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2004年01月投稿分

2004年01月31日

まるで失恋した気分

 久しぶりに子牛の鳴き声が聞こえてきます。もちろん、わが家の牛舎からです。きょう、家畜商が3頭の子牛を連れてきました。いずれも、生まれて10日から20日くらいたっています。これで牛舎内の頭数は大小合わせ5頭、がらんとした牛舎にやっと活気が戻ってきました。
 乳搾りをやめて11日たちました。会議が連続していたので、仕事がなくなった感じはしませんが、牛舎内に入ってもエサくれだけだとサッと終わってしまい、やはりさみしくなります。この気持ちは一体何なのでしょう、まるで失恋した時の気分にそっくりなのです。
 そういえば牛乳をもう10日くらい飲んでいません。牛乳は自分の家で搾ったものを持ってきて、沸かして飲む。何十年もこの習慣がついていましたから、どこかで買ってきて飲む、というのには抵抗があるのです。でも、飲みたくなってきました。


2004年01月30日

イノシシ出没

 驚きましたねぇ、イノシシが出たという話には。昨日、町内の三ヵ字でイノシシの姿を見かけたという話は今朝の上越タイムスで初めて知りました。朝から新聞配達でまわっていましたら、地元ではイノシシの話で持ち切りです。体長は1メートルから1.5メートルで、牙があった。雪の中をこざきながら歩いていった。ざっと、こんな話なのですが、私も現場を案内していただきました。足跡を見るかぎり、イノシシであることは疑いなし。雪の中を腹をすりながら歩いていく、その様子を思い浮かべることができる大きな足跡でした。
 ふだんはどこに棲んでいるのか。何を食べて生きているのか。こんな質問をうけたのでネットで調べてみました。イノシシは低山帯から平地にまで棲息していて、主に森林に棲んでいるとのこと。雑食性といいますから何でも食べるんですね。植物の茎、葉、果実、それに昆虫、ミミズ、カエル、ヘビなども食べるそうです。通常春から秋にかけて年1回、一度に4~5頭ほどの子を出産するといいますから、吉川町にはかなりの頭数がいるのかもしれません。
 午後からは頸北議長会主催の正副議長、常任委員長、事務局長の研修会。「議長、副議長、さらには仮議長まで次々と討論に立つことになった。この場合、どうやって議長を決めるのか」「意見書案の発議者が審議当日、欠席した。意見書案提出時に賛成者として名を連ねていた議員に提案理由を説明させることができるか」など具体的な事例をあげて、運営ルールなどをグループで学びました。顔見知りの議員ばかりの集まりなので、ジョークは飛ぶし、本音も出る。とても楽しく有意義な研修会でした。


2004年01月29日

第6回合併協議会

 昨日のように青空がでるほどの天気ではありませんでしたが、きょうも穏やかでいい天気でした。やはり、雪の降らない日の方が落着いていられます。
 午前中は地元の電気屋さんから来てもらい、石油ストーブを入れ換えました。これまで10年以上にわたって使っていたストーブは故障が続いているので、換えることにしましたが、いま財政的に厳しいので換気が必要な安いタイプにしました。牛飼いをしていた昔の仲間から、搾乳をやめたら金の使い方は一桁ダウンさせないといけない、というアドバイスもいただいているので、意識しています。
 午後から第6回上越地域合併協議会がありました。最初に全体会、それから小委員会が2つ続き、延べ4時間の長時間審議となりました。小委員会は全員が集まっても30名ほどです。顔が見えるので話しやすいと感じています。私が所属する小委員会は「自治基本条例」と「地域審議会と地域自治組織」です。このうち「自治基本条例」については、どんな新市にしたいか、そのためには何をすべきかを時間をかけて出し合わないと、めざす基本条例の姿は見えてこないと思います。次回はワークショップをやれればいいのですが……
 これまで町政レポートは毎週木曜日が作成日でした。新年からB4サイズの両面に記事を書こうと決意していますが、水曜日頃から準備しておかないと金曜日の朝に間に合いません。ところが、昨日は農業委員会の新年会で酒を飲み、まともに原稿書きできる状態ではありませんでした。そんなわけで、今晩はどこまで頑張ることができるか。


2004年01月28日

福岡県宗像市議会より視察

 昨日までの荒れ模様がウソのようです。きょうは、雪がやんで青空が広がるいい天気になりました。今年になって尾神岳の写真をぜんぜん撮っていなかったので、さっそく撮りに出かけました。途中、木の枝や民家の屋根に雪がたまり、太陽の光でまぶしく輝いている風景を撮りました。そこには雪がやんだ時のホッとした雰囲気があり、これは、私の好きな風景に掲載したい写真になる、と思いました。尾神岳の写真は、このページの上の方で使いました。もう一枚は近いうちにアップします。
 きょうは、九州からお客さんがみえました。福岡県宗像市議会のみなさんです。宗像市は昨年4月に玄海町と合併したばかりですが、いま、市民参画条例制定にむけて検討中とのことでした。私たちのまちづくり基本条例づくりからヒントがほしいとやってこられたのです。きっかけは昨年7月、川崎市で開催された「条例づくり交流会議」でご一緒させていただいた杉本ひろ子さん、彼女が私たちの取り組みを紹介してくださったのでした。私の川崎での報告を聞いて関心を持ち、わざわざ九州から吉川町まできてくださる、こういうのは最高にうれしいですね。
 今回の視察受け入れのあたり、「さるなし羹(かん)」と「さるなしワイン」を用意しました。「酒の町」にふさわしい特産品として全国発信するいい機会になると思ったからです。最初にワインを試飲していただき、こちらもちょっぴり飲みながら話をさせてもらいました。酒に弱いので、いつもに比べ話の展開に切れがないような気もしたのですが、このワインのおかげでなごやかな雰囲気の中で交流できました。


