らせたのは今回が初めてです。小谷村から白馬村へ入って、すごいと思ったのは、白馬三山の美しさです。まだ雪に覆われていて、雪の白さと雄大さに圧倒されました。山の名前も分からなかったので、国道沿いのコンビニに入ってちょっとだけ買い物をし、女性の店員さんに教えてもらいました。「あれが鑓ヶ岳、その隣が杓子岳です。そしてその右が白馬なんです」最小限の言葉での説明でしたが、その言葉だけで十分でした。目の前にある実際の姿が語ってくれましたから。


2004年03月28日

新聞代の集金でフル回転

 昨日と同じくとてもいい天気になりました。朝、生活相談を1件受け、その後はずっと「しんぶん赤旗」の集金をしました。天気が良かった割には家にいる人が多く、助かりました。3月議会の後ということもあって、市町村合併や第三セクター・杜氏の郷に関することについて聞いてくる人がけっこういました。議会傍聴が少なかったので、議会にあまり関心がないのかと思いきや、みなさん、見るべきところはちゃんと見ていてくださっています。安心しました。
 夜は、「合併を考える吉川町住民協議会」の会議でした。現在の市町村合併の協議状況、議会の住民懇談会などについて情報交換し、今後、どう活動していくのかについて話し合いました。議会が行った住民懇談会を評価する声がだされ、もう一度回ってほしいとの声が相次ぎました。会員の中に、新日本出版社の最新刊『市町村合併と地方財政』を熱心に読んでいる人がいて、うれしくなりました。私も買ったのですが、まだ少ししか読んでいません。こちらも負けないで読まないと……。
 「春よ来い」第12回を掲載しました。ごらんください。


2004年03月27日

久しぶりに大島村へ

 久しぶりに大島村へ出かけてきました。山間部だけあって、まだ積雪は1メートル近くもあり、何となく寒い感じがしました。寝たきりになっている伯母を訪ねたのですが、記憶装置がきょうはよく作動しなかったらしく、私の顔を見ても「誰だー、わからん」の連発。ちょっとさみしかったですね。でも顔の艶は90歳とは思えないほど良かったので安心しました。
 帰りは、吉川町と大島村を直接結ぶ道路を通ってきました。この道は、この冬から除雪することになったところです。途中にはブナ林も見えて、なかなかいい道路ですが、きょうは青い空と白い雪がとてもインパクトがあっていつも以上に気持ちよく通ってきました。
 大島村へ先に行ったこともあり、きょうの日曜版の配達、集金は山間部から始めました。足の具合がいまひとつなので、ゆっくりとすすめましたら、いいことがありました。ヤマエンゴサクの花が咲いているのを見つけたのです。トキワイカリソウも白い花を咲かせていました。全体に、野の花は平年より10日くらい早く咲いているように思います。


2004年03月26日

農地が大規模に動く

 毎月下旬にある町農業委員会定例会、今月はきょう午前に行われました。春耕期が近くなると農地関連議案がふくらみます。今月は5つの農事組合法人が誕生したことにより合意解約案件、農用地利用集積計画(案)がこれまでになく多くなりました。とくに後者に記載された農地の面積合計は81ヘクタールにもなりました。私の記憶では町農業委員会始まって以来、最大面積です。農業経営形態はここ数年の間にまだまだ変わっていくものと思います。
 午後は3時半過ぎまでかかって町政レポートを作成、その後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金にでました。町政レポートは、やはり、金曜日の朝までに作成しておかないと調子がくるいます。日曜版の配達はいつもの3分の1くらいしかできませんでした。
 夜は党支部の会議でした。参院選勝利をめざす党勢拡大、上越市議選の応援、市町村合併問題への対応などを中心に話し合いました。3月は異動、転勤があるほか、冬場だけの読者が一区切りをする時期でもあり、本腰を入れないと党勢拡大どころか党勢後退になってしまいます。みんなで具体的な検討をし、後退をさせない確認と段取りをしました。
 足の怪我は早期にアイシングをした効果がでて、急速に痛みが取れつつあります。この分だと、もう1日くらいで松葉杖とはさよならできそうです。何人もの皆さんからメールをいただいたり、声をかけていただいたりしました。心配してくださいました皆さんに心から御礼申し上げます。


2004年03月25日

県農業会議総会

 きょうは新潟県農業会議の総会でした。会長が出席できないので職務代理の私が参加してきました。会議のなかでは質問も1つ2つしかなくシャンシャンと進んだのですが、事務局の説明を聞いていて、前とは違うなと思ったことがあります。それは、この農業会議そのものを存続させるには財政的にたいへんになってきているということでした。主因は市町村合併です。ここ1年ぐらいの間に県内の農業委員会数が激減することは明らかで、そのため、事務局も他の農業団体事務局と共同体制をとらないとやっていけない、その説明を聞いて気が重くなりました。
 総会は新潟駅前のホテルでしたので、会議開始2時間前に新潟に入り、個人的な用を足してきました。1つは紀伊の国屋書店に行くこと、ここでは新刊の文芸書、文庫、新書を中心にいい本さがしを楽しみました。荒井満の「千の風になって」は期待したとおりの素敵な本でした。また岩波ジュニア新書で「春」について生物学的に説明しているものがあり購入しました。最大の発見はレイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」です。帰りの高速バスの中で読了しましたが、ここ数年、自分の心のなかに起きている「変化」の正体がこの本で判明しました。わくわくしながら読みました。
 もう1つの目的は片岡鶴太郎の絵画展をみること。この会場も総会の場であるホテルに近く、足を運ぶことができました。彼の絵はテレビと絵本でしか見たことがなかったので、一度は本物を見たいと思っていました。とても個性的な絵を描かれるのですが、生の絵を見て改めて感じたのは魚の目に様々な表情があり、この目が魚の気持ちを表しているということでした。鯛、鯉、おこぜなどの目を見ながら、どこかで見たことがあると思ったのですが、よく見ると、鶴太郎の目にそっくりです。おもしろいものですね。


