やはり大きな余震がやってきました。25日に気象庁が「今後1週間以内に強い余震が起きる可能性が高まった」と発表していましたが、当たりました。当町の震度は4でしたが、恐怖感を感じるには十分な揺れ方でした。江村教育課長の話によると、吉川小学校の児童は校庭に避難したということでした。大きな余震が発生した10時40分、町役場の2階にいた人たちの中には、「これで余震なの? 本震だよ、これは」という人もいました。
昨日、きょうと町に寄せられた支援物資は、米が約1500キロ、毛布280枚。このほか、有線放送では支援物資としてあげられていなかった衣類、タオル、洗剤、ミルク、紙オムツなども届けられました。これらは町役場の職員7人がトラックに積み込み、川口町へ運びました。派遣された職員が現地に着いてまもなく強烈な地震にあったといいますが、全員無事とのことです。
きょうは午前9時半から町議会全員協議会。今回の地震被害について町から報告を受け、今後の取り組みについて話し合いました。町内の余震対策では、避難所の周知、開設、そしてホームページなどによる情報の伝達について注文が出ました。吉村副議長が、「旧源小学校(避難所の1つ)のカギを預かっているが、留守の時はどうなるのか」と聞いたことをきっかけに、職員の避難所への配置、有線による避難所のお知らせなどを求める声が相次ぎました。
中越地方の自治体及び住民への支援についても話し合われました。避難所に身を寄せる住民が増え続けている中で、何人かの議員が、町内の宿泊可能な施設で受け入れできないものか、と提案。遊ランド、中学校の寄宿舎、川谷の静山荘などが候補に上がりました。このうち遊ランドについては具体化に向け、検討に入りました。また、議員がお金を出し合い、県の災害対策本部に義援金を送ることも決めました。
午後から、源地区の地震被害を個人的に視察しました。水源地区から尾神のトンネルを通って川谷地区を調査しましたが、1990年12月7日の新潟県南部地震よりも被害は少ないと感じました。目立ったのは7月17日の水害、台風23号などによる道路の路肩決壊でした。困ったのは、こうした災害と今回の地震被害の区別がつかないものがあったことです。それで、町役場へ行ったら、入河沢で民家の裏山に亀裂が入ったと聞き、急行しました。