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2004年02月投稿分

2004年02月29日

懇談会終了

 議会主催の懇談会は、きょうが最終日、4会場をまわりました。私の班では、これで合計17会場となりました。近いうちに、各班でまわった結果を出してもらい、整理することになりますが、ずいぶんたくさんのご意見を出していただいた気がします。これも、集落を細かくまわったからこそだと思います。
 まだ合併協議が終わっておらず、議員の定数及び任期や新市建設計画がどうなるかわからないという中での懇談会でしたので、「今回の合併について、私たちがいいか悪いか判断するには無理がある。協議がまとまった段階でもう一度まわってほしい」という声がけっこうありました。住民とともに合併問題を考えていこうとする議会の姿勢は評価されたのではないでしょうか。
 懇談会が終わって家に戻ってきたら午後9時半になっていました。一区切りしたので、350cc入りの発泡酒を2缶飲みました。4会場で報告するだけでも4時間近くはしゃべっていますので、やはり疲れがたまりました。今晩はゆっくり眠りたいですね。
 「春よ来い」第9回目は「ひなたぼっこ」です。きょう、掲載しましたのでごらんください。


2004年02月28日

エンジントラブル

 疲れてくたくたになっている時に書いた文章はひどい。パソコンに向かってコックリコックリやりながら何とか書いたものの、どうもすっきりしなくて、日刊新聞の配達が終わってから昨晩書いた「見てある記」を読んでみました。案の定、文章が死んでいました。それで、あわてて書き直しました。
 午前は、「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。ところが、山間部の道路で軽トラのエンジンがパスパスという弱弱しい音を出し、動かなくなってしまいました。どうも燃料がうまく流れないようです。めったにないトラブルによって、予定は大幅に狂ってしまいました。自動車屋さんを呼び、修理をお願いしましたが、月曜日まで代車で対応しなければならないようです。
 午後からは集落懇談会を3会場でやりました。新市の建設計画に対してはずいぶん関心が高まっていて、「何とか吉川の要望が通るようにしてほしい」とか、「いまのような状況の中で合併していいことがあるのですか」という声も出ていました。今回計画した集落懇談会は、明日の4会場で終わりです。だいぶ、声がくたびれてきました。もうひとふん張りです。


2004年02月27日

中学生との市町村合併懇談会

 きょうは、中学生の皆さんとの市町村合併懇談会でした。今週、ずっと気になっていた取り組みです。なにせ、町議会が中学生と懇談会をやるのは、吉川町49年の歴史の中でも初めてのことです。どんな具合になるのか、ある程度はイメージしていたのですが、中学生に受け入れてもらえるかどうか心配でした。
 私の担当は2年生約60人、応援者として総務文教常任委員会副委員長をお願いしていたのですが、都合が悪いということで社会産業常任委員長の上野さんから参加していただきました。心配は無用でした。生徒の皆さんは真剣に耳を傾けてくれたのです。しかも、質問を次々と投げかけながら話を展開していくうちに、生徒の皆さんはのってきて、笑いも出るし、手をあげて答えてくれる。「自分がどんな時代に生きているか考えてみよう」「市町村合併とは?」少し難しいかなと思ったことも、まじめに受け止めてくれました。生徒の目がこちらをしっかり見ていてくれることが分かった時はうれしかったですね。
 中学生の皆さんの質問は、核心をつくものあり、ユニークなものあり、なかなかおもしろかったですよ。町長さんが失職したら、その後、どんな仕事をするのかという質問には、「本職は製材業だから、その仕事をされるかも。でも何をするかは聞いたことがないので本人に聞いてください」と答えました。「合併協議が全国的に行われているのはなぜか」「お父さんの話では、隣の頚城村では大きな建設事業をやるけど、吉川町は金がないからやれない、と言っていたけど、本当ですか」という質問には、財政問題に踏み込んで答えましたが、どこまで理解してもらえたか。
 当初、中学生との懇談会は最長で70分までと決めていたのですが、質問が切れ目なく続き、終わりそうもない雰囲気でした。最後は、「まだ質問のある人は、メールをください」といって終わりました。結局、懇談会は1時間20分にも及びました。 正直言って、中学生がこれほど市町村合併問題に関心を示してくれるとは思いませんでした。懇談の中では、上越市、吉川町などの借金の多さに驚き、吉川町の先行きを真剣に考える生徒の姿がものすごく頼もしく思えました。吉川町の将来を担うのは、こうした若者たちです。答えるのは大変ですが、もっと彼らの意見を聞いてみたくなりました。


2004年02月26日

農業労働災害互助会の存続目指すことを確認

 午前は総務文教常任委員会でした。消防団の再編計画がメインの議題でしたが、所管課の報告事項の中に重要問題がいくつもあり、緊張しました。1つは、吉川高校閉校後の跡地利用です。これまでの、新潟市の国際総合学園が新たな専門学校をここで立ち上げるという計画は、新潟工科専門学校の2学年用の講義実習施設として活用する計画にトーンダウン。これには委員全員が驚いたようです。もう1つ、新年度の行政改革の一環として課の再編が打ち出されました。福祉課と町民課が統合し、「町民福祉課」に、産業課と建設課が統合して、「産業建設課」にする計画案が浮上しています。またこれまでの企画開発課が「企画振興課」と名称を変えたいとのことです。合併協議会での支所構想の影響を受けた部分もあるようです。
 午後からは農業委員会定例会、会長不在ですので、私が議長役を務めました。注目の農業労働災害互助会については、昨日の合併協議会幹事会の中で、「合併時に廃止」をもう一度見直すことになりました。専門部会、地元農業委員会で協議することになりますが、きょうの委員会定例会では、何とか存続させる方向で努力することを確認しました。合併した場合、農業労働災害互助会の事務をどこでやるか、役員体制をどうするかなど、検討をしていく必要があります。それにしても継続をめざすことで委員がまとまってくれて良かった。
 会議が終了後、町政レポートの原稿書きをしました。あまり書くことがないな、と困っていたのですが、きょうの総務文教常任委員会で新たな情報が入ったので、書く材料は足らないどころか、多すぎるくらいになりました。おかげで政治的な記事は一気に書き上げました。時間がかかったのは「春よ来い」。書きたいことを頭の中で整理したつもりだったのですが、なかなか進まず、明日の朝、新鮮な気分のなかでもう1回読み直していくことにしました。今回のタイトルは「ひなたぼっこ」です。


