朝出る時はポツポツ、電車を降りた伊勢崎市では小雨、そして告別式や繰り上げ初七日法要が終わったときには晴れている。亡くなった伯母は91歳でした。父のキョウダイのなかでは一番上の姉で、よく稼ぐ人でした。農作業であろうが、家具店の商売であろうが一生懸命がんばってきた伯母にとっては最高の天気です。普通なら「ゆっくり休んでください」と言うところですが、これから鉢巻をしめてがんばろうとする伯母を見送る、そんな雰囲気がありました。
伯母の遺影は90歳に到達した時に市が敬老記念として贈ってくれたものを使っていました。目がしっかりしていて、顔の表情は働き者であった父親・音治郎とそっくりでした。4年前の6月に亡くなった伯母も普段は違うように見えたのですが、亡くなった時の顔はやはり親と同じでした。不思議なものですね。火葬場の控室で昼食をとった時、私の席の周辺には何組ものイトコ夫婦がいて、戦争時代にわが家に疎開したした頃の思い出話で賑やかでした。家の周りに池が二つあって、たしかグミの木があったはずだとか、下の水車のところで遊んだなどと、とても生き生きと語ります。そこでも音治郎じいさんが何回も出てきました。
帰りの電車のなかではめずらしく眠りませんでした。伊勢崎の家で少し横にならせてもらったのがよかったようです。新幹線の座席の前に小冊子があります。内舘牧子のエッセーや秋田県小坂鉱山のまちづくりのことが紹介してあるものです。これを読みふけりました。ここでは近代建築やアカシアをたくさん植えて甘い香りのするまちづくりをしていることが書いてあって、ひき込まれました。アカシアの開花時期は私たちのところよりも10日以上遅いようです。毎年、アカシアの花の匂いを嗅いで、いい気分を味わっていますが、外に出て楽しみたくなりました。