朝、目が覚めて、時計を見たら何と午前8時です。ここ数日の疲れがたまっていたのでしょうか、こんなに遅く起きたのは久しぶりのことでした。きょうは、日中は総合事務所や市役所本庁で水害関連の仕事をしました。具体的には、昨日の懇談会で出された住民要望を行政当局に伝える、21日及び28日の市議会の諸会議で何をとりあげるか話し合う、夜の懇談会の準備をする、こういった内容です。吉川区総合事務所幹部とのやりとりの中で、尾神と上川谷を結ぶ市道の草刈り、側溝のゴミ上げについては、請け負った業者が明日からとりかかることになりました。上川谷の住民から強く出されていた要望の1つが実現することになったのです。よかった。
昨日の上川谷に続いて、今晩は地元集落・代石(たいし)での懇談会でした。ここは吉川橋下流の堤防決壊などによって5世帯が避難、1世帯が床上浸水、8世帯が床下浸水しました。長年にわたり、水害に苦しめられ続けている集落です。今回の雨の特徴や市役所、党議員団の取り組みについて説明した後、懇談に入りました。水害の出た28日は地元にいる時間が少なかったこともあり、率直に言って、初めて知った事実もたくさんありました。懇談は、2時間過ぎても終わりませんでした。実態報告、質問、提案などが続出したからです。
出された声を列挙すると以下のようになります。
● 吉川橋の上流もU字溝などをつかい嵩上げ(かさあげ)してほしい。そばに側溝もつけて……。
● 吉川の代石周辺は昭和46、7年頃、河川改修をやってもらったが、土などが土手にくっついて当時より川幅が狭くなっている。これを元に戻してもらうだけでもずいぶん違うはずだ。
● 大出口川の堤防で部分的に陥没しているところが何ヶ所かある。調査して手を打ってもらいたい。(吉川だけでなく)大出口川も10センチでもいいから、嵩上げしていただきたい。
● 水がひいた後の処理、柿崎区は散水車が来てきれいにしていった。こちらはグレーダーで泥をどかしただけだ。
● 流れ着いたゴミがたくさんあるが、袋に入れて出してくれと役場に言われた。とても出し切れる量ではないので、集落で処理することにしてもらった。
● 有放での情報伝達がほとんど無かった。もっともあったとしても(水騒ぎで)夢中になっていれば聞いていられない。防災無線とか消防団員の直接伝達でないと伝わらないのではないか。
● 吉川橋のそばにある昔の水位計、鉄骨が曲がってゴミがつっかえるようになっている。使っていないのならば撤去してもらいたい。
● 市役所は浸水被害に遭った家庭の掃除、ゴミ片付けボランティアを早く呼びかけるべきだった。最初、親戚などで対応してもらいたいとの話だった。
● 吉川町時代から浸水後の消毒は役場が散布までしてくれた。高齢化が進む中で、これはありがたい。続けてほしい。
● 流れ着いたドラム缶、タイヤの始末には困った。
● 消防団員はぐったりだった。夕方はおにぎりが出なかったのか。家に帰ってきてご飯を食べていった。
懇談会が終わってから、夕飯を食べ、横になりました。ひと眠りした後、パソコンに向かうと、議会での質問をどう展開したらいいか、次々とひらめいてきました。面白い現象です。おそらくは懇談会の何かが作用したのでしょう。質問準備もかねて二日連続で集落懇談会をやりましたが、住民の皆さんの声を聞くことの重要さを再認識しました。住民こそ主人公を貫くには、まず住民の声を聞く。今月は日程的に開催は無理ですが、来月も災害関連で懇談会をやろうと思います。