2004年03月24日

ちょっとだけ親孝行

 久しぶりに床屋へ行ってきました。髪が薄くなってからは、顔の方だけ見ていると、頭の後ろの方が伸びているのに気付かないことがあります。今回もそう。明日、新潟へでかけるので、髪は大丈夫かと見てみたら、みっともないほど伸びていました。床屋さんには、「この人は散髪をすると後ろがきれいになる」と言われました。これからは前からではなく、後ろから見ていただくと「いい男」に見えるはずです。
 午後から合併検討委員会でした。なかなか進まなかった新市建設計画の協議は、ここにきて、首長会議が何回も開催され、打開の方向が見えてきたようです。残るは、議員の定数及び任期の問題だけとなってきました。4月12日が第10回合併協議会ですが、それまでに上越市と町村部が妥協するようになるのかどうか、その動向によっては連休明けまで合併協議が続く可能性もでてきました。
 昨日、きょうと2日間、父を隣町の栃窪温泉へ連れて行きました。背中にぶつぶつができたというので、ここのお湯につかって治したいと父は言います。以前にもこの温泉に通ってから良くなったとか。今回もまだ2回目なのに、よくなってきた感じがすると、上機嫌です。こちらは送迎するだけですが、父が車の運転をやめたおかげで、少しは親孝行している気分になれます。


2004年03月23日

左足ふくらはぎを強打

 大賀層には雪割草がある。昨日、地学団体研究会のメンバーの方から教えていただきました。この層は500万年くらい前の地層で、私の町の山間部から平場まで広がっています。これまで雪割草は、町内ではごく一部にしかないものと思っていました。しかし、この間の日曜日に新たな自生地を見つけてからは、どうもそうではなく、かなり広く分布しているようだ、と思うようになっていました。そこへ「大賀層には…」発言です。どうしても確かめたくなりました。
 きょうの午前、大賀層のある山へ入ってみました。まだ、一度も行ったことのない場所です。尾根を歩いて約1時間ほど経って、北側の斜面に白色や紫色などの花が広がっているのを見つけました。間違いなく雪割草でした。これまで行ったことのある場所と違って、人間が荒らした様子はまったくなく、自然の状態で育っています。これはすごい、そう思って雑木につかまりながら斜面を下り、写真を撮り続けました。
 ところが数分後、つかまっていた雑木が抜けたのでしょう、一瞬のうちに2メートルくらい下へ落ちてしまいました。幸い、左足が下の方にあった雑木にからまり、がけ下まで転落することなくすみましたが、左足のふくらはぎを強打し、まともに歩けなくなってしまいました。木につかまりながら山を下り、診療所で診察してもらったら、完治するまで3週間近くかかるとのこと、困ったことになりました。
 妻や子どもたちからは、「もう山へは絶対一人で入るな」「つかまった木が生きているか、枯れているか、判断できなかったのか」「自分の体重が増えている(昔より)ことを忘れているのではないか」などと言われました。もちろん、こちらは抵抗の意思はありません。黙って聞くのみです。「オレだってそう思っているんだ。でも、可憐な花のあるところへ引き寄せられるのは、人間として当然のことだろう」とも言えないしね。


2004年03月22日

ほんとうの豊かさを求めて

 午前から午後3時半ころまで、上越市の党組織が発行する民報の配布活動を手伝いました。午前中は良かったのですが、午後からは雨、ズボンに靴という格好で動いたら雨がしみこみ、最悪でした。気温も低くなる中で濡れたので、また風邪でも復活させたらたいへんと、急いで帰りました。
 配布活動中に農業委員会事務局から電話連絡がありました。人事異動の連絡です。会長が入院中なので、もし町長部局との間で出入りの打診があれば、職務代理の私が対応しなければなりません。昨年に続き2年連続で異動かと思ったら、「異動なし」の連絡、ホッとしました。
 家に戻ってからは、上越市の書店で購入してきた暉峻淑子さんの「豊かさの条件」(岩波新書)を読み始めました。昨日付けの「しんぶん赤旗」日曜版掲載の「豊かさをめぐる対談」を読み、読んでみたくなったものの1つです。高度成長期の右肩上がりの社会構造が崩れて、いま求められている社会の原理は何か。じっくり学びたいと思います。
 前出の対談に出ていた「国連の人間開発計画」を夜、インターネットでさがし、読みました。「人間開発って何か」の中で書かれていた、「人間開発に経済的豊かさは欠かせないが、際限なく豊かになる必要はない。大切なのは、自らの意思に基づいて人生の選択と機会の幅を拡大させること」という言葉が重く響きました。


