« あと2日 | メイン | 21万都市誕生 »

ふるさとは母 ふるさとはいのち

 吉川町最後の日。前夜から朝4時ころまで年賀状書きをやり、5時半すぎから「しんぶん赤旗」日刊紙の配達に出ました。雪の量は大したことがなかったのですが、ブルが出動していました。明るくなってから見えた景色のなかで素敵だと思ったのは、軽い雪が積もった山の木々の姿でした。白い雪がまるで花のように見えるのです。あっちの山もこっちの山も、みんな白い花が咲いている。やはり、わがふるさと、吉川は雪が似合うな、そう思いました。
 朝の餌くれが終わってから、住民アンケートの結果をまとめた町政レポートの配布に出発。大晦日でしたので町民の方からどんな反応があるかと心配したのですが、どこでも激励されました。「議会の橋爪です。きょうまで議員なんです」。そう言うと、「長い間、ご苦労さんでしたね」「いつも楽しみに読んでいるよ」という声がいくつも返ってきました。なかには私の手を握ったり、肩をたたいてくださる方もあって、予定した集落への配布をいい気分で終えました。
 途中、吉川町最後の写真をと思って、尾神岳と町役場の姿を撮りました。尾神岳は大乗寺集落からのものです。どんよりした空模様でしたので、パッとしていませんが、目で見た景色はもっと良かったんですよ。役場の撮影時は雪が降っていました。合併の準備なのでしょう、職員の姿もちらほら見えました。大晦日だというのに、駐車場には10台以上の車がとまっていました。
 予定した一日の行動を終えて、夕方、再び町役場に立ち寄りました。総務課の職員が一人だけ残っていて、灯りが点いていました。宿直当番だった石野さんの案内で一階から三階までぐるりと回りました。一階は新しいパソコンが目立ち、まさに仕事場という感じです。二階が大きく変わりました。これまで産業建設課の建設関係の職員がいたスペースは机も椅子も無し。合併による異動で18人の職員が上越市役所本庁へ行くと、こうなるのかと思いました。三階、議会事務局の部屋はすっかり片付いていましたが、有線放送ファックスが置いてある机のシートのなかに町議会議員の連絡先一覧表が残っていました。それを見たら、急にさみしくなりました。きょうで私も町議は終わりです。
 吉川町は49年余の歴史に幕を下ろします。明日からは上越市です。さみしい気持ちはありますが、私の生まれ育った吉川の大地は動きません。私をずっと見続けてくれている尾神岳もそのままです。ここは私のふるさとであり、命とおなじくらい大切なところです。あと、どれくらい生きるか分かりませんが、私は、このふるさとの発展のために全力を尽くしたいと思います。吉川町よ、ありがとう。


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hose1.jp/mt/mt-tb.cgi/500

コメントを投稿

(TypeKey でサインインしたコメントは即時に、それ以外は承認後表示されます。)

概要

2004年12月31日 00:00に投稿されたページです。

前:あと2日
次:21万都市誕生

過去の投稿

小さな町の幸せ通信