2004年01月27日

深い議論ができない

 雪、降りやまず。雪が激しく降る中、合併関連の2つの会議がありました。午前は、議会の市町村合併特別委員会、午後からは当町から選出されている合併協議会委員による検討委員会でした。事務事業の調整、小委員会の報告と今後の方針などについて話し合いました。
 きょうの会議で強く感じたのは時間のなさです。事務事業一つとってみても、当町と上越市ではずいぶんと違うものがあります。それらを一つひとつ比較検討する中でどういう調整をしていくべきなのか決めていくべきなのに、その余裕が十分ありません。学校使用事業などいくつかの項目は特別委員会で行政側に質問することができず、午後の検討委員会でやっと質問できたというのが実際の姿です。
 だいたい合併協議会が20日に1回のペースというのはピッチが早すぎます。この間に小委員会もある。自治体間協議ですから、それぞれの自治体に持ち帰って議論するのは当然のことですが、それが落着いてできる状態でないというのはいかがなものか。新市の姿が見えないうちに合併期日を先に決めた影響がここでも出てきています。
 夕方になって、住民から出された「市町村合併の可否について町民の意思の確認を求める請願」が柿崎町議会で不採択となったという情報が入ってきました。ごく当たり前のことを求めた請願が、「議会制民主主義にそぐわない」「個人での請願はいかがなものか」などと発言した人たちによって葬り去られたというのです。情報を寄せてくださった方の話では、これから町民への宣伝を強め、直接請求も考えたいとのことでした。


2004年01月26日

ドカ雪

 そろそろ収まる頃だと思ったらとんでもない雪降りになりました。久々のドカ雪です。朝飯前に一回除雪したものの、降り続いたために昼前にもう一度除雪。さらに、午後からも降り、夕方にいま一度除雪するといった状態でした。
 除雪機を動かした時間は、合計で4時間近くになりました。特に牛舎の周辺の除雪に時間がかかりました。この仕事だけは飼養頭数と関係無しです。牛舎があるということは、小さな学校の体育館を個人で持っているようなもの、降った雪は屋根からドッと落ちてきます。きょうは除雪作業だけで、すっかり疲れました。夕方、コタツのところでゴロリと横になったらすぐにグウグウ……
 ここ数日の降雪で、豪雪の時のことが思い出されました。孟宗竹が音をたてて割れ、昼間だか夜だか判らないほど薄暗い中で雪が降り続く。一日に何度もカンジキで道ふみをする。屋根の雪下ろしを何回もやる。昔は本当によく降りました。雪と闘うイメージが頭にしみ込んでいる者にとっては、きょうの降り方はなつかしく感じられたのではないでしょうか。
 


2004年01月25日

雪が降り続く中で

 二日続けて朝方に強い降雪があり、難儀しました。朝早く牛にエサをくれ、「しんぶん赤旗」日曜版の配達に出ました。昨日中に配達が終わらなかった地域は、ほとんどが山間部で、道路除雪がこれからというところでした。車高の高い軽トラでなく乗用車なら、走るのはおそらく無理だったでしょう。また木戸先の除雪をしてない家も多く、その分、いつもよりたくさん歩きました。
 雪が降り続き、朝7時を過ぎても薄暗いままの天気は、大雪だった昔のくらしのイメージとぴったりです。カンジキをはいて道ふみをしている人がいて、雪の重みで孟宗竹がしなり、雪の中にうもれている。そうした中、一軒の家からスーッと漂ってきたのは味噌汁の匂い。そうです、この匂いでした。朝の雪仕事を終わらせた時にホッとさせてくれたのは。
 きょうは日曜日でしたが、休みだということを忘れるほどいろいろありました。新聞配達に除雪作業、市町村合併の住民運動についての打ち合わせ、そして集落役員の選挙、と続きました。役員選挙の後は、「当選祝い」ということで懇親会もありました。その席で、Mさんが「今朝の折り込み読んだよ。感動した」と言ってくださいました。折り込みというのは、町政レポート最新号です。こういう風に反応があるのが何よりもうれしい。


2004年01月24日

サルナシワイン

 除雪機の出番がない、なんて書くもんじゃないですね。朝起きたら30センチあまりも雪が降り積もっていました。きょうは、「しんぶん赤旗」日刊紙の配達当番だったのですが、途中で除雪してないところがあり、配達時間はいつもより30分ほど長くかかりました。それから、わが家の除雪機の初出動です。車庫前、管理舎周辺、そして家の木戸先など除雪作業は約2時間かかりました。雪のおかげで、きょうの予定はだいぶ狂ってしまいました。
 午後からは「よしかわサルナシワイン発表会」でした。尾神岳周辺に自生しているサルナシに目を付け、特産品づくりをしようと思ったのは源中学校の同窓で2級先輩の、中村睦男さんと吉村一博さん。この二人が呼びかけ人となってできた「よしかわサルナシ会」はこれまで、「さるなし羹」「さるなし饅頭」などを作り続けてきました。今回は第3弾。よしかわの風と香りを一本のボトルに詰め込みました。650キロのサルナシを使ってできたワインは1500本、これが新たな地域づくりへとつながっていけばいいな、と思います。吉村さんたちの夢は、どんどん広がり、ワインの次はサルナシを使った焼酎、酢づくりに挑戦するとのこと、これからが楽しみです。
 ワイン発表会には地元の会員や町議など約40人が集まりました。この中には上越振興事務所長・村山さんの姿もありました。笑顔を浮かべてワインを注ぎにきてくださいましたが、私の中学時代のテニス仲間と付き合いがあり、さらには合併協議会の委員でもあるとのことでした。いやはや、世間は狭い。


2004年01月23日

大潟町で合併協小委員会

 昨晩の予報では平野部でも60センチくらい雪が降るとのことでしたので、除雪機の初出動を覚悟していたのですが、今回もたいしたことがなく安心しました。1月も下旬になるのに除雪機の出番はない、こんな冬はめずらしい。夏場に異常気象がやって来なければいいのですが……。
 午前は「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金、午後からは大潟町で上越地域合併協議会小委員会でした。合併協議会の会議を上越市以外でやるのは今回が初めてです。傍聴席はほぼ満席になりましたが、小委員会は関係町村を順番に回るようにした方がいいかもしれません。
 きょうの小委員会は、「地域審議会及び地域自治組織」と「新市の施策及び事業」の2つ。私が参加した「地域審議会及び地域自治組織」の方は、正副委員長を決めた後、今後どう審議していくかを話し合いました。もう1つの小委員会は、新市建設計画の共通事業のあり方をめぐってかなり突っ込んだ議論になった模様です。


