町内の酪農仲間だったTさんの乳牛1頭が地震発生時にショックで死亡していました。今朝の新聞を読んで知り、驚きました。これまで、町役場でこうした情報はまったく聞いていませんでした。おそらくTさんが現在入院中なので、ヘルパーさんと役場の連絡がうまくいかなかったのでしょう。それにしても町内の被災状況については、昨日の自主避難者数といい、今回の農業関係被害といい、もっと正確に実態を調べる必要がありそうです。
きょうは、日本共産党上越地区委員会の呼びかけに応えて川西町へ救援ボランティアに行ってきました。同町では半壊した家が13戸でしたが、その他に、地震で崩れた壁、割れた食器などたくさんのゴミが出ています。それらのゴミは、いったん川西町総合体育館脇の駐車場に集められます。私たちは、そのゴミの分別作業をやりました。朝9時過ぎから夕方の4時まで、約6時間ゴミと格闘しました。
ゴミは割れたガラスなど危険なものが多く、ゴム手袋とマスクをして作業を進めました。新聞紙、ダンボール、ビン、カン、ペットボトルなど資源ゴミとそうでないものを徹底して分別し、資源ゴミとならないものも燃やせるものとそうでないものに分別する。こういう大災害の中でもこれをやりきろうとする姿勢はすばらしいと思います。
ゴミの中には、今回の地震の影響をハッキリと見ることができるものがあります。たとえば割れた食器、くずれた壁材などがかなりありました。また停電の影響だったのでしょうか、腐った肉もありました。これらは直接的な影響でしょう。それとゴミを出す時に、とにかく早く片付けたいという気持ちから、まだ十分使えるもの、買ったばかりのものまでゴミとして出してしまった人もいましたね。
きょう、川西町総合体育館脇でボランティア活動をした人たちは約100人。上越から一緒に出かけた仲間たちは最初、ひとかたまりになって作業をやっていました。しかし時間が経つにつれて、よそから来た人と自然に一緒になってやるようになり、仲間意識が芽生えてきます。昼休みには、持参したお菓子や漬物などを近くにいた早稲田大学のボランティアの人たちなどと分け合って食べました。
終了間際、「日本共産党救援隊」のゼッケンをつけていた長野県の人に「どこから来られたんですか」と声をかけました。そうしたら、「豊野町です」という言葉が返ってきました。「エッ、じゃ、佐藤さん?」。お互いマスクをしていて分からなかったのですが、東頸城郡安塚町出身で現在、豊野町在住の佐藤さんでした。彼や連れ合いの久美子さんには私の町議選でずいぶんお世話になった経過があります。マスクをはずしたら、もう20年以上も会っていない懐かしい顔です。ゴム手袋をとってがっちりと握手をしました。