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上越市が『戦争体験談集』刊行

 昨日、市役所へ行ったら、発刊されたばかりの『戦争体験談集』(画像)が議員ポストの中に入っていました。総務部の職員から「もうじき出来あがりますよ」と聞いていましたので、楽しみにしていた本です。
 この本には52人の戦争体験談が掲載されています。すべての漢字にふりがながふられていて、ちょっと見たところ、妹尾河童の『少年H』のような感じがします。まだ、ざっとしか読んでいませんが、いくつか心に残る文章に出合いました。
 ひとつは箕輪幸男さんの「和顔に隠された母の思い」です。体調を壊したお母さんが柿崎病院に入院し、付き添うおばあさんや弟さんとともに病院で生活していたある日のこと、父親が戦争にとられるという知らせを聞きます。しかもその日の午前中に、といいます。そこから苦難の生活が始まりました。「母は夜明け前から夕方、月の明かりを頼りに野良仕事」です。男手が必要な農作業をおじいさんとともに一家で支え、時には親戚の援助ももらい、何とかやりとげたそうです。父親のいない生活、どんな苦労も家族が力を合わせて乗り越えていきましたが、お父さんは輸送船とともに海に沈み帰らぬ人となってしまいました。その時、お父さんは36歳、お母さんは33歳という若さでした。その後、お母さんは91歳で亡くなるまで、自分の財布の中に夫の写真を入れていたとあります。戦争が家族を引き裂き、苦難の生活に追い込む様子がよく伝わってくる文章でした。
 いまひとつ紹介しましょう。大竹ハルエさんの体験談です。1945年5月5日の直江津空襲の衝撃のすさまじさを吉川村(当時)で体験したことが書かれています。大竹さんは、当時、軍事工場でもあった柿崎理研工場の電話交換手として働いていましたが、その日は、ちょうど休日で、近くの顕法寺の山に山菜採りに出かけていました。山頂にいた時、見たこともない大きな飛行機が尾神岳のほうに飛んで行き、すぐに引き返し、「まもなく、山々が揺れて木々が波立ち、『ドカーン、ゴーゴーゴー』」。大竹さんは、恐怖で山中の地面に伏したと記しておられます。直江津空襲のことについては、これまで黒井の地元の方から話をお聞きしていましたが、まさか、吉川にいた人たちまで恐怖に落とし入れるものだったとは思いませんでした。
 『戦争体験談集』は、2006年9月議会において、一般質問での私の提案に基づいて検討が約束されていたものです。『戦争体験談集』は、市役所の木田事務所や各区の総合事務所、図書館などにおいてあり、読むことができます。


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2008年11月11日 08:11に投稿されたページです。

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