朝6時過ぎ、「しんぶん赤旗」日刊紙を取りに大潟町まで行きましたが、新聞は来ていませんでした。関越道、国道17号線がやられているので輸送トラックが来れないとのこと。日本共産党上越地区委員会から、きょう付けの新聞は明日のものと一緒に配達するようにと指示がありました。
午前7時過ぎ、町役場へ行きました。すでに職員が集まっていて、災害対策本部会議が開かれていました。職員は役場で仕事をする人、現地調査に出る人にと、2つに分かれてがんばっていました。やはり、昨晩の段階では分からなかった被害も出ています。でも、中越に比べれば、被災の程度は極めて軽微でした。町内の被害状況は「町や議会の動き」のページに掲載しました。
町内の被害状況はたいしたことがなかったので、午後から妻と二人で柏崎市の2軒の親戚を訪問しました。柿崎町から峠を越えて野田に入るルートで行きました。対向車が2台しかなかったのでおかしいなと思ったのですが、この道は通行止めになっていたのです。柿崎地内ではお知らせ看板がなかったので、驚きました。2ヶ所で道路に大きなひび割れがありました。
柏崎市の産業大学の近くまで行って、軽トラの急ブレーキを踏みました。道路が波打っていたのです。そばの歩行者用道路は、へこんでいて使いものになりません。妻が親戚へ食糧を買っていってあげようというので、スーパー丸井へ向かいましたが、入り口には大勢の人たちが列をつくっていました。これではダメだと、今度はスーパー「ナルス」へ行きました。ここも中に入れてもらえませんでした。余震があって、お客が避難したばかりだったのです。
テレビでは死者が出ている市町村を中心に報道しています。柏崎市へ行って分かったことですが、道路の陥没、水道管、下水管の破裂、ガス漏れが続出していました。この分だと、被害は中越地方の広範な市町村に広がっているようです。最初に訪ねた親戚では、すぐ近くの道路が大きく陥没していました(写真下)。土蔵も半壊状態でした。年寄り夫婦二人の生活ですが、地震発生時、一人はタンスを押さえ、いま一人は本棚を押さえていたとのことでした。
妻はスーパーでの買い物を断念してセブンイレブンへ。ここでパンを仕入れました。妻の話によると、店内では、全体として品物が少なく、デザート類がまったく無くなっていたと言います。駐車場で妻を待っている間に、長岡市の友人、Tさんから携帯メールの返信がきました。無事でした。メールは昨晩送っておいたもの、心配したのですが、これで楽になりました。
妻の実家では、義父母がテレビを見ていました。昨晩は停電で、暗い中で寝たといいます。幸い二人とも無事で安心しました。義父は地震発生時に玄関にいて、もう少しで上から落ちてきた水槽の直撃を受けるところだったそうです。ただ、私たちが訪ねたときも家の近くでガス漏れしていました。市役所職員がすでに調査に来たといいますが、復旧はいつになるのか不明です。
柏崎市で震災時の防災無線放送を初めて聞きました。家庭内、集落にあるスピーカーから市役所職員がゆっくりした口調で呼びかけていました。下水道施設があちこちで破損しているので、できるだけ使わないようにしてください、という放送です。下水が満タンになったらどうするのか、聞いてみたくなりました。
今回の地震は信濃川とほぼ同じく走っている活断層が動いたものと思われます。ここの活断層がこんなにも早く動き出すとは思いませんでした。私が住んでいる上越地域にも県道柿崎・新井線にほぼ沿う形で活断層が走っていると言われています。しかも、大きな地震の空白域になっているとか。早期に対策を確立しなければならないと感じました。
「春よ来い」第32回、「姉と妹」を掲載しました。また、昨日、「私の好きな風景」に「板山のカヤ葺の家々」掲載しました。ご覧ください。