2004年02月25日

地区別農業委員会会長会議

 会長が入院中なので、県農業会議主催の地区別会長会議に参加してきました。上越地方22市町村の農業委員会を対象にした会議だったのですが、もし来年合併すると、この地区は3つの農業委員会になってしまいます。会議の中では、合併に伴い、地元農業委員会も系統組織も転機にあることが浮き彫りになりました。農業委員会に関する法律も今回の通常国会に改正案が提出されるとのことで、基本的な任務、定数、選任委員等について変わることが確実な情勢になりました。
 会議が終わってから、隣村の会長さんと話をしました。この会長さんは元畜産農家で話が合います。きょうは、「いまの子どもと昔の子どもの違い」についていろいろ意見を交わしました。その中で会長さんは、「わが家はいま4世代が同じ屋根の下で暮らしている。様々な葛藤があるが、ボケた人間が小便をたらしたり、徘徊したりするところも孫たちに見せておきたい」という言葉が強く印象に残りました。世代間で生き方や感覚にズレがあるのは当然ですが、家族ばらばらに暮らしているツケが様々な少年事件につながっているという指摘は考えさせられました。
 きょうは、集落懇談会は無し。27日の中学生との懇談会で合併問題をどう話していくか、これまでの資料をめくりながら考えました。明日、総務文教常任委員会の会議の後に、合併問題特別委員長とこの問題で最後の調整をすることになっていますが、頭の中はなかなか整理できません。決められた時間内で、子どもたちとどれだけ情報を共有できるか、どれだけ子どもの意見をだしてもらえるか、だんだん心配になってきました。


2004年02月24日

病室にて

 午前中に元農業委員会職員だったOさんを見舞いました。前立腺の病気で手術をされたと聞いたからです。病室は個室で、テレビや冷蔵庫だけでなく、外と通話できる電話も設置してありました。ベッドのそばには、新聞と薄い冊子がおかれていました。何かと思ったら、昨年夏に町教育委員会が発行した戦争体験集、『戦争の日々を生きて』でした。
 掲載されている文章で様々なことが思い出されるのでしょう、Oさんは「こんな時でないとゆっくり読めないもんで」と言いながら、昔のことについて語ってくださいました。また、合併問題の行方を心配し、私と一緒に取り組んだ町農業労働災害互助制度が新市に引き継がれることなく終わりそうであることをとても残念がっておられました。先進地を訪ね、何年もかけてつくった当事者とすれば当然でしょう。
 合併懇談会はきょうで5日目です。昨日、きょう、どちらも予定の時間をオーバーして質問が続きました。膨大な事務事業の調整について、どの会場でもいくつか紹介していますが、昨日は「悪くなることばっかりで、説明を聞き、不安になった」と言われたので、水道料や農業集落施設使用料が大幅に下がることを先にして、悪くなることもお話しました。ところが、今度は、ある方に、「下がる話をされていたが、もっと上がるものがあるはずだ」と言われました。説明の仕方ひとつで聞き手の方に微妙な影響を与えるものだと思いました。なかなか難しいですね。
 帰ってから500ccのビールを1本飲みました。テレビで格闘技を観ながら飲んでいたのですが、飲み終わってから、ちょっとのつもりで横になったら、2時間近く寝てしまいました。疲れがかなりたまっているのかもしれません。


2004年02月23日

中学校で打合せ

 昨夜から強風が吹き、きょうは朝から雪がチラチラする寒い天気になりました。午前に吉村副議長とともに中学校へいきました。27日午後2時半過ぎから実施する中学生との懇談会の打合せです。どれくらいの時間で何を話し、懇談するのか。こちらからの話はどうするのかなどを話し合いました。校長先生は、合併とは何か、その基本から話してもらいたいと言われました。どういう組み立てにするか、しっかり練らなければなりません。
 合併懇談会はきょうで4日目。私たちの班は夜1回だけです。説明に入る前に、住民の方から、懇談会で出された意見や疑問の扱いはどうするか、お聞きしたいとありました。議会でもある程度話し合ってきましたが、今回の懇談会で出された意見や提案、疑問は「議会だより」に掲載し、住民にお返しするということが大事だと思います。
 懇談のなかでは、「なぜ頸北の合併がだめになったのか」とか「頸北での合併議論をもう一度やってもらえないか」など頸北という小さなサイズの合併議論に関するものがいくつも出ました。最近の新聞報道の影響なのか、私の説明を受けてのものなのかは分かりませんが、大型合併への懸念が広がりつつある気がします。


2004年02月22日

マンサク咲く

 このところ暖かい日が続いていますが、きょうは、この時期としては気象観測史上最高の気温を記録したといいます。おそらく20度は超えていたでしょう、春と錯覚しそうなほど暖かでした。懇談会に出ましたが、会場では、ストーブはあってもつけないでいいくらいでした。
 この高温なら、ひょっとすると咲くんではないかと牛舎近くのマンサクの木のそばへいってみました。そうしたら、なんとなんと黄色の花がもう咲いているではありませんか。昨年は3月16日に、この花をデジカメにおさめたのですが、昨年よりも20日以上も早く咲いたことになります。毎年見る花ですが、冬から春に向かう時に初めて見た時はいつもうれしくなります。
 合併懇談会は3日目、きょうは勝穂地区を中心に4会場をまわりました。ここは、日頃から付き合いのある人も多いとあって、とても話しやすい雰囲気のなかで懇談できました。泉集落では、初めて若い夫婦も参加してくれ、女性からの質問もありました。小中学校や保育園の通学通園体制、保育園での英語教育の行方などの質問は、若い人の参加があってこそ。普段はなかなか出ないものと思います。
 高齢者の方々からの質問・要望には切実なものがいくつもありました。「サービスが頼りなので低下させないようにがんばってほしい」「除雪は間違いなく現在と同じくやってもらえるんだろうね」などといった声がありました。昨日来の課題である「分かりやすい説明」は、意識的に追求しましたので、昨日よりは良くなったかなと思っています。


