私が20数年過ごしたふるさとの集落名は蛍場といいます。私が住んでいたときの世帯数は最高時で8、わが家が引っ越した時点では5でした。その後、火災で1戸減り、現在は4世帯、9人が蛍場に住んでいます。そこには毎週1回はたずねています。きょうの夕方訪ねたら、3世帯4人の人たちと話ができました。屋号でいいますと、大西、井戸尻、東の4人です。4人との話は大いに盛り上がりました。
盛り上がった理由は、火災で蛍場から離れた大東のお父さんが、久しぶりにやってきたからです。数年間、町営住宅に住み、昨年、関東の娘さん夫婦のところへ行かれた大東のお父さんは、とても元気な様子だったという話から始まりました。そして、特養ホームに入ったきりになっている大東のお母さんの近況、さらには大東の親戚にあたる町田集落のKさんのことまで話は広がりました。
大西のお母さんとの話では、東京都内に住む親戚の方(姪にあたるのかな)のことが話題になりました。2月27日の「しんぶん赤旗」日曜版に私が載ったことをきっかけにして、吉川町出身の人との交流が深まったのですが、そのうちの1人がこの女性の方でした。私が書いているものをよく読んでいてくださるとのことで、うれしくなりましたね。蛍場での話は尽きることがありません。