2004年03月21日

気分転換

 ここ1ヶ月ほど、日曜らしい過ごし方をしてこなかったので、きょうこそはと決心して山に入ってきました。目的は、山に自生している雪割草を見ることです。出合った時の感動は一人で味わうのはもったいない。そう思い、妻と子どもたちをさそったのですが、すでに予定があるといいます。それで弟と友人夫婦に声をかけでかけてきました。
 今回は父から教えてもらった場所へ行ってきました。山の中を歩いて約40分ほどで雪割草に出会うことができました。最初に見つけた花は鮮やかなピンク色で、見た途端に「ワーッ、すごい」と声を上げてしまったほどです。自生している雪割草の魅力は、「自然の中にあること」です。植木鉢などに植えられたものと違い、葉は緑色のものが多く、とにかく生き生きしています。
 わずか2時間ほどの山歩きでしたが、十分な満足感がありました。咲き始めたばかりのカタクリやキクザキイチゲにも出会いましたし、芽吹きを迎えている木々にも触れることができました。こうやって歩くだけで頭の中だけでなく、体の中の汚れたもの全部を入れ替えたような気分になります。それと、もう1つ、今回は山を降りる時に、明らかに川の出発点と分かる場所を見つけました。山の斜面の途中に水が湧き出るところがあり、そこから小さな川の流れがはじまっている、こういうところは子どもたちにぜひ見せたいですね。
 午後からは法政大学人間環境学部と町が一緒に取り組む地域づくりシンポジウムでした。最初に基調講演した石神隆教授は、地域づくりをすすめるうえで大切なことは、まずお互いがよく知り合うこと、そして守るべき地域の誇りをどうつくっていくかだ、とのべられました。町内で地域づくりに励んでいる3人の発言も、これまでの活動から得た自信に裏付けられていて、力強さを感じました。法政大学と町が共同した学びの場づくりは、まだ歴史は浅いものの、今後の吉川町の発展につながっていく、そんな予感がします。


2004年03月20日

野の花の季節が始まった

 雪解けが進み、わが家の周辺の雪は屋根から落ちて山になっていたところだけになりました。山間部でも田んぼの畦、土手などが姿を現してきています。こうしたなか、農家においては、この時期ならではの光景が見られるようになってきています。例えば、味噌づくり。ある農家へ新聞を持っていったら、青大豆を使って味噌づくりに取り組んでいるところところでした。
 山間部より一足先に雪がなくなった平場では、野の花が咲き始めました。一番最初に見つけた花はヒメオドリコソウとタネツケバナでした。ある家の車庫の脇にひっそりと咲いていました。これらの花が目に入った途端、いよいよオレの季節がやってきたと思いましたね。これから秋が終わるまで、また野の花を追い求める暮らしができると思っただけで、とてもうれしくなりました。
 野の花が咲いていることを知った以上、もうじっとしてはいられません。農道へと軽トラを走らせゆっくり観察しました。思ったとおり、いろんな花をあちこちに見ることができました。きょう、確認できたのはオオイヌノフグリ、キクザキイチゲ、スミレ、ハコベなどです。林の中ものぞいてみました。ショウジョウバカマがこれから咲こうとしています。それにもう1つ、うちの町で初めてシュンランらしきものと出会いました。もう10日も経てば、はっきり分かることと思います。
 夜は日本共産党演説会。参院選比例区の予定候補、笠井あきらさんの話がとても印象に残りました。「うそつきは戦争の始まり」という言葉から入ったイラク戦争の話、野党外交の実際、全面的に改定された日本共産党綱領、両親の教えと日本共産党の考えがぴったりだったことなど、ぐいぐいと引き込まれました。私もこんな風に話ができるようになりたいと思いました。


2004年03月19日

いい社会の尺度

 昨晩、お酒を飲みすぎて「町政レポート」は途中までしか作成できませんでした。それで今朝は、日刊紙の配達後、ただちに続きをやりました。議会があった時の「町政レポート」は、材料に不足は無く、いくらでも書くことがあります。取材もしないでいい。こうして、この議会中に作成したものはB4サイズの大きさで5枚になりました。いずれも商業新聞に折り込みましたので、折込料がかなりの金額になるはずです。
 「町政レポート」作成後、「しんぶん赤旗」日曜版に目を通しました。このところ、配達する前に読むクセがついています。今回興味深く読んだのは、日本共産党政策委員長の小池晃参院議員と埼玉大学名誉教授の暉峻淑子さんの「豊かさ」をめぐっての対談でした。暉峻さんが、国連の人間開発計画がいう〝いい社会の尺度〟の1つに〝その国のすべての人がどれだけ能力を開花させているか〟が入っていることを紹介していましたが、これは地域社会でも、学校でも、職場でも言えることだと思います。
 「しんぶん赤旗」日曜版を読んだ後は配達です。きょうは見事に晴れ上がり、米山、尾神岳が一段と美しく見えました。お陰で、とても気持ちよく配達活動ができました。議会が終わったことは有線放送でも伝わっていて、「ご苦労さんだったね」とか「議会が終わったら、風邪が治ったようだねかね」などと声をかけてくる人がいました。それと生活相談も入ってきました。また、普段の活動スタイルに戻ります。