2004年01月22日

想定問答集

 朝早くから家畜商のOさんがやってきて、今後のわが家の牛飼いのあり方について話し合いました。肥育、肥育の元牛づくり、和牛の子とりなど、いろいろなケースが考えられますが、これまでの酪農経営で培ってきた技術を生かすなら、肥育の元牛づくりが一番良さそうだ、という点で一致しました。これは、酪農をやめることを意識し始めてからずっと考えてきたことでもあります。近いうちに、父も交えて最終的な判断をしていきたいと思います。
 きょうはめずらしく会議のまったくない日。父や母から頼まれていた用事を中心に一つひとつこなしていきました。大潟町のある医院へ行ったら、待合室には風邪とおぼしき人がたくさんいました。はやり始めているのかもしれません。用心、用心。
 さて、この度のシステム統合関連議案についてですが、頸北のある議員と話してみて1つの事実が判明しました。出所はどこだか、まだ正確にはわかりませんが、答弁マニュアルといったらいいのか、想定問答集が頸北町村の幹部の間に出回っていたのです。どおりで、あまりにも似通った文言での答弁がでるわけだ。ところがその議員と話をしてなるほどと思ったのですが、マニュアルの文言を意識して答弁しようとすると、かえってうまくいかなくなることがある。そこから矛盾が広がっていったようなのです。考えてみれば、私も原稿を用意して挨拶した時に、どう書いたか思い出そうとしてうまくいかなかったことがあります。それと同じことかな。
 夕方から町政レポートの作成にかかりました。1週間は、あっという間にやってきますね。連載「春よ来い」は今回が4回目、一昨日の「見てある記」を元に原稿を整理しました。字数がほぼ決まっているので、短くするのにかなり時間がかかりました。この原稿は、推敲したうえで、25日の日曜日にホームページに掲載します。


2004年01月21日

反対4、賛成11でシステム統合関連議案議決

 搾乳の仕事がなくなったので、朝の仕事は掃除とエサくれぐらいなもの、あっという間に終わってしまいます。いつもと違う朝仕事にとまどいを感じました。気持ちのうえでなかなか切り換えができないのは父も同じだったようです。妻を柿崎町まで送るために軽トラを走らせていると、牛舎の方にとぼとぼと歩いてくる人の姿が見えました。父です。「朝仕事は俺がやるから、ゆっくり休んでいないや」と声をかけていたのに、やはりいつも通り、牛舎に向かったのでした。
 きょうは臨時議会でした。合併がまだ正式に決まらないのに、新市のシステム統合に着手する予算とその仕事を上越市に委託する議案の審議が行われました。合併協議の全体像がまだ見えないうちに合併期日(目標ではありません)を先に決める、こういうとんでもないことをやるから、おかしな議案が出てくるのです。しかも今回のシステム統合についての最終方針の確認は、関係市町村全体としては事務レベルだけで済ませ、関係首長会議をやっていないことも判明しました。システム統合は最重要課題の1つですが、ひどいですね。
 14市町村の合併についてはまだ固まったわけではありません。上越市やいくつかの町村で住民の意思確認を求める住民運動も起きてきています。途中で離脱する自治体がでないとは言えない。そういう中で、「途中で離脱ということになったら、経費のムダ使いになる。その際の責任は誰がとるのか」との私の質問に、角張町長は、迷いの表情を見せながら、「私ということになると思います」と答えました。また、合併がまだ正式に決まらないのに、新市のシステム統合を理由に個人情報が外部に提供される可能性も高まってきました。審議会での承認が前提となりますが、これも重大です。
 きょうの審議は、町側の答弁調整などで手間取りました。午前9時半から始まった審議は夕方の5時直前までかかりました。今回のシステム統合のやり方については批判が強かっただけに、議会内でも反対は私だけでなく、会派に所属していない3人の議員も反対にまわりました。今回の議案は関係14市町村議会ですべて議決されました。しかし、「住民の意思確認」など慎重な対応を求める動きはますます広がっていく、そんな予感がします。
 夕方、牛舎でエサくれをしていた時、何か変だなと思ったら、長年牛舎に住んでいたネコがいなくなっていました。いつも搾乳が終わる時間帯になると姿をみせ、暖かい牛乳を飲んでいました。もうもらえないということが分かったのでしょうか、牛舎の二階や周辺で何度も呼んでみましたが返事はありませんでした。明日、もう一度さがしてみたいと思います。