2004年02月21日

懇談会二日目

 議員懇談会は平日の夜もありますが、全体としては今週と来週の土曜、日曜に集中しています。きょうは各班ともそれぞれ3会場で懇談会をやりました。最初の会場は女性が多かったので、話の内容をぐんと身近なものにすればよかったのかもしれません。昨日同様の内容でやりましたら、ある人に「頭の中がますます混乱した。分かりにくい」と言われました。集まっている人たちの顔ぶれを見て、話の内容を変えていくぐらいの応用動作ができればいいな、と思います。
 きょうの懇談会では、けっこう大勢の人から質問が寄せられました。「私はアンケートを取ってもらいたいと思います」その一言だけ言う人もいました。サイズの小さい集落での懇談会だからこそ発言できる、この雰囲気を大事にしたいと思います。気になったのは、若い町民があまり参加してくれないこと。しかも発言も少ない。若い人たちはどうすればこの種の懇談会に出て、発言してくれるのでしょうか。
 合併をしなかった場合、どうなるのか、ほんとうにやっていけるのか。そんな声が懇談会でも聞こえてきます。矢祭町の取り組みを紹介していますが、昼休みの時間帯に矢祭町のことを書いた本をめくってみました。財政面での取り組みが重要であることはもちろんですが、戦略ビジョンをもち、実行力もある、職員からも信頼されている、そういう指導者がいるかいないかも大事な点であることを再確認しました。


2004年02月20日

議会主催の集落懇談会スタート

 暖かい一日でしたね。車の暖房が要らないばかりか、着ていたブレザーも脱いで飛び回りました。きょうは日中はずっと新聞配達で、訪れた家のなかには、玄関先で新聞紙を敷いて日向ぼっこしている老夫婦もありました。私も昼食はまるたき温泉でラーメンを食べたのですが、畳の部屋には暖かい日差しが入り込んでいて、ぽかぽか、ちょっと横になったら30分も昼寝をしてしまいました。
 夜は議会主催の集落懇談会です。きょうから3班に分かれて49会場をまわることになっています。私の所属する班が行う今晩の懇談会が今回の取り組みの最初とあって、議会事務局長や副議長も様子を見にきていました。議会からの報告は私の役目、合併協議会でいま焦点になっている「議員定数及び任期」や新市建設計画を中心に話しました。
 報告と質疑で約2時間かかりました。今晩出された質問は、「議員が1人というのは困る、地域のことを市政に反映させるためにどうするつもりか」「当初予想したものとは違った展開になったというが、具体的にのべてほしい」など、かなり突っ込んだものがいくつもありました。丁寧に答えようとしたのですが、分かりやすさという点では、もうひと工夫求められているように思います。
 注目の合併についての住民の意思確認は、3通りの答えが返ってきました。①住民投票をすべき、②全員アンケートでいい、③まだ不透明なことが多すぎる、今の段階では賛成も反対もできない。懇談会は今回だけに留めないで、引き続きやってもらいたい、という要請もありました。会が終わってから、「分かりやすかったよ」との声も寄せられました。明日は3会場です。がんばらなくては。


2004年02月19日

合併関連の会議が3つ

 朝から3つも会議があると、くたびれます。午前は頸北町村長と議長会の話し合いが行われ、午後からの合併協議会小委員会にどう対応するか、話し合いました。町村長からは、一昨日、昨日と2回開催された14市町村首長会議の様子を生々しく報告していただきました。町村部はごく一部を除き、新市建設計画共通事業が上越市偏重になりそうだと強い不満を持っている、そしてこの選定基準についても見直しを願っていることが分かりました。
 午前の会議は1時間ちょっとで終わりましたので、当初の予定を変更して葬儀に出席していた妻を迎えに行きました。家から歩けば20分くらいですが、たまには妻へのサービスも大事かと考えてのことです。軽トラの中で待っていたら、妻の勤務先の校長先生と初めてお会いし、挨拶しました。そうしたら、校長先生の奥さんが私の本を福祉施設で朗読していてくださるということで、「お世話になっています」とお礼を言われました。その丁寧さに恐縮してしまいました。
 午後の小委員会、私は「地域審議会及び地域自治組織」の小委員会です。昨日、県庁で通常国会に上程予定の自治法の一部改正、合併特例法の一部改正などの中身について報告があったことを聞いていましたので、それとの関連でいくつか質問、提案をしました。最新の動きの中で、できるだけ地域自治を充実させる形でまとめていきたいと思いますが、できるかどうか。
 夜は、5回目の「住民とともに合併問題を考える頸北議員の会」でした。最近の激しい動きを反映して活発な話し合いとなりました。この会での議論がこれまでの展開の中で役に立っているので、とても助かります。きょうは、事務事業の調整や新市建設計画案で合併したらどうなるかが見えてきた、どう対応するかに議論が集中しました。住民運動が最も進んでいる頚城村からは、直接請求の受任者が60数名に増えてきたと報告がありました。たいしたものです。


