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2003年12月投稿分

2003年12月31日

世界で一つだけの花

 きょうは大晦日。あっという間に一年が過ぎた感じがします。午前中に銀行や郵便局などをまわり、午後から、やっと掃除、片付けをはじめました。私の主な仕事は書類整理です。保存するものと保存しないものに分ける、それから保存しないものを「一般ごみ」と「資源ごみ」に分ける、こういったことを4時間ほどやりました。これらをやっただけでも、「ごみの集積場」のような部屋がずいぶん片付きました。
 書類を「資源ごみ」にするうえで一番やっかいだったのは、ホッチキスで綴じてあるものです。1つひとつホッチキスの針をとる、この作業に時間がかかりました。ごみ対策を頭に入れて書類を綴じるいい方法はないものでしょうか。登記申請書のように、紙でできた「こより」で綴じるといったふうに。
 テレビをみながら夕飯を食べました。日本レコード大賞の番組とNHKの紅白歌合戦をみて思ったのは、私が聴いたこともない歌が多いということです。まあ、ほとんど歌番組をみていませんから当然といえば当然でしょう。それでも元々大好きな香西かおりの「無言坂」や森山良子らの「涙そうそう」だけじゃなく、ほかの歌にも素敵な歌詞がいっぱいありますね。
 年末になって初めてSMAPの歌だと知った「世界で一つだけの花」。NO1にならなくていい、自分ならではの素敵な花を咲かせたい。この思いは多くの人の心をとらえてます。もちろん、私もその一人です。自信をなくしたり弱気になった時には、この歌から元気をもらい、がんばりたいと思います。
 「ホーセの見てある記」は7月27日にスタートして、きょうで156回目になりました。深く考えないで見たこと聞いたことを短時間で書く。そういうやり方だけに、読み直してみると恥ずかしくなる文章ばかりですが、このスタイルで来年も書き続けるつもりです。読んでくださったみなさん、一年間ありがとうございました。


2003年12月30日

ラストスパート

 とうとう徹夜してしまいました。テレビを見ながら年賀状書きを続けました。一区切りついたのは朝の4時。年賀はがきがなくなってしまったからです。それから、「しんぶん赤旗」日刊紙の配達にでかけ、ついでに足りなくなった年賀はがきを購入してきました。家について、直ちに印刷、宛名書きを再開しました。こうしてがんばったので、今回は近いところへは、元旦に私の年賀状が届くでしょう。
 日中は精米をしたり、お世話になったところへ挨拶に行ったりしてきました。このうち大潟町のA議員のところへは、町政レポートの一年分をまとめたものを届けてきました。これは毎年恒例となっています。A議員とは所属党派が違いますが、「議会報告仲間」でお互いに情報交換しています。きょうは、お茶をごちそうになりながら、後援会員からも議会報告の作成に参加してもらっている経験などを聞いてきました。
 「しんぶん赤旗」の集金はあと6件というところまで到達しました。残りはなかなか会えない人ばかり。明日の大晦日には会えるものと期待しています。もうひとふんばりです。


2003年12月29日

年賀状書き

 正月早々に商業紙に折り込む町政レポートと年賀はがきの印刷をしました。町政レポートはすでに「しんぶん赤旗」日曜版に折り込んだものを修正したもので、裏面は最新版の「町政10大ニュース」と「春よ来い」になりました。
 年末は金の整理で追われます。農機具屋さんなどまだ支払いしてなかったところへお金を届ける、赤旗の集金をする。こういったことが31日まで続きます。家の中の片付け、掃除をやれるのはいつになるか。いまの調子だと新年になってからとなりそうです。
 夜、やっと年賀状書きをはじめました。約200枚の宛名書きを終えて郵便局へ持っていけるのは、早くて明日の午前中というところでしょうか。妻が「そろそろパソコンで宛名を書いたら」とすすめるのですが、私はその気になれません。せめて宛名だけは、という気持ちで、下手なりに筆を使っています。


2003年12月28日

除雪車が来ました

 夜は大したことがなかったのに、朝から昼にかけて雪が降り続け、とうとうわが家のそばの道にも除雪車がやってきました。降雪量は10センチくらいになったでしょうか。一時はどうなるかと心配しましたが、この雪、根雪になるつもりはないらしく、午後には降り止み、青空が広がりました。
 きょうは、昨日に引き続き、「しんぶん赤旗」の配達、集金でした。午前9時半過ぎにはじめて、11時半ころには山間部へ。まだ除雪をしてない県道は圧雪ができ、すべりやすい状態でした。愛する軽トラものろのろ運転を強いられ、今冬初のスリップも経験しました。
 このホームページのトップに掲載する尾神岳の写真は、新年から、これまでより低い場所で撮影したものにする予定でいます。思いがけない雪とその後の青空を見て、新聞配達の途中でデジカメを取りに戻りました。まずまずの写真が撮れましたが、これは2004年になった時点で現在のものと入れ替えます。
 新しく尾神岳を撮る場所は、これまで同様、田んぼと尾神岳が入るように考え、選びました。ただ、これまでと違うのは、田んぼのすぐそばである点です。田植えから刈り取りまでの稲の生長をご覧いただけるものと思います。
 夜は、昨日書いた「春よ来い」の第1回の手直しをしました。繰り返し読んだら、文章の構成が気になり、思い切って変えてみることに。また表現のおかしなところも何ヶ所か見つけました。ばたばたと書いた文はだめなものですね。ホームページに載せるまでにはまだ数日かかるかもしれません。