2004年01月20日

酪農とお別れです。お世話になりました。

 わが家の酪農の歴史の終わりの日がついに来てしまいました。約40年にわたって乳牛を飼い、乳を搾ってきましたが、きょうの朝の搾乳が最後となりました。二日前、第一陣が牛舎から去り、きょう搾った頭数はわずかに4頭。朝の仕事も40分くらいで終わってしまいました。きょうまで残った牛たちは記念にデジカメで撮りました。カメラを向けたら、何かめずらしい食べ物でもくれるのかと首をすっと伸ばす牛もいました。
 昨日も書いたように、わが家の酪農は父が始めたものです。出稼ぎをやめて冬でも家族みんなで暮らそうと、酪農の知識や技術がほとんどない中で父は挑戦してきました。山間部での酪農は厳しいものがありました。特に冬、牛乳の出荷だけでもどれだけ苦労をしたことか。牧草地を持たないので、野草を刈り、サイロに詰め、田んぼの土手草の乾草を集めました。21年前、山間部から平場に出ても、仕事の中心にはいつも父がいました。私の議員活動を支えてくれたのはこの父です。父さん、長い間、ご苦労さんでした。
 これまで三桁の牛たちと別れてきましたので、私は、牛たちを家畜商の車に乗せて別れるのには慣れています。家畜商が午後3時ころにやってきて、牛たちを連れて行くということでした。しかし、きょうはその場面にいるのがいやで、役場での会議が終わってもすぐ家に戻る気がしません。少し遅くなってから牛舎へ向かいました。そうしたら下町の信号機の近くで見えたのです、わが家の牛たちを乗せた家畜商の車が走っていくのが。心の中で「ごめんな」と言いました。
 牛舎の中には、乳牛はもう2頭だけです。3月にお産をするこの牛たちは、乾乳中(お産を前にして乳搾りを休むこと)で、まだ行き先が決まっていません。私がそばに行ったら、2頭とも私の顔をじっと見つめ、「みんな、どこへ行ったの」と聞きたそうな目をしています。この牛たちはできるだけ長くおいてやろう、そう思いました。
 きょうは、何人もの人たちに搾乳をやめた話をしました。夕方、市町村合併の資料をもらうために大潟町に向かいました。途中で、トラクターに乗って仕事をしているTさんに会いました。Tさんは、長年、酪農仲間として付き合いをしてきた人です。「俺、きょうの朝で搾乳やめたんだわ」と言うと、「しかたないさ、ご苦労さんだったね」という言葉が返ってきました。酪農をやめた人たちから、「やめた時には涙が出るよ」と聞かされていたのですが、私は、朝から涙は一粒も出ませんでした。ところが、軽トラックに乗って走り出したら、もう駄目、涙がぼろぼろと出てきて、止まりません。これまでお世話になってきた仲間たちの顔が次々と浮かんできたのです。
 私が牛舎で倒れた時、すぐに駆けつけてくれ仕事を手伝ってくれたNさんとIさん。町議選の時に「乳を搾っていたんでは危ない」と遠く大和町から泊りがけで応援に来てくれたYさん。牛が死んでがっかりしていたら香典とろうそくをもってきて励ましてくれたKさんなど…。私の酪農は議員活動と二束わらじをはいた中でのものでしたので、いい成績も残せませんでしたが、酪農仲間や獣医さん、農協の営農担当のみなさんなど大勢の人たちに助けられ、人のやさしさをいっぱいもらったことが最大の財産となりました。お世話になった方々に心から御礼申し上げます。たいへんお世話になりました。ありがとうございました。


2004年01月19日

大会代議員の報告で元気に

 何となく落ち着かない一日でした。理由は一つ、明日で搾乳の仕事をやめるからです。私が中学2年生の時に、父が始めたわが家の酪農の歴史は明日で終わり、明後日からは単なる畜産農家になります。朝晩の搾乳から解放され、ホッとするにちがいない。そう思っていたのに、こんなにも気が重くなるとは思いませんでした。
 2年ほど前から乳牛の更新を中止して、老牛の淘汰などで頭数を減らしてきましたが、ここに来て毎日の生産乳量がバルククーラー(搾った牛乳を冷やす機械)の限界点まで落ち込みました。県酪連の集乳車が来たあと、一回目の搾乳時に攪拌棒の羽が牛乳にあたらないところまで落ち込んでしまったのです。
 入院中の農業委員会会長に、「明日で搾乳やめるんだわ」と言ったら、まだその時はこないと思っていたらしく、驚いた表情をされました。きょうは、町産業課、農協の堆肥センターなどにも搾乳をやめる連絡をしましたが、何か、転勤の挨拶をしに行ったみたいな気分でした。
 夜は支部会議。党大会に参加した頸城村の上野法子さんから大会の模様を伝えてもらいました。大会の始まりから5日間、どんなことが議論され、どんな雰囲気だったか。代議員席がせまく、トイレにいくにもたいへんだとか、新潟市議の渋谷明治さんがまたもやタスキをかけて爆笑をよぶ発言をしたなど、じつに生き生きと報告してもらいました。青年の発言や不破議長の結語に感動したという話もよかった。おかげで昼間のもやもやした気分が吹き飛び、元気が出てきました。


2004年01月18日

頸城村でも住民組織立ち上げ

 上越市の第5次総合計画をめぐりシンポジウムがあり、参加してきました。目的は前段で基調講演をした前中央大学教授・辻山幸宣さんに会い、話を聞くことでした。辻山さんとは7月に開催された市民立法機構主催の「市民と議員の条例づくり交流会議」以来の再会です。地方自治を100年という長さの中で歴史的に振り返りながら、辻山さんは、今日の自治のあり方を提示しました。経営を考える、自分たちで将来を決める、自治体でルールを決める。これらの視点はとても参考になりました。興味深かったのは、自治の単位を明治時代の村(現在の字)に求め、そこでの議論、計画作りを基本にジクソウパズルのようにして市全体の計画をつくっていく手法です。これはすでに吉川町の総合計画づくりでやってきたことです。
 夕方、民主商工会の新年会で酔っ払っていたら、頸城村の議員から電話がありました。きょう、頸城村で「合併を考える住民の会」を41人の参加で立ち上げたというのです。頸北では一番取り組みが遅れるかなと思っていたのですが、先を越されてしまいました。同会では近々、チラシを作成して全戸配布するとともに、村民集会を開催するとのこと。さらには住民投票の直接請求に着手することを申し合わせ、参加者が署名集めの受任者になることも確認したといいます。すごいニュースでした。
 話はがらりと変わります。昨日、妻からプレゼントをしてもらいました。プレゼントの品は男性用タイツです。これまでズボンの下は真冬でもパンツ一枚だったのですが、ここにきて、腿(もも)がザワザワすることが多くなってきていました。たぶん、年のせいでしょうね。タイツをはくと、確かに暖かい。でも、これをはいた時のかっこうはいいものではありません。太って、お腹がでている男がタイツをはくとどうなるか。まるでプロレスラーそっくりなのです。こうなったらしょうがない、ボブ・サッブに挑戦状でも送りましょうか。
 『春よ来い』の第3回「捨てるものがない社会」と「議員提案によるまちづくり基本条例づくりはなぜ成功したか」(『地方自治職員研修』2004年1月号所収)をアップしました。