2004年03月18日

3月議会終了

 3月議会は予定より1日早く終わりました。昨日に続く合併問題特別委員会では、議会主催の住民懇談会をどうするかについて話し合いました。行政サイドは合併協議が終了してから遅くない時期に全集落に出向いて懇談会をやることを明らかにしています。協議内容を伝えるという点では、行政サイドの懇談会でもやることになる。ならば議会が懇談会で何を訴えていくのか、この点に議論が集中しました。議会の方針を伝え、意見を聞いてくる。合併協議の結果を住民の皆さんがどう受けとめているか確認する、などの声が出ましたが、きょうの会議では結論が出ませんでした。
 この議会を最後に退職される人たちがいます。役場の課長さんたちです。今回はいつもより多く、4人。会議が終わって何人かの課長さんと話をしました。ある課長さんは、「課長になって初めて質問してきたのは橋爪さんだった。答えられなかったので、それから勉強した」と思い出を語ってくださいました。振り返ってみれば、一人ひとりの課長さんとの付き合いはけっこう長く、忘れられないことが1つや2つ、必ずあります。長い間、ご苦労様でした。
 3月もこの時期になると、役場、学校などで人事異動があり、歓送迎会もはじまります。町役場の異動は同じ職場にいますので、特別感じないのですが、学校は異動イコール別れとなるケースがほとんどなので、何となくさみしい。もっとも、異動により思いがけない人が町内の学校にやってくることもありますので、さみしさだけではありませんが……。


2004年03月17日

発言者全員の声を載せて全戸配布

 きょうも3月議会。先般、議会が取り組んだ合併問題懇談会のまとめをどうするかについて、特別委員会で熱心な議論が行われました。懇談会開催数は49回、参加者は711名。各懇談会場で出された意見や提案などはA4サイズの報告書に書き込まれていて、数量的にはかなりの厚さになります。これをどうするかでもめました。
 最終的には、会場での町民の発言はすべて載せて議会だより特集号を発行することになりました。発行日は4月8日。その他の細かいところは明日の会議で詰めることになります。また、14日に決めた2回目の懇談会開催についても明日、協議することになりそうです。
 昼休み、天気が良かったので、前々から気になっていたトップページの写真を撮りに行きました。田んぼの雪も少なくなり、春が近づいてきたことがはっきりわかる写真となりました。ごらんください。


2004年03月16日

やはり市町村合併問題が中心

 3月議会はもう5日目(実質)となりました。終盤です。外は、建物のなかにずっといるのがもったいないくらい、すばらしい天気でした。役場庁舎からは尾神岳と米山がよく見えます。時々、この2つの山を見ながら、「もう、そろそろ雪割草が咲く頃だ…」と考えています。
 新年度一般会計予算審議は何でも議論できるのですが、やはり市町村合併問題が中心となります。きょうの審議の中でも「合併までに…」という言葉が何回使われたことか。私のとりあげた問題の1つは少子化対策、合併すればこの対策がすすむように言われ続けてきました。しかし、これまでの合併協議からは、この対策が前進するどころか後退しそうであることが浮き彫りに。そこを問題にしました。
 新市建設計画、普通建設事業がどうなっていくかも問題にしました。いまの合併協議次第では、合併しないですすむ場合よりも当町分(直接かかわりのある)が下回る可能性があると思います。町側もその可能性を否定はしませんでした。しかし、これは「合併せざるをえない」と主張してきた人たちにとっては、がまんできないことです。ある人が私語で、「それなら何で合併するんだ」と小さな声で言っていました。
 この間から町幹部を攻め込む質問を次々とやっていたことが誘引となったのか、町長が本会議の中で、私が書いている「町政レポート」に注文をつけてきました。2年後に募集停止予定の吉川高校の「跡地」利用をめぐって、県や専門学校との交渉が大事なところに来ているから、気をつけて書いて欲しいと言います。「どこが問題なのか」と切り返しても具体的な言葉はなし。言論、表現の自由に係わることに言及するのは慎重に願いたいものです。
 昼休みに家に戻って家畜商と連絡をとったら、最後まで残っていた牛の行き先が正式に決まりました。1頭とはいえ、思いがけなく乳搾りをすることになった10数日でしたが、この間、牛乳をたっぷり飲み、牛乳豆腐を毎日作り、食べ続けることができました。今度こそ、完全に搾乳をやめると思うと、ものすごくさみしく感じます。
 