2003年12月27日

春よ来い

 朝、外を見たら真っ白。雪が平野部まで降りてきたのはこれで2回目となります。朝5時に起きて、町政レポートの裏面の作成にかかりました。昨日から準備してきた「2003年の町政10大ニュース」に加えて新連載「春よ来い」(随想)の第1回をなんとか書き上げました。
 随想の「春よ来い」というタイトルは童謡などにもありますが、いまの経済などの厳しい状況を抜け出したい、という気持ちを込めました。町政レポートには、政治的なことばかりでなく、文化、スポーツなどのことも載せることにしています。今回の随想の連載は、「幸せめっけた」「なんだ坂、こんな坂」以来、久しぶりの取り組み、がんばって継続させたいと思います。
 日中は気温が低いうえに風もある。とても寒くて、外へ出て動き回るのがおっくうになる日でした。そうはいっても年末です。「しんぶん赤旗」の配達、集金に精を出しました。配達、集金の残りはまだ50件以上あります。明日で9割くらいは終わらせたいのですが。


2003年12月26日

役所は御用納めですが…

 やはり年末寒波がやってきました。きょうは、今年最後の新潟行きでした。昨日に比べ、気温がぐんと下がり、雪がちらちらする中を車で往復しました。もっとも、今回は車に乗せてもらったおかげで、帰りのほとんどは、眠らせていただきました。
 今年は、新潟市まで出かけることがとても多かったように思います。その大半は、日本共産党の会議ですが、次に多かったのが弁護士事務所での相談です。ここ数年、私の力だけでは解決できない生活相談が増え続け、弁護士さんに世話になることが多くなりました。
 午後4時過ぎに帰町。役場はきょうが御用納めでしたので、「しんぶん赤旗」日曜版を配達してきました。昨日作成した町政レポートは、未完(裏面がまだこれから)でしたが、折り込ませていただきました。私の方の仕事納めは31日です。それまでにやることは、まだたくさんあります。どこまでできるやら。


2003年12月25日

暖かく気持ちのいい一日

 きょうは今年最後の晴天かもしれない。そう思いながら動き回りました。晴れた時の仕事として考えていた堆肥舎の屋根の修理をまずやりました。先日の風でトタンが捲くれてしまったのです。それと冬囲いの残りもやりました。あとは、「しんぶん赤旗」の集金でした。ブレザーがいらないほど、暖かく気持ちのいい一日でしたね。
 夜は町政レポート1122号を作成しました。「しんぶん赤旗」日曜版は年末号と1月4日号の合併号なので、町政レポートの今号は新年号ということになります。役場や農協が休みにならないうちにと配達するのですが、「おめでとうございます」と書かれたものを配達するのは少し抵抗があります。かといって、元旦は忙しすぎるし…。
 明日は生活相談の関係で新潟市まで出かけてきます。いつもより早めに眠ることにします。


2003年12月24日

「思わぬ展開」第1ラウンド

 午前は農業委員会定例会、午後は上越地域合併協議会でした。今年の公の会議はきょうが最後です。
 上越地域合併協議会はきょうで4回目となります。14自治体という全国最多の合併は、いろいろなところで思わぬ展開をすることがある。きょうの会議はそのことをよく教えてくれました。大合併によって中心部が栄え、周辺部が衰退するかもしれないという不安をもっている周辺部町村のほとんどは、「議員の定数及び任期」の問題で定数特例の期間を特例法が認める最大期間(ここの場合、2012年4月まで)とするよう主張しました。その結果、「1票の格差是正」などを理由に特例期間を次々回の市議選まで(2008年4月まで)と主張した上越市が少数派となりました。
 上越市のある委員がこの問題で発言しました。「合併協議イコール合併とはならない。廃置分合議決をしてはじめて合併が決まる。上越市議会がどうするかはまだ分からない」「上越市から出ている法定協の(議会代表の)委員は(みなさんのところと同じく)3名だけれど、13万市民の声を代表しているのでご理解を」。言葉を選び、慎重に発言したつもりだったのでしょうが、幹事会などでのこれまで経過を知っている人たちの中では警戒心をもって聞いた人が少なくなかったようです。ある人は、「おどしたり、拝んだりの発言」とのべていました。
 「議員の定数及び任期」の問題は小委員会で議論することになりましたが、どうまとめるか。上越市が他の町村の主張を受け入れる形でないと、まとめるのはきわめて難しいと思います。今回のような議論の展開は、合併特例債を活用する事業選定など、まだいくつも出てくる可能性があります。こうした動きを見て、先日の日本経済新聞は、「上越地域の合併協議は今のところ、表層的には平静を装っているものの、今後も綱渡りを強いられそう」と書きました。
 なお、幹事会の場で示された「議会の議員の定数及び任期の取扱い」についての検討案と賛成、反対の意見は「町と議会の動き」のページに掲載しましたので、ご覧ください。