2004年02月18日

書いた原稿がすぐ古くなる

 週末から集落懇談会が始まるので、町政レポートは早めに作っておこうと、原稿を書きました。ところが、合併問題はこのところ毎日動いているので、昨日書いたことも、きょうになれば新たな展開をしている。そんなわけで記事はすぐ古くなってしまいます。先週金曜日の頸北町村長と議長会の話し合いの記事は、大事なことを書いたつもりですが、明日までにどういう展開をしていることか。
 明日の合併協議会小委員会を前に議長、副議長と打ち合わせをしました。また、「住民とともに合併問題を考える頸北議員の会」のメンバーとも情報交換をしました。明日の午前には、吉川町役場で頸北4町村の議会選出法定協委員が集まって首長側からの報告を聞き、新市建設計画対策を検討します。きょう、一日で、どう動いたかも明らかにされるでしょう。
 三和村の元村長、関口荘六さんと町役場で会いました。関口さんは日本共産党員首長として活躍された方です。いま、三和村で合併問題への取り組みを強めたいと意欲を燃やしておられました。頸北での活発な動きが刺激になり、じっとしておられなくてね、と語る関口さんが若々しいのには驚きました。合併協議会や頸北での運動について説明するとともに、三和村での取り組みについても紹介していただきました。


2004年02月17日

第7回合併協議会

 午前は議会の集落懇談会資料作成で動きました。昨日の段階では気が付かなかった入力ミスがあったり、誤字もある。少し時間を置くだけでも、間違いのチェックはかなりできます。懇談会では、直接使うことが少ないかもしれませんが、合併関連用語集、施設管理で新たな展開が出てきましたので、「指定管理者制度」という用語も加えることにしました。
 午後からは第7回合併協議会と小委員会でした。協議会の中で、きょう開催された14市町村の首長会議の協議内容を報告してもらいたいと発言したら、木浦会長は、「協議したことは事実だが、時間をつくって再度協議することになった。各町村長に聞いてほしい」とそっけない。新市建設計画にかかわる重要な問題がどう展開するか、大勢の人が関心持っているのだから、どんなことが話されたか、概要を報告するくらいの丁寧さがあってもいいと思うのですが……。
 注目の14市町村の首長会議の様子ですが、頸北4町村の首長は13日の頸北の会議での確認に基づいて全員が発言したとのことでした。これに対して、これまでの小委員会での議論はなんだったのか、といった趣旨の発言をした人があったといいます。新市建設計画が上越市偏重で、周辺部町村が求めている全市的なバランスある発展が不可能になるかもしれないというのに、何を考えておいでなのでしょうか、このお方は。ま、ともかく、明日、継続協議をするというのですから、その結果を待ちましょう。
 中学校から教育委員会に連絡が入り、中学生との懇談会は27日の午後と決定しました。集落懇談会とは別に懇談会資料の準備をする必要があります。できるだけ分かりやすい資料を作成し、中学生のみなさんの率直な意見や提案を聞きたいと思います。楽しみではありますが、また1つ、仕事が増えました。
 一昨日からの風邪が悪化、きょうの会議では鼻水が次々と出て、しかも微熱もある状態が続きました。これでは、まともな話もできません。明日は医者にかかって、集落懇談会までに直さないと。まいった、まいった。


2004年02月16日

合併問題で中学生との対話打診 

 きょうも合併特別委員会は丸一日かかりました。話題の中心は新市建設計画の共通事業です。角張町長は、明日の合併協議会の前に開催される首長会議の中で選定基準の見直しを求めていくことを表明しました。これで事態はどう動くか、明日は大きな一日になるかもしれません。
 事務事業(行政サービス)の調整案として、きょう示されたものの多くは、上越市にないものです。吉川町とも補償推進事業は調整の文言に問題ありということになりました。また、吉川町農業労働災害互助会については農業委員会サイドで調整すべきことだとして幹事会に戻すことになりました。
 私が今回問題にしたのは、吉川町農業労働災害互助会のほか、ふるさと定住者助成金、青年団補助金、乳幼児医療費助成事業などです。吉川町農業労働災害互助会は全国的にみても先進的なものですが、こういったものを吉川町だけの取り組みだということで廃止されたんではたまりません。新市が農業労働災害にどうのぞむかも検討して欲しい。乳幼児医療費助成は上越市に水準を合わせると後退ということになります。「少子高齢化対策のために合併を」と言っていた人がいますが、乳幼児医療費助成が後退するようでは少子高齢化促進になります。
 特別委員会の最後に、合併問題で中学生の声を聞く場を設けることが委員長から提案され、了承されました。教育委員会から打診してもらっていますが、もし実現すれば、町の将来の担い手との対話が町議会史上初めて行われることになります。どんな質問や意見、提案が飛び出すか、楽しみです。


2004年02月15日

写真集「裏日本」

 どうも風邪をひいてしまったようです。きのうから少し調子が悪く、やたらと鼻水が出てきます。もう何年も風邪をひいたことはなかったのに、どうしてこんなになってしまったのか。困りました。
 高田まで出かける用事があり、ついでに図書館に寄ってきました。1月10日付「見てある記」にも書いた濱谷浩写真集『裏日本』を見たいと思ったからです。予想していたとおり、この写真集には、裏日本側の農漁村に生きる人々の暮らしが載っていました。私が一番気に入ったのは「嫁入り」という写真、集落の人たちが嫁さんを迎える気持ちをよくとらえた傑作です。79枚もの写真には、それぞれ説明が書かれていて、この文章がまたいい。すっかり濱谷フアンなってしまいました。
 明日からまた会議の連続です。合併懇談会の資料作りなどまだやるべきことがたくさんあるのですが、大事をとって早めに眠ることにします。あ、そうそう、「春よ来い」の第7回「ワラはたきの音が聞こえる」を掲載しました。ごらんください。