2004年03月15日

「大丈夫か」の声に励まされて

 朝のうちに診療所へ行って調べてもらったところ、肺炎にはなっていないことが分かりました。これで一安心です。昨日ゆっくり休んだことで、咳も収まりつつあります。下痢は抗生物質の入った薬のせいとのこと、これも先が見えました。あとは無理をせず、できるだけ休養すること、これしか回復の道はないようです。
 遅刻して議場へ入ったら、審議中にもかかわらず、何人もの議員から「おい、大丈夫か」と声をかけてもらいました。うれしいですね、こうして心配してもらえるのは。ふと思ったのは、大きな都市の議会になれば、党派間の緊張関係が前面に出て、こういう雰囲気は味わえないだろうな、ということです。小さな町の議会ならではの温かい雰囲気、大事にしたいものです。
 議会は、きょうから新年度予算の本格的な審議です。新年度予算の基本的な性格、特徴は市町村合併を視野に入れているところにあります。合併後をにらんで早々と改革するものもある。システム統合予算審議で学んだものは、廃置分合議決前であることを忘れないことです。私の新年度予算質問は事実上、明日から。体調も回復基調にありますので、がんばります。
 昨日の私の一般質問のさわりを「町や議会の動き」に掲載しました。


2004年03月14日

日曜議会

 きょうは日曜議会でした。勤めに出ている人からもたまには議会傍聴してもらいたい、そうした思いを込めた日曜日開催の議会なのですが、きょうの傍聴者は4人でした。議会の中身は一般質問、私を含め5議員が登壇し、大詰めを迎えている市町村合併などで町側の考えをただしました。
 私はというと、ちょっと普通でない感じの咳が出て苦戦を強いられました。言いたいことの6割くらい言えたかどうか、といったところです。町長の答弁は、地方交付税削減問題では、国のやり方に怒りの言葉をのべるが、その一方で理解も示す。合併問題では、「懇談会で本当に一人ひとりの住民の意思が確認できますか」と聞いても、「懇談会で確認させていただく」と繰り返すだけ。まったく納得できないものでした。
 課長さんたちの話では、私の声はいつもと全然違っていたとのこと、議員仲間からも「早く帰って寝た方がいい」と言われ、もう一人質問者が残っていたのですが、早退させてもらいました。考えてみたら、風邪を引き始めてから、すでに1か月は経過しています。異常事態なので、明日も議会ではありますが、時間をもらって、再び医者に診てもらうことにしました。


2004年03月13日

税申告書類作成

 きょう、明日の予定で妻が旅行に出かけましたので、食事は私が作ることになりました。お昼は、魚のフライを買ってきて、それで間に合わせました。夜は、昨日からのお汁の残りにお湯を足し、おぼろ豆腐とねぎを入れてできあがり。栄養的には偏ったおかずですが、まあ、こんなもんでしょう、私のレベルでは。
 「しんぶん赤旗」日曜版の配達は午前中に終えました。午後からは以前から先延ばししていた税金申告の書類作成をしました。一年に一回しかしないので、忘れていることも多く、領収証を整理したり、計算したりしていたらあっという間に時間が経ってしまいます。結局、収支内訳書の下書きができたのは夜の8時過ぎでした。
 昼間、群馬大学のある先生から電話がありました。古厩先生のFゼミ通信を単行本にするので、校正作業などいくつか協力して欲しいとのことでした。故人が生前から望んでいたことでしたし、私でもできることであればと「わかりました」とお返事したのですが、あとで古厩先生の奥さんに聞いて驚いてしまいました。電話をくださった先生は、近藤典彦さんという方で、国語が専門、しかも国際啄木学会の会長さんだったのです。
 夜10時過ぎから明日の議会の準備に入りました。いつもなら、どういう答弁となるか予想し、それにかみ合った再質問も用意するのですが、今回はやめにしました。これ以上、無理をして体をおかしくするよりも早く寝る方が大事だと思うからです。風邪は熱が36度台まで下がったものの、鼻水、頭痛が依然として続いています。明日は、まともにしゃべれるかどうか、ちょっと不安です。


2004年03月12日

一本の鉛筆

 昼休み、ご飯を食べ横になっていると、テレビからある歌が聞こえてきました。
 一本の鉛筆があれば 私は あなたへの愛を書く
 一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと 私は書く
 静かに、やさしく歌われているにもかかわらず、強く心をゆさぶります。いつのまにか、体を起こして聞き入りました。
 歌は「一本の鉛筆」(松山善三作詞、佐藤勝作曲)でした。 昭和49年(1974年)の第1回広島平和音楽祭で美空ひばりが歌った歌だということです。ゆっくり歌えるし、歌詞もいい。平和を願う人間の気持ちをよく表現しています。この歌はぜひ覚えたいですね。それにしても美空ひばりが反戦をテーマにした歌を歌っているとは知りませんでした。
 きょうは議会は休会。いつも通り、「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。今朝の一般紙に町政レポートを折り込んだので、何人もの人から「読んだよ。頑張ってくんない」と声をかけてもらいました。車を走らせていて、気付いたのですが、遠くの景色が薄茶色にかすんで見えました。おそらく、黄砂がやってきたのだと思います。これも春が近づいてきた証拠です。
 「春よ来い」の第11回、「温かい先生」を掲載しました。ごらんください。この話は、6日付けの「見てある記」で紹介したものをベースに書き足してまとめました。


2004年03月11日

寝るのが一番いい

 3月議会2日目。風邪は妻や隣の議席の人にまで移してしまいました。私の方は、咳と鼻水、それにいままでなかった熱まで出てきて重症です。家で体温を測ったら37度2分になっていました。きょうは町政レポートの速報版の作成もお休みさせていただきます。
 家に帰って1頭の乳牛の搾乳だけやって、シャワーを浴び、布団の中へ。どういうわけか食欲だけはあります。夕飯を食べて、再び布団に。明日は少しは良くなってくれればいいのですが……。