2003年12月23日

また吉川町の本が出ました

 高田に用事があったので、用が済んでから、久しぶりに本屋へ行ってきました。すぐ目に入ったのは、20日に発売された『越後の誇り 吉川高校醸造科』(恒文社)です。醸造科が設置されてから今日に至るまでの歩みを生徒の文集などの資料をもとにまとめたもので、じつにたくさんの関係者が登場しています。正月休みにゆっくりと読んでみたいと思います。
 この本をまとめてくださった柿崎健一さんは、新光電気吉川工場の幹部だった方です。吉川の地で働き、こうして吉川町の宝であるものに焦点を当てて書いてくださる、とてもうれしく思います。また、この本には素敵なカットがいくつも載っていますが、これらは八王子市に住む池悦子さんの作品です。私も何回か絵手紙をもらっていますので、とても身近に感じました。
 夜は頸北議員の懇談会でした。頸北5町村から17人が集まり、合併情報の共有、住民が提出した請願の支援などについて話し合いました。各町村の議員から最近の動きなどについて報告を受けましたが、前回の懇談会以後、明らかに行政側の対応に変化が出始めています。新市の姿が見えるまでは住民説明会をやらない、としていたわが町でも、そう遅くならない時期に開催するという答弁でした。会では、今後、住民向けのチラシ作成、住民から出された請願の支援の方法などについて検討していくことになりました。次回は新年早々です。


2003年12月22日

市町村合併問題で明け暮れる

 午前、町議会合併問題特別委員会。午後、吉川町の合併協議会委員による検討委員会。夜、日本共産党の会議(合併問題中心)。このように、朝から晩まで市町村合併関連の会議が続きました。きょうの日程そのものが、今年がどんな年だったかを教えてくれています。
 同じ一日のなかにあって、同じテーマで議論をしていても合併問題はどんどん動いています。午前の会議では、「議員の定数及び任期」について、24日の合併協議会で「協議事項」となるという前提で議論をしました。ところが、その間に合併協議会事務局から当町の合併担当課にメールがきていて、当日の次第書では「報告」扱いとなっていることが判明しました。当日、どういう議論をしていくか、上越市側の、この問題に関する意見書をよく分析してかかる必要があります。
 「議員の定数及び任期」の問題では、定数特例の期間を上越市議会の任期(2008年4月まで)と主張している上越市側の考えを支持する町村はほとんどなく、圧倒的多数の町村は2012年4月まで(合併特例法で定めた最大期間)を主張しています。「対等、平等の話し合いを原則」にしている合併協議が初めてぶつかった大きな問題となりましたが、今後、新市の「事業選定」など上越市と他の町村の意見が分かれそうな問題がいくつもありますので、今回の問題をどう解決するかによっては波乱含みの展開になるかもしれません。
 昨日までの悪天候は収まり、おだやかな一日になりました。この調子で正月までいってくれないかなぁ。


2003年12月21日

市村幸恵さんのピアノコンサート

 チェコ在住の吉川町出身ピアニスト・市村幸恵さんのコンサートに300人を超える人が参加してくださいました。師走も20日過ぎの忙しい時期にもかかわらず、こんなにも集まってくださる、ささやかながら協力してきた人間の一人としてうれしいですね。
 今回のコンサートは、彼女の友人であるペトル・ノウゾフスキーのチェロとのジョイント。演奏曲目の中で私がもっとも惹かれたのは、ドビュッシーの「チェロとピアノのためのソナタ」です。この曲は彼が癌の宣告を受けてから一度落ち込み、その後、立ち直って作曲したといいますが、しなやかさと力強さがあって、とてもいい感じがしました。
 コンサートが終わってからは町内で懇親会でした。町内の人だけでなく、柿崎、頚城などの人も加わってとてもにぎやかな会になりました。酒を飲んでわいわいやるのも、今年はきょうが最後です。気持ちよく飲み、おしゃべりを楽しんできました。


2003年12月20日

大荒れの天候のなかで

 バーン。軽トラを運転していた時に、荷台の方ですごい音がしました。あとで分かったことですが
、荷台の重いマットを突風がまくった音でした。風上に向かって車を走らせても前の方から圧力がかかり、スピードは出せない。きょうの風は台風なみの強さでした。
 この強風下、朝からずっと「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金をやりました。昨日と同じく、読者の方から、必ずといってよいほど市町村合併の話がでます。ここ数日間で町民の中に明らかに意識の変化が生まれてきている、そんな感じがします。これが住民参加という形で発展してくれればいいな、と思います。
 午後になったら、疲れが出て、運転していてもあくびばかり。これじゃいけないと思い、途中で一眠りしました。少しでも眠れば効果抜群です。夕方には高田まで出かけ、上越地域14市町村の合併に関係する日本共産党議員の集まりに参加してきました。それぞれの議会に出された資料をもとに情報交換をしました。


