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報尽碑現地視察

 尾神岳の報尽碑については9月21日の「見てある記」で書きましたが、きょうは関係する議員など16人が集まり、現地を視察しました。その後、見晴らし荘において、道路整備などこれからの運動をどのようにすすめていくかについて懇談をしました。碑は尾神岳の中腹の高台にあります。現地に行った人たちが、まず驚いたのはどんぐりでした。碑の周りはどんぐりの実でびっしりと埋まっていたのです。歩くと、「ブチ、ブチッ」という実のつぶれる音がしました。
 碑に手を合わせた後、報尽碑について説明してくださったのは、旧吉川町教育委員長の上野實英さんです。元中学校の校長先生で、区内では「古文書を楽しむ会」の講師も務めておられます。上野さんは、明治16年3月12日の遭難について史実に想像もまじえて語ってくださいました。「雪崩は最初小さなのが落ちてきたのでしょう」「おそらく欅(けやき)を運んだソリが埋まったのではないか」。遭難現場の地形などを見たばかりなので、上野さんの言葉から事故当時の情景が浮かび上がりました。
 説明の中で参加者が最も注目したのは、欅の出所についてです。これまで大島区嶺だというふうに聞いてきたのですが、上野さんは柿崎区米山寺の木村家文書や大島区の中条家文書などによって、吉川区川谷であることが明確になったと説明されました。それらの文書を読み上げておられる時は、緊張した雰囲気につつまれました。なぜ嶺という説が広まったのか。その点については神社の名前から嶺だという思い込みがあったのではないかということでした。文書には「川谷村黒姫神社境内木伐採シ…」と書かれていたのですが、まったく同じ名前の黒姫神社が嶺にも川谷にもあった(川谷の黒姫神社は合祀され、いまは存在しない)のです。
 現地調査にあたって、私は大島区総合事務所へ行きました。大島区選出の岩野市議や浦川原区選出の山崎市議などの道案内のためです。大島区から尾神岳の山中を通る市道を走り現地へ行ったのですが、途中、パラグライダーの飛び立つ場所に立ち寄りました。少しモヤがかかっていましたが、眺めは抜群、「何か吸い込まれる感じだ」「飛び込みたくなる」などの声があがっていました。


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2005年10月14日 00:00に投稿されたページです。

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