2004年03月10日

最悪のコンディション

 きょうから3月予算議会がはじまりました。いつもなら、「さあー、がんばるぞ」という気持ちでいっぱいになるのですが、今回は、情けないことに、「何とか乗り切られればいいが…」。昨日、診療所に行ったにもかかわらず、風邪はいっこうに良くなりません。熱は無いのに、鼻水と咳が止まらず、困ってしまいました。議員は議会が最も大事な仕事の場なのに、それに向けた健康管理を怠ったということになります。こりゃ、失格かな。
 議場には風邪引きさんは私のほかにも何人かいますが、どうも町長と私が一番ひどいようです。近くの議席の人から「移さないでくれ」との注文をつけられましたので、午後からはマスクをかけて議場へ入りました。しかし、マスクをしていると話がうまくできません。はずして発言しましたが、何か迷惑をかけているようで、じっくりと議論するわけにはいきませんでした。
 きょうの審議のなかで最大の焦点になったのは、第三セクター・杜氏の郷への自立化補助金でした。どこでも第三セクターの経営はきびしく、赤字が多くなっていますが、この三セクは昨年に続く、税金投入です。しかも今回は、昨年の8倍にもなる4140万円。筆頭株主の農協は、いまのところ補助金を出す気配もなく、町だけが金を出す。昨年同様、どうなっているのかという町民の怒りの声がしばらく続くものと思います。


2004年03月09日

診療所へ行ってきました

 きょうは久しぶりに穏やかな天気になりました。お日様も顔を出し、この間降ったふわふわした雪は一気に消えました。雑木林の中に入ったら、あちこちの木の芽が膨らみ始めています。春はすぐそばまで来ている、と感じました。
 明日から予算議会なので、一般質問の原稿書きを始めました。日曜日が質問なので、いまのうちからと思って、パソコンに向かったものの、頭がボーッとしていてなかなか前に進みません。ここまでがまんしてきたのですが、議会のさなかに倒れたらまずい、と判断し、診療所に行くことにしました。
 5日分の薬をもらって家に帰り、再び原稿書き。地方交付税などの削減、指定管理者制度の導入、市町村合併問題と質問内容を考えているうちに頭の方は少し軽くなってきました。もらった薬が効いたのかどうかはなんとも言えませんが、よい方向に向かってくれればそれでいい。


2004年03月08日

中学校卒業式

 3月になって、2月よりも冬らしい天気が続いています。朝は道路が凍結するほどの寒さとなりました。こんな時は車の運転に注意しないといけない、と思っていたら、わが家の次男からの携帯電話が鳴りました。「お父さん、車落としちゃった。すぐ来て」といいます。カーブでスリップし、田んぼの乗り入れ(10メートルほどの長さで、高低差2メートルくらい)に突っ込んだのです。近くの友人からトラクターで引っ張ってもらいましたが、対向車があればアウトでした。
 午後からは中学校の卒業式でした。校長先生や上野教育委員長さんの話が心に残りました。とくに上野さんの、「他人と比較するモノサシは人生の害になっても役には立たない。最も大切な自分、素晴らしい自分を見失ってしまう。自分のできる範囲で目標を立て、毎日進歩する自分、努力した自分をほめてやるモノサシを持て」という話は大切なことだと思いました。毎回、感動するのは、卒業式が終わってから卒業生が披露する全員の合唱です。今回は、武田鉄矢の「贈る言葉」でした。
 …悲しみこらえて微笑むよりも 涙かれるまで泣くほうがいい
  人は悲しみが多いほど 人には優しくできるのだから
 いいニュースが1つ入ってきました。午前中の合併協議会の専門部会で、吉川町の農業労働災害互助会については、地域限定で存続の方向が確認されたということです。これで、10数年がんばってきた先進的な取り組みを続けることができます。先日、ある男性から「あの制度のおかげで助かった。ぜひ続けてもらいたいね」と言われたばかり。この知らせは、明日、彼に伝えましょう。とにかく良かった。


2004年03月07日

のんびり、ゆっくり

 朝からアクビが出っ放し。今週から3月予算議会がはじまるので、きょうは思い切ってのんびりと休むことにしました。午前9時から、NHK教育で「いわさきちひろ・戦場の少女を見つめて」を観て、その後、母の買い物の手伝いをしました。午後からは布団に入って寝ました。これで少しは体がもとに戻るでしょう。
 「春よ来い」第10回は「最後のお産」です。ごらんください。