2003年12月19日

新聞報道が話題に

 「ゆっくり休めましたか」。役場で「しんぶん赤旗」を配っている時にある職員から声をかけてもらいました。この前は別の職員に「もう足の方は大丈夫ですか」と聞かれました。いずれも「見てある記」を読んでいてくれる人ならでは質問です。うれしいですね。ちなみに、昨晩は4時間半ほど眠ることができました。
 そう、そう。昨日、うれしい話を1つ書き忘れました。月刊『地方自治職員研修』の新年1月号が到着したことです。この号には、吉川町まちづくり基本条例についてレポートした私の文章が掲載されています。月刊誌に自分の文章が載るのは『明日の農村』にエッセイを連載して以来のことですから、20数年ぶりになりましょうか。内容はともかく、掲載されただけでもうれしい。目次を見たら、今年初めて出会った人の論文が3本もありました。少なくともこの3人からは読んでもらえることでしょう。この世界も狭いものです。
 昨日、きょうと新聞各紙に吉川町議会で「住民の意思確認の請願が満場一致で採択」(新潟日報)されたことが報道されました。「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金では、多くの町民がこのことに関心を持っていることが分かりました。「農協と違うというけれど、合併すれば、役場だって農協と同じだわね。なんとかしてほしい」「ここまでくれば、1つだけ(合併協議会から)抜けるのは難しいと思うよ。連れがなけりゃ」「どういう結果になろうと、自分がどう思っているか、1票投じたい」などたくさんの声をお寄せいただきました。
 午前は晴れだったのに、午後から荒れ模様の天気になりました。気温が急速に低下し、雨まじりの強風が吹く。こんな天候は、冬本番が間近であることを教えてくれます。今晩は白いものが降るかもしれません。


2003年12月18日

請願は全会一致で採択

 12月議会がきょうで終わりました。睡眠時間はここ数日、3時間ほどしかとれませんでした。いまは、ゆっくり休みたいです。
 さて、小苗代の佐藤直彦さんが出された、「市町村合併について町民に対する十分な説明と町民意思の確認を求める」請願は、きょう、全会一致で採択されました。関係14市町村のなかで合併に関する請願が通ったのはこれが初めてかと思います。採択を受けて、町が今後どう動くか。まちづくり基本条例においては、重要問題については「住民投票で住民の意思を確認することが基本」です。
 隣の頸城村でも佐藤さんが提出したものとほぼ同趣旨の請願が出されました。これで3町村で出されたことになります。いずれもこれからが大変、近間の議員が知恵を出し合い、連携してがんばることが大事です。
 各町村議会に提出された請願を「町と議会の動き」にアップしましたのでご覧ください。


2003年12月17日

勇気ある請願

 きょうから12月議会。一般質問は、9月よりは良かったと思います。こう言うと笑われるでしょうが、昨晩、テレビドラマ「北の国から」を観たおかげです。質問技術にあまりこだわらず、ありのままの人間をそのまま出していく。この質問のやり方は、「田中邦衛方式」と名付けようかな。
 さて、注目の市町村合併をめぐる動きですが、上越市の高野誠さんの動きに刺激を受け、頸北の地でも住民サイドから勇気ある行動がはじまりました。まず柿崎町で1住民が、「廃置分合前に合併の可否について住民意思の確認を」という請願を議会に提出されました。つづいて昨日は、小苗代の佐藤直彦さんが、「市町村合併について町民に対する十分な説明と町民意思の確認を求める」請願を出されました。これには町議会の全会派から5人が紹介議員になりました。
 これまで請願というと、団体請願がほとんどです。私の記憶では、し尿汲み取りの仕事をさせてほしい、という請願が1町民から出たぐらいです。こういう政治の大問題でたった一人でも当たり前のことを求めて議会請願する。私はこういう勇気ある行動に拍手を送りたいと思います。


2003年12月16日

ちょっと変わった「質問準備」

 23日午後7時半から吉川町多目的集会場で頸北議員懇談会の続きをおこないます。きょうはその案内チラシを印刷し、配布に協力してくれる各町村の議員のもとへ配達しました。三和村は、きょうから12月議会がはじまっていて留守でしたが、あとは直接会うことができましたので、議会の動きなどの情報交換をしました。
 明日は一般質問。質問のできの良し悪しを決めるのは、私の場合、再質問ですが、今回はちょっと変わった「質問準備」となりました。じつは机やパソコンにむかわず、テレビドラマを3時間半も見てしまったのです。じゃあ、全然、準備しないのと同じでしょ、という声が聞こえてきそうですが、それがそうじゃないのです。
 ドラマは倉本聡脚本の「北の国から」です。これまでも何回かこのドラマを観ているのですが、いつも人間の生き方とか幸せとかをじっくり考えさせてくれ、胸がいっぱいになります。今回も田中邦衛が演ずる父親・五郎の人を包み込む大きなやさしさが強く印象に残りました。「人間、長くやってりゃ、落ちない汚れだってあるさ。おれなんか汚れだらけだ」、こんなセリフを聞きながら、イラクへの自衛隊派兵問題、市町村合併について、予想される答弁にどう切り込んでいくか、質問の組み立てのイメージをふくらませました。こんなことは初めてです。


