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千葉の叔父、不帰の客に

 まさかと思いました。千葉県習志野市に住む叔父が亡くなったというのです。朝5時過ぎ、大島村の従兄より連絡をもらいました。すぐ母のところへ行き、「千葉の叔父さん、亡くなったよ」と伝えました。突然の訃報に母は、体を大きく左右にブルブルッと震わせ、「なしたがろな(どうしたのか)、かわいそうに」と言いました。「そういえば、退院したけど、はかばかしくないんだよ、と言ってた」とも。
 叔父は母にとっては一番下の弟にあたる人です。故郷を愛し、キョウダイや甥、姪をとても大事にしてくれました。ちょっとしたことでも心配し、「大丈夫か」と声をかけてくれる叔父でした。私が小学校に入学した時も、わざわざ祝いを持ってきてくれた記憶があります。なぜこんなことを覚えているかというと、叔父がわが家へ来てくれた日の忘れがたい想い出があるからです。この日、私は学校からの帰り道、雪の「がらんぽつ」(雪に覆われた穴)に落ち、泥だらけになってしまいました。家に泣いて帰りつくと、何と大好きな叔父が待っていてくれたのでした。叔父は、毎年、千葉の特産である落花生やニンジンを送ってくれます。こうした叔父を、わが家のキョウダイも従兄たちも、みんな、「千葉の叔父さん」と呼び、親しんでいました。
 面倒見の良い人でしたが、挨拶だけはどうも不得手だったようです。私のすぐ下の弟の結婚式の際には、司会者から親戚を代表して一言ご挨拶をと言われ、「挨拶は苦手なので、一曲やらしてもらいます」。司会者から、「いや、それは後ほどお願いします」と言い返され、叔父はたいへん困っていたとのことでした。もう20数年前になりますが、母は笑いながらこのエピソードを教えてくれたものです。
 叔父は一年に数回、大島村の実家にやってきて、わが家にも一年に一回はきてくれました。母や私たちの様子を見るためです。tibanoojisann231.jpg
いつもたくさんの土産を持参し、酒を飲み、楽しい時間をつくってくれました。家に帰れば、きれいな字で必ず礼状をしたためる、撮った記念写真はちゃんと送ってくれる、几帳面な性格の持ち主でもありました。(写真は2001年8月5日わが家で撮ったもの)
 
 その叔父が弱音をはいたことが一度ありました。数年前、直江津の労災病院に「竹平の伯父」(母の兄)を見舞った時でした。駅前の食堂で昼飯をご馳走してくれた叔父がぽつりと言いました。「次はオレの番だよ」。男のキョウダイが次々といなくなり、一人ぼっちになりそうなことをさみしく思ったのでしょうね。
 叔父の名は伊東義孝、長年、錦糸町駅に勤めた国鉄マンでした。毎年、JR東日本のカレンダーを送ってくれましたが、来年のものはもうこないでしょう。「千葉の叔父さん」、長い間ありがとう。明日、叔父さんのところへ行くからね。ゆっくり休んでいてください。
 (明日、明後日は叔父の葬儀のため留守にします)


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概要

2004年05月29日 00:00に投稿されたページです。

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