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母の実家で法要

 吉川区第3回(通算43回目)駅伝と大島区の伯父と伯母の法要が重なりました。駅伝は30数年前からずっと関心を持ち続けてきたイベントです。きょうは、来賓としての案内もいただいていましたので、開会式で挨拶をして、法要に向かう途中、2区で応援しました。距離が短いこともあって、2区は1区とともに、スピード勝負、みんないい走りをしていましたね。大下の中継地点では大勢の人たちが応援に出ていました。天候は曇り時々晴れ。私が乗ったタクシーの運転手さんは、快晴よりもこの方が走りやすいと言っていましたが、ひょっとするとこの人も若かりし頃は駅伝ランナーだったのかも知れません。

 法要は母の実家で行われました。父の介護で動きがとれないので無理でしたが、本来なら母も出かけたかったはずです。伯父が亡くなったのは6年前の1月、伯母は昨年の10月でした。時の流れの速さを感じました。2人のお坊さんのお経を聴きながら、たびたび見たのは伯父と伯母の写真です。仏壇の上の方に掲げられていて、伯父の写真は白黒、伯母はカラーと色の違いはありましたが、2人ともおだやかな表情をしているのが印象に残りました。伯父が亡くなってからしばらくして伯母を訪ねた時、伯母が「オラもいつ逝ってもいいんだがね」と言っていたことを思い出しました。2人とも天国で仲良くしているような写真でした。

 法要が終わって、お坊さんが興味深い話をしてくださいました。宮沢賢治の短編、『やまなし』を紹介しながら、いのちの継続性について語ってくださったのです。川底にいるカニの子どもたちが水面を見つめていると、やまなしが流れてきたのか、落ちてきたのか、子ガニたちをびっくりさせます。お父さんガニが一緒にこのなしを追いかけ、最後は熟させて自然に酒になるのを待つ。その酒をいただくことは、やまなしの命をいただくことだと。人間も多くの命を引き継ぎながら生きている。そんなお話だったように思います。この話を聴いた後、お斎の席で、従兄が「ここにいる子は、母が亡くなって1週間後に生まれた子です」と孫を紹介してくれました。その子の顔をよく見てみると、何となく伯母に似ているところがあるような気がしました。おもしろいものです。

 お斎の席では、いろいろな情報交換が出来ました。お坊さんのうち1人は、京都で大学教授をやっておられる方ですが、私のHPで5月27日の池田勇諦さんの講演について読んでいてくださり、真宗大谷派と平和、憲法9条のかかわりについて教えてくださいました。埼玉県在住のUさんは元教育長さん、社会教育の場で、私の『幸せめっけた』『春よ来い』の中の話を題材に使っていると語りかけてこられました。特に「ナシ泥棒」はいい題材になるとか。この「ホーセの見てある記」を毎日、見てくれている従弟たちからも情報をいくつも寄せてもらいました。「たまに誤字があるけど、疲れているんだろうと思って」「尾神岳の報尽碑に行きたくなった」。みんな、うれしい情報でした。


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概要

2007年10月14日 22:49に投稿されたページです。

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