2003年12月15日

平穏な時、あなたは落ち着かない…

 朝、起きるのがいやなくらいの寒さでした。そのかわり、日中は晴れ上がり、青空が広がりました。この時期の晴天はうれしいですね。晴れているうちにと思って、朝の搾乳後、牛舎の囲いをしました。これで雪が降っても大丈夫です。いや、待てよ、除雪機の点検整備、忘れてる……。
 久しぶりに本の注文がきました。吉川町出身で現在、東京都に住んでおられる方からです。入院した友人へのプレゼントにしたいというお話でした。私の『幸せめっけた』はどういうわけか、入院患者さんに読まれることが多いようです。ベッドの上で読んでいるうちに、子ども時代の様々なことが思い出される、それがいいのでしょうか。
 きょうは、12月議会での質問、その他のことで頭の中はいっぱい。こういう時の気分転換には、議会と関係のない本を読むのもいい。落合恵子の『午後の居場所で』(朝日新聞社)をめくってみました。人生の午後から夕暮れ時に向っている者として「そう、そう」と共感することがいくつもありました。例えば「頑張りすぎ症候群」の女性の話、「平穏な時、だいたいあなたは落ち着かない。(中略)息を切らして疾走することがあなたの日常になってしまっているから」。わかるねぇ。


2003年12月14日

今年中に片付けたいことがまだたくさん

 総選挙が終われば日曜日は日曜日らしくゆっくり過ごしたい、そう思っていたものの、師走は駄目ですね。午前中は、今年中に片付けたいという生活相談があり、でかけてきました。考えてみると、私事で今年中にやっておくべきことがまだいくつも残っています。牛舎の囲い、年賀状書き、お歳暮の届け、党事務所の中の私物整理等、一つひとつ数えたら、頭が痛くなってきました。
 午後からは昨日の視察報告書の残りを書きました。木曽町合併協議会の視察報告です。合併する場合、これまでの町村の自治権が確立するようになっていないと、地域の声が新自治体に反映されないばかりか、地域への愛着も薄れるとの指摘があります。そこらへんをどう検討してきたのか、視察してありますので、整理してみました。報告書の作成は委員長と副委員長に一任されています。書き上げてから副委員長に連絡しましたが留守。明日、議会事務局に提出する前に、副委員長に目を通してもらいます。
 夜は気の合う仲間と一杯やりました。これで忘年会と称する飲み会は3回目、あともう1つやれば今年はおしまいです。まだ体重が増えそうです。


2003年12月13日

視察報告書作成で学ぶことも

 午前は晴れて午後は雨。朝の空模様を見て、「よし、午後から牛舎の周りの冬囲いを終わらせよう」と思っていたのに、また先送りです。考えてみれば、いまごろの天気は変わりやすいのが当たり前、午前の晴れている時にさっさと外仕事をすればよかったのです。どうも最近は、ここらへんの判断力が落ちているなあ。
 外仕事より先にやったのが「しんぶん赤旗」日曜版の配達です。約3時間、休みなしで配り続けました。その後は、買い物にでかけ、戻ってからはパソコンに向いました。じつは議会前に、というより、月曜日までに作成しなければならない文書があるのです。それは先日の総務文教常任委員会の視察報告書で、これは12月議会の初日に委員長として報告することになっています。
 視察報告書を書く前に、あらためて研修した時の資料を読んでみました。長野市松代町の香山さんの文書、木曽町合併協議会のデータ、いずれも研修時に気付かなかった発見や疑問がでてきて、さらに勉強してみたくなりました。特に木曽町合併協議会が総合支所構想を打ち出した背景については、この会の会長である田中勝己木曽福島町長のホームページに詳しく書かれていましたのでとても参考になりました。
 報告書は長野市松代町の取り組みの視察の部分をほぼまとめました。残りは明日ゆっくり整理したいと思います。


