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風岡準三さん亡くなる

 悲しいお知らせです。私の学生時代からの大切な友人で、日本画家の風岡準仙(本名準三)さんが亡くなりました。直接の死因はまだ聞いていませんが、頭だか首の外部にできた悪性腫瘍が肺、腎臓、骨盤などに転移していました。まだ57歳という若さです。50代も半ばになった2年前、やっと連れ合いが決まりました。これからどんな活躍をしてくれるか楽しみな人だっただけにとても残念です。
 風岡さんとは大学1年生の時に出会いました。私は史学、彼は英文学を専攻していましたが、英会話研究会で一緒になり、学生運動も一緒でした。以来、今日まで友人として付き合いをさせてもらいました。とても頭のいい人でしたが、きさくで、いつも笑顔を忘れない人でした。でも、人一倍さみしがりやさん。私の下宿やわが家にも何度もやってきては泊まっていきました。わが家が尾神岳の中腹にあった頃、卵と牛乳を入れただけのインスタントラーメンを作ってやったら、これほど美味いものはないと喜んでくれたことをいまでも憶えています。
 伯母にあたるのか、従姉にあたるのか、日本画家の人が親戚筋にいて、彼も日本画をやるようになりました。素敵な風景を自分の目でしっかりと覚え、1枚の絵にしていく彼の話を初めて聴いた時、「こんな能力をどこで身につけたのか」と驚いたものです。彼の絵の中で私が一番好きだったのは、青い空の下、はさのある雪道をひとりの少女が歩いている絵です。雪国の暮らしをとらえる視点はとても温かく、私の想いと共通するものがありました。写真は2年前の3月19日、母校の人文学部長室に八海山の絵を彼が寄贈した時に、記念に撮ったものです。
 お連れ合いから電話があったのは午後6時50分頃でした。「お医者さんに、今晩か明日だと言われました」そう言った後、彼のそばに電話を持っていってくれました。「風岡さん、風岡さん、橋爪君よ」と呼びかけてくれ、彼と最後の会話ができました。涙があふれるなかで、「死ぬなよ」と言ったら、彼は「ありが……(ありがとう)」という言葉を返してくれました。この電話の数時間後、亡くなりましたので、これが私が聴いた彼の最後の言葉になりました。風岡、いままで本当にありがとう。


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概要

2007年04月25日 00:00に投稿されたページです。

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