2004年01月17日

雪投げは楽しい

 暴風雪も止み、青空も見えるいい天気になりました。午前に家畜商や近隣町村議員と会うことになり、「しんぶん赤旗」日曜版配達のスタートは大幅に遅れました。それでも夕方までに、あと数部のところまでいきました。昼はコメ粉パンを食べ、休憩無しでがんばった結果です。
 途中、日曜版読者の子どもさん二人が雪で遊んでいるのに出会いました。一人はボールのかわりに雪を投げ、もう一人はバッター役です。あまりにも面白そうなので、私もちょっとだけ仲間に入れてもらいました。雪を固めてストライクゾーンめがけて投げる。それだけのことですが、けっこう楽しい遊びです。
 たまにはのんびりとした時間をすごしたい。夜は、テレビで『釣りバカ日誌』を見ました。ハマちゃんとスウさんの息のあった演技に感心したり、笑ったり。映画だから建設不況も関係なし。仕事らしい仕事ができず、普段は会社の歯車にもなれない。ところが「潤滑油」として欠かせない存在で、いざという時に貴重な役割を果たすこともある。こんなハマちゃんを見ているとホッとします。


2004年01月16日

書いて横になり、起きて書く

 昨日は夜までフル回転しました。そのおかげというか、そのせいというか疲れが出て町政レポートの作成が思うように進みませんでした。少し原稿を書くと眠くなる、ちょっと横になり再び原稿を書く。こんなことを繰り返していたら、午後2時過ぎまでかかってしまいました。書いた内容は、議会の合併特別委員会の動きを中心にしましたが、昨日の合併協議会のことについてもちょっぴりふれました。「春よ来い」も第3回をなんとか書きました。いずれも18日にホームページに掲載します。
 原稿を書き上げて、さあ印刷という時になって大事なことを忘れていたことに気付きました。印刷する部屋を暖めるのをすっかり忘れていたのです。試しに印刷してみたけれどインクの色が薄く駄目、結局印刷までに30分近くかかってしまいました。
それでも、きょうは時間的には短くすることができたと思っています。以前なら、冷え切った部屋を暖め、印刷できるようにするまでに軽く1時間は要したはずですが、最近、対策を確立することができました。ストーブで部屋を暖める、これは誰でもやりますね。これに加えて、除湿機を印刷機のそばで運転する。こうすると、急に室温を上げたことにより印刷機のガラスの部分が曇るのを防ぐことことができます。お試し下さい。
 夜は早めに寝ることにしました。明日は一日中、「しんぶん赤旗」日曜版の配達です。


2004年01月15日

第5回合併協議会

 昨日の強風は雪をどこまで運んだのでしょうか。午前に母に頼まれた用事で山間地の大島村まで出かけてきたのですが、積雪量は平場と大差はありませんでした。ただ、道路には圧雪がありましたので、スピードは出すことができません。いつもよりだいぶ時間がかかりました。
 午後からは第5回合併協議会でした。注目の情報システム統合については、柿崎町の小関議員が協議終了後のその他の中で質問をおこない、私と大潟町の内山議員が続きました。情報システム統合の基本方針については、調査報告書を受けて事務レベルで自然に(?)きめたようで、14市町村の首長が方針を確認した様子もありませんでした。重要問題の扱いとしては、あまりにも「丁寧」なので驚いてしまいました。
 夕方の搾乳が終わってから、「住民とともに合併を考える頸北議員の会」のチラシをわが家で印刷しました。小関会長など何人も手伝いに来てくれ、1万枚を超えるチラシをおしゃべりしながら印刷し終えました。党外のいろんな思想を持った議員さんたちとわが家でこうした作業をするのは初めてでした。同じ目標に向かって党派を超えて力を合わせるのは、とても気持ちがいいものです。


2004年01月14日

大荒れの中で

 猛烈な吹雪となりました。明日まで続くといいます。朝5時過ぎに起きて「しんぶん赤旗」日刊紙の配達に出たのですが、雪が車の正面から吹きつけ、前がほとんど見えない、そんなことが何度もありました。雪の量が少なくても、こうして吹雪かれると切なくなります。きょうは、一日中、大荒れの天気でした。
 さて、きょうは午前、午後と合併関連の会議でした。午前中開催された市町村合併特別委員会で町側は、住民説明会を2月上旬に開催することを明らかにしました。会場は源、吉川、旭の3地区でそれぞれ1箇所だそうです。「エエッ」と思ったのは、町側が住民説明会の場で住民の合併に対する意思確認をしていくとして、住民投票なりアンケートによる意思確認について言及しなかったことです。12月議会では、住民から出された「市町村合併について十分な説明と住民の意思確認を求める請願」が全会一致で採択されていましたので、行政が今後どうでるか注目されていました。
 午後の検討委員会(吉川町の法定協委員による対策会議)でも、注目すべきことがいろいろありました。新市建設計画の基本をめぐる議論の中では、地域事業の事業費配分にあたっての方程式が話題に上りました。新市が誕生すれば、新市の旧町村のどこに住もうとも格差が生じるようなことがあってはなりません。ところが、そんなことよりも各町村にどれだけ貯金や借金があるかが問題にされている。こりゃ、おかしいぞ、という声が相次ぎました。
 昼休みにある家畜商が訪ねてきました。肉牛として出す牛がいないか、という打診です。アメリカでBSEが発生し、日本がアメリカ産の牛肉を輸入しなくなったことから市場での肉が足りなくなり、肉相場は急騰しているようです。


2004年01月13日

第23回党大会

 便利になったものです。党大会の模様を衛星通信テレビでも、インターネットでも生放送で見ることができるのですから。どちらにしようか迷ったのですが、地区委員会で仲間の皆さんとテレビでみることにしました。
 日本共産党の今回の党大会は、21世紀に入って初めてです。注目は何といっても綱領改定です。不破議長が約2時間半にわたって改定について報告していました。世界情勢のところでは、2つの体制の共存が新たな展開を見せつつあるとの指摘が新鮮でした。また社会主義・共産主義のところでは、レーニンに由来する国際的な〝定説〟の全面的な検討や「生産手段の社会化」の問題での言及が興味深く、来賓として大会に出席している外国の党の皆さんがどう受け止めたか知りたくなりました。
 夜は、「住民とともに合併を考える頸北議員の会」の宣伝チラシの件で同僚議員のところを訪問し、一緒に作成作業にあたりました。