2003年12月12日

民商忘年会

 吉川町議会では、質問通告と合わせ原稿を提出することになっています。きょう9時が締切りですので、朝3時半に起床して一般質問の原稿書きをしました。なんとかすべりこむことができました。ただし、原稿は書いただけで、一度も読み直していませんから、「未定稿」です。土日に再検討し、整理したいと思っています。
 午前は「しんぶん赤旗」の配達でした。午後からは議会運営委員会と各派代表者会議と続きました。会議では、新年度町予算のことが話題になりました。予定としては2005年1月1日に合併することになっています。だから、「8ヶ月予算になるのではないか」「廃置分合議決前の予算編成だからいままでと同じになるはずだ」などの声がでました。合併の議決もしてないのに、合併記念行事など合併関連の予算が盛り込まれるわけがありませんが、こうしたことも含め予算編成方針は12月議会の場で明らかになるでしょう。
 夜は民商吉川支部の忘年会でした。不況に負けず、一生懸命仕事にがんばっている人たちとの交流はいいものです。こっちの方が元気をもらいます。楽しい、気持ちのいい雰囲気だったので10人くらいで二次会にも行ってきました。二次会はカラオケ、歌いたいと思っていた吉幾三の「酒よ」は会員さんが先に歌われましたので、私は、「青春時代」を大きな声で歌ってきました。みんな歌がうまいのでびっくりしました。


2003年12月11日

上越市議会特別委員会、合併住民投票請願不採択

 「合併の賛否を問う住民投票の実施を」という請願の審議が上越市議会でおこなわれました。午前中は、その模様を傍聴してきました。この審議のために、わざわざ特別委員会を設置したということですが、審議時間はわずか1時間45分ほど。結果は賛成10(起立しなかった者は15人)でした。審議の中で心強く思ったのは、上越市議会で法定協設置に賛成した人たちの中にも、「法定協設置が合併決定ではない」と正確に認識し、廃置分合までの間に合併の可否について住民の意思を問うべきだという人たちがいることでした。今議会では不採択となるかもしれませんが、「今後、上越市では直接請求がおきてくる」とみる市職員もいました。そうなるでしょう。
 午後からは町政レポートの作成と一般質問の原稿書きをする予定でした。昨晩、家に戻ってから牛の脱走騒ぎがあったりして、よく眠れませんでした。そのため、パソコンに向ってもなかなか集中できず、うつらうつらして時間がどんどん過ぎていきます。結局、町政レポートをつくるだけで精一杯でした。一般質問は質問事項だけ整理できれば上出来です、今回は。
 夜は市村幸恵さんのピアノコンサート実行委員会でした。16日に帰国する彼女は、21日午後2時から頸城村希望館で開催されるチェロとのジョイントコンサートだけでなく、吉川中学校や松之山町へも出かけることになっています。全体の取り組みの中でどうサポートしていくかが話し合われました。私は、これまで何もできませんでしたので、せめて21日のコンサートだけでもお手伝いしたいと考えています。


2003年12月10日

小泉内閣への批判が爆発する予感

 自衛隊のイラク派兵基本計画を閣議決定したことは戦後政治史の重大事件です。この決定は普段、あまり政治に関心がない人をも巻き込んで、小泉政治への批判を一気に大きくするかもしれません。町内のある商店へ入ったら、ある女性に突然、「ねえ、橋爪さん、おかしいと思わない? 戦争できない憲法なのに、自衛隊がどうしてイラクなんかへ行くことができるの」と声をかけられました。国の政治のことで私と話をすることがない人だったので、とても驚きました。
 一般質問の通告締切りが2日後にせまっています。通告そのものは昨日提出したのですが、きょうは質問原稿書きをはじめました。イラク問題、市町村合併、新年度予算編成の3項目のうち、市町村合併の途中までいきました。面白いことに、原稿を書いていると、自分の考えが整理されていきます。市町村合併については、当初考えていた質問とは少し違った展開になりました。
 ライジング・ウーマンのみなさんの要請で、夜は、「市町村合併とまちづくり」というテーマで1時間あまり話をさせてもらいました。「なぜ市町村合併がすすめられているのか」からはじめて、これまでの協議の経過、最近の合併協議の状況、まちづくり基本条例へと黒板を使いながら話を展開しました。黒板を使って話をするのはこれで3回目になります。ライジング・ウーマンの代表の方が開会の挨拶で、「分かるようでさっぱり分からないのが合併問題です」と言われていましたが、今回の話を材料に大いに議論していただけたらと思います。


2003年12月09日

2003年12月9日は忘れない

 あなたが生まれてから今日まで一番良かったと思われることはなんですか、と聞かれれば、私は迷うことなく、「戦争にまきこまれることなく、平和に暮らせたこと」と答えます。それが可能だったのは、世界に誇ることのできる平和憲法を日本が持っていたから。ところが日本の政府は、きょう、2003年12月9日にイラクへの自衛隊派兵計画を正式に決めました。記者会見で小泉純一郎総理は、「戦争に行くのではなくて、人道的な復興支援だ」と強弁しました。戦後最悪の総理大臣です、この人は。私は、「2003年12月9日」という日と「小泉純一郎」という名前を絶対に忘れません。抗議の意味を込め、以下に日本国憲法前文と第9条をかかげます。
日本国憲法前文
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
2  日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
3  われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
4  日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


