夜9時半頃、Nさんのところへ遊びに行っていた私の携帯電話が鳴りました。妻の父親が重体に陥ったという知らせです。直ちに家に戻り、柏崎市内の病院へと向かいました。義父は人口呼吸器というのでしょうか、自己呼吸ができなくて機械で呼吸している状態でした。持病の間質性肺炎だけでなく、心不全を起こしている可能性もあるといいます。医療機器に囲まれ、呼吸の音だけがハッキリと聞こえる病室で、義兄から病状を説明してもらいましたが、これほど急展開するとはびっくりしました。
じつは昨日、義父の家を訪れた時、同じコタツのなかで昼寝をさせてもらった際、いままでとは違うなと感じていたのです。呼吸が荒く、しょっちゅう咳き込んでいました。体の移動もままならず、台所、トイレ、寝室を行き来するのがやっとだとも義母から聞いていました。間質性肺炎は加齢とともに肺の機能が落ちていくといいます。きょうでなくとも、いつかはこういう事態がやってきたのでしょうが、それにしても早すぎです。
きょうは午前から市役所の木田事務所へ行き、たまっている仕事をひとつひとつやりました。午後からはメーデー上越集会に参加しました。こじんまりした集会ではありましたが、国公共闘の若い労働者たちが何人も参加してくれていて、集会やデモを盛り上げてくれました。つやのある若い人たちの声を聞くだけで、元気が出てきます。デモは強風のなかで行われました。帽子が飛び、ビラが舞い上がり、旗がバタバタ音をたてる。旗持ちの人たちはたいへんだったと思います。ご苦労さんでした。