きょうは新井議員のお母さんの葬儀でした。パーキンソン病の夫をずっと介護し、市議になった息子を支え続けてきた人でした。まだ76歳、女性の平均寿命を考えたら、早すぎる死です。喪主を務めた新井議員の挨拶は母親に対する愛情にあふれたもので、参列者の涙を誘いました。農家に嫁ぎ、苦労に苦労を重ねたお母さんは、3人の子どもを一生懸命育てます。そして70を過ぎ、顔とお腹がくっつくほど腰が曲がりました。亡くなった日も台所に立ちました。踏み台を使って、包丁でトントンとやっていたといいます。お風呂から上がるのがあまりにも遅いと風呂場の戸を開けた時、新井議員の目に入ってきたのはうつ伏せになって亡くなっている母親の姿でした。体重はわずか30キロ、同議員は初めて小さな母親を抱きしめたのでした。
先日も知人のお母さんの葬儀がありました。息子のHさんが私にこう言いました。「いやー、親はどちらも大事だけど、母親をおくるのはつらいね」。こちらは90代でお母さんが亡くなられたのですが、いくつであっても母親というのは特別な存在なようです。きょうの葬儀が終わった時に、この話を同僚議員にしましたら、U議員は、「そうなんだよ。おれも、父親、母親と別れたけど、父親の葬儀の時には気も張っていたのか、しっかりした気持でやれた。でも、母親の時はだめだったね。あのチーンという鐘の音が心に響いて、切なかった」と語りました。私の母親は83歳、まだまだ元気です。「どこどこから、じちゃの見舞いもらったが、ちゃんとお礼をいってくれや」「ひと様に会ったら、しっかり挨拶しろ」。息子がいくつになろうと、子どもは子ども、きょうも苦笑いしながら、母の「説教」を聞きました。元気で、長生きしてくれているだけでもありがたいことです。