きょうも夏日。「しんぶん赤旗」日曜版配達、支持のお願い、住民投票署名のお願いでフル回転しました。山間部に住む老人世帯の家を訪ねた時に、「まあ、入ってくんなさい」と言われ、お茶をご馳走になりました。そこのお年寄りの言葉が印象に残りました。「これまで、統合だとか、合併だとかを何回か経験してきたがその度に過疎になった。なんでこんなことをするのか、わからねぇ」。
朝早く、用事があって地元集落のお寺へ行きましたら、住職夫妻、その子どもさん全員が出てこられて、私のところにある印刷機で印刷してほしいと頼まれました。その印刷してほしいといわれたものは、B5サイズの紙に書かれた十数枚の原稿です。昨日亡くなった「お寺のおばあさん」こと井上乙羽(おとわ)さん(90歳)が40年ほど前から朝日新聞や『主婦と生活』に投稿し、掲載されたものでした。これを小冊子にして、葬儀などで来られた方たちに配りたい、というのがご家族の希望でした。
夕方から約1時間かけて、二人のお孫さんたちとともに印刷しました。印刷しながら乙羽さんの文章を読み、どんどん引き込まれてしまいました。豊かな表現力とリズム感のある文章で身の回りの出来事を感動的に伝えるエッセイです。これほどの文章の書き手が私の住んでいる集落におられたとは……。全文18ページの『井上乙羽エッセイ集』、最後のページに載った文を紹介したいと思います。
【種をまく喜び、今も】井上乙羽
大好きな畑仕事も今年限りになるかもしれないと、思うようになってから三年になる。
この春、冬中痛み通しだった腰と足が少し治ると、あきらめていたはずの、畑仕事をこらえられなくなった。それで結局、ジャガイモ、キュウリ、ナス、ホウレンソウ、大根などを少しずつ作ることにした。
腰が曲がっているので、歩くのも容易でないのに、好きな畑に行くときには、どこからか力がわくから不思議なことだ。
その喜びも、迫りくる老いにはとうとう勝てなくなった。今度こそ、秋野菜は一切まかぬことに決めた。家の者に、はっきりと告げた。
九月になって急に朝晩涼しくなり、近くの田んぼは日ごとに稲刈りが終わりに近づいてきた。見渡せば、あちらこちらに、秋野菜をまく人たちの姿が目立つようになった。
先日の台風であれほど毎日もぎ続けたキュウリが、ばったりならなくなって枯れてしまった。ナスやピーマンまで枯れはじめて、畑はすっかりさびしくなった。おまけに、グラジオラス、ダリア、百日草、アスターなどの花までが、折れたり、倒れたりした。
その代わりに、道端の野菊やアカマンマが、生き生きと咲き出した。孫たちが小さかった日に、この秋草の中でトンボやイナゴを追って、喜々として遊んだ。大根が芽吹くように、はつらつとしていた。
生まれるということが、こんなに楽しみな感動的なことだったかのか。私はまだ生きている。
ついに我慢ができなくなって、大根種を、こっそりとまいた。
(1996年9月)