きょうは高崎市に住むHさん夫婦、Aさんの3人が吉川町へやってきました。6月に亡くなった伯母の葬儀などで世話になったと、吉川町の親戚に挨拶回りをするのが主たる目的です。それともう1つ、この吉川に来て、伯母のことや疎開時に遊んだことなどを思い出してみたいという思いもあったようです。わが家では仏壇で手を合わせて、先祖に伯母のことを報告したり、セピア色をした昔の写真を見てなつかしい話をしました。
伯母には小学校へ入学する前に高崎へ養子に行ったという経歴があります。養父母の方々がとても暖かく育ててくださったようで、高崎での暮らしを始めてからの生活ぶりを時々写真に撮り、実家であるわが家に送ってきました。今回、わが家にやってきた3人は、それらの写真を見てとても喜んでくれました。伯母の水着姿の写真、結婚式の写真など、高崎の家には現存しないものを何枚も見たからです。いずれも初めて見たとのことでした。なぜ、これらの写真が高崎の家にないのか定かではありませんが、Hさん、Aさんは、たぶん伯父が戦地へ持っていったためではないかと言っていました。
昼食後、3人と私、それに父も加わって、尾神へ行ってきました。尾神岳の遊歩道や20数年前までわが家があった蛍場を訪ね、散策しました。アキノキリンソウ、ノコンギク、ツルリンドウなどを見つけたAさんは、野の花が大好きで、それぞれの花についてどこで最初に出会ったかなどを語ってくれました。蛍場には50数年前のことを思い出させる風景がまだ残っていたようで、Hさんは、「あの山を見ると、炭焼きに行っていた音治郎じいさんがフンドシひとつでぷらぷらと帰ってくる姿を思い出す」などと、感慨深そうでした。