2004年02月14日

合併関連用語集

 きょうはバレンタインデーだそうですが、毎日のように出かける農協や役場もきょうは休みですので、今年は義理チョコもゼロ。これじゃ、忘れてしまいます。子どもたちの話で思い出し、義理でもなんでもいいから一個ぐらいは欲しいなあ、そう思っていたら、本命のチョコがわが家の冷蔵庫に入っていました。ああ、よかった。
 「しんぶん赤旗」日曜版を配達中、うれしい光景を目にしました。私と同年代の「じいちゃん」が孫の手を引いて雪の上を歩き、サルトコを楽しんでいたのです。凍った雪の上を歩く時の気持ちよさを孫にも伝えたい、その思いはよく分かります。こんな楽しそうな光景はめったに出会うことがない、そう思い、カメラにおさめさせていただきました。
 議会主催の合併懇談会資料作成で吉村委員長と打ち合わせをしました。その1つは、これから合併協議会で決まっていく膨大な事務事業の調整内容を町民にどう伝えていくかです。合併担当課で選んでいただいた主要項目をさらに絞り込む作業をおこないました。また、懇談会でよく使われる合併関連用語を懇談会資料に載せることも確認、その作業は私がやることになりました。これらの資料は16日の合併問題特別委員会で委員の皆さんから検討してもらうことにしています。
 合併関連用語をなるべくわかりやすくまとめておくことが大事だ、と思ったのは、先日の「合併問題を考える吉川町住民協議会」でのことでした。「廃置分合」の「置」って何を意味するの、という質問が出たのです。また、ある人からは、いろんな説明会に出ても、「地方分権」の時代だとか、「合併特例法」の特例措置がどうした、こうしたという言葉が飛び交い、ますます分からなくなると言われました。用語の解説をあちこちのサイトのものを参考にしてまとめてみましたが、これをどれだけ分かりやすくできるか、明日、がんばってみたいと思います。


2004年02月13日

熱した油の中に水を入れた時のような議論

 すごい話し合いでした。頸北議長会主催の会議も、頸北町村長との懇談も上越市や合併協議会事務局に対する不信感をあらわにしたものとなりました。「こんなんだったら、共通事業は全部上越市にやる。そのかわり、地域事業が8割、共通事業は2割だ」「建設計画の財源は市町村の出し合いだ。上越市が全体の49%しか出さないでおいて6割、7割の計画をとるとは許せない」。こういった発言が相次ぎ、にぎやかな議論が続きました。新市建設計画の共通事業が上越市に集中したことで、これまで各町村で描いてきた合併後の主要事業構想の実現が危うくなってきたという共通認識ができた。そこへ何か問題を提起すると、バチバチッと怒りが起きてくる。まるで油をしいて熱したフライパンの中に水を入れた時のような状況でした。
 4町村長の挨拶の中では、「大事なことが私たち(首長)を素通りして小委員会に行っている」「すべてが上越市中心の事業に変容しつつある。このまま突っ走っては困る」という発言まで飛び出しました。こういった発言に対して、議会側から「こうしたことを許してきたことにも問題がある」と首長側の対応を追及する場面もあり、激しいやりとりとなりました。どうあれ、首長が知らないうちに計画が決まっていく流れは異常です。首長が入った運営委員会が一度しか行われていないのもおかしい。速やかに正常化すべきです。
 頸北町村議会の正副議長・合併協委員である議員と町村長との話し合いの結果、①次回の合併協議会開催までに合併協の運営委員会を開催するよう申し入れる、②その場では、協議会運営のあり方を問題にすると同時に新市建設計画共通事業の選定基準の見直しを求めていく、③新市の議員の定数及び任期については、頸北4町村とも定数特例7年3ヶ月を主張していく、ことが決まりました。きょうの会議の模様は、マスコミ2社も取材していました。記者たちの目には、きょうの議論がどう映ったのでしょうか。


2004年02月12日

きょうは月曜日でなく木曜日

 午前は市町村合併検討委員会。次回の協議会の議案に対してどうするかの意思統一でしたが、やはり、話は新市建設計画についてに集中しました。私の方から、感情的な対応にならないように気をつけながら、14市町村の均等的な発展のためにはどうすべきかという観点から議論を深めるべきだ、と提案しました。
 昨日も休みだったので、何となく月曜日のような気分で仕事をしていましたが、きょうは間違いなく木曜日です。午後から、あわてて町政レポートの作成にとっかかりました。土日、そして昨日と合併関連の取り組みが続いたので、書く材料はそろっています。問題は裏面、「春よ来い」は書こうと思っていたテーマの原稿がなかなか書けず、3月に書く予定だったものを前倒しして書くことにしました。
 明日は頸北議長会の会議が朝早くからあります。町政レポートの作成、間に合ってくれればいいのですが。


2004年02月11日

今年最初のサルトコ

 昨晩から冷え込み、ついにやってきました、サルトコが……。サルトコというのは凍み渡りのことです。今年初めて雪が凍ったので、牛舎の周辺を歩いてみました。ふだんは歩けないところもどんどん歩ける。やはりサルトコは気持ちいい。よく見たら、雪の上にはネコやタヌキ(?)の足跡がありました。みんな、この日を待っていたのでしょう。
 
 午後から、「住民とともに合併問題を考える吉川町住民協議会」主催の合併を語り合う会がありました。参加者は30名弱でしたが、参加者みんなが自分の気持ちを言い、意見交換する有意義な会となりました。
 「いままでの協議の過程がまったく分からない。合併協で話し合いがどんどんすすんでいる」「協議が早すぎる。わけもわからんうちに編入合併になってしまう。もう少し時間がほしい」「若い人たちにもこういう場に出てきてほしい。その人たちの意見を聞きたい」「合併については迷っている。どうしても合併するんであれば、農協のようになってほしくない。支所をきちんとしてもらいたい」。たくさんの意見を聞いて思ったのは、予想していた以上に合併についての情報が町民に伝わっていない、ということでした。なかには、「町や議会の懇談会は遅すぎる」という批判もありました。法定協の委員の一人として耳の痛い話でした。


