拙い文章でも書いておくもんです。先日の市政レポートで1945年5月5日の直江津空襲のことを書きましたが、これを読んだ柿崎区阿弥陀瀬出身の女性から、「あの記事を読んで空襲のことを思い出した」そう言っていただきました。こんな形で役立つなんて、うれしいことです。以下はこの人の話。
空襲があった頃、私は信越化学に勤めていました。そこには外国の捕虜の人たちもだいぶ働いていました。溶鉱炉などで仕事をしていたように思います。お昼に弁当を食べていると捕虜の人たちがこれをほしがってね。空襲の時、米軍機は工場を直接狙ったのではなく、捕虜がいたからわざと外したのではないでしょうか。落ちたところにいた人たちは本当にお気の毒でした。爆弾が落とされてから、私の記憶では歩いて阿弥陀瀬まで帰ったと思います。私の家からは黒井の方面がよく見えたんですよ、当時は。黒井がやられたことはすぐ分かったのだと思います。私が家に帰ると、父は「生きていたのか。よかった」と言って抱きしめてくれました。
この話を聴いて思ったのは戦争体験集の役割です。戦争体験を多くの人たちに知ってもらい、平和の大切さを広げていく。上越市では昨年、戦争体験をまとめ出版しましたが、今回の女性のように、これを読んで自分の体験を思い出したという人も少なくないはずです。体験集は1集で終わることなく、2集、3集と続けてほしいものです。
きょうは晴れ渡り、米山、尾神岳がとてもきれいでした。「私の好きな風景」にこれらの写真を掲載しました。また、先日、お約束したクルマムグラの写真も掲載しました。いずれもトップページから入ってごらんください。