2004年03月06日

受けて忘れず、施して語らず

 第8回上越地域合併協議会が三和村体育館で行われました。全体会は各種事務事業の調整関係議案のみ、すでに各市町村議会などで検討済のものですので、質問は1人だけ、15分ほどで終了しました。
 論議の焦点は、すべて小委員会に移っています。私が所属している2つの小委員会では、前回より前に出ました。「地域審議会及び地域自治組織について」の小委員会では注目されている地域協議会の委員の選出方法をめぐり、選挙とするか各地域協議会の自主性にまかせるかで2つに分かれましたが、選挙で選ぶ方が大勢を占め、次回の委員会には統一しようということになりました。当町は安塚町、牧村などとともに後者を訴えてきましたので、決断を迫られた形になりました。
 もう1つの小委員会は「自治基本条例について」の小委員会です。制定の目的、条例の構成、制定のあり方についてグループ討議を行いました。4日に先進地事例を学んでいますので、前よりも話しやすかったと思います。ただ、この問題はじっくりやらないといけないと改めて思いました。というのは、自治基本条例と個別条例の関係を誤解されている方が何人かおられたからです。
 夕方、高速バスで新潟大学へ。古厩忠夫先生が亡くなられて一年ちょっと経ったということで、学生、同僚だった教員、友人などが「追悼の会」をやりました。会では故人の思い出話が次々出され、先生が「受けて忘れず、施して語らず」というタイプの人格者であったことを再認識しました。人間の生き方を考えさせられました。
 特に先生は、留学生や病気の学生の面倒をよくみておられました。先生とともに癌と闘ってきた学生さんは、癌であることを知って受験を断念しようとしたら、「どうしてですか。もし病気が理由なら僕はあなたに抗議します」と述べ、励まされたというエピソードを紹介してくれました。また、ある留学生は、経済的な困難のなか、ストーブなしで冬を迎えようとしていた時に、先生が中古のストーブを用意し、冬を暖かく過ごせるよう心配してもらったと感動的に語ってくれました。この話はどこかで詳しく紹介しようと思います。
 夜遅く、列車で帰ってきました。朝早くから新聞配達、会議などで動き、体は疲れきっているはずなのに、不思議と眠くなりませんでした。「追悼の会」で聞いたたくさんの心温まる話が強く印象に残り、私の心のなかで燃え続けていたからです。いい一日でした。


2004年03月05日

集落懇談会の二次会

 朝起きたら30センチ近い降雪となっていました。久々にブルがやってきました。私の方も、しまうつもりだった除雪機を出して、30分ほど除雪作業をやりました。ただし、雪はとても軽くふわふわしています。除雪機も高速で進まないと多くの雪をだきこむことができない状態でした。きょうは啓蟄だというのに、どうなっているのでしょうね、この天気は。
 父の風邪はインフルエンザB型でした。朝になったらずいぶんよくなったというので、朝仕事を終えてから「しんぶん赤旗」日曜版配達で飛び回りました。ところが、午後1時半過ぎに従姉から携帯へ電話があり、「なんで医者へ連れて行かないの。もしものことがあったらどうするの」としかられました。「単なる風邪らしいから……」と答えたのですが、気になり、かかりつけの医者に行ってきました。その結果がインフルエンザB型、従姉に感謝です。
 新聞配達の途中、ラーメンを食べようと丸滝温泉に寄ったところ、町田集落の老人会有志の方々がおられました。町田はこの間の日曜日に集落懇談会でおじゃましたばかり、私のそばに二人の方がこられ、「合併しない場合は、どんな風にすれば残っていけるか」など次々と質問を寄せられ、まるで懇談会の二次会をやっている感じになりました。集落懇談会で合併情報を共有したことで活発な議論が生まれる素地ができました。とてもいいことだと思います。
 NHK新潟が夜の番組で市町村合併を取り上げていました。合併するところ、しないところをクローズアップし、どちらを選択するにせよ、今後のまちづくりをどうするかが問われているとの指摘はそのとおりだと思います。「金がない、財政危機だから合併は避けて通れない」との宣伝がかなり浸透していますが、自分たちが住んでいるまちをどうするか、ふるさとをどう発展させるか、これを絶えず意識して問題を考えていく姿勢がないと、暗い話になってしまいます。なお、番組の中では、柏崎市と吉川町のまちづくり基本条例についてもちょっぴり紹介されていました。
 


2004年03月04日

尾神岳の北側の市と南側の町が同じことを…

 どうも私の風邪を父に移してしまったようです。夜、母が「じいちゃんの様子がおかしい」というので飛んでいったら、38度2分も熱があり、ぐたっとしていました。かかりつけのお医者さんに電話をしたところ、あいにく留守だったため、看護師さんからアドバイスをしていただき、手当てしました。きょうは、2回も転んだらしく、父の体力の衰えを感じました。
 きょうは、合併協議会の自治基本条例に関する小委員会がありました。今回は、柏崎市の「市民参加のまちづくり基本条例」について直接担当された伊藤学さんと栗林淳子さんの報告を聞いて先進地事例を学びました。同条例は吉川町まちづくり基本条例より一日遅く制定されたものですが、「吉川町が先に制定したことを知り、ショックだった」という言葉を聞いて驚きました。じつは、私たちも柏崎市の条例素案を参考にさせてもらっただけでなく、同市の動向を意識していたからです。
 柏崎市の条例は行政側からの提案、私たちのものは議会提案と提案の仕方はちがいますが、きょうの話を聞いて、私たちとほぼ共通の問題意識を持って条例づくりの作業を進められたことを知りました。たとえば、分かりやすさの追求とふるさとへの思いを盛り込む、不思議なくらい一致していました。問題意識だけでなく、条例づくりの手法もワークショップを取り入れる、懇談会を開くなど共通していました。尾神岳をはさんで北側の市と南側の町が同じ時期に同じことを同じようにして取り組んでいた。これは偶然とは思えない、つながりを感じます。柏崎市のみなさんとゆっくり話をしてみたくなりました。
 夜になっても雪が降り続いています。軽い、ふわふわとした雪ではありますが、きょうだけでも20センチは積もりました。この時期にきて、これだけ降られると、いやですね。


