吉川高校閉校記念式の日を迎えました。このところ、連日、有線放送でこの式典のことが流れていて、多くの吉川区住民がきょうの日を意識していたように思います。もちろん、私もそのひとりです。そのせいなのでしょうか、式典や惜別の会が終わって家に戻った時には何か疲れとさみしさが一体となったような気持ちになりました。学校は来年3月までは続きます。同校はわが家から直線で500メートルほどの距離にありますが、校内放送の音が時々聞こえていました。牛舎のそばの市道を部活などでランニングする生徒たちもいました。それらがまもなくプツンとなくなる。残念です。
閉校記念式は午前9時半から。会場となった同校の体育館は在校生徒を最前列に、同窓生、元教職員、来賓など約400人の参加者でうまりました。同校が開学したのは明治43年の5月、それから来年の3月に卒業する生徒を含めて9805人の卒業生を送り出してきました。きょうの式典では、挨拶や講演などで同校の歴史と伝統を、そして卒業生たちが地域で、日本で、世界でいかに頑張ってきたかを知ることができました。そのひとつ、学校長である山田豊先生の式辞は1ヶ月も推敲されたといいます。「吉川高校は頸北の一大コミュニケーション・文化センターとしての役割を果たしてきました。いつも地域と一体となって、地域と深い交流をしながら地域に根ざした教育を展開してきました。新潟県の教育の歴史に個性あふれる学校として永遠に書きどどめられるでしょう。吉川高校よ、あなたは雨の日も風の日も雪の日も私たちをじっと見守り続けてきました。吉川高校よ、さようなら。98年間ありがとう。私たちはあなたの黄金の微笑を忘れない」。心のこもったすばらしい内容でした。
山田先生が式辞で言われた同校の歴史と役割を各種歴史資料を存分に使って示してくださったのは、元東北大学教授の竹内昌昭さんの講演でした。パワーポイントを駆使して、農産物品評会やスキークラブの活躍(画像)など懐かしい写真や新聞資料などを映し出しての話は分かりやすく、ぐいぐいひきつけられました。私も数年前から付き合いをさせていただいていますが、とても研究熱心な方で、不明なところが出てくると、とことん調べる学者さんです。きょうの講演でもここまで調べてくださったのかと思うことが何回もありました。たとえば、日本学校農業クラブ、昭和25年11月に東京は日比谷公会堂で全国結成大会が開かれましたが、そこに参加した吉川高校の生徒は10人で、全国でもっとも多かったことを初めて知りました。そして参加者がうなったのは、校門のそばで85年間、同校の生徒を見つめ続けていた樹木、ヒマラヤシーダの話でした。この木は今年の2月の強風で傾き伐採されたのですが、その年輪(画像)の画像を示し、年輪幅に影響を与えた冷夏のことや学校の歩みを語られたのです。感動でした。
きょうの式典、惜別の会では吉川高校との関連でお世話になった何人もの方と再会しました。『酒は風』を貸してくださった佐藤元校長、私が同校のPTA役員をやっていた時の平山元校長、醸造科の満田先生、東京吉川会で何度もお会いしている人たちなどです。たくさんの思い出話をさせてもらいました。きょうは、吉川区の歴史に残るさみしい日ではありましたが、懐かしい人たちと再会できたという点ではいい日でした。