2003年12月08日

頸北議員懇談会は継続へ

 市町村合併について情報交換し、住民の意思を確認する流れをつくろうと開催した頸北議員懇談会には、5町村から15人が集まりました。懇談会では、現在進められている合併協議の仕方が民主的でないとか、住民との情報の共有ができていないなどの指摘がありました。けっこういい雰囲気の中で懇談できたのですが、進行役の私が会場の終了時間を勘違いしていたために、論点を整理してまとめる時間的余裕がなくなってしまいました。それで、22日(予定)に継続して話し合うことになりました。
 懇談会には、上越市議会に「合併の賛否を問う住民投票の実施を」という請願をだした会の代表・高野誠さんも駆けつけ、今回の請願に至るまでの経過や合併にたいする思いを語っていただきました。高野さんの勇気ある行動に続く人が頸北の地でも登場してくれれば、と思います。
 さて雪のニュースです。昨日から今朝にかけてわが家周辺でも雪が降りました。積雪は1センチほどです。昨晩は集落有志による忘年会のため、松之山温泉で泊まりでした。向こうを朝4時半に出て、家に戻ったのが5時半過ぎ。雪道を走りなれていない時は緊張します。松之山での積雪は10センチくらいでしたが、特に下り坂がいけない。とことことゆっくり走って帰ってきました。


2003年12月07日

総選挙後初の街頭演説会

 ぐんと寒くなってきました。きょうは、午前に上越市高田に出かけてきました。日本共産党上越地区委員会が総選挙後初めて行う街頭演説会です。防寒コートを着て話を聴いてきました。
 街頭演説会では、総選挙をたたかった阿部正義委員長や木島比例候補がお礼の言葉と今後の決意をのべたあと、来年の参議院選挙に東海・北信越ブロックから立候補を予定している笠井あきらさんが、自分の入党物語や最近の情勢について語りました。
 総選挙後、平和を脅かし国民生活を破壊する動きが強まりました。国民年金の問題にせよ、イラク派兵の問題にせよ、二大政党が伸びてもなんにもならないことがはっきりしましたね。笠井さんの演説はそうした状況を打開していくために日本共産党とともにたたかい、参院選挙へのご支援をというものでした。
 笠井さんの演説で興味深く聴いたのは、彼の生い立ちにふれた部分でした。父親にあたる方は新潟生まれで、いつも「まじめに生きて人に尽くす」ことの大切さを子どもたちにおしえていたとのこと。そして笠井さんの母親は広島での被爆者です。常々、平和の尊さを教えてもらいながら育てられたとのことでした。話を聴きながら、自分は子どもたちに教える言葉を持っているだろうか、と考えました。


2003年12月06日

住民の意思を確認する流れができるかどうか

 りんごを軽トラに載せながら新聞配達をしていると、りんご屋さんが引き売りしているのと同じになります。「あら、いいりんごだね、いくらだね」という声がかかるのです。先日、須坂市の農家から仕入れてきたものだけでは間に合わなくなり、午前中に追加分を妙高高原まで取りに行ってきました。時間的な余裕がないので、そこまで持ってきていただいたのです。今年は、足らなくなっても、これで終わりにします。
 8日の夜、住民投票をめぐり情報交換する頸北地域の議員の会が大潟町役場会議室で開催されます。夕方、その呼びかけ人が集まり、打ち合わせをしてきました。住民投票条例があるところ、議員提案をしたけれども否決されたところなど、集まってくる人たちの置かれている状況はさまざまですので、一致点で協力しあうことが大事だと確認しました。関係住民の意思を確認しないで市町村合併をどんどん進めることに疑問を持っている人が大勢いますが、この会の開催を契機に新たな動きが出てくる可能性は十分あります。ぜひ成功させたいものです。
 低気圧が通過中なのでしょうか、夜になって時々強烈な雨風が吹いています。尾神岳はすでに2回白くなっていますので、今度は里にも初雪が降るかもしれません。明日の夜は松之山温泉で泊りがけの忘年会です。大荒れしなければいいのですが……。


2003年12月05日

市村幸恵コンサート案内チラシを印刷

 週刊町政レポートの作成を朝3時すぎに起きてやりました。このところ、木曜日の夜に作成するクセがついていたので、宿題をあとまわしにしたみたいな感じが残り、なかなか思うように書けません。研修旅行のこと、農業委員会の合併問題、市村幸恵さんのコンサートの案内を掲載予定でしたが、整理がつかず、研修報告を載せただけの紙面になってしまいました。
 昼間は、「しんぶん赤旗」日曜版とりんご配達です。早起きしてがんばったので、昼ごはんを食べてから1時間ほど横になりました。夜は、五十嵐一也議員とともにわが家で市村幸恵さんのコンサートの案内チラシを印刷したあと、12月議会をめぐり情報交換をしました。
 市村幸恵さんは吉川町出身のピアニストで、今秋、留学していたプラハ音楽院を卒業しました。地元の「音楽を楽しむ会」は、「市村さんは吉川町の宝」という気持ちでずっと応援してきましたが、今回のコンサートは、彼女の卒業記念と銘打って開催するものです。コンサートは、今月21日、頸城村の希望館で午後2時から。彼女の演奏を聴くのは一年ぶり、チェロとのジョイントなので、どんな感じのコンサートになるのか楽しみです。