2004年03月03日

風邪、再発

 桃の節句だというのに午前は雪、こちらの方言では「春ぎったない」天気となりました。それでも、ちょっとでも日が差すと暖かさはこれまでとはちがいます。農業委員会の会長の机に座っていたら、お天道様のおかげで背中がとても気持ちよく、じっとしていると寝てしまいそうでした。
 午後からは議会運営委員会と各派代表者会議が連続して開かれました。いよいよ、3月予算議会のはじまりです。毎日、合併、合併で動いていたせいか、3月議会のことはほとんど頭に入っておらず、早急に切りかえて準備に入らなければなりません。
 3月議会は10日から19日までの10日間と決定しました。14日の日曜日は日曜議会となり、この日は一般質問が行われます。国の地方財政政策と町財政、市町村合併の問題点などを中心に論戦の準備をしたいと考えています。いまの日程でいくと、ともすれば一般質問でとりあげるテーマについて、それ以前の議案質疑のなかである程度やることになることがあります。その場合は、質問のヴァージョンアップをしなければなりません。
 今日の会議はつらい会議でした。じつは体調がバカ悪いのです。一昨日、牛舎でお産があった時、とても寒いと感じました。それをがまんして、子牛をとりあげるまでは……と頑張ったのが悪かったんでしょうね、治ったかと思った風邪を復活させてしまいました。頭はボーッとするわ、鼻水はどんどん出る、困ったもんです。


2004年03月02日

リズム

 たった1頭の乳搾りでも朝晩の生活に変化が生まれます。決まった時間に牛舎に行き、仕事をして戻る。この繰り返しが生活にリズムをつくるのです。40日ぶりに搾乳をしてみて、自分が失ったものが何であったのか、少し分かりました。本格的な再開はないにしても、こうして前の生活、労働を体験させてもらえるのは何かの縁、ありがたいものです。
 きょうは合併関連の会議が続きました。市町村合併特別委員会、検討委員会、そして頸北議員の会、3つとも共通して話題となったのは合併協議会で暗礁に乗り上げた形になっている新市の建設計画でした。共通事業に焦点が当てられてはいますが、地域事業も合併協議会事務局にあげられ、それぞれの町村の総合計画で予定していたこと比べてどうなるかも見えてきます。町単独ではできないといわれてきた仕事が新市でできるのか、できないのか。自治体のサイズを大きくすることで財政問題を解決することができると思っていた人たちにはショックなことがしばらく続きそうです。
 それにしても「住民とともに合併問題を考える頸北議員の会」、いつも集まるのは10数人ですが、いろいろな情報が集まり、問題解決のヒントが見つかる、ほんとうに役に立つ組織です。きょうも面白い情報がいくつも寄せられ、3月議会の質問の組み立てに使えるくらい、つっこんだ議論の展開となりました。


2004年03月01日

風花舞う中で

 花びらのようにひらひらと降る雪のことを「風花」と呼ぶ人がいるそうです。きょうの雪は、この表現がぴったりの降り方でした。時折、雪がひらひらと舞い降りては消えていく、そこへ太陽が時々顔を出すといった空模様でした。今週は、どうも寒の戻りがあるようです。
 さて、きょうはまず、うれしいニュースからです。わが牛舎の残っていた乳牛が午前11時過ぎにオスを出産しました。これまで配合飼料を食べなくなったりしたことや、ちょっと太りすぎていることなどから、無事お産してくれればいいがなぁと思っていたのですが、安産でした。父と二人でお産の手助けをし、楽々しました。
 子牛が生まれれば当然乳搾りをしなければなりません。1月20日で搾乳をやめたとはいえ、わが家で生まれた以上、搾らないわけにはいきません。お昼、夕方、手で搾りました。久々の搾乳は、とても懐かしく、うれしい感じがしました。搾った牛乳は子牛にくれました。また、搾乳をやめてからしばらく行方不明になったネコも乳を欲しがり、ニャーニャー鳴くので少し分けてやりました。もっともこの搾乳はここ数日だけで、その後は家畜商がお産した牛を引き取っていく約束になっています。
 午前、午後と2回、役場に行きました。吉村副議長と明日の市町村合併特別委員会の打合せをしたほか、たいした用事はないのですが、昨日までの懇談会の「後遺症」なのでしょう、外へ出かけるクセがついたようです。出たついでに、3月議会中に使用するコピィ用紙1万2500枚を買ってきました。これで議会報告の準備はOKです。
 夜は支部会議でした。みんなで党大会ビデオダイジェスト版をみました。代議員の発言がとても生き生きしており、大会の雰囲気もよく伝わってきます。中学時代の恩師の話をして発言中に涙がこぼれそうになった青年党員などの姿をみて、参院選に向けて頑張らなければ、と思いました。
 「私の好きな風景」に「夜明け直前」という写真を1枚追加しました。ごらんください。


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