1955年(昭和30年)にスタートした吉川町議会、きょうが最後でした。さみしいけれど、きょうが吉川町議会としての最後の会議でした。私は1978年(昭和53年)の11月からお世話になりました。これまで26年と1ヶ月、吉川町議会とともに歩んできました。私の人生の約半分、吉川町議会議員として生きてきたことになります。それだけに、吉川町議会が無くなるのはくやしい。
きょうの議会、12月定例議会でした。私がきょうの議会にのぞむにあたって心したことは、最後の会議も町民のみなさんの思い、願いを代弁するということでした。だから、一般質問では、いま、多くの町民のみなさんが関心を持っている地震の問題をメインに据えました。双方向の情報伝達手段をもつべきだ。弱者救済は手抜かりなくやってほしい。避難所開設基準はもっと分かりやすく。自主防災組織の重要性、再確認しよう。こういったことに、角張町長は前向きに答えてくださいました。うれしかったです。
議会が終わってからの閉場式、これはつらかった。各議員がそれぞれ1分以内で思いを語る、これは先日の議運で決まったことでした。わかっていたことですが、議会の質問準備に集中したために、何を語るか、まったく準備してきませんでした。自分の思いは、その時に胸に浮かんできたことを自分の言葉で語ればいい、そう思ってのぞみました。
頭にふっと浮かんできたのは、子どもの時に父が私に繰り返し言ってきた言葉です。あにゃ、いいか、チリも積もれば山となる。為せば成る、為さねば成らぬ、何事も。本も読まない、新聞も読まない父が語ったこの言葉、私をずっと支えてくれていました。毎回発言する、毎回議会報告をする、この議員としての当たり前のことが、山をつくりました。一般質問102回。吉川町議会新記録です。町政レポート発行回数1175回。これも最高記録でしょう。
最後の懇親会では、酔っ払いました。一緒に吉川町議会議員として生きてきた、活動してきた、それだけで仲間意識が生まれます。吉川町議会は全国に先駆けて「義務教育における父母負担禁止条例」をつくった歴史を持っています。全国唯一、議員提案で「まちづくり基本条例」を制定しました。これは誇りです。最後の万歳三唱の前にひとこと言わせてもらいました。「ここにいる人たちはみんな吉川町の人間として生きてきました。これからも一緒にがんばりましょう」。さようなら、吉川町議会。ありがとう、吉川町議会。