1883年(明治16年)といいますから122年前のこと、尾神岳の中腹で東本願寺再建用材(欅の巨木)の搬出中、幅60m長さ約200mの大雪崩が発生し、27名が亡くなるという大惨事がありました。その日が、きょう3月12日にあたります。夕方、尾神で日曜版の配達をしていたら、ある読者からひとつの事実を教えてもらいました。真宗大谷派の人たちが毎年、この日に現場を訪れているというのです。今年は大雪にもかかわらず、安塚区や吉川区のお寺の住職数人がカンジキをはいて現場に行き、お参りをされたとのことでした。
雪崩現場には、殉難者の追善供養のため、当時の状況と追悼の意が刻まれた碑が明治20年に建立されています。報尽為期碑(旧吉川町の指定文化財)といいます。現地を訪れた人たちの話では、この碑より雪が積もっていたといいます。私は雪のないときに何度かこの碑を訪れていますが、碑の高さは3~4メートルくらいだったと思います。それを超えているとなると、すごい積雪です。この時期ですから、しただまってきてはいると思いますが、よく行かれたものです。
尾神のことでは、きょう、もうひとつ話があります。同級生のHさんが帰省していたのです。お盆には毎年のように会っていますが、この時期に会うのは久しぶりでした。2メートルを超えた残雪には、雪国育ちの彼もびっくりしたようです。しかも夕方からまた雪が降り出してきていましたので、どうなっているんだ、と言っていました。Hさんとは30分くらいお茶を飲み、関東方面の同級生の近況などを教えてもらいました。同級生はいつ会っても楽しい。