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高崎の伯母の告別式

 高崎市に住んでいた伯母の葬儀・告別式でした。伯母はすい臓がんを患ってはいたものの、10日ほど前までは自分で用を足せたといいます。その後、寝たきり状態に。入院せず、自宅療養していたところ、静かに息を引き取ったとのことでした。85歳の大往生。自宅で死んだ、という話を久しぶりに聞きました。告別式ではわが家が伯母の実家だというので遺族・親族代表として挨拶しました。
 伯母は橋爪音治郎・スガの次女として生まれ、7歳になる前にわが家から荻原家に養子として入りました。1943年(昭和18年)に最愛の夫を亡くしました。ニューギニアでの戦死です。伯母はまだ24歳でした。苦労して二人の娘を育てましたが、苦しさを顔に出さず、家族を守り続けました。こういった流れの中で、伯母がお盆泊まりに来た時のエピソード、ふるさと吉川町に咲くエゾアジサイ、ホタルブクロの話を交え挨拶しました。
 通夜や告別式後のお酒をいただいた席では、先の大戦の話が次々と出ました。母の姉にあたる人が1945年3月10日の大空襲で亡くなったという話をしたら、その頃、東京で地下鉄の運転手をしていたという人が生々しい話を聞かせてくださいました。さらに、大空襲の数日後に現地を歩きまわったという人も話に加わりました。3月10日の大空襲のことは早乙女勝元さんの『東京大空襲』(岩波新書)である程度知っていましたが、体験談を生で次々と聞いたのは初めてでした。
 高崎駅ビルの書店でおもしろい本を見つけました。田中修著『ふしぎの植物学』(中公新書)です。植物は何を食べて育つのか、どうやって体を守っているか、といった基本の話をじつに分かりやすく、ユーモアたっぷりに紹介してくれます。1つの花の中で、オシベとメシベが互いに接触するのを避ける「家庭内別居」状態になっているのは民法第743条の定めと同じだ、といった文章に接すると時の過ぎるのを忘れてしまいます。


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2004年06月22日 00:00に投稿されたページです。

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