2004年02月10日

三宅島民からの手紙

 きょうは、ぜひ一度お会いしたいと思っていた人に会うことができました。足立正恒さん、65歳、日本共産党中央委員で理論誌『前衛』の編集長です。足立さんは柿崎町平沢の出身で、元町長・足立茂藤英さんのご長男です。
 足立さんは、今回、新潟県内の日本共産党議員を対象にした講演会の講師として来県されました。今度の党大会で党綱領が改定されましたが、足立さんの話は綱領改定のポイントについてでした。いくつものエピソードが入っていたせいか、足立さんの話はとても分かりやすく、勉強になりました。
 初めてお会いしてびっくりしたのは、お父さんの茂藤英さんとそっくりな顔立ちをされていることでした。休憩時間に、柿崎町下中山出身の宮崎(旧姓小熊)栄子柏崎市議と3人で懇談しましたが、柿崎町や吉川町の人の話にはとても懐かしがっておられました。足立さんは吉川町にも親戚があり、足立さんご夫婦の仲人は何と長谷川保信さん(元吉川町長)でした。本当に世間は狭いですね。
 きょうはもう1つうれしいことがありました。三宅島民の佐々木美代子さんから「清く正しく美しく輝いていたい!」というタイトルの付いたお手紙をいただいたことです。とても感動的な文章ですので、みなさんに紹介したいと思います。佐々木さんは数年前、当町を訪問。その後、私の著書『幸せめっけた』を島民の皆さんに普及してくださったことなどからお付き合いをさせていただいています。手紙は美しい文字で綴られています。活字でしか紹介できないのが残念です。
 清く正しく美しく輝いていたい! 三宅島 佐々木美代子
 この世に誕生して65年、わたしの生涯の眼目はこうありたいと願っていたことに気づきました。年を重ねるよろこびです。
 1996年9月に脳内出血の病発生して臨死体験して生還したのち、生命の讃歌を発信してきました。昨年4月10日、母大茂フミ永眠しましたので喪中欠礼していました。
 昨年の大きなできごとは、母を看取ることができたことです。苦労の多かった母はさいごに「みよちゃん いいこ いいこ」と賛辞を残して旅立ちました。埼玉県越生にある霊園に納骨する時、54年前に他界した父の隣に安置することができ感慨無量でした。
 大正、昭和と生きた両親は、生きている間の幸せはなく離婚する破目にあいました。その人生が走馬灯のようにかけぬけて、両親の冥福を心から祈りました。天空と青葉しげる山々にわたしのこころは晴れやかでした。
 (中略)
 滞在型帰島を3年ぶりに果たしました。荒れはてた島の様子、我が家の状況を見て物を処分して掃除をしてきました。おいしい空気、かわらぬ海の風景、野鳥の声に接して、ハイビスカスの花に元気をもらいました。二酸化硫黄のガスは横ばい傾向で、一日あたり3千から1万トン、安全帰島の目安はまだ先のようです。
 新年を迎えた1月10日、三宅島で50年近く住んで、その豊かな自然を世界へ発信された海洋生態学者のジャック・T・モイヤー先生(74歳)が避難先の北区で自殺、その報道はマスコミにのって大きな衝撃を与えました。日本の首都東京で、私たち三宅島民と同じ境遇の中での悲劇に私自身良心の呵責に沈みこむ日々をすごしました。
 同じ噴火災害にあった雲仙、有珠山は毎月生活支援が実施されているのに、三宅島は、義援金配分と生活再建支援法が1回実施されているだけです。都知事は三宅島にNLP基地化しか考えていないのでしょうか。
 困難な状況の中で、展望が持てない昨今、イラクへ自衛隊を派兵するという日本政府の方針に憤りを感じて悲しくなります。それでも、清く正しく美しく輝いていたいと念願して、平和な21世紀をめざして前進してゆきましょう。
 *しんぶん「赤旗」のコラム欄、『美代子さんのひとり言』、3月で区切りをつけることになりました。
 皆様もどうぞお元気で
 より一層のご活躍を祈念いたします。


2004年02月09日

懇談会準備

 きょうは役場で一日中、議会主催の合併懇談会の準備をしました。何を重点テーマにすえるか、どんな資料を用意するか、こういったことを合併問題特別委員長の吉村さんと話し合うだけでも2時間ほどかかりました。私の方は、昨日、一昨日と行政サイドで実施した住民懇談会すべてに参加していますので、どんなことに関心が持たれているのか、ある程度つかめています。それをもとにいくつかの提案をしました。吉村委員長の発想はユニークです。何人かの町民に「ここ数年の間に役場へどんな用事で出かけたか」を質問し、その中で多数をしめることが合併によってどうなるのかを伝えていく、というもの。住民サイドから見た合併を考える具体的な方法としてとてもいいなと感心してしまいました。
 役場にいたこともあって、役場の職員は今回の合併をどうみているのか、聞く機会がありました。ある職員は、先日行われた職員研修でテーマとなった人事考課についてふれ、職員として厳しさが求められていく、これからは自分の係りだけでなくもっと広い専門知識をもって対応できる職員にならなければいけない、と話していました。またある職員は、ここ1週間ほどの間に今回の合併の姿がよく見えてきた、これまでのきめ細かい施策は大合併の中で消えていく、住民投票でもアンケートでもいいから今回の合併について意思表示する機会をぜひつくってもらいたい、と語っていました。
 住民も職員も合併の中味を知るなかで少しずつ変わってきている。そのことを感じた一日でした。