2003年12月04日

地域づくり、まちづくりへの熱い思い

 2日間とても気持ちのいい研修をしてきました。初日は長野市松代町、きょうは木曽町合併協議会、どちらにも共通するのは、いま住んでいる町や村をいいところにしたいという熱い思いでした。歴史を大切にする。木材を生かす。地域の人たちが見つけた宝を守る。こういった思いが集まり、まとまった時に生まれるエネルギーのすごさを感じてきました。
 松代町ではNPO法人「夢空間・松代のまちと心を育てる会」の事務局長、香山篤美さんから松代城址や松代藩の文武学校などを案内していただいた後、長野市などとの合併で失われた地域の活力をいかに取り戻し、どんな夢をいま抱いてがんばっているのかを語っていただきました。「地域の魅力は地域外の人と歩いていると分かりやすい」「住民自身がまちのことをよく知って好きになる。そこから始まる」。香山さんの言葉、一つひとつに光るものがありました。ドキッとしたのは、合併した後の松代支所の実態。「役場の職員が5分の1になり、2、3年で変わる。これが一番恐い」。この指摘は忘れてはならないと思いました。
 合併しても地獄、しなくても地獄です…こう言って苦悩を率直に語ってくれたのは木曽町合併協議会の事務局のみなさんでした。ここの最大の注目点は全国に先駆けて取り組んでいる「総合支所方式」です。合併して面積が広大となりすぎ、コミュニティが薄れてしまうという危機感から出発したそうですが、「合併に伴い行政区域が拡大しても、住民の意見が反映される仕組み」「これまでの地域社会の特色・個性やまとまりをこれからも維持できる仕組み」として検討に値するものでした。本庁と総合支所の業務分担、支所長の選任方法など検討中でしたが、上越地域合併協議会でこれから都市内分権について具体的に議論を進めることになっているのでとても参考になりました。
 木曽路といえば、中仙道の宿場がいくつも残っていることで有名です。帰りにその1つ、奈良井宿を歩いてきました。宿場として栄えた当時の面影がそのまま残っていて、木造の建物、すっきりした街並みが気に入りました。松代でもそうでしたが、歴史を大切にすることが木材を生かすことと結びついている、いいものですね。


2003年12月02日

研修旅行前日

 なかなか日程がとれなかった総務文教常任委員会の研修旅行が明日、明後日となっています。きょうは、その準備に追われました。できるだけ実りのあるものにしたい、そう思うと、事前調査が重要になってきます。訪問先のホームページを見る。視察テーマに関連した文書を読む。こういったことは結構時間がかかります。
 視察先の1つは長野県木曽町合併協議会です。全国から注目されている「分権型合併」「総合支所構想」について学んできたいと考えていますが、同協議会のホームページを見たら、11月28日に更新してあって、視察テーマに関連した資料がどっと掲載されていました。千葉大学の大森弥教授の講演から協議会での討議資料まで印刷し、読み始めました。行きのバスの中で読了できるかどうか。
 柿崎町の議員から、先日の第3回合併協議会での私の発言に関連する資料があると教えてもらいました。福岡県のホームページに「市町村合併コーナー」があって、その中では、「電算システムの整備は合併準備経費として、かなりの経費を要するため、実際には合併協定書締結、あるいは廃置分合申請議案の議決以降でなければ、各合併関係市町村が整備の発注を行うことは難しい」と書いてあることがわかりました。発注は廃置分合の議決前でも問題ない、と木浦会長は断言しましたが、こうなったら徹底調査してみようと思います。
 明日は、木曽福島町に泊まりますので、「見てある記」は休みます。


2003年12月01日

今年のりんごの味は抜群

 今年の秋は雨ばっかりでしたので、りんごはミツの入りも悪いだろうし、味もいま一つだろう。そう思いながら長野県は須坂市までりんごを買いに出かけてきました。ところが、どうして、どうして、ミツはたっぷり、味も抜群でした。
 須坂市の農家からりんごを仕入れて「しんぶん赤旗」読者の方々から買ってもらい、活動資金の一部にあてるようになってからもう25年は経つでしょうか。1年も休まず、よく続いたものだと思います。続いた理由の1つは、買ってくださる方が私たちが買ってくる農家のりんごの味を楽しみにしていてくださるから。
 今回は朝9時前に出発したこともあり、午後2時すぎには戻って配達をはじめました。毎年、大量に買ってくださるAさんのところでお茶をご馳走になりました。Aさんはとても話好きで、「民主党は小沢と一緒になったことで財界とのパイプが太くなった」「市町村合併では住民投票をすべきだ」などと力説。80歳を超えているとは思えないほどお元気でした。
 夜は支部会議。大会決議案の討論を再開し、市町村合併をめぐる情勢と方針について話し合いました。


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