日曜日の新潟日報に掲載された報尽碑(尾神岳中腹にある)をめぐる悲話が話題となっています。地元の人たちの間では、この碑の話だけでなく、川谷地区で発生した雪崩災害についても話が広がっています。住民の皆さんの記憶に残っているのは昭和14年、15年、42年の雪崩で、いずれも下川谷の学校に通う子どもたちが巻き込まれました。ただし、15年の雪崩災害は2回あって、そのうち1回は名木山の民家が襲われ、大人の方も帰らぬ人となりました。私が記憶しているのは、昭和42年1月に上川谷で発生した雪崩だけですが、きょうは戦前の雪崩災害について地元の人から教えてもらいました。当時のことを記憶している人が何人かおられますので、さらに聞き取り調査をさせてもらって、遠くない時期にHPで書きたいと思っています。
きょうは午後から議員団会議でした。昨日に続いて、第5次総合計画の改訂版について学習しました。計画の基本的な方向の議論の中で、前市長の時代に作成されたJプラン(ジェイプラン)との関係を指摘する声があったので、6年前のJプランを読んでみたら、今回の計画案の土台となっていることがよく分かりました。将来的には、東アジアにも視野を広げていくことが求められていることもうなずけます。この他、議員団の議論の中で関心が高かったのは基本理念についてでした。「上越市が持続可能な発展を遂げるためには、多様な市民や市内の各地区がお互いを
認め合いながら切磋琢磨し、それぞれの個性を魅力へと高めながら市外へ広く発信す
るとともに、市全体として調和ある輝きを放つような一体感の醸成が必要です」という視点は、地域自治区と市の関係においても大切なことだと感じました。
夕方からは市職労学校給食調理員部会の学習会でした。この間、学校給食を考える会として取り組んできたことについて、3月議会の論戦と到達点、その後の教育長への要請、今後の課題を中心に30分ほど報告させてもらいました。一応、レジュメを作成して臨んだのですが、いったん、目を離すと、関係のない話をしてしまう悪いクセが出てしまいました。それでも、参加されている組合員の皆さんが真剣に聴いてくださったのは有難いことです。学習会が終わって、吉川区出身の人たちのところへ行ったら、「おまんの顔を見るとホッとするわ」と言われました。全市の関係者が集まる、こうした会に参加すると緊張するんでしょうね。