2004年02月08日

町としての見解まとめる前に住民の声を聞くシステムを

 昨日からの積雪は30センチ近くになりました。朝5時半過ぎから除雪を始め、8時頃まで続けてがんばりました。これで、牛舎や家の屋根から雪が落ちても大丈夫です。このうえ30センチくらい新雪がやってきたとしても、「どうぞ降ってください」という余裕ができました。
 町主催懇談会はきょうが2日目、吉川会場、旭会場と参加しました。旧村単位の懇談会に参加して感じたのは、それぞれの会場の雰囲気の違いでした。源は過疎が深刻化している地域で、最近は住民主体の地域づくりがすすんできていますが、合併によってくらしや地域づくりがどうなるかに強い関心がありました。吉川は、市町村合併の取り組み方など基本問題を問う声が多くあり、発言は次々と続きました。旭会場は夕方5時からという時間帯のせいもあったかもしれませんが、雰囲気はもっとも穏やかでした。
 吉川会場では、重要な指摘がいくつもありました。地域協議会を自治組織とみるなら、委員の選出にあたって選挙は当然のことではないかという発言、吉川町のこれまでの「町づくり会議」の取り組みとも関連させてもう一度考えてみる必要がありそうです。また合併協議にあたって、事前に住民の声を聞く仕組みをつくるべきだ、という発言・提案は3人からありました。議会の特別委員会、吉川町の合併協委員による打ち合わせを経て合併協にのぞむこれまでのやり方に変更をせまるこの提案にどう応えるか、真剣に検討していかなければなりません。
 いま一つ、「合併協議によって統一化、平準化をすすめているようだが、吉川町にはこれまで築いてきた特性のあるものがある。残さなければならないもの、新市に引き継がれないものをどうやって引き継いでいくかが大事」との発言もうなづけました。合併によってこれまで築いてきた大切なものが吹っ飛んだんではたまりません。
 「春よ来い」の6回目、「ウサギの肉」を掲載しました。ごらんください。


2004年02月07日

町主催で合併問題住民懇談会

 再び激しい雪がやってきました。午前は、時々お日様も顔を出すような穏やかさがあったのに、午後からはがらりと変わって粉雪がさらさらと降り続きました。
 きょうは町主催の市町村合併についての懇談会第一日目、源会場を訪れました。町側の1時間10分にも及ぶ説明の中では、合併により行政サービスがどう変わるかをまとめた一覧表について関係課長が直接説明する丁寧な対応がありました。合併によって良くなるものもあれば悪くなるものもある。参加した住民の皆さんには、合併したらどうなるかについて、これまでになく具体的に示されたと思います。
 ところが質疑応答の場面で町長は、「合併によってよくなることは1つもありません。しかし合併しないで残ればもっと大変なんです」とやってしまう。これまでになかったいい資料提供も、こういう一方的な評価の中ではいい議論へと結びついていきません。また、今回の合併についての住民の意思確認は、懇談会の場でやっていくということでしたが、積極的に確認していこうという姿勢は町側に見られませんでした。せっかくの懇談会もこれではもったいない、と感じました。
 それでも住民の皆さんの発言には、自らの暮らしや地域の取り組みと関連付けた
ものがいくつもありました。「合併によって支所の職員数はどうなるか、これまで頑張ってきた観光部門はちゃんとやってもらえるのか」「簡易水道の扱いはどうなる」「現在、町予算に占める地方交付税や国県補助などの割合は65%というが、合併しない場合は何%くらいになるのか」「今回の合併はでかすぎる。中央だけよくなるのでは」など……。こうした疑問や意見を大事にしながら、今後の対応を考えていきたいと思います。
 懇談会が終わってから二人の方から声をかけられました。「いずれにせよ、この合併は悔いを残す」「土壇場に来て一気に盛り上がってきたね」。住民の意識がかわりつつある、そんな感じを持ちました。


2004年02月06日

酪農組合総会

 総会の日は荒れる。昔から酪農仲間の間で言われてきた言葉です。きょうは第49回吉川町酪農組合総会の日でした。やはり、きょうも荒れ模様の天気となりました。もっとも総会をやっていた時間帯はおだやかでしたが……。総会といっても、組合員総数は、乳搾りをやめた私を含めて3人。獣医さんや町役場などの来賓のみなさんを加えても7人という小さな総会です。
 総会の話題はもっぱら市町村合併でした。現在の上越市には酪農組合もなく、酪農組合への補助金もありません。牧場への移送費補助、受精卵移植助成などきめ細かなサービスをやってきた小さなわが町ならではの施策のありがたさをしみじみと感じました。酪農仲間から、「おい、合併なんとかならんか。農協みたいにしてくれんな(しないように)」と言われました。
 私にとっては、今回が最後の酪農組合総会でした。組合員が二桁いたころは、総会には夫婦で参加する仲間が多く、サイレージ品評会もありましたし、総会のあとは懇親会がにぎやかでした。窓の外の雪を気にしながら、エサのくれ方や種牛の良し悪しなどについて大いに語り合ったものでした。あの時の若さはとっくの昔にどこかへいってしまいましたが、いざという時の助け合いの精神は、いまもしっかりと残っています。
 市町村合併が正式に決まった場合には、今年中に第50回の総会を開催することを決めました。その時は一緒にがんばってきた元酪農家も呼んで楽しくやろうと話しています。その日がきた方がいいのか、こない方がいいのか、複雑な気持ちです。


2004年02月05日

いよいよ大事になってきた対等、平等の精神

 「しんぶん赤旗」の日刊紙を早朝配達をしていたら、なつかしい光景を目にしました。ミノボシをかぶって雪掘りをしている姿です。ミノボシそのものは先月、上越市で開催された「雪のくらし展」で見たばかりですが、これをかぶって人間が歩き、仕事をしている姿はほんとうに久しぶりでした。いいもんですね。
 午後からは合併協議会小委員会。新市建設計画の共通事業をめぐって町村部からの不満や不安が高まっていますが、「地域審議会及び地域自治組織小委員会」にもその余波が押し寄せているなと感じました。これまで発言が少なく、上越市の方針にたてつくことはないと見られていたところからも怒りの気持ちが伝わってきました。
 ここまでくると大事なのは対等、平等の精神での話し合いです。上越市議会の合併処理浄化槽の議論で典型的に表れた、「こちらは編入する側だ、町村は編入される側だという意識が薄い」といった感じのものが聞こえてこようものなら、すぐ決裂という事態がやってくるでしょう。合併協議会の幹部の皆さんが、この点をキャッチして一つひとつの協議の場でそそうのないように手を打つことができるかどうか。
 夜は町政レポート作成でパソコンとにらめっこでした。午前中に書いた「新市建設計画の共通事業」についての記事は小委員会で新たな展開があったので全面的に差し替えることに。連載「春よ来い」第6回目は「ウサギの肉」、これもなんとか書き上げました。いやはや、疲れましたわ。