2004年01月12日

おまけの休み

 珍しい来客がありました。郷土史研究者のKさんです。久々にお会いしたので、お互いに近況を報告しあいました。市町村合併と文化財、史資料の話について、Kさんから教えていただきました。文化財などはできるだけ係わりのある地域で管理できるようにした方がいい、という話はとても参考になりました。
 きょうは成人の日ということですが、私にとっては、おまけの休みの日。ここしばらくたまった原稿の整理やホームページの更新作業などをやることができました。この間から書き始めた新しい随想シリーズ〝春よ来い〟、まだ手直ししたい気持ちもありますが、写真エッセイと同じく掲載後もどんどん直していくことにして、これもアップしました。
 夜は、「住民とともに合併を考える頸北議員の会」の宣伝チラシ用に寄せられた原稿の入力、整理をしました。数日中に会のチラシ作成チームに集まってもらい、レイアウトから校正、印刷まで一気にやってしまおうと思っていますが、普段、個人プレーでチラシを作成しているので、どうなるかちょっと心配です。


2004年01月11日

内省不疚

 地元集落主催で小正月行事の1つ、〝サイの神〟がおこなわれました。きょうは風が強く、最悪の条件でした。わが家では餅はすでに食べ終わり、スルメもなかったので、畑で作ったトロロイモ(正式名称を忘れました)を持って行きました。このイモは普通するか、煮て食べますが、焼いて食べるのは初めて。焼きあがったイモを口に入れたら、味はあっさりしていて、ほくほくした感じです。面白い味だったのでみんなに振舞いました。
 正月早々にブックサービスで注文しておいた本が到着しました。宮部みゆきの「平成お徒歩日記」と福島県矢祭町長・根本良一さん等が編集した「『内省不疚』の心でまちをつくる」です。このうち後者はすぐに読み始めました。合併しないでまちづくりをするためにはどうしたらいいのかを学びたい、と思っていたからです。内省不疚とは、「我を省みてやましさがなければ、人は心配することも恐れることもない」という意味だそうです。中学3年生全員を対象にした海外派遣事業の取り組みといい、役場本庁舎内の職員63名全員に出納員辞令を交付し、職員の自宅を「出張役場」にする取り組みといい、まちづくりは未来を見据え、きめ細かい。
 2年ほど前にNHKの討論番組で総務大臣とやりあう根本さんを見ましたが、この人には「内省不疚」という言葉がぴったりです。ひとつの自治体をあずかる者として哲学があり、国に対しては堂々とものを言う。この姿勢がいいですね。この本を読んで思い出したのは、日本共産党兵庫県議の筒井基二さん。筒井さんと根本町長さんには漢詩がお好きなところや国に対する姿勢など共通点がいくつもあると思いました。


2004年01月10日

昔は行火の入ったコタツで

 きょうから新潟日報紙に時代小説『天地人』の連載がはじまりました。新潟県出身の作家、火坂雅志さんが上杉謙信、直江兼続、真田幸村をどう描いてくれるのか、上越を舞台にどんなドラマを展開してくださるのか楽しみです。連載スタートを記念して火坂さんの講演があるというので聞きに行ってきました。着物姿で登場した火坂さんは、まじめな方で、どちらかと言えば史実に基づいた話を中心にされました。物語に登場する人物像やエピソードをたっぷり聞けるものと思っていたのですが、それらは小説の展開を待つしかなさそうです。
 講演が終わってから、上越市立博物館へ行き、「昔のくらし展」を見てきました。民俗資料で私がひかれるのは、雪の中でのくらしで使った数々の用具などです。へこんだコタツの網、六角提灯、コタツの行火(あんか)など懐かしいものがいくつも展示されていました。一緒に行った友人は、「六角提灯を持って寒い冬に風呂もらいに行ったことがある」「寝小便で濡らした布団をこの行火の入ったコタツで乾かそうとするもんだから、小便臭かったこて」などと思い出を語ってくれました。
 上越市高田の商店街が雪で埋まった写真をこれまで何回も見てきましたが、撮った人が著名なカメラマン、濱谷浩であることを「昔のくらし展」で初めて知りました。雪との闘い、雪の中のくらしを撮った作品はいずれも貴重な記録写真です。彼と上越との係わりをネットで調べたら、桑取などで取材を続けて『雪国』『裏日本』などの写真集を出しているも知りました。東京生まれとは思えないほど、雪国の人々のくらしにとけ込み、いい写真を撮れた。そこにどんな物語があったのか、もっと知りたくなりました。


2004年01月09日

東頸城郡の議員からも電話が

 電算システム統合関連の臨時議会を前に関係議会議員の間で疑問の声が広がっています。最大の疑問は、合併が正式に決まっていない今の段階でなぜ予算計上しなければならないのか。きょうは、朝の搾乳前に東頚城郡のある議員から電話がありました。このまま、賛成してよいものか迷っている。よその議会はどうしているか。次々と質問され、その真剣さに驚きました。
 昨晩の新年会のお酒がききすぎて、町政レポートの作成は昼過ぎまでかかりました。前号に続いて、表だけでなく裏面も書きました。「春よ来い」の第2回は、「忘れられない元日」というタイトルで思い出を書いてみました。それに「しんぶん赤旗」日曜版の記事の紹介もしてみました。なるべく大勢の方に読んでもらいたい、そういう記事をコンパクトに紹介するってなかなか難しいものですね。
 夜は「住民とともに合併を考える頸北議員の会」(代表、小関信夫柿崎町議)でした。今晩は19人が集まりました。自己紹介で、合併のいまの動きについて思いを語ってもらい本題へ。合併問題でいま一番やりたいことは何か、ワークショップ方式で約3時間意見交換しました。正確な合併情報の共有と住民意思の確認を進めるためにどうしたらいいか、電算システム統合関連の臨時議会にどうのぞむか、とてもいい雰囲気で話し合うことができました。会として宣伝チラシを作成するためにプロジェクトチームを発足させることも決まりました。
 


