父が他界して2日目になりました。毎日のように通っていた病院へ行かないでよくなったというのは落ち着きませんね。エレベーターに乗って6階へ行く。ナースセンターで訪問名簿に書き込む。病室へ入って、父の顔の位置を確認して、「おはよう」と挨拶する。額に手を当てて、熱があるかどうか、咳はしていないかをチェックする。1年4か月間にすっかり体にしみ込んだことがぷつんと切れるとおかしな気分です。病室ですっかり顔なじみとなったHさんの奥さんはきょうもステッキカーを押して通い続けているだろうか。心配しないでいいことまで考えてしまいます。
きょうは、一日中家にいて、通夜や葬儀の準備をしました。昨日ほど電話が来なくなり、静かになったものの、時間はどんどん進んでいきます。
夕方には、父の姉妹3人が顔をそろえました。3人とも足が悪いので、椅子に腰かけて「あと残ったのはおらたちだけか」とおしゃべりです。私のパソコンで祖父の懐かしい写真ファイルを開いたところ、3人とものぞき込んで(画像)、「こりゃ、誰だ」「男親だこて」などと言っては喜んでいました。数年前、父がうたう酒造り唄などのテープを作成しましたが、これを弟から持ってきてもらい、みんなで聴きました。元気だったころの父の声を聴くのは久しぶりという人がほとんどです。伯母たちはとても喜んでくれました。父が唄う「長持ち唄」の触りをお聴き下さい。
コメント (1)
橋爪さんのお父さん。
長い間、自分の為、家族の為、世の人々の為に働き、良き社会を望み、生きて見えたことでしょう。貧しかった時代を生き抜き、おそらく、自分の食べるものも我慢して子どもに与えられたことでしょう。ごくろうさんでした。
自分の幸せだけでなく、良き社会をめざし意気揚々と奮闘するお父さんが育てた橋爪法一さん。
人間誰しも、この世を去るときが来ます。親が子に残してやれるものは「生きてゆく力を授ける」ことではないでしょうか。
「私も良き両親に育てられたことが一番嬉しい。
親が私に残てくれた財産は「元気で生きる力を与えてくれたこ」と思っています。更に自分の幸せだけでなく、人の痛みがわかり、皆の幸せを求めることを次代に送ってゆけたらと日頃感じます。
投稿者: 伊藤春男 | 2009年04月10日 21:58
日時: 2009年04月10日 21:58