私と石川啄木との出会いは教科書でした。体が弱く、貧しかったけれど、日本人の心に残る大きな仕事をした、そんなイメージをいだきました。以来、名前は何度もおめにかかるけれども深い付き合いには発展しませんでした。その啄木についてもう少し知ってみたいと思うようになったのは、昨年、国際啄木学会会長の近藤典彦さんと出会ってからでした。そしてまもなく、同じ学会に吉川区出身の池田功さんが所属し、活躍されていることをある新聞に掲載された論文で知ることになります。
池田さんが帰省された機会に、ぜひ講演をしていただこうという動きが短歌愛好者の中から起き、総合事務所の教育文化グループで企画してくださいました。きょうはその講演会でした。テーマは「石川啄木・短歌の世界」、約1時間半にわたる力の入ったいい講演でした。啄木がどんな生涯を送ったのか、『一握の砂』『悲しき玩具』の作品紹介、そして啄木短歌の影響がどう広がっているか、よく整理されていて、分かりやすい話でした。
正直言うと、啄木と宮沢賢治が同じ岩手県の出身だということもあって、私の記憶の中ではごっちゃになっていました。イメージもほとんど同じでした。それがきょうのお話でやっとすっきりしました。26年の生涯を略年賦、ビデオ映像などで紹介いただいたので、これからはもう混同しないでしょう。きょうの講演によって、初めて知ったことがいくつもあります。まさか谷村新司の『昴』の出だし、「目を閉じて 何も見えず 哀しくて目を開けば…」が彼の『悲しき玩具』から影響を受けているとは思いませんでしたね。いわれてみれば、啄木の作品はいまでも日本の様々な分野に影響を与えています。若いときに残した作品がいつまでも国民の心をとらえている、まさに天才です。その天才が結婚後、妻以外の「女性」に恋心を抱くこともあったという話、これも初めて知ったことですが、とても人間臭さを感じます。
きょうの講演はどちらかというと啄木の入門講座でした。これで読みかけていた近藤典彦さんの『国家を撃つ者』(同時代社)を読むことができるでしょう。