2004年01月08日

3つ目の新年会

 近隣の町村議員から電算システム統合に関する資料を見せてもらいました。「市町村合併に伴うシステム統合計画」の最終報告が12月25日に出ていて、統合作業、経費の詳細も明らかになりました。合併期日を平成17年1月1日とし、それまでにシステムの統合をどう完結させるか、ということが軸になっています。読んでみて、あらためて感じたのは、正式に合併を決める前から多額の税金を使って作業を進める不自然さです。なぜ、「情報システムの統合に関しては、合併決定の時点から十分な検討期間を設け、起こりうる問題点を事前に洗い出し、対応方法を取り決めていくことが合併後の混乱を回避するために必要」(日立総合計画研究所)という当たり前の立場に立てないのでしょうか。
 夕方の搾乳を早めに終わらせ、産業課・農業委員会職員合同の新年会に参加してきました。臨時職員の人たちを含め、役場の1つの課の職員全員と一緒に飲むのはこの新年会だけです。農業委員会の会長職務代理をやらせていただいているおかげで仲間にさせてもらっていますが、農業振興の最前線のことや吉川町にやってくる棚田などオーナーのみなさんのこと、市町村合併の事務事業の調整などについてたくさん話を聞くことができました。楽しくお酒を飲めたので、調子に乗って二次会にも参加し、「花…?」という歌を歌ってきました。新年会はこれで3つ目、今月は少なくとも、もう2つあります。次回は静かに飲もう。


2004年01月07日

二百年の子供

 昨日、きょうと新潟日報紙に大江健三郎氏へのインタビュー記事が掲載されました。若い人向けに書いた本の第3弾、『二百年の子供』についてのインタビューですが、なかなか面白い。例えば、日本の近代は、いまから150年くらい前からはじまり、まだ終わっていないという指摘。日本では、個人として完全に自立して世界的な仕事に参加していく人は少なく、ヨーロッパの市民と比べると遅れているという大江氏の発言はうなづけます。それから、敵も味方もはっきり分かる言葉で表現することが大切で、小泉首相は「言葉のごまかし」の典型だという話も面白く、よく理解できます。また、読みたい本が1冊増えました。
 町役場で上越市の「合併問題を考える会」の代表、高野誠さんに会いました。仕事の関係できておられたのですが、30分くらい話をすることができました。いよいよ、上越市で市町村合併での住民の意思を問う住民投票実施を求める直接請求をはじめるとのことでした。高野さんの話によれば、選挙管理委員会で一定の「レクチャー」を受け、どういう手順で何をしたらいいのか勉強されたといいます。また、住民投票条例案も各地のものを参考にして自分で作ったと言っておられました。とにかく真面目で、一生懸命。とても感じのいい人です。
 きょうは、パソコンの周辺機器の1つがトラブルを起こし、メールなどの送受信ができなくなりました。いま、こうして「見てある記」を書いていられるのは、長男が夜遅くまでかかって応急措置をしてくれたおかげです。いったん便利さを味わってしまうと、トラブル時は本当に不便です。こういう時にかぎって、インターネットで調べたいことが出たり、メールを使う用事があったりしますから。それにしても、パソコン関連の機器について、もう少し勉強しておかないといけない、そう感じた一日でした。
 「私の好きな風景」に一枚追加しました。ごらんください。
 


2004年01月06日

少雪ぼけになりそう

 朝、うっすらと雪が降りました。山間部でも5センチくらいなもんでしょう、この降り方ならば。暖冬のおかげでまだ除雪機は一回も使っていません。じつは、試運転すらしていないのです。雪のない日が長く続いたので、長期予報で雪だるまのマークが出ても、「たいして降らんだろう」と決め込むようになってしまいました。
 今週は新年会や会議が続くので、朝の段階では、「きょうは原稿を書く日にしよう。さもないと、町政レポートは作れない」と決意していたのですが、どうも、いまひとつ気が乗りません。新聞や本を読む。テレビを見る。けれども、原稿書きの方はさっぱり。毎年、新年最初の町政レポート作成は、記事にしたくなるようなニュースが乏しく、苦しみます。
 年末に購入した中野民夫の『ファシリテーション革命』(岩波アクティブ新書)は期待したとおりのすばらしい本でした。最近、ずっと考えていたことの1つは、「会議をもっと楽しくしたい。参加者が学び合い、成長し合い、それぞれの持てる力を出し合って何かを創造していく会議にしていきたい」ということでした。日本共産党の支部会議を含め、会議のやり方をもっと改善していく力をつけたいと思っていたのです。「参加型の場づくりの技法」という副題が付いたこの本にはヒントがいくつもありました。実践しながら、繰り返し読んでいこうと思います。
 映画「ザ・ラスト・サムライ」のタカ役の女性は日系アメリカ人かと思ったら、日本の俳優さんでした。名前は「小雪」。とても存在感のある演技をする人で、この先、ぐんぐんと伸びていく気がします。きょうも、テレビドラマで家庭教師役をやっていましたが、彼女の豊かで、人間味あふれる表情がいい。


2004年01月05日

役所は仕事始め

 役所は仕事始め。牛飼いに比べれば4日も遅い仕事始めです。これは仕事の中身が違うのだからしょうがないことだとはいえ、うらやましい。私の方もきょうから始めたことがあります。それは生活相談です。年明けにしましょう、と言っていた農地相談など3件の相談で動き回りました。
 午前11時から町内団体長会議主催の賀詞交換会がありました。数年前からお茶とつまみ?だけになりましたが、新年の挨拶を交わすのが目的ならこれで充分です。各界幹部の「新年は町の歴史にとって特別な年になる」といった趣旨の発言は市町村合併を前提にしたものですが、合併する、しないにかかわらず、「特別な年になる」ことは確かです。町の将来がかかった一年がはじまる。そういう気持ちでこの一年を大事にしていきたいと思います。
 賀詞交換会が終わってから、町商工会の新年会に初めて参加しました。こちらは酒が出ます。ふだん、商工業者と個人的に酒を飲むことはあるものの、商工会のこうした会で大勢の人たちと一緒に飲み、語るのは、20数年の議員生活の中でも初めてのことです。町内の業者の皆さんの仕事はどうなっているか、市町村合併問題をどう考えているかなどについて、一人ひとりにお酒をつぎながら聞きました。これまで一度も話をしたことのない会員さんもあり、とても勉強になりました。市町村合併にたいする不安や心配は、予想以上に広がっていますね。


