きょうは、市内に住む地学団体研究会のメンバーの皆さんが吉川区に入って調査活動をするというので、午前中だけ案内役をさせていただきました。道路の路面の割れ、崩れたがけ、建物のズレなどの被害状況を具体的につかんで、今回の地震がどういう地震だったかに迫る。研究者ならではのきめ細かさに感心しました。私はというとまったくの素人です。左右両側から押されて路面が盛り上がるケースがあることなど、初めて聞く「地震の動き」は興味深いものでした。
今回の調査で一番期待していたのは、上川谷における山の崩れがなぜ起きたかの解明です。前にも書いたように、吉川区の中で、あそこだけ、あちこちに崩れが発生し、土の肌が見えていました。テレビなどで見た山古志の風景とそっくりです。いまの上川谷は天明山などの山が大きな地すべりを起こし、そこがまた滑って集落や田んぼが出来た。今回の地震による崩れは「地すべり」というよりも「かつての子地すべり、または孫地すべりの先端部分の崩落といった方がいいのではないか」。現場で滑り面を確認し、地質図、地形図を見ながらメンバーの皆さんが出した結論です。
調査にやってきたメンバーの皆さんからは、上川谷の久保地内の田んぼのイネも見てもらいました。明らかに地震時に揺さぶられてイネが倒伏したり、かんもされたりした様子は地震から26日経ったきょうでも確認できました。まだ完全には起き上がれず、茎は下方10センチくらい泥だらけ(もっとも泥は田んぼのイネ全体がそうなっていました)です。不思議だったのは、その部分が田んぼの中でも出穂が早くなっていることでした。Hさんの解説によると、植物には、こういうアクシデントに遭遇した時に、花を早く咲かせるケースは他にもあるとのことでした。種を守ろうとする本能的な働きでしょうか。残念だったのは、田んぼの泥と違った泥の噴出を確認できなかったことです。これがあれば、「山の田んぼでの液状化現象」とハッキリ言えたのですが。
午後からは「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。すでに故郷に帰省している人が何人もいて、なつかしい再会をしました。うれしかったのは、そういう人の中に、私がHPに掲載した市政レポートをプリントし、親戚の人たちに送っている人がいることでした。故郷の情報として、こんな風に大事にしていてくださる方がいる。市政レポート吉川版は4月の最後の週から掲載を始めたのですが、こういう声を初めて聞きました。感激です。
市政レポートNO1307号掲載しました。ご笑覧ください。