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直江津空襲と平和を考える集い

 黒井公園での平和の集いに久しぶりに参加してきました。おそらく10年ぶりくらいでしょう。1945年(昭和20年)5月5日の直江津空襲で米軍のB29は信越化学直江津工場を爆撃目標としました。爆弾は目標をはずれ、黒井公園近くに落ちて3人が犠牲になりました。この集いは直江津空襲に思いを馳せ、犠牲者の鎮魂と平和を考えることを目的に開かれているものです。会場では小さな鯉のぼりが風を吸いこんで元気に泳いでいました。

 集いは地元でこの集いを中心になって準備してきた関川幹雄さんの挨拶からはじまり、児童文学作家の杉みき子さんの講演、地元詩吟愛好会のみなさんによる吟詠、参加者による戦争体験と平和の訴えと続きました。吟詠中、同じ愛好会の方と思われる女性が白い大洋紙に見事な水墨画を描くという感動の場面もありました。

 きょうの集いでは女性の皆さんが何人も発言され、心に残りました。女性の平和を求める思いの強さを感じましたね。

 発言者のひとり、関口サトノさんは90歳、張りのある若々しい声で、「女性に徴兵制が適用されなかったから生き延びてきた。夫は戦友に妻子を頼むという言葉を残しシベリアで亡くなった。私には同級生に20人の男性がいたが17人戦死した。男性はありったけ犠牲になった。私は満洲から引き上げてきて荒れ野原となった日本の国土を眺めてどうやって生きるべきかを考え、二度と戦争をしてはならないと大決心をした。精一杯、平和のために頑張りたい。助けて下さい」と訴えました(画像)

 また、爆弾投下の際、信越化学直江津工場で働いていたという大潟区在住の女性が投下された時の模様やその後どうしたかなどを明らかにし、注目されました。この方は、「会社で石灰窒素の袋詰めをしていた。防空壕掘りもしていた。お弁当を開こうとしたその時に爆風を浴びた。窓が破れたすごい電車に石灰窒素を浴びた汚い顔で乗って、みんなで泣きながら家に向かった。一緒に乗っていた都会の人が『泣いたってだめなんだよ。みんなが頑張ったんだからしょうがないんだよ。都会ではみんなが体験しているんだよ』となぐさめてくれた。(電車から降りてから)家に帰らずに担任の先生の所へ行った。担任の先生は瓦の破片を見せ、おい、みんな、いまこの爆弾がおったんだぞと教えてくれた。いま考えると平和っていいですね。体験があるからこそ二度と戦争はいやですね。平和を守っていきたい。来年も来たくなりました」と語りました。これまで黙って我慢していたことを一気に語り始めた、そんな感じの語りに圧倒されました。
 
 きょうの集いには日本共産党上越市議団全員が参加しました。他会派からは地元の佐藤敏議員も参加されていました。憲法を改悪しようという動きが強まっている中で、こうした平和を求める運動が静かに広まっていく、とてもいいことです。私もがんばらなくては。


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概要

2009年05月05日 23:51に投稿されたページです。

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