2004年01月04日

ザ・ラスト・サムライ

 妻と一緒に映画を観てきました。いま話題のザ・ラスト・サムライです。明治初期の日本を舞台にした物語ですが、アメリカ映画として制作されているので、日本をどう描いているのか、とても興味がありました。帰りの車の中で妻と語り合ったことの1つは、日本の政治が力のあるところに弱いのは、近代化の初期の段階に原点があったのではないか、ということでした。もっとも映画では、外国からの圧力と模倣によってのみ日本の近代化が進められたのではなく、文化や伝統を大切にした動きが底流にあったことを強調したかったようですが。
 文化や伝統を大切にした動きの典型として描かれたのは、サムライ精神とか武士道に生きた勝元(渡辺謙が演じていた)たちでした。渡辺謙の好演に引き込まれ、無意識のうちに官軍の圧倒的な武力に負けるなと勝元派を応援してしまいました。すごかったのは戦闘シーンです。日本映画に勝るとも劣らない迫力を感じました。それと気になったのは勝元の弟の嫁さん・タカです。私は山本周五郎の文学に出てくる女性が好きなのですが、タカにも共通した芯の強さがありました。それにしてもタカを演じた女優さんは誰だったのでしょうか。


2004年01月03日

ちょっとは親孝行したかな

 妻の実家への新年の挨拶は小正月に、と決めていたものですが、近年は祝祭日の変更ですっかり調子がくるってしまいました。小正月行事と同じく、その年によって日がずれるようになってしまったのです。11日の日曜日には私の集落で「サイの神」をやるというので、きょうは、柏崎市にある妻の実家へ行ってきました。こちらからは、私と妻、それと、都合がつかなかった長女をのぞく子どもたち二人も一緒です。
 義父は80歳を超え、義母も80歳一歩手前です。二人とも元気ではありますが、足が悪くなってきていて、昔のようには体が動きません。こちらからも寿司を買って持ち込み、おせち料理や寿司を食べ、ビールを飲みながら楽しいひと時をすごしてきました。きょうは、「食べたネギの中にナメクジが入っていた」話や「年をとったら、大きい家で住むよりマイクロバスくらいの大きさの車であちこち旅をする暮らしがいい」などといった話が次から次へと出て、びっくりしたり、大笑いしたり……。あっという間に帰りの時間となってしまいました。
 帰りしなに、義父が、「ああ、いい正月だった。おもしろかった」と言いました。わずか4時間でしかなかったのに、これほど喜んでくれたのは、子どもや孫を囲んでのおしゃべりがとても気に入ったこともあったでしょう。しかし、それだけではない気がしました。ふだん、大勢のなかで世間話をすることがなくなっているのではないか、という感じがしました。親孝行というのは、あまり面倒なことを考えずに、「また、顔見せに来いや」という老父母の言葉にさっと応えることかもしれません。


2004年01月02日

昔の「ごっつお」

 新年を迎え、これまでお世話になった人、これからお世話になる人へ送る言葉は、「おめでとうございます」と「本年もよろしくお願いします」。きょうは親戚への新年の挨拶回りでした。単なる儀礼だという人もいますが、私のように毎日をばたばたと過ごしている者にとっては、親戚と交流する大事な場です。
 山間部に住む伯母の家では、12月議会での私の一般質問を有線放送で二度も聞いたとか、先日の日曜版に折り込んだ「町政レポート」の随想がどうだったかなどといった話をゆっくりと聞くことができました。それに、伯母が正月用に作ったご馳走もいただきました。「これは、おまんがこの間のチラシに書いた『昔のごっつお』だでも、食べてくんない」といって出してくれた料理は、昆布巻きや天ぷらなど。これらの中でめずらしいと思ったのは、りんごの天ぷらです。誰がはじめて作ったのか知りませんが、なかなかおもしろい味でした。
 親戚の挨拶回りは酒を飲むことがありませんので、家に戻ってからはパソコンに向かい、正月休みにやっておきたいと思った原稿書きのうち3本を書き上げました。この勢いで明日ももう1本原稿を書くか、それともこの間から読みたいと思っていた中野民夫の『ファシリテーション革命』(岩波アクティブ新書)を読むか。正月休みはやりたいことだらけです。
 ところでおもしろい情報をひとつ紹介しましょう。私が毎日見ているホームページの1つに隣の頸城村出身の法政大学教授・五十嵐仁さんの「転生仁語」があります。きょう付けのものには、わが町の尾神岳に登ったことが書かれています。ぜひご覧ください。


2004年01月01日

新年おめでとうございます

 年を越して新しい年を迎えました。雪もなくとてもすごしやすい元旦です。
 今年は参議院選挙あり、そして市町村合併問題が大詰めを迎えます。たいへんな一年になると予想されますが、無理をせず、精一杯がんばっていきたいと思います。
 どうか本年もよろしくお願いします。
 元旦のきょうは、朝9時から恒例の地元集落新年会、それが終わってからはお寺参りと続きました。お酒が出るので、車で行動するのはご法度です。車は駄目ですが、きょうは冬とは思えないほど暖かく、家にじっとしているのもおもしろくありません。それで、久しぶりに歩いてみることにしました。
 歩いて驚いたのは、この時期に野の花が咲いていることでした。黄色いタンポポをいくつも見ることができましたし、紫色のスミレもわずか一つでしたが咲いていました。歩く時には、花をさがすクセがついている私です。まさかとは思いましたが、こうして野の花が咲いているのを見ると、うれしくなりますね。やはり暖冬なのでしょうか。


2004年01月投稿分

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