2004年02月04日

集落懇談会は48会場を計画

 昨日の会議の疲れがとれず、一日中、ボーっとした状態で過ごしました。午前は、吉村合併問題特別委員長と議会事務局で集落懇談会の日程づくり(案)をしました。町内に52集落ある中で懇談会を48会場で開催することにしましたが、どこへ、どういう順番で行くか、この単純そうなことが簡単に決まらず昼過ぎまでかかりました。一応、予定としては20日から29日まで3班編成で実施することに。土日に集中させ、日曜日は各班とも4会場をまわります。これを成功させれば、町議会の歴史に残る懇談会になるでしょう。
 集落懇談会とは別に、中学生との間でも市町村合併問題で懇談すべきではないかと吉村委員長と話し合っています。正式には次回の特別委員会で議論しますが、町の将来にかかわる重要問題ですので、子ども参画というまちづくりの原則にもとづいて実施したいと考えています。実施することになると、まだ一度も実施したことのない「中学生との懇談会」です、集落よりもこちらの方がたいへんな感じがします。NHKの週刊こどもニュースの池上アナウンサーから指導してもらいたいなぁ。
 懇談会の構想を練りながら考えたのは、「小さな自治」を合併してもしなくてもしっかり根付かせるにはどうしたらいいのかです。住民自治組織、役場職員の意識改革との機構改革など次々と頭に浮かび、イメージをふくらませました。岩波ブックレットの『どう乗り切るか市町村合併』を再読しました。


2004年02月03日

議会も懇談会開催へ

 きょうは朝から夜まで合併関連の会議が3つも続きました。このうち合併問題特別委員会では、新市の施策や地域自治組織をめぐって活発な話し合いが行われました。頸北町村では、新市建設計画の共通事業絞込みによって予定していた事業が次々とふるいにかけられ、落とされたことが話題になっています。当町では、「森の文化と匠の里」事業と「道の駅」整備事業も駄目になり、共通事業採用件数ゼロ。議員の多くがショックを受けました。
 7日、8日と町側が合併問題で地域懇談会を開催しますが、町議会も独自に懇談会を開催していくことが決まりました。今月の下旬、多くの皆さんから参加してもらえるように、町内でできるだけ細かく開催する予定です。議会が住民との懇談会を開催するのは、昨年2月のまちづくり基本条例懇談会以来1年ぶりのことで、町政史に残る取り組みになるものと思います。
 「私の好きな風景」に「雪がやんで…」を追加しました。ごらんください。


2004年02月02日

村が消える

 イノシシ出没情報の続報です。先月29日に町内で確認されたイノシシの跡を追った猟師たちがいて、大潟町まで追跡したとのこと。しかし、このグループはイノシシを発見できなかったらしい。ところが、今朝になって、未確認ではありますが、すでに大潟町にて捕獲され、肉を食べた者がいるという情報が入ってきました。
 明日の市町村合併特別委員会の運営について、朝から、議長、委員長、そして副委員長の私の3人で打ち合わせをしました。その後、上越市議会合併検討委員会の審議を傍聴してきました。同委員会は合併協議会幹事会にも大きな影響を与えていると言われていますが、議員の定数及び任期の問題や地域協議会、自治基本条例について、合併協議会ではほとんど聞くことのない発言がいくつもあり、参考になりました。
 頸城村の住民組織が、集会の場で見たというビデオ『村が消える』(製作・信州の教育と自治研究所)を借りてきて見ました。市町村合併問題を考えるには格好のビデオです。長野県大岡村や泰阜村など小さな自治体が輝いて見える数々の取り組みが紹介されているほか、「平成の大合併」第1号となった東京都あきるの市の旧五日市町がどうなったかなど、とても分かりやすくまとめてあります。自律の道を歩もうとしている栄村、歳入がいまより30%少なくなってもやっていける道を追求している姿が印象に残りました。


2004年02月01日

「合併問題を考える吉川町住民協議会」発足

 吉川町でも市町村合併問題を考え行動する住民組織ができました。正式名称は「合併問題を考える吉川町住民協議会」(八木孝一代表)です。きょうの会議には、町議4人を含む11人が参加、4時間にわたって市町村合併についてのそれぞれの思いを出し合い、現在の合併協議内容の確認をするとともに、今後の方針について
話し合いました。
 話し合いの中では、「合併協議で何がやられているか、さっぱり見えてこない」「何で編入合併なのか今でも疑問。合併については住民の意思を確認してすすむべきだ」「行政と議会だけで合併協議をやっている感がある。法定協と法定協の間に住民の声を聞く仕組みをつくってもらいたい」「町は説明会をやるということだが、各集落に入って本音を聞いてほしい。農協の二の舞にはしたくない。あのようになると悲惨だ」などの声が相次ぎました。
 同会は、今後の活動として、何よりも合併協議の中身をしっかりつかみ、住民サイドで本音の議論をしていくことが大切であるとして、①合併協議で何が語られているかを住民が知り、意見交換をする機会をつくっていく、②議会特別委員会、検討委員会、そして合併協議会という、いまの合併協議の流れの中に住民の声を反映させる仕組みをつくっていくことなどを確認しました。具体的には、合併協議会全体会、小委員会を積極的に傍聴するとともに、11日午後1時半から多目的集会場で「合併